タイガー・戸口は僕のプロレスキャリアの開始時点では新日本プロレスで仕事をしていました。その頃,戸口とタッグを組むことが多かったのがキラー・カーンです。ハンセンの乱入の直前の新日本プロレスのシリーズはMSGタッグリーグでしたが,このときも戸口とカーンはチームで出場していたように記憶しています。
カーンがプロレス界で名を売ったのは,不沈艦の人間発電所に対する首折りと同じように,リング上でのアクシデントでした。ただし事情は異なります、カーンがアメリカで大巨人と試合をした際,アンドレが脚部を負傷。カーンが機転を利かせて脚の骨を折ったということにして試合を終わらせました。いわばギミックとしての脚折りで,トップヒールの座に就いたのです。カーンと戸口が新日本に出場していた頃は,アンドレも新日本に出ていて,先述したリーグ戦はアンドレがレネ・グレイという選手と組んで優勝したのですが,カーンとアンドレが日本で試合をするときは,その因縁が必ず強調されました。アンドレは規格外の身体をしていましたが,カーンは日本人選手としてはかなり大柄で,アンドレの好敵手という意味でも成立し得ました。
戸口が新日本プロレスを去った後,新日本の本隊でも戦いましたが,長州力の維新軍に加入。この関係でジャパンプロレスが全日本プロレスと業務提携をした対抗戦時代には,全日本プロレスでも仕事をしています。この全日本プロレスの時代の中途で長州とはリング上で喧嘩別れし,全日本の選手だけでなく長州や谷津嘉章らとも敵対するようになりました。
長州が全日本を離れて新日本に戻ると,アメリカに渡りましたが,すぐフェードアウトするように引退しました。カーンは単にリング上で喧嘩別れしただけでなく,長州のことが嫌いで,長州と同じ仕事をしていることが嫌になったという主旨のことを言っています。長州を嫌っていたのは本当でしょうが,それが引退の理由にまでなるのかは正直なところ僕には謎です。
第二種の認識cognitio secundi generisと第三種の認識cognitio tertii generisのふたつの永遠の相species aeternitatisがあると解した方がよいという可能性があると僕は認めます。ただし僕は,たとえそう考えるとしても,第五部定理二八は成立しなければならないと考えます。僕はこの定理Propositioのスピノザの証明Demonstratioから,スピノザ自身は永遠の相をひとつしかないと考えていると説明しました。したがって,もしふたつの永遠の相があり,それでもこの定理が成立するのだとしたら,別の証明が必要とされます。この点についての私見を述べておきましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/34/4b18a4c69b7b8b185d0654eefd7f1357.jpg)
スピノザによる証明は,第二部定理四〇の4つの意味のうち,第三の意味を前提とし,十全な観念idea adaequataへ向かう欲望cupiditasは十全な観念からしか発生し得ないという論理に基づいています。このこと自体は正しいので,第一種の認識cognitio primi generisから第三種の認識へ向かう欲望は生じ得ないということは問題ありません。証明し直さなければならないのは,第二種の認識からは第三種の認識へと向かう欲望は生じ得るという点です。
スピノザはこのことを,第二種の認識も第三種の認識も,事物の十全な認識であるという点に訴求しています。しかしその点に訴求すると,第二種の認識と第三種の認識の永遠の相は同一であるということも同時に認めなければなりません。そこでここでは,第二種の認識である共通概念notiones communesによる認識からは,第三種の認識である個物res singularisの認識へと向かう欲望が生じ得るという路線で証明を進めます。このように論証するなら,第二種の認識と第三種の認識が,ともに十全な認識であるという共通性によって規定されることはなく,共通概念による認識と個別的な事物の認識という別種の認識として規定されるわけですから,第二種の認識の永遠の相と,第三種の認識の永遠の相は,異なった永遠の相であるとしても成立することになります。
スピノザは,共通概念による認識を,第二部定理三八と第二部定理三九のふたつに分けています。前者はすべてのものに共通する共通概念で,後者はいくつかのものに共通する共通概念です。これを一般性という観点から考えれば,前者は一般性が最も高い共通概念で,後者はそれに比較すれば一般性の低い共通概念です。この一般性の高低が根幹になります。
カーンがプロレス界で名を売ったのは,不沈艦の人間発電所に対する首折りと同じように,リング上でのアクシデントでした。ただし事情は異なります、カーンがアメリカで大巨人と試合をした際,アンドレが脚部を負傷。カーンが機転を利かせて脚の骨を折ったということにして試合を終わらせました。いわばギミックとしての脚折りで,トップヒールの座に就いたのです。カーンと戸口が新日本に出場していた頃は,アンドレも新日本に出ていて,先述したリーグ戦はアンドレがレネ・グレイという選手と組んで優勝したのですが,カーンとアンドレが日本で試合をするときは,その因縁が必ず強調されました。アンドレは規格外の身体をしていましたが,カーンは日本人選手としてはかなり大柄で,アンドレの好敵手という意味でも成立し得ました。
戸口が新日本プロレスを去った後,新日本の本隊でも戦いましたが,長州力の維新軍に加入。この関係でジャパンプロレスが全日本プロレスと業務提携をした対抗戦時代には,全日本プロレスでも仕事をしています。この全日本プロレスの時代の中途で長州とはリング上で喧嘩別れし,全日本の選手だけでなく長州や谷津嘉章らとも敵対するようになりました。
長州が全日本を離れて新日本に戻ると,アメリカに渡りましたが,すぐフェードアウトするように引退しました。カーンは単にリング上で喧嘩別れしただけでなく,長州のことが嫌いで,長州と同じ仕事をしていることが嫌になったという主旨のことを言っています。長州を嫌っていたのは本当でしょうが,それが引退の理由にまでなるのかは正直なところ僕には謎です。
第二種の認識cognitio secundi generisと第三種の認識cognitio tertii generisのふたつの永遠の相species aeternitatisがあると解した方がよいという可能性があると僕は認めます。ただし僕は,たとえそう考えるとしても,第五部定理二八は成立しなければならないと考えます。僕はこの定理Propositioのスピノザの証明Demonstratioから,スピノザ自身は永遠の相をひとつしかないと考えていると説明しました。したがって,もしふたつの永遠の相があり,それでもこの定理が成立するのだとしたら,別の証明が必要とされます。この点についての私見を述べておきましょう。
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スピノザによる証明は,第二部定理四〇の4つの意味のうち,第三の意味を前提とし,十全な観念idea adaequataへ向かう欲望cupiditasは十全な観念からしか発生し得ないという論理に基づいています。このこと自体は正しいので,第一種の認識cognitio primi generisから第三種の認識へ向かう欲望は生じ得ないということは問題ありません。証明し直さなければならないのは,第二種の認識からは第三種の認識へと向かう欲望は生じ得るという点です。
スピノザはこのことを,第二種の認識も第三種の認識も,事物の十全な認識であるという点に訴求しています。しかしその点に訴求すると,第二種の認識と第三種の認識の永遠の相は同一であるということも同時に認めなければなりません。そこでここでは,第二種の認識である共通概念notiones communesによる認識からは,第三種の認識である個物res singularisの認識へと向かう欲望が生じ得るという路線で証明を進めます。このように論証するなら,第二種の認識と第三種の認識が,ともに十全な認識であるという共通性によって規定されることはなく,共通概念による認識と個別的な事物の認識という別種の認識として規定されるわけですから,第二種の認識の永遠の相と,第三種の認識の永遠の相は,異なった永遠の相であるとしても成立することになります。
スピノザは,共通概念による認識を,第二部定理三八と第二部定理三九のふたつに分けています。前者はすべてのものに共通する共通概念で,後者はいくつかのものに共通する共通概念です。これを一般性という観点から考えれば,前者は一般性が最も高い共通概念で,後者はそれに比較すれば一般性の低い共通概念です。この一般性の高低が根幹になります。