スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ゴールドカップレース&メンデルスゾーン研究

2023-11-13 19:09:19 | 競輪
 10月31日の京王閣記念の決勝。並びは新田‐佐藤の福島,藤井‐柴崎の中部,中釜‐東口の近畿,晝田‐香川の瀬戸内で北井は単騎。
 少しばかりの牽制となりましたが晝田がスタートを取って前受け。3番手に新田,5番手に中釜,7番手に藤井,最後尾に北井で周回。残り3周のバックから藤井が上昇開始。北井は続かなかったので,中釜が東口の後ろにスイッチ。ホームで藤井が晝田を抑えると,中釜が上昇して藤井の前に。バックから北井が発進。中釜を叩いて先行。新田が北井を追う形になり,ラインの切れ目に差がある縦長の一列棒状に。バックから北井との差を詰めにいった新田がコーナーの出口で北井を捲り,マークの佐藤と直線勝負。差は詰まりましたが凌いだ新田が優勝。佐藤が1車輪差の2着で福島のワンツー。佐藤の後ろにいた中釜が流れ込んで半車身差で3着。
 優勝した福島の新田祐大選手は4月の高知記念以来の優勝で記念競輪11勝目。京王閣記念は初優勝ですが2015年の日本選手権を京王閣で優勝しています。ここは力では北井と新田が上位ですが,北井は単騎になりましたので新田が有利でした。北井が単騎でかましていったのは意外でしたが,そのときの位置の関係から追うことができたので,展開も有利に運べました。北井はかますにしてもタイミングがあまりに早かったように思います。ただ,もしも追い掛けてくるのが新田でなかったら,あれだけ早い段階で捲られることはなかったかもしれませんので,作戦として理解できないものではありません。道中の並びがかましていくにはあまりよくなかったということになるでしょう。

 簡単ですが,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに関してはこれまでに何度も言及してありますので,今回はこれだけにしておきます。
                                        
 『スピノザーナ11号』はこの後,平尾昌宏の「メンデルスゾーンとスピノザ主義の水脈」,後藤正英の「スピノザ『神学政治論』からメンデルスゾーン『エルサレム』へ」と,メンデルスゾーンMoses Mendelssohnに関連する論文が続いています。スピノザとの関連でメンデルスゾーンが主題になっているものは,僕が知る限りでそう数が多いわけでなく,これらは希少でありかつかなり有益なものであるといえるでしょう。ただし僕はメンデルスゾーンの思想についてはほとんど知るところがないので,メンデルスゾーンについて論考できる力は持ち合わせていません。まず最初に,なぜ事情がそのようになっているのかということを説明しておきます。
 メンデルスゾーンがスピノザと関連して探求の対象となるとき,それはいわゆる汎神論論争との関連を抜きにして考えることができません。ただ,この論争にメンデルスゾーンが参加するとき,それはメンデルスゾーンの本意であったというより,止むを得なかったという側面があるように見受けられるのです。いい換えれば,メンデルスゾーンはある積極的な理由があって汎神論論争に参加したわけでなく,消極的な事情から汎神論論争に参加せざるを得なかったという面があるように思われるのです。しかしこれは僕にそのように見えているというだけであって,実際にはそうでなかったかもしれません。このような意味で,メンデルスゾーン自身がスピノザの哲学をどのように解していたのかという研究は,貴重なものですし,また有益なものとなってきます。仮に汎神論論争に参加したこと自体はメンデルスゾーンにとって本意ではなかったのだとしても,メンデルスゾーンがスピノザの哲学と触れたとき,そこに積極的なものが何もなかったということはあり得ないのであって,その積極性が具体的にどのような事柄であったのかということは,様ざまな角度から検証されるべきことであろうと僕は考えます。つまりこの点では,汎神論論争の当事者としてのメンデルスゾーンという観点だけに注目するべきではないのです。
コメント
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