スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典さきたま杯&配達

2017-05-31 19:21:19 | 地方競馬
 第21回さきたま杯
 外からカオスモスがハナへ。アンサンブルライフが単独の2番手。3番手をラブバレットとニシノラピートで併走。5番手にベストウォーリア。6番手にホワイトフーガ。この後ろをメジャーアスリートとドリームバレンチノとモーニンの3頭が追う隊列に。かなりばらける展開になりました。最初の600mは36秒3のミドルペース。
 3コーナー手前からホワイトフーガが外を進出。コーナーで前を捲って先頭に。この動きについていくことができた馬がなく,直線の入口ではほぼセーフティリードに。そのまま4馬身差で圧勝。カオスモスを交わしたアンサンブルライフの外からベストウォーリアが並び掛けての競り合いになりましたが.これらの外からモーニンが交わして2着。ベストウォーリアが何とかアンサンブルライフだけは捕まえて2馬身差の3着。
                                  
 優勝したホワイトフーガマリーンカップからの連勝で重賞7勝目。これまで,牡馬が相手の重賞では結果を出せていなかったのですが,牝馬戦で見せている能力からは勝っておかしくはないと思っていました。距離が短縮したのもプラスに働いたかもしれません。今日の結果からみるとやはり距離が重要で,1600m以下のレースでは昨年のこのレースのような出遅れといったアクシデントがない限り,存分に能力を発揮できると考えておくのがよいのではないでしょうか。父はクロフネ。母の父はフジキセキ。祖母がドバイソプラノ
 騎乗した蛯名正義騎手は第18回,19回に続く2年ぶりのさきたま杯3勝目。管理している高木登調教師はさきたま杯初勝利。

 8月16日,火曜日。午前中に前日に受け取ることができなかったインスリンと注射針が薬剤師によって届けられました。もっともその時間には僕は不在でしたので,実際に受領したのはです。この薬剤師の自宅と薬局との中間に僕の家があります。薬剤師が僕の家までインスリンや針を届けてくれることがあるのはそれもひとつの理由になっています。仕事帰りに僕の家に寄るということは,薬剤師にとってそう大きな手間の掛かることではないからです。こうした理由から,それが届けられるのは大抵は夜,僕が帰宅してからのことでした。しかしこの日は夜に台風の接近が予想されていたため,インスリンと注射針が薬局に届いてすぐに,わざわざ配達してくれたようです。当然ながらその後はまた薬局に戻った筈で,この日は手間の掛かる作業となったのではないかと思います。僕はこの日は川崎に出掛けていましたが,台風が接近する前には帰宅することができました。
 8月17日,水曜日。妹の夏休みは前日までで終了。この日からまた施設での作業が開始になりました。母は午前11時の予約で歯科検診に行っています。クリーニングだけでした。また,この水曜の夕食にはKさんは来ませんでした。これは亡くなった旦那さんの遺作の展覧会の開催中であったためです。僕はこの日も川崎に行っていました。
 8月18日,木曜日。僕はこの日も川崎に行っていました。その道中に,1冊の本を読み終えました。これは桂寿一の『スピノザの哲学』です。
 桂寿一は1902年産まれです。1949年に東京大学の教授になりました。僕が読了した『スピノザの哲学』の初版というのは1956年9月1日に発刊になっています。僕が購入したのは2009年5月20日付となっている第6刷ですが,内容が変わっているわけではありませんから,日本人によるスピノザの哲学の論考としてはとても古いものであるといえるでしょう。これは畠中尚志による岩波文庫版の『エチカ』の日本語版が発行されたのが1951年であったということからも分かると思います。要するに日本におけるスピノザ哲学の研究の黎明期の著作にあたるといっていいでしょう。
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印象的な将棋⑭-3&適切な対処

2017-05-30 19:04:37 | ポカと妙手etc
 ⑭-2の第1図は先手玉には詰みはなく,後手玉は詰めろになっています。先手は歩で攻めていて,持ち駒にもまだ歩が豊富にありますから,後手は受けて手を伸ばしているだけでは状況は改善するどころか悪化します。つまりここは後手の方に手段が求められているのですが,そういう手段はありました。
 ☖4八飛成と王手をして☗5八金☖5七銀☗同龍☖同龍☗同金と先手の龍を盤上から消しておいてから☖4四歩と取るのがそれです。
                                     
 先手は手番を得たので☗6三飛と王手を掛けました。☖4三桂の合駒に☗5四銀と迫り☖5二金には☗4三銀成☖同金に☗5五桂と打ちます。後手はここで☖5三金打と受けました。先手は4三の地点を攻めるほかありませんから☗4三桂成の一手です。
                                     
 後手が☖5三金打と打ったところで☖5二金であったらこの局面は☖同金しかありません。ですが5三に打っておいたので第2図は☖同玉も可能な指し手になっています。

 喜びlaetitiaあるいは善bonumを希求し悲しみtristitiaないしは悪malumを忌避するというのは,人間の現実的本性actualis essentiaですから,このこと自体は人間の力potentiaが及ばない事柄についてのみ生じやすいというわけではありません。むしろ人間の力,自分の力としてであれ他人の力としてであれ,人間の力のうちにある事柄についても同じように生じるのであり,より生じやすいといえるかもしれません。
 このようにして経営者は自身の経営方針によって最高の利益を生み出すのだと思いやすくなります。政治家は自分の政策によって国家Imperiumや共同体が最高に繫栄するのだと思いやすくなります。宗教家はその宗教religioによって幸福が得られるのだと思いやすくなります。科学者は科学的見地に基づいた知見が人間の利便性を高めるのだと思いやすくなります。こうしたことは逆の場合にもいい得ます。すなわち社員は経営者は会社の利益を高めて,それによって自身の利益も上昇すると思いやすくなります。被統治者あるいは一般市民は政治家の政策が自分の不利益になることはないと思いやすくなります。信者は宗教家を信じることで幸福になれるのだと思いやすくなります。そして科学的知見に基づいた結論は,科学的知識がなくても正しいのだと思いやすくなるのです。
 このような関係は,ともすれば第四部定理五七でいわれている高慢な人間と追従の徒の関係に陥ってしまいます。それを避けるためには,自身とは異なった知見や見解opinioを有する人を排除しないことが有益であるということはそれ自体で明らかです。あるいは理性ratioはそのように教えるでしょう。ところが人間の現実的本性は,理性に従うことよりも高慢な人間と阿諛追従の徒を生み出しやすくなっているのです。これは端的にいえば,理性がそれ自体では感情affectusを抑制することができないからなのです。
 ここから分かるように,単に悲しみをそれと相反する喜びによって排除することは,結果的には大なる悪を招く可能性を高めます。第四部定理四系から分かるように,ひとりの人間の理性の力は限りがあります。それでも理性に従う方が,物事には適切に対処することができるのです。
 この考察はこれで終了します。また日記に戻りましょう。
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ドストエフスキイの生活&大なる悪を招く場合

2017-05-29 19:10:58 | 歌・小説
 かなり特定の種類には限られますが,僕には読書は習慣的な行為です。するとときに,ある本を読み始めた途端に,これはおそろしく難解なものを読み始めてしまったと思うことがあります。夏目漱石の関連書籍でいえば,蓮実重彦の『夏目漱石論』はそうしたものの一冊になります。同様にドストエフスキーの関連書籍で僕には荷が重すぎるものを読み始めてしまったと感じたものとしては,小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』があげられます。蓮実重彦にしろ小林秀雄にしろ,文芸に関する知識の量があまりに豊富すぎるので,仕方ないといえば仕方なかったかもしれません。
                                     
 新潮文庫の『ドストエフスキイの生活』は「ドストエフスキーの生活」という長編の論考と,『カラマーゾフの兄弟』の未完の論考がひとつ,『罪と罰』の論考がふたつ,そしてドストエフスキー七十五年祭における講演とからなっています。新潮社からは小林秀雄の全集が出ていて,そのうちドストエフスキーに関連するものを収録したもののようです。おそらく全集から脚注もすべて抜粋したために,文庫版の脚注には重複が多くなっています。
 このうち『ドストエフスキイの生活』というのは変わった論考で,内容としていえば伝記に近いです。小林は僕の分類における作家論と作品論では作家論の方を重視します。そのためにドストエフスキーの小説を理解するにあたっては,ドストエフスキー自身の内面の考察が不可欠であり,その内面を考察するためには,ドストエフスキーの生い立ちを考慮しておかなければならないという見解に基づき,ほぼ伝記といっていい内容を有する論考を書き上げたのでしょう。
 ドストエフスキーというのはひとりの人間としてみれば相当に自己中心的なところがあり,そのことはこの伝記を読めば分かると思います。とても難しい内容ですし,それがどこまで真相に迫れているのかも僕には分かりません。ただ,単に波乱万丈なひとりの人間の伝記としても,面白くは読めるのではないかと思います。

 人間以外のほかのものの力potentiaのうちにある事柄から生じる受動感情に対して,その感情affectusを除去する対策をとる場合,かえってより大なる悪malumを招いてしまう場合には,たとえばそれが自分の力のうちにあると確知するcerto scimusことに対処するのと同じ方法を採用してしまうという場合があげられます。
 自然災害に対する不安metusという感情は,観念ideaとしてみるなら,その災害が発生することを肯定する意志作用volitioを含みます。もしその対象objectumが自分の力のうちにあるなら,それを否定する意志作用を有することが有益でした。ところがこの場合にはそうではありません。自然災害が起こることを否定する意志作用は,それに対して何の対策もしないことに貢献してしまうからです。これは妄想とか願望とか期待といわれるでしょうが,感情としてみるならスピノザの哲学においては希望spesの一種であるとみなせます。自然災害が発生しないという想像は,感情としてみれば,第三部諸感情の定義一二の,未来のものの観念から生じる不確かな喜びlaetitiaであるからです。このような処理の仕方は,原因が理性ratioである場合とは著しく異なったものとなります。不安と希望はそれ自体でみれば不安が悪malumで希望が善bonumですが,ある種の希望は大なる悪を招き得るのであって,善悪相対性からみれば,希望が悪で不安が善という場合もあり得るのです。
 実はこうしたことは,人間の現実的本性actualis essentiaには則しているのです。つまりそれだけ生じやすくなっているのです。なぜなら,第三部定理一二は,人間の現実的本性は自身を喜びに刺激するものを表象するimaginariことを促進するという意味を有しています。したがって僕たちは自然災害が起こらないことを好んで表象するでしょう。対して第三部定理一三は,人間の現実的本性が自分を悲しみtristitiaに刺激するものを表象することを回避しようとするという意味を有しています。なので僕たちは自然災害が発生すると表象することを厭うのです。だからこの種の不安を希望によって打ち消してしまうということが往々にして生じます。もちろん災害は必ず発生するというものではありませんから,絶対的に大なる悪が到来するわけではありませんが,対処として適切でないことは明白です。
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東京優駿&受動の有用性

2017-05-28 19:23:19 | 中央競馬
 第84回日本ダービー
 マイスタイルが逃げました。トラスト,アルアイン,ダンビュライトの順で追走。5番手はクリンチャーとダイワキャグニーの2頭。この後ろはスワーヴリチャード,サトノアーサー,ベストアプローチ,ウインブライトの4頭の集団。以下はアメリカズカップ,ペルシアンナイト,アドミラブルの順の追走に。最初の1000mが63秒2の超スローペースになったこともあり,後方にいたレイデオロが向正面で一気に外を進出。3コーナーの入口では2番手に。
 マイスタイルはあまり外に出ませんでしたが,レイデオロはより外に出たので直線ではこの2頭が馬体を離して競り合い。この競り合いからはレイデオロが抜け出し,迫ってきたのがスワーヴリチャード。勢いからはスワーヴリチャードが交わしそうだったのですが,外から迫られるとレイデオロがもう一伸び。フィニッシュまで抜かせずに優勝。スワーヴリチャードが4分の3馬身差で2着。大外から追い込んだアドミラブルが1馬身4分の1差の3着を確保し,ペースを落として逃げたマイスタイルがクビ差の4着。アドミラブルの1頭内から伸びたアルアインがハナ差で5着。
 優勝したレイデオロは昨年12月のホープフルステークス以来の勝利。重賞2勝目で大レース初制覇。ホープフルステークスまで3連勝で,2歳終了時点ではこの馬が実力トップではないかとみていました。今年に入って順調さを欠き,ぶっつけとなってしまった皐月賞でも追い込んで5着まで来ていましたので,このレースへ向けてのローテーションという観点からは最も上積みが大きそうに思えた馬で,優勝候補の1頭と考えていました。今日はスローペースを見越して向正面で動いた騎手の判断が的確で,それが勝利に大きく貢献することとなったのではないでしょうか。4着のマイスタイルは展開の利が大きかったと思いますが,ほかの上位入着馬は実力に遜色があるとは思えず,よいライバル関係を続けていくことになるものと思います。父は第71回の覇者のキングカメハメハで父仔制覇。母の父はシンボリクリスエス。3代母がウインドインハーヘア。母の半弟に2012年の帝王賞を勝ったゴルトブリッツ。Rey de Oroはスペイン語で金の王。
                                     
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手と管理している藤沢和雄調教師は先週のオークスに続いての大レース制覇。日本ダービーは共に初勝利。

 自身の力potentiaのうちにはないということに対して,悲しみtristitiaを除去するという手段を選択すると不適切な結果,つまりより大なる悪malumを招いてしまうことがあるのは,それが他人の力のうちにあるという場合に限定されるわけではありません。この場合には憎しみodiumの対象が人間ではありませんから,憎しみの連鎖が発生することはないのですが,より大なる悪を招き得る点では同様なのです。
 ここでも同じように不安metusという悲しみtristitiaを例材としましょう。ある人が,何らかの自然災害に対して不安を感じたとします。これはその自然災害を憎むという意味ですが,自然は人間を憎んだりはしませんから,憎しみの連鎖が発生しないということは明白です。
 このとき,その人が不安を軽減するために,災害に対して万全の準備をしたとします。この場合には,おそらく自然災害への対策を理性的に概念した場合と同じような対策を施すことになるでしょう。したがって,もし不安がこのような対策を人に生じさせるのなら,それはただ原因が不安という受動passioであるか理性ratioという能動actioであるのかという点だけが相違し,結果としての対策は同じですから何も問題はありません。むしろこの限りにおいては不安という感情affectusはとても有用な感情であるといえるでしょう。
 このように,受動感情あるいは悲しみであっても,それが有用であるという場合があるということをスピノザは認めます。たとえば第四部定理五〇は,憐憫commiseratioという悲しみは理性の導きによって生活する人間には無用であるといっていますが,これは裏を返せば理性の導きによって生活しない場合には有用である,少なくとも有用であり得るということだからです。また,第四部定理六三は,不安に導かれて悪を避けるために善bonumをなす人間は理性に導かれていないといっていますが,これなどは不安という悲しみから善をなす場合があることを端的に認めているといえます。
 また,単に能動と受動だけに着目すれば,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』で聖書が賞賛されるのも同じ理由です。神Deusへの服従obedientia,obsequium,obtemperantiaという受動が,理性的な,つまり精神の能動actio Mentisによる行動としての敬虔pietasという同じ結果を産出させるから,聖書が肯定されているからです。
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山本の親全日本&不適切な結果

2017-05-27 19:17:17 | NOAH
 週刊プロレスの編集長を務めていた頃のターザン・山本は全日本プロレスのブレーンのひとりでした。僕はそのために山本の発言はバイアスを通して解するべきだと考えています。しかし『1964年のジャイアント馬場』の中には,山本に対する僕の見解をやや改めるべきかもしれないと思える事柄が書かれていました。
                                   
 天龍源一郎が全日本プロレスを退団して新団体のSWSに移籍した後,山本が編集長を務めていた週刊プロレスでは,親全日本プロレス,反SWSと解せるようなキャンペーンが展開されました。これは編集長による編集方針であったと僕は思っています。当時の週刊プロレスはメディアとして大きな力を有していて,この後に全日本プロレスが最良の時代を迎えることができた要因のひとつとして,こうした山本の方針が影響したのだとも思っています。山本はこのときに自身の立場を旗幟鮮明にしたことにより,天龍や後には長州力との関係が悪化し,それが編集長の立場を追われてしまう原因になったのだともいえるでしょう。
 山本は全日本プロレスのブレーンとして,馬場から利益供与も受けていましたから,このときに全日本プロレスを支持したのは自然な流れであったと僕は思っていました。要するにこの後もずっと利益を享受し続けるために全日本プロレスを支持したのだと解していたのです。ところが柳澤は,山本がこのときに全日本プロレスを支援する立場に回ったのは,金のためなのではなくて,自分のあるべきプロレス像という信念に基づいた行動であったと書いています。
 柳澤は,メディアの立場としての山本,あるいはジャーナリストとしての山本については,全面的に評価しているわけではありません。むしろジャーナリストとしててあるまじき人間であると解していると受け取れるような記述も見られます。それでもこのときの行動については単に金のための行動であったと解するのには無理があるという見解を示していて,なるほどそれはそれで一定の合理性を含む見解であると僕には思えたのです。ですからこの当時の山本の全日本プロレスに対する言及には,むしろ本音の方が多く含まれていたのかもしれません。

 不安metusに限らず,基本感情affectus primariiのうち悲しみtristitiaに属する感情の場合は,その原因が自分以外の外部のものとして認識される限りにおいて,容易に憎しみodiumという感情を産出してしまうことは,不安で例示した場合から明らかです。要するに自分の力potentiaのうちにはないと認識されるような悲しみは,簡単に憎しみを産出してしまうのです。とくに第三部定理七から分かるように,自己の有に固執することesse perseverare conaturは現実的に存在する人間の現実的本性actualem essentiamであって,このことは第三部定理九により僕たちが混乱した観念idea inadaequataを有する場合にも妥当します。このために僕たちは悲しみを忌避する傾向を有するので,こうしたことはしばしば生じるのです。
 一方,これらのことは,悲しみという感情が僕たちの現実的本性を十全な原因causa adaequataとしては生じ得ないということも示しています。いい換えれば,僕たちは外部の物体corpusに刺激される限りにおいて悲しみを感じます。これは第三部定義二により,悲しみは必然的に受動passioであるということですから,第三部定理五九からも明快だといえます。このようなわけで,悲しみの一種である憎しみというのは,どんな人間のうちにあっても受動ですから,憎しみの連鎖も容易く生じてしまうのです。
 このようなことは,ある人間と別の人間の間でも生じるのですが,もっと広い意味で,たとえばある民族と別の民族とか,ある宗教と別の宗教とか,ある国家と別の国家というような,集団の単位でも同様に生じることが理解できます。人間はひとりの場合よりもより多くの人間が共同することによって自然権の拡張が起こるということから分かるように,ひとりの人間がなし得ることより集団でなし得ることの方が大きな力となります。ですからこのような憎しみの連鎖は,集団化すればするほど壊滅的な結果,より大なる悪malumを招きやすくなるのです。なのでこのような意味においても,自身の力のうちにないという事柄に関しては,単に感情を除去するという対処を選択することが,かえって不適切な結果を齎しやすいということになります。ですから,とくに他人の力のうちにあるという事柄に対処するためには,理性ratioを用いる方がよほど適切な結果を産出しやすいのです。
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理性への過信&不安と憎しみ

2017-05-26 19:13:16 | 哲学
 『行人』の一郎は,知性の失敗を犯したのだと僕は解釈しています。では具体的に知性はどんな失敗を犯すのでしょうか。このことを何回かに分けて探求します。小説の世界の話としてのみ意味をもつのではなくて,現代においてもこれを考えることはとても有意義なことだと思います。
 反知性あるいは非知性に対して知性が犯してしまう失敗の最初の要因になるのは,知性が理性ratioを過信しすぎることだと僕は思います。スピノザはこの点については自覚的でした。『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』において,理性によって聖書を解釈しようとする立場の人びとのことを,独断論だとして否定したことからそれは窺えます。
                                     
 スピノザは第四部定理三五で,人間は理性の導きによって生活する限り,本性naturaの上で必然的に一致するconvenireといっています。これは事実です。したがってすべての人間が理性に従う限り,人間の間で無用な争いは存在しなくなるでしょう。知性が理性を過信するというのは,このことのうちに安住してしまうことを意味します。たとえば,知性派に属する人間が,理性に従う限りでは万人が一致するのだから,物事を論理的に説明しさえすれば万人がそのことを理解し,それによって万人が論理的いい換えれば合理的な考え方を有し,それに従って行動するであろうと判断するなら,これは理性に対する過信以外の何ものでもありません。確かに論理的必然性というのは「唯一」のものなのであって,万人の間で一致します。しかしだからといって行動の上でも万人が一致することにはならないのです。なぜなら,人間は合理的に理解した事柄に応じて行動するとは限らないからです。他面からいえば,理性的に何事かを理解したとしても,それに従って行動するとは限らないからです。
 したがって,物事の論理を合理的に説明するというだけでは,万人の支持を受けるためには十分ではないのです。ところが理性に従う人間は,自身が理性に従うがためにかえってそれで十分だと思い込んでしまうのです。これが極端に進捗していくと,知性と反知性の間に決定的な亀裂が入ることとなるのです。

 僕たちの力potentiaのうちにないことに対処するときに,僕たちの力のうちにあると確知できることに対処するのと同じように,相反する感情である感情affectusを抑制するという方法を用いると,かえって悪い結果が産出されることがあります。いい換えれば,悲しみtristitiaという悪malumを避けることを中心に据えると,結果としてより大きな悪が齎されてしまう場合があるのです。これは小さな悪を避けるために大きな悪を到来させるわけですから,善悪が比較の上で成り立つという観点からみて悪です。そんなことになるなら小さな悪である悲しみを抑制しない方が善bonumであるということになるでしょう。自分の力のうちにはないことに対処するために理性ratioを用いるのが適切であるというのは,このような消極的な意味も含まれているのです。
 今回の考察の端緒は傘を置き忘れるかもしれないという僕の不安metusでしたから,ここでも不安という感情から始めてみましょう。自分自身の力ではどうにもならないと思えるような事柄に対して不安を感じたとします。そしてその力が,たとえばAという外部のもののうちにあると仮定します。この場合,第三部諸感情の定義一三により不安は悲しみの一種です。そしてこの悲しみがAによって齎されるなら,その悲しみはAという外部のものの観念を伴った悲しみtristitia, concomitante idea cause externaeであるということになります。つまりこれは第三部諸感情の定義七により,Aに対する憎しみodiumという悲しみであるということになります。つまりこの不安に対処するということは,Aに対する憎しみに対処するという意味になります。
 このとき,Aが感情を有さないようなものであれば何も問題はありません。しかしそうであるとは限りません。というのはAが人間であるという場合も,この仮定の上では成立するからです。するとこの人間がこの憎しみの除去だけに対処するなら,第三部部定理四〇によってAはその人間を憎むことになるでしょう。そして第三部定理四三により,憎しみの連鎖だけが継続することになります。こういう関係が事態の悪化だけを招くということは,僕たちがよく経験しているところであると思います。つまり善である筈の小さな悪の除去がより大なる悪を招くのです。
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印象的な将棋⑭-2&力のうちにない場合

2017-05-25 19:21:15 | ポカと妙手etc
 残り時間が切迫していた先手は⑭-1の第2図から☗6八王と逃げました。
                                     
 今回は特別にこの将棋だけと関連するわけではないことを書きます。
 ⑭-1の第2図で☗8八同金と取ると後手は先手玉を詰ませるほかなく,詰めば後手の勝ち,詰まなければ先手の勝ちで将棋は間もなく終わります。一方,第1図は先手玉に詰みはなく,後手玉が詰めろです。後手には手段があるので先手の勝ちという局面ではありませんが先手の負けでもありません。つまり勝負の結論は出ません。もし☗8八同金の変化で先手玉が詰まないということを短時間で読み切れなければ,当然先手は☗6八王と指します。1分の考慮で☗6八王が指された背景はおそらくそういうことで,この限りにおいて先手は最善の選択をしていると僕は解します。負けかもしれないなら結論を引き延ばす方が得策だからです。
 しかしもし☗8八同金で詰まないのなら,明快な勝ちを逃したという意味で☗6八王は疑問手とか悪手といわれ得るでしょう。ただ,最善の選択をしているのにその手を悪手とか疑問手というのは僕は釈然としません。よって僕はこの手を悪手とも疑問手とも判断しません。
 一方,コンピュータソフトは詰むか詰まないかに関しては短時間ですべてを読み切れると前提するなら,ソフトによる☗6八王は悪手とか疑問手といい得ることになります。したがって与えられた条件によって,何が最善の選択であるのかということや,どの手が悪手や疑問手かということも実は異なるのだと僕は思っています。
 もし⑭-1の第2図のような複雑な局面は人間は短時間で読み切ることができないということが将棋というゲームの本質に含まれるなら,すべてを読み切ることを前提としたソフトの将棋とは本質が異なります。本質が異なるというのはゲームが異なるというのと同じことです。僕はこのことが将棋の本質に含まれるとまでは思いませんから,この意味において人間の将棋とソフトの将棋が異なったゲームであるとも思いません。ですが,この意味においてもソフトの将棋と人間の将棋というのは,同じ将棋という名前の異なったゲームであるという見解を有する人がいたとしても,それを全面的には否定することができないだろうと考えています。

 こういう対処法を実践するにあたって注意しておかなければならないのは,仮定の部分です。すなわちこの対処法は,発生の可能性があると思われる事象を回避することが自身の力potentiaのうちにあると確知できる場合には有効なのですが,そうでない場合にはあまり効果的ではありません。第四部定理三から分かるように,現実的に存在する人間の力Vis, qua homo in existendoは大きく制限されているlimitataので,僕たち自身に生じる事象としては,僕たち自身の力のうちにはないことの方がずっと多いですから,この対処法はきわめて限定的な意味で有効だといわなければなりません。
 僕たちの精神mensが十全な原因causa adaequataとなって何かを認識するというとき,僕たちは理性ratioを行使していることになります。したがって理性は僕たち自身の力のうちにあります。なので,僕たちの力のうちにないことに対処する場合には,理性の出番ということになります。ですが第四部定理三自体は,僕たちがこのような仕方で事象に対処していくことは困難であるということを示すでしょう。ただし,困難であるということは不可能であるということを意味するわけではありません。僕たちの現実的本性actualis essentiaは必然的にほかのものの現実的本性によって凌駕されてしまうsuperaturので,絶対的な意味においてこうした対処が可能であることにはなりませんが,部分的には適切な対処が可能です。
 感情の抑制が感情affectusによってしか可能ではないこと,つまり理性によって感情を抑制することが不可能であるということは第四部定理七が示している通りです。しかし理性によって適切な対処をすることが部分的にではあれ可能であるのは,僕たちには理性から生じる感情,すなわち能動的な感情も存在するからです。これは第三部定理五九から明らかです。したがって,理性から生じる欲望cupiditasあるいは喜びlaetitiaが,受動的な感情に対してより大きな相反する感情であることができるなら,僕たちはこの対処法によって受動感情を抑制することができるのです。その結果として,第四部定理六三系にあるように,僕たちは善bonumに就くことができ,同時に悪malumを避けることができるようになるでしょう。
 この対処法が適切であるというのには,別の意味も含まれています。
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デイリー盃大井記念&最良の対処法

2017-05-24 20:51:26 | 地方競馬
 第62回大井記念
 逃げ馬がいませんでしたが,前に行ってもいいという構えをみせたのはミスミランダー,ムサシキングオー,ユーロビート,ケイアイレオーネの4頭。この中からユーロビートとケイアイレオーネが並んで逃げるような形になり,3番手に控えたのがミスミランダーとムサシキングオー。5番手にエイヴィアンボスとオリオンザジャパン。7番手にキタノイットウセイとウマノジョーでここまではおよそ1馬身ずつの間隔で2頭が横に並ぶ隊列。この後ろはタイムビヨンド,ナリチュウドラゴン,タマモネイヴィー,キープインタッチという隊列になり,残る4頭はここから離されました。前半の1000mは63秒4のミドルペース。
 向正面半ばからキタノイットウセイが徐々に進出。逃げた2頭が馬体を離していたためその間に突っ込み,インからユーロビート,キタノイットウセイ,ケイアイレオーネの雁行で最終コーナーから直線へ。コーナーで外の2頭に前に出られていたユーロビートもまた盛り返してきて,3頭が馬体を離しての叩き合い。ですがケイアイレオーネの外からウマノジョーの末脚が炸裂。競り合う3頭を一気に抜き去って優勝。さらに外から伸びたタマモネイヴィーも内の各馬を捕えて2馬身差の2着。4分の3馬身差の3着は接戦で,外のケイアイレオーネ。最内のユーロビートはアタマ差の4着で真中のキタノイットウセイがクビ差で5着。
 優勝したウマノジョーは岩手でデビュー。昨年の3月から大井に転入してきました。マイルの条件戦では入着しただけでしたが,10月に2000mの3歳オープン競走で優勝。その後は長めの距離だけを走り,離されたとはいえ重賞でも3着するなど好走を続けていた馬。持ち味は強靭な末脚で,ここはペースが速かったわけではありませんが,前の競り合いが早い段階から始まったのでその良さが最大限に生きたのだと思います。54キロという斤量もよかったのでしょう。勝つことは少ないかもしれませんが,大きく崩れることも少ないタイプの馬になるものと思います。スタミナは豊富で,距離はもっとあってもよいのではないでしょうか。父はウイングアロー
 騎乗した岩手の山本聡哉騎手は南関東重賞は初勝利。管理している大井の渡辺和雄調教師は南関東重賞は4勝目。大井記念は初勝利。

 自分の未来に関連して何かを想像し,かつそのことが現実的に発生してほしくないという欲望cupiditasが精神mensのうちに同時に存在すると仮定します。欲望は第三部諸感情の定義一の意味において人間の現実的本性actualis essentiaです。このとき,その事象が現実的に発生することを妨げることが自分の現実的本性のうちにあると確知できる場合,他面からいえば現実的に存在する自分の力potentiaのうちにあると確知できる場合には,その事象は発生しないという前提で対処するのが適切です。なぜならその観念ideaはその事象が発生することを否定する意志作用volitioと共に存在するのですから,この観念自体がその事象の発生を妨害するために有益であるからです。これが観念すなわち認識cognitioとしての最良の対処法になります。
                                     
 一方,それが発生してしまうのではないかという不安metusに駆られて何らかの対処をすることは,この仮定の場合にはむしろマイナスです。なぜならその対処法を講じる観念のうちには,その事象が発生することを肯定する意志作用が必然的に含まれることになり,この意志作用は事象の発生に対してはむしろ貢献することになってしまうからです。
 ただし,不安というのは感情affectusですから,この感情は何らかの認識や意志作用によって除去することができるわけではありません。第四部定理七が示しているように,感情を除去するのは観念や意志作用ではなく,それより強大な相反する感情であるからです。なので不安に駆られて行動するのを避けるためには不安を除去する必要があるとみる限り,さらに別の対処法が必要とされます。そしてこの場合には,不安と希望は表裏一体であるということ,すなわち希望spesなき不安は現実的に存在し得ないという点に着目するのが最良だと僕は考えます。つまりある事象が発生するという不安は,発生しないという希望なしには存在しないので,発生しないという希望によって発生するという不安を除去するという対処です。実際,この仮定のように,その事象の発生が自分自身の力のうちにあると確知できる限り,この方法で不安を除去するのは,いうほど困難なことではないだろうと僕は考えます。このような方法で僕たちは悪malumを避けやすくなるでしょう。
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私は金がない&感情と意志作用

2017-05-23 19:17:41 | 歌・小説
 『それから』も『こころ』も裕福な男と困窮した男の間で三角関係が生じているという構図は同じです。しかし困窮者にあたる『それから』の平岡と『こころ』のKの間には,自身の困窮という経済的状況に対する自意識には差異があるように見受けられます。平岡はそのことを強く自覚しているふしがあるのに対して,Kはまるで無自覚であるかのように思えるのです。とはいえ,『こころ』のテクストの中に,Kによる自身の困窮への発言が皆無というわけではありません。
                                     
 Kがお嬢さんすなわちに恋愛感情を抱いているということを知った先生は,それを諦めるように仕向けるのですが,どうもKにはその気がないようだと感じます。そこでKに対して秘密裡に,奥さんつまり静の母親に,静への求婚を申し込みます。奥さんはかなりあっさりとそれを承諾します。こうして先生と静は結婚することが決まるのですが,おそらくKに対して負い目があったために,先生は自身の口からそれをKに報告することができません。象徴的にいえば先生はを開けることができなかったのです。その間に,このことは奥さんの口からKに伝えられます。先生はそれがKに伝えられたことを知らぬままに数日を過ごします。おそらくKの先生に対する表面的な態度が変わったように見えなかったので,先生はそのことをKが聞き及んでいることに気付かなかったのでしょう。そして,先生もまたそれがKに伝えられたことを奥さんから教えられるのです。
 先生はそれを聞いて,そのことを話したときのKの様子はどうであったのかを逆に奥さんに尋ねます。奥さんによればKは平然と「そうですか」と一言だけ言いました。そして奥さんが「あなたも喜んでください」と言うと,ようやく「おめでとうございます」と言いました。Kはそのまま席を立ち,それが伝えられた茶の間の障子を閉めるときに,結婚がいつであるかを尋ね,お祝いをあげたいけれども私は金がないからあげることができない,と言いました。
 確かにKは自分には金がないと言っています。でもこれはたぶん,自身の困窮を意識した発言ではないのです。

 この一件は哲学的に考察できます。
 高価で丈夫な傘を置き忘れてしまうのではないかというのは,感情affectusとしてみれば僕がいう不安metusです。第三部諸感情の定義一三にあるように,未来のものの観念ideaから発生する不確かな悲しみtristitiaだからです。安価なビニール傘を持ち歩くことは,この不安を軽減するのに役立つでしょう。なぜなら,高価な傘を失う悲しみより安価な傘を失う悲しみの方がより小さな悲しみであるからです。ところで,スピノザの哲学における善悪は,比較の上でいわれます。よってより小さな悲しみによってより大きな悲しみを避け得るのであれば,より小さな悲しみは,それ自体では第四部定理八にあるように悪malumといわれなければなりませんが,より大きな悲しみすなわちより大なる悪と比較したなら善bonumです。つまり丈夫な傘の代替にビニール傘を持ち歩くことは,一見するとより大なる悪を避けるための善なる行動と思えます。
 ところが,それを感情としてではなく,単に観念としてみた場合には様相が異なります。高価な傘であろうと安価な傘であろうと自分がそれを忘れてなくすことは,観念としていえば表象の種類のうち想像に該当する表象像imagoです。第二部定理四九は,観念は観念である限りにおいて必然的に意志作用volitioを含んでいることを意味します。これは,その観念が十全な観念idea adaequataであろうと,この場合の表象像のような混乱した観念idea inadaequataであろうと同じです。したがって,自分が傘を置き忘れてなくすことを想像することのうちには,自分自身に対して傘を置き忘れることを肯定するような意志作用が含まれていることになります。このような意志作用が,実際に傘を置き忘れないようにするために,むしろ逆効果であることは明白でしょう。なぜなら,傘を置き忘れないようにするために効果的な意志作用が存在するとするなら,それは傘を置き忘れることを自分自身に対して否定するような意志作用でなければならないからです。これでみれば分かるように,傘を置き忘れることを肯定する意志作用は,むしろ実際に置き忘れてしまうことに対して貢献するような意志作用であるといえます。
 こうした考察から,一般的結論を導くことができます。
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五稜郭杯争奪戦&ビニール傘

2017-05-22 19:01:04 | 競輪
 昨日の函館記念の決勝。並びは新田‐守沢の北日本,浅井‐阿竹の90期,大竹‐脇本‐松岡‐村上の近畿で小原は単騎。
 牽制の末に守沢がスタートを取って新田の前受け。3番手に浅井,5番手に大竹,最後尾に小原の周回。最初に牽制があった影響からラインとラインの間に間隔があり,9人が一列に並ぶのに多少の時間を要しました。残り3周のバックの入口から小原が動いて前まで上昇。バックの出口から大竹が発進すると小原は誘導を斬って前で待ち受けました。そのままホームで大竹が叩くと小原は脇本の後ろで競り。あっさりとこの位置を奪いました。バックで村上に迎え入れられた松岡が小原の後ろに入り,6番手に新田,8番手に浅井の隊列で打鐘。ホームに入る手前から松岡が小原の外に並び掛け,再び位置を奪いにいきました。これを見た後方の浅井が発進すると併せて新田も発進。守沢と浅井が絡むような形になり,ふたりとも新田を追えずに単騎の捲りに。バックから脇本も発進しましたがこれはタイミングを逸していて新田がバックの出口では先頭に。脇本も追いましたが寄せつけずに新田が優勝。脇本が1車身差で2着。奪った位置を守り通した小原が半車身差で3着。
 優勝した福島の新田祐大選手は昨年6月の高松宮記念杯以来となる久々の優勝。記念競輪は昨年3月の玉野記念以来で通算6勝目。函館記念は初優勝。このレースは自力のある4人が並んだ近畿勢が断然有利で,脇本と松岡の優勝争いになるのではないかと見立てていました。しかし単騎で格下の小原が自分にも勝機が出る競走をしたために思い通りの展開となりませんでした。後ろが小原になってしまったために脇本も番手から出るのに躊躇があったかもしれません。そして多少ですが隊列が短くなったために,浅井より前に位置していた新田に有利になったというところ。個人的にはこのレースの小原のように,あまり遠慮せずに勝ちにいく競走をしにいくのは好ましいことだと思っています。

 診察の最後に,H先生から,次回の通院のときに,採血と採尿以外に検査を受けるよう指示がありました。受けるべき検査は4つで,このときにH先生が予約した順に並べると,神経伝道検査,血圧・血脈検査,頚部血管エコー検査,CVR-R検査でした。これらはいずれも入院中にした検査です。3番目のものは頸動脈のエコー検査で,これだけは退院後にも受けたことがあったもの。また,4番目のものは検査の詳細が説明された紙に書かれた通りに記したものですが,心電図です。予約時間は最初のものが11時40分になっていましたので,次回はそれに間に合うように来院しなければならないことになりました。
                                     
 帰途に薬局に寄りましたが,この日は薬剤の発注を忘れていたとのことで受け取ることができませんでした。僕は薬局でインスリンと針とを受け取った後,次回の通院日を報告しています。薬局ではそれに合わせてそれらを発注しているのですが,それを忘れてしまったということです。いくらかの在庫はあったのですが,少量だけを受け取るとあとで数を確かめるのにかえって面倒なことになりますので,この日は何も受け取らずに代金だけを支払って帰りました。なお,インスリンと針は,薬剤師が僕の家まで届けてくれることになりました。前にもいったかと思いますが,僕は針は郵送で受け取ることもしますがインスリンは拒否し,自分で取りにいくか届けてもらうかのどちらかにしています。インスリンは劇薬ですので,万一のことがあってはならないからです。
 ところでこの日,薬局にを置き忘れてしまいました。僕は傘を忘れることはないのですが,このときは理由がありました。僕は傘は軽くて丈夫なものを使用します。そういう傘は大概は高額です。忘れないのはそういう理由もあったと思います。ただ,忘れそうになったことは何度もあり,いつか忘れるのではないかという危惧はありました。降雨であればさしますから忘れません。忘れるのは持ち歩いているけれどもさしていない場合です。なのでそういうときのために,安価のビニール傘を買って持ち歩くようにしていました。この日に忘れたのはそのビニール傘だったのです。
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優駿牝馬&2016年8月の通院

2017-05-21 19:01:30 | 中央競馬
 第78回オークス。田辺騎手が5レースで落馬し負傷したためハローユニコーンは柴山騎手に変更。
 レッドコルディスがゲートの中で立ち上がってしまい出遅れ。先手を奪ったのはフローレスマジック。ソウルスターリングとミスパンテールが並んで2番手、ブラックオニキス,ヤマカツグレースの並びで向正面に入りましたが,ヤマカツグレースは押さえきれなかったようで3コーナーにかけて単独の2番手まで進出しました。好位にモズカッチャン,カリビアンゴールド,レーヌミノルの3頭。中団にブラックスビーチ,モーヴサファイア,リスグラシュー,ホウオウパフュームの4頭。この後ろにディーパワンサとアドマイヤミヤビ。残る4頭はディアドラ,マナローラ,レッドコルディス,ハローユニコーンの順。最初の1000mが61秒7の超スローペースだったこともあり,先頭から最後尾まで一団でした。
 2番手に進出していたヤマカツグレースはコーナーの途中では一杯になったようで外に退避。ソウルスターリングが動いて2番手に上がり,直線ではかなり外に持ち出し,そのままフローレスマジックを交わして先頭に。大きく開いたところを突いたのがモズカッチャンで,一時的に差が詰まったのではないかと思いますが,ソウルスターリングには余裕があったようで,残り200mあたりからまた引き離して快勝。モズカッチャンが1馬身4分の3差で2着。2馬身半差の3着争いは馬群と無関係のところを追い込んだ2頭の争いになり,大外のアドマイヤミヤビ。対照的に最内から伸びたディアドラがアタマ差で4着。
 優勝したソウルスターリングは前々走のチューリップ賞以来の勝利。大レースは阪神ジュベナイルフィリーズ以来の2勝目。無敗で挑んだ桜花賞は3着に敗れましたが,特殊な馬場状態が影響したものでしょう。距離の不安を感じさせる馬ではありませんでしたから,良馬場であれば巻き返すことができるだろうと思っていました。3歳の牝馬では間違いなくトップの馬で,無事なら秋以降の活躍も約束されていると思います。
                                     
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手はヴィクトリアマイルに続いて2週連続の大レース制覇。オークスは初勝利。管理している藤沢和雄調教師は朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース制覇。オークスは初勝利。

 8月14日,日曜日。母と妹が美容院に行きました。
 8月15日,月曜日。平日でしたが夏休み中ということもあり,ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。この日の利用はほかにも理由がありました。母がKさんと昼食を摂ることになっていたためです。Kさんの亡くなった旦那さんというのは芸術家でした。この時期,遺作の展覧会が開催されていて,母はそれを鑑賞に行き,会場にいたKさんと食事をしたものです。
 そしてこの日は僕の通院の日でもありました。病院に着いたのは午後12時40分くらいでした。中央検査室では採血を待つ患者がいませんでしたので,すぐに採血し,それから採尿して注射針の処理をしました。予約は午後3時でしたので,外食しています。
 病院へ戻り,午後3時からさほど待たずに診察開始となりました。HbA1cは7.0%と,5月より改善していました。サマリーによると計測した血糖値の平均値は上昇していました。これは,H先生が注射するインスリンの量の調整を僕にかなりの程度まで任せてくれたため,低血糖の発症を抑制することができたからです。血糖値の平均値が上がっているのにHbA1cが下降したのは,高血糖状態になることもそれだけ少なくなったからです。総じていえばかなりうまくいっているということになるでしょうが,これは季節的なものの影響もあったのだと思います。やはり気温が高い時期の方が,血糖値を正常に統御しやすくなるのです。
 このほかに出ていた異常はLDLコレステロールで,65㎎/㎗と,下限値を下回っていました。これは3月と同じ値で,とくに注意は受けませんでした。ただ,異常とはいえないのですが,尿検査によるケトン体が±になっているのは気になると言われました。これはケトン体が検出されているという意味なのだそうです。初めて受けた注意なので調べてみましたが,検査詳細情報を受け取って以降はずっと-で,±はこれが初めてでした。H先生の話だと,食事の量が足りていないか,インスリンの量が足りていないと検出されるケースがあるそうです。ただ,なぜこのときに検出されたのかは分かりませんでした。
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柳澤による解釈&尿鮮血

2017-05-20 19:45:08 | NOAH
 『1964年のジャイアント馬場』で示されている三沢と鶴田の試合の解釈は,僕の解釈とは異なっています。柳澤の記述は,この試合はジャンボ・鶴田が「ひとり急所打ち」をしてしまったために三沢光晴から3カウントを奪われたと解釈できるような内容になっています。
                                   
 柳澤の解釈のうち,この部分も僕は問題視しません。それにはふたつの理由があります。
 まず,試合の解釈は観戦者に委ねられるというのが僕の立場だからです。ちょうど小説のテクストの読解は読者が主導権を握るべきであり,作者の意図は尊重しなくていいという僕の考え方とこれはパラレルな関係にあります。ですからある読者がテクストを僕とは異なって解しても,そこに一定の合理性があるならば僕はそれを尊重します。同じように柳澤による解釈を僕は尊重します。
 次に,「ひとり急所打ち」というのはギミックのひとつと僕はみなします。そしてそれは,試合を決着させるための手段となり得ます。さらに,本来は格上とみなされる選手が格下である筈の選手に負けるという場合に,このギミックは有効です。僕はこの試合は鶴田に傷がつかないような形で三沢が勝つというのが最善の選択であったと判断しています。鶴田が「ひとり急所打ち」で負けたのなら,それは最善の選択の要素を満たします。つまりこの解釈には一定の合理性があることになります。なので僕はこの解釈が合理的であるという理由によって問題視しません。それは,この試合の中で実際に鶴田が「ひとり急所打ち」をするシーンがあったかなかったかも問わないという意味です。
 一方,柳澤は,この結末は,馬場が鶴田にアドバイスしたものだという独自の解釈をしています。試合の結果はブレーンによる進言を馬場が受け入れたものと僕は考えていて,最終決断は馬場が果たしたものでしょう。ですからおそらく負けることを嫌った鶴田に対して,馬場が傷つかない負け方を助言するということはあり得ます。ですが柳澤が示しているその助言の内容は,柳澤がプロレスを純粋スポーツとみなさないという観点に大打撃を与えてしまうものになっていると僕は思うのです。

 7月29日,金曜日。妹の養護学校の保護者会があって母が出掛けました。僕はこの日は長者町に行っています。
 7月30日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はボーリングでした。ボーリングは以前は新杉田にあるボーリング場に行っていたのですが,そこは閉鎖になりました。この日からは上大岡のボーリング場に変更になっています。上大岡は僕の家の近くのバス停から1本で行くことができます。新杉田もバスで行けば1本ですが,バス停の位置は上大岡に行くバスの停留所より遠くになります。新杉田は同じ磯子区内で,上大岡は港南区,そして行く途中では南区も経由することになりますが,所要時間は別に,単に行くということだけでいえば僕の家からなら新杉田より上大岡の方が楽です。たぶん距離でいっても,新杉田より上大岡の方が近いと思います。ただ,上大岡に行くためには途中で上り坂があるので,歩いていくということになればどちらが楽かは一概にはいえません。
 8月2日,火曜日。O眼科へ眼科検診に行きました。この日も異常はありませんでした。
 8月4日,木曜日。7月15日に母と行く予定だったものの大雨で中止した墓参りに,この日に行きました。お盆の墓参りというにはあまりに遅くなってしまいました。遅くなったのはそれ以降では母と僕で予定を調整できる日がこの日までなかったからでした。
 8月6日,土曜日。妹の土曜出勤でした。8月は納涼会です。これは母も一緒に参加しています。
 8月12日,金曜日。この日から妹が夏休みに入りました。妹は遺伝科で検診を受けたときに,尿に鮮血がみられるという結果が出ていました。こども医療センターでは再検査はしないということでしたので,この日に母が磯子中央病院に連れて行って,また検査をしました。尿鮮血の検査だけなら検尿だけでいい筈なのですが,採血もしたということでした。要するに改めて健康診断を受けたということでしょう。僕はこの日も長者町に出掛けていました。
 8月13日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は前夜のうちに先生から電話があり,午後2時の開始になっています。
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書簡四十三&水曜の夕食

2017-05-19 19:24:35 | 哲学
 フェルトホイゼンLambert van VelthuysenからオーステンスJacob Ostensに宛てられ,それがまたスピノザに送られたのが書簡四十二です。これに対してスピノザが反論し,オーステンスに送り返したのが書簡四十三になります。フェルトホイゼンは書簡四十二を書いて時点では『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の著者がだれであるかを知らなかったふしが窺えますが,オーステンスはそれをスピノザに読ませたのですから,スピノザが著者であることを知っていたことになります。そしてスピノザは書簡四十三をオーステンスに送ったのですが,それはフェルトホイゼンが読むことを前提としていました。少なくとも,フェルトホイゼンに対してあまりに非礼と思われるような内容があれば,その部分を削除するなり訂正するなりしてくれと,書簡の最後の方で依頼していて,オーステンスがどういう処置をしたかは僕には不明ですが,反論のおおよその内容はフェルトホイゼンも読んだのではないかと思われます。なのでそのときに,フェルトホイゼンが『神学・政治論』を書いたのがスピノザであると知った可能性もあるでしょう。
                                     
 反論の内容は個別に何度か示していますのでここでは詳しくは立ち入りません。スピノザはまず,フェルトホイゼンがスピノザの生活態度をみれば,無神論者ではないことを是認するであろうといっています。
 この後で,『神学・政治論』で示されている内容についての反論が展開されます。フェルトホイゼンはその内容が思想的な意味での無神論と解し,そのゆえにスピノザが無神論者,すなわち敬虔pietasではない人間と解したのですが,フェルトホイゼンがスピノザの主張を無神論と解する根拠に対する反論がこの部分では説明されます。そしてその中心をなすのは,神Deusが本性natura,essentiaの必然性necessitasによって一切のことをなすということは,神を運命に従属させることではないという点です。
 このゆえにスピノザはフェルトホイゼンを,『神学・政治論』を読むのに相応しくない人物であると断定しました。しかし後のユトレヒトでの滞在中にフェルトホイゼンと面会したスピノザは,その認識を改めるに至ったのです。

 7月2日,土曜日。妹の土曜出勤。この日は物品の販売でした。母が木曜日の説明会のとき商品製作のボランティアに参加したのは,この日に販売する物品の製作でした。
 7月3日,日曜日。妹のピアノのレッスン。この日は午後5時からでした。
 7月9日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。
 7月10日,日曜日。母と妹が美容院へ。また,この日は参議院議員選挙の投票日でした。僕はWINS横浜へ馬券を買いに行き,その帰途に投票するというのがこれまでのパターンでした。ただ,この日は帰途に別に寄らなければならないところがあり,そこからの帰りに投票を済ませるというのは,投票所の所在地との関係から不便でした。なので投票はせずに帰宅し,午後から改めて投票に行っています。投票所は地区センターで,僕が住んでいる町内にあります。歩いて2分ほどの場所ですから,投票に行くということ自体は負担にはなりません。
 7月11日,月曜日。この日は長者町に出掛けていました。その帰りのバスの中で,以前によく会っていた,小学校と中学校時代の同級生に久しぶりに会いました。僕は長者町には週に2回か3回は出掛けていて,いつも同じ時間に帰ることができるとは限りませんが,乗車するバスは3本のうちのどれかです。長らく会わなかったのは,この同級生の方がその時間帯のバスに乗るのが久しぶりだったからのようです。
 7月15日,金曜日。母とお盆の墓参りに行く予定を立てていましたが,中止しました。これは豪雨になってしまったためです。磯子区内の特定の地域は崖崩れが発生する可能性があるということで,一定程度以上の降雨が予想される場合には避難勧告が発令されます。この日もその勧告が発令されるような大雨でした。
 7月17日,日曜日。妹のピアノのレッスン。この日は午後5時半からでした。
 7月20日,水曜日。Kさんが家に来て,夕食を食べて帰りました。この日から,基本的に水曜日はKさんが来て,一緒に夕食ということになっています。Kさんはひとり暮らしになっていますから,週に1度くらいは大勢でという母の配慮でした。
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東京スポーツ賞川崎マイラーズ&説明会

2017-05-18 19:14:33 | 地方競馬
 昨晩の第9回川崎マイラーズ
                                     
 タマモホルンが簡単に先手を奪いました。トロヴァオ,オウマタイムの順で追う形で1周目のスタンド前を通過。向正面に入ると隊列がばらけ始め,位置取りも変わりました。タマモホルンの逃げを1馬身差でトロヴァオが追い,その後ろに3馬身くらいの間隔ができてサクラレグナムとオウマタイムの2頭。さらにリアライズリンクス,プリンセスバリュー,ジャーニーマンの3頭が続き,タイムズアローとセイスコーピオンの2頭。ここから大きく差が開いてフェスティヴイェル,ジャルディーノ,ポイントプラス。あとの2頭はここからも大きく離れての追走。最初の800mが48秒8の超ハイペース。
 タマモホルンは3コーナーを回ると一杯。すぐ後ろで追走していたトロヴァオが先頭に。サクラレグナム,プリンセスバリュー,ジャーニーマン,タイムズアローの4頭が雁行のような形で追っていきましたが,これらは直線で力尽きました。この雁行した馬たちの後ろでインを回っていたリアライズリンクスが直線でサクラレグナムの内から1頭分だけ外に持ち出されると1頭だけトロヴァオを追い,直線で捕えて優勝。内容的には強い競馬だったトロヴァオが1馬身差で2着。後方から大外を回って追い上げたポイントプラスが2馬身差の3着で同様に後方から内目を回って伸びてきたジャルディーノがクビ差の4着。
 優勝したリアライズリンクスサンタアニタトロフィー以来の勝利で南関東重賞3勝目。能力の上限は高いので,このくらいのメンバーでのレースでは常に優勝候補なのですが,レースでその能力を十全に発揮することが少ないという馬。馬券的な面では人気が下がったときが狙い目というタイプです。このレースはトロヴァオが強気にレースを進め,早めに追ってきた馬たちを疲れさせました。深追いせずにそれらが一杯になってから前を追うことができたのが勝利の要因になったものと思います。父は2000年のシンザン記念とスプリングステークスと鳴尾記念,2001年の京都金杯,2002年の京都金杯を勝ったダイタクリーヴァでその父がフジキセキ。母の父はマイネルラヴ
 騎乗した大井の的場文男騎手はフジノウェーブ記念以来の南関東重賞制覇。第3回以来6年ぶりの川崎マイラーズ2勝目。これが地方競馬通算7000勝目。ですが僕は騎手の勝利数をこのように限定的に表示することには疑問を禁じ得ないです。管理している浦和の小久保智調教師第6回以来3年ぶりの川崎マイラーズ2勝目でした。

 6月23日,木曜日。月曜日に報告を受けた作業所の閉鎖に関する説明会が,午前10時から施設であり,母が出掛けました。新しい作業所がまだこの時点では未完成でした。なので7月からそちらに通うことはできません。というか,これはいくつかの作業所を運営している施設の統合整理による変更です。つまり新作業所には別の作業所からも人員が集まってきます。そうした作業所は今年の3月まで運営することになっていましたから,妹が通っていた作業所の人だけが移動しても何かできるわけではありません。そうした事情もあり,7月から今年の3月までは,施設へ通うということになり,施設で行っていた作業に加わるということになりました。なお,これは職員の不足の影響であったわけですが,妹が通っていた作業所だけが休止になることが決定したのは,この作業所が施設から最も近いところに立地していたからだと思います。どちらも僕がいう本牧にあり,僕の家からみると作業所より施設の方がやや遠く,新作業所はそれよりさらに遠いところ,これは僕の地理感覚では本牧ではなく小港にあります。僕は週に2日くらいは本牧に出掛けていますが,これは位置としていえば作業所と施設の中間にあるところ。新作業所は施設と,僕が通院しているみなと赤十字病院の中間にあたります。急な変更ですと通うことに問題が生じる可能性がありますが,妹が行っていた作業所に通えるのであれば,施設に通うのは何ら問題はありません。たぶんこの作業所の閉鎖が先行したのはこういう理由からだったと思います。説明会自体は午前中で終ったようで,母はほかの保護者と昼食を摂って帰りました。僕はこの日は長者町に出掛けていました。
 6月25日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は前夜に先生から電話があり,午後3時開始になっています。
 6月30日,木曜日。保護者会があって母が出掛けました。この日はそれだけでなく,商品製作のボランティア活動もあったようです。僕はこの日は屏風浦に出掛けていました。
 7月1日,金曜日。この日から妹は施設の方へ通うことになりました。妹は陶芸の作業に加わりました。
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マイナビ女子オープン&作業所の閉鎖

2017-05-17 19:14:58 | 将棋
 西浦温泉で指された昨日の第10期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
 加藤桃子女王の先手で上田初美女流三段のノーマル四間飛車からの穴熊。先手は9八玉型の左美濃から銀冠という持久戦に。
                                     
 3三の角を引いた局面。この手では☖6五歩から戦えば後手が有望だったようです。引いたのは戦いにしたくなかったからという感想がありますが,穴熊が戦いに持ち込めるのにそれを避けようとするのは不思議に感じます。ここで怯んだのが敗因のひとつだったかもしれません。
 先手は☗2四歩☖同歩☗5五歩☖同銀☗2四角☖2二飛☗4六角☖2八飛成☗同角と飛車交換の手順に進めました。ここで☖4六歩と突いて銀取りを受けましたが,これは緩手で,受けるなら☖3三角とすべきだったようです。
 ☗2二飛と打ち込んで☖7六歩の攻め合いに。先手は☗同金と取って☖7五歩のときに☗7二歩と打ちました。これを後手が☖同金と取ったときに☗同飛成と取れず☗7五金と手を戻し☖7一歩と受けられるのでは,変調ではないかと思えました。
                                     
 しかし第2図は後手が7筋に歩を打てなくなったために大した攻めがなく,先手はゆっくりと攻めていけば間に合う局面でした。つまり第2図はすでに後手がじり貧の傾向にあり,先手がかなり優勢になっているようです。
 3連勝で加藤女王が防衛第7期,8期,9期に続く4連覇で4期目の女王です。

 考察はここまでとして日記に戻ります。『スピノザの生涯』を読み終えたのが昨年の6月9日でしたから,今日からはそれ以降のことです。
 この6月9日は妹の宿泊訓練があった日でした。したがって10日の金曜日は持ち帰る荷物が普段よりも多かったため,母が迎えに行っています。僕はこの日は新横浜に出掛けていました。
 6月11日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。
 6月12日,日曜日。母と妹が美容院へ。この日もいつものように13時に予約を入れていたのですが,帰ったのはいつもより早く,15時前でした。
 6月15日,水曜日。妹の歯科の通院がありました。この日はクリーニングをしただけです。僕はこの日は川崎に出掛けていて,帰ったのが午後6時頃になりましたので,そのときにはふたりは家に戻っていました。
 6月19日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。前夜までに連絡がなかったので,17時半からの予定だったのですが,当日になってから連絡が入り,16時からの開始に変更となりました。
 6月20日,月曜日。母が妹を作業所まで送って行くと,作業所が6月一杯で閉鎖になるという報告を受けました。朝の迎えがなくなったのは職員不足の影響でしたが,この閉鎖も同じ理由からでした。ただ,6月一杯での閉鎖というのは急な話でしたが,閉鎖自体はもっと前から予定されていたものです。翌年,というのは今年のことですが,4月に,施設が運営している諸々の作業所等を統合整理して,今年の4月から場所を変えて作業をするということは前々から決まっていたのです。つまり今年の3月には閉鎖になるということが事前から決定していて,それが職員の不足による影響から,前年の6月に約半年ほど前倒しされるということになったのです。なので6月一杯という期限については驚きでしたが,施設の閉鎖ということ自体は,母にとっても僕にとっても,そしておそらくはこの作業所で作業していた人たちの保護者にとっても驚きではなかったものと思います。妹は新しい作業所で作業することは決まっていましたが,まだその作業所は未完成でした。
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