スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京2歳優駿牝馬&納骨

2011-12-31 19:27:11 | 地方競馬
 北海道から1頭,笠松から2頭が遠征してきた第35回東京2歳優駿牝馬
 最内からダッシュよくエンジェルツイートの逃げ。2番手でエミーズパラダイスがマーク。3番手以下はやや水が開いてショコラヴェリーヌ,ドラゴンシップ。前半の800mは49秒6のミドルペース。
 2歳馬はやはり前にいった方が有利ですし,ペースも速くなく,しかも前の2頭は実力馬ということもあり,結果的に後ろはあまり関係ない,マッチレースのようなレース。エミーズパラダイスは3コーナー過ぎから並び掛けていき,直線は馬体を離して追いましたが,最後まであまり脚色が変わらず,エンジェルツイートが逃げ切って優勝。エミーズパラダイスが2着で,3着も道中の順位を守ったショコラヴェリーヌ。
 優勝したエンジェルツイート平和賞に続いての南関東重賞制覇。当時は北海道所属でしたがそのまま大井に転入し,ここが転入初戦でした。好枠から先手を奪ってうまいペースで逃げてのものですから,うまくいった面はあるかと思いますが,順調にいけば来年のクラシックでも主役の1頭にはなると思います。父がタイキシャトルでブルードメアサイアーはリンドシェーバーアストニシメントクリフジの分枝でひとつ上の半兄は8月の黒潮盃を勝った兵庫のオオエライジン
 騎乗した船橋の森泰斗騎手は前走に引き続いての南関東重賞2勝目。大井で管理することになった森下淳平調教師はこれが南関東重賞初挑戦での初勝利となりました。

 月が変わって12月1日。この日は木曜で,妹の新たなる支援である家までの迎えがない日。特別の事情がない限りずっと母が送っていたのですが,この日だけは僕が妹を作業所まで送りました。といってもこれは母に何かあったからというわけではなく,僕が本牧の方に出掛けることになっていて,作業所はその途中ですから,ついでに送っていったというもの。たまたまこの日は雨になったのですが,そういう意味では母にはよかったかもしれません。
 そして週末の土曜,3日がK伯母の49日法要でした。これは寺の方で執り行うもので,当初の予定では午前中からということになっていたようですが,寺の都合で変更となり,13時半からとなりました。ただ結果的にいいますとこの変更というのは非常にありがたいものとなりました。というのもこの日は午前中はかなり激しく雨が降ったのですが,午後にはそれが上がったからです。法要自体は室内でやるわけですから外の天候はあまり関係がないといえば関係がないのですが,49日法要というのは納骨も兼ねていますから,これは屋外であり,雨だとそれなりに大変なわけです。
 K伯母の遺骨は,この寺の敷地の中にある納骨堂に納められました。K伯母は先に夫を亡くしていて,墓はありました。これは夫の母親なども納められていたもので,場所は八王子。八王子まで墓参りに行くというのは大変なので,最初は夫の遺骨もこの寺の納骨堂に納めたのですが,夫の妹達の要望で,後にその八王子にある墓の方に納め直していたのです。このときにひと騒動が生じて,結局K伯母と義妹たちとの間でほとんど音信不通となりました。本来でしたらK伯母の遺骨もそちらの墓に納めるのが常識的でしょうが,こうした事情もあって寺の納骨堂を利用したのです。もっとも,K伯母自身が,急死した前日にもこの寺に来ていたことからも分かるように,ここには足繁く通っていて,顔馴染みの信者というのがたくさんいました。寺の納骨堂に納めれば,そうした方々にも簡単にお参りしてもらうことができるわけですから,夫の遺骨とは離れ離れになってしまったわけですが,むしろK伯母の本意に近い形での納骨であったのではないかと思っています。
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東日本大震災被災地支援競輪グランプリ&清算

2011-12-30 19:42:55 | 競輪
 今年のベストナインによる一発勝負の競輪グランプリ平塚競輪場が舞台でした。並びは佐藤-伏見-成田の北日本,武田-長塚の茨城,深谷-浅井-山口の中部で村上は単騎。
 スタートを取ったのは佐藤でそのまま前受け。村上が4番手を窺いましたが武田が許さず,村上が6番手,深谷が7番手で周回。深谷は残り2周半から上昇開始。佐藤を叩くと,武田がさらに外を抑えて一旦は先頭。これを深谷が叩き返し,打鐘前からの先行となり,武田が4番手,村上が続いて佐藤が7番手の一列棒状。このままバックまでいくと,3コーナーから浅井が番手発進。直線に入って内に行った長塚が山口に接触して落車,そこに村上が乗り上げるアクシデントが発生しましたが,山口には関係なく,いまひとつ掛かりが悪かったように思える浅井を捕えて優勝。外を捲り追い込んだ武田が2着に届き,浅井は僅差の3着まで。
 優勝した岐阜の山口幸二選手は2007年に一宮記念を優勝してから,グレードレース制覇はありませんでした。それでも今年はGⅠの決勝に3度乗り,そのすべてで2着と賞金を加算しての出走。前を回ったふたりの貢献が大ではありますが,僕より年上の43歳にして日本一とは恐れ入りました。グランプリは1998年に優勝していて実に13年ぶりとなる2度めの制覇。ビッグもそれ以来の3勝目。これだけ長きにわたってトップクラスで戦い続けているのも実に立派なことだと思います。
                              

 診察が終了すればあとは会計です。会計はまず受付で所定の手続き。これが終ると紙の番号札をもらいます。そしてその番号が表示盤に示されると。会計が可能な状態になったということになります。これはみなと赤十字病院だけでなく,こども医療センターでも完全に同じでしたから,大体はどこの病院でも一緒なのではないかと思います。この日,僕が受け取った番号札は901番でした。
 この番号札を受け取ってから計算が始まるわけですから,この後で一定の待ち時間があるのはいつものこと。こども医療センターではこの待ち時間がみなと赤十字病院よりも長かったということは以前に説明しました。みなと赤十字病院の場合ですと,この時点でおおよそ10番くらい前の番号まではすでに計算が済んでいます。ですからこの日ですと,890番くらいまではすでに清算が可能になっている筈でした。ところがこの日は,表示盤に点灯していたのはまだ860番台でした。このことからも,すでにこの日の時点で,ハッピーマンデーの影響が大きく出ていたということは明らかだったということがお分かりいただけるかと思います。当然ながら単純にいっても僕が実際に清算するまで,いつもの4倍ほどの時間を待たなければならなかったのです。
 帰途に薬局に寄って処方されたインスリンと注射針を入手。帰宅したのが17時40分頃。14時半が診察の予約時間であったことを考えれば,かなり遅くなりました。
 この週末,11月27日の日曜に,再びガイドヘルパーを利用して妹は青葉区のこどもの国へ出掛けました。こどもの国は僕は小学生のときに,確かに遠足で行ったことがあるのですが,正直なところ何の想い出も残っていません。大して面白いと感じるところがほとんどなかったからだろうと思います。園内にどんな施設があったのかすら覚えていなかったのですが,妹によれば象などの動物がいるところがあって,また小さな動物とも触れ合うことができたようです。僕が行ったのは30年くらい前ですから,現在とは状況が異なるでしょうが,これは予期していなかったことで意外でした。もっとも,妹が一番楽しみにしているのは昼食が何かということであり,こうしたことは無関係なのかもしれません。
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農林水産大臣賞典東京大賞典&ハッピーマンデー

2011-12-29 20:03:13 | 地方競馬
 今年から外国馬の出走も可能となり,レース表記の上でもJpnⅠからGⅠとなった第57回東京大賞典
 スマートファルコンの逃げはお決まり通り。テスタマッタとワンダーアキュートの2頭はわりと無理なくついていき,その後ろはヤマニンキングリーでしたが,こちらは離されないように最初から仕掛けていました。前半の1000mは59秒5でハイペース。
 普段ならばこのくらいのペースでもスマートファルコンが一旦は後ろを離してセーフティーリードを取るのですが,今日はそうした展開とはならず,ワンダーアキュートが食い下がってゴール前では並びました。届いたのではないかと思ったのですが,写真判定の結果はハナ差で凌いだスマートファルコンの優勝。ワンダーアキュートが2着で3着も先行したテスタマッタ。
 優勝したスマートファルコンは前走のJBCクラシックに引き続き8連勝で大レース5勝目。第56回に続く連覇。接戦になりましたが,いつもと同じくらいのタイムでは走っていますから,相手がかなり頑張ったとみていいのではないでしょうか。今日のレースのようにある程度は無理してでもついてこられた方が苦戦するのでしょう。勝ちはしましたが,負けるときのパターンも明らかになったレースであったように思います。父は第48回の覇者であるゴールドアリュール,兄に第45回を勝っているワールドクリーク,曾祖母がアリアーン
 騎乗した武豊騎手はJBCクラシック以来の大レース制覇で第48回,49回,53回,56回に続き連覇で6勝目。管理している小崎憲調教師はJBCクラシック以来の大レース制覇で連覇となる2勝目。
                              

 その次回の診察なのですが,年明け,1月26日の14時に設定されました。これは木曜日。僕の総合内科の通院はこれまでは必ず月曜日でしたので,これも異例といえば異例といっていいかと思います。
 木曜日に設定されたのは,この日の病院が非常に混雑していたことと関係しています。ハッピーマンデーが導入されて月曜が休診というケースが以前よりも多くなりました。医師はたとえ勤務は毎日であったとしても,外来の診察をするという日は限られているのが普通。したがって,ある月曜が休診ということになれば,通常はその患者は翌週以降の月曜に外来の診察を受けるということになります。ただ,仮に翌週の月曜が開業日であったとしても,休診になった患者のすべてをそこに組み入れるということは物理的に不可能です。よって翌週以降にも少しずつ振り分けていくということになるのですが,それを繰り返しているうちにまた次のハッピーマンデーがやってくるということになると,順調に振り分けていくということが不可能になってきます。この日はもうその影響が顕著に表面化していたといっていいでしょう。М先生は月曜だけでなく,木曜にも外来の診察をしていましたから,僕は木曜の方に振り分けられたということになるのだろうと思います。ただ,М先生の話ですと,木曜になるのは一応は次回の診察の日だけのようで,それ以降はまた月曜の診察に戻るようです。
 14時の診察ということになりますと,これまでの例でいけば,13時の10分ほど前に病院の前に到着するバスに乗車して,採尿と採血の検査を受け,食堂で昼食を摂ればちょうどいいということになります。というか,14時ですと,正午前のバスに乗っても,家に戻ることはできませんから,この方法しかないということになります。ところが今月の5日付て,バスの運行が変更されました。詳しいことはそのときに説明しますが,現在の時刻表ですと,病院の前に到着するバスは,現在よりも毎時10分早くなっています。どちらにしても病院の前まで行くバスの方が便利ですからそちらを利用することになりますが,早ければ12時半過ぎには病院に着くことになりそうです。
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農林水産大臣賞典兵庫ゴールドトロフィー&異例の措置

2011-12-28 19:39:45 | 地方競馬
 何といっても地元の無敗馬,オオエライジンがどこまでやれるのかが注目された第11回兵庫ゴールドトロフィー。ダイショウジェットが出走取消となって11頭。
 ラブミーチャンの逃げは予想された通り。ピースプロテクター,オオエライジンの地元勢が追い,4番手にセイクリムズン。スーニは前半は後方2番手から3番手あたり。正確なラップは分かりませんがハイペースであったことは間違いないと思います。
 向正面でオオエライジンが2番手に上がり,ピースプロテクターは後退。やや水が開いてセイクリムズンと追い上げてきたスーニという態勢。直線に入るとラブミーチャンが力尽き,オオエライジンが先頭。その外にセイクリムズンとスーニが襲い掛かったのですが,セイクリムズンは2頭に挟まれるような形の不利。大外を伸びたスーニが優勝。立て直したセイクリムズンも2着は確保。オオエライジンは後続に詰め寄られたものの3着は死守。
 優勝したスーニは前走のJBCスプリントから引き続いて4連勝で重賞9勝目。ここはハンデ戦で,斤量関係はやや不利になっていました。ただ,斤量は関係なく能力通りに決まるというのが過去の傾向で,今年もその通りの結果。一時期は落ち込んでいた馬ですから,またそうなる可能性もないとはいえませんが,現在の調子を維持し続けられれば,来年も活躍することになるでしょう。曾祖母の姉がファンシミン。Suniはイタリアの地名。
 騎乗した川田将雅[ゆうが]騎手,管理している吉田直弘調教師には兵庫ゴールドトロフィー初制覇。
                         

 7.4%という値が出たこと,いい方を変えれば日々の血糖値の計測の結果で,それまでよりも高めの数値が出る回数が増加していたことには,何らかの原因があった筈です。しかし,実際にその原因が何であったのかを特定することは困難でした。というのも,前回の通院から今回の通院までの期間に,僕の生活上で何か特段の変化がもたらされたということは皆無であったからです。2月に非常に悪い,それが続けば入院しなければならないような数値が出た後で,僕が運動療法の改善とか食餌療法の改善などに,自分なりの仕方で取り組むようになったということは説明しました。こうした取り組みについても,この期間にとくに怠ったということはありませんでした。
 ただ,原因が不明であっても,事実は事実として変わるところはありません。したがって何らかの対処をする必要というのはありました。診察の場では薬物療法の話が出るのみですが,ちょっと変化が加えられることになりました。
 この期間の血糖値の計測の結果のうち,明らかにそれ以前よりも異なっていた点があるとすれば,血糖値が最も安定的に推移していた時間帯である朝食前の血糖値が高めであるという場合が,明らかにそれまでよりも多くなっていたということでした。そしてはっきりとした傾向として露わになっていたのは,そのように朝食前の血糖値が高い日は,その一日を通じて血糖値が高めで推移していくということだったのです。そこでもしも,朝の血糖値が高かった場合,具体的な数値を示せば,もしも朝食前に血糖値を計測したときにそれが200㎎/㎗を超えていた場合には,注射をするインスリンの量を0.02ml増量して,0.12mlにするというのが,主治医としてのМ先生の指示でした。本当はインスリンというのは同じ量を注射するのが大原則です。つまりこれは異例の判断であるといえるでしょう。いわば特例のようなものですから,ずっと継続していくものであるかどうかは分かりません。
 しかし実際には,これ以降,朝の血糖値がそこまで高くなったことは12月5日に1度だけあっただけです。なのでこの処置はその日しか行っていません。まだ期間はありますが,次回のHbA1cは,以前の水準に戻るのではないかと思っています。
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ゴールドカップ&7.4%

2011-12-27 18:45:16 | 地方競馬
 今年から暮れに移設された第49回ゴールドカップは,今年の浦和競馬の最終日となる23日に施行されました。
 コースは内有利。その内目からケイアイライジンとディアーウィッシュが前に行き,後続を引き連れてのレース。ナイキマドリードが3番手につけました。ペースはハイ。
 ナイキマドリードが向正面から自然と前に並び掛けていくと,ケイアイライジンは後退。ディアーウィッシュも直線入口近辺までは頑張りましたが,手応えには差がありすぎてギブアップ。あとはナイキマドリードの独走となり,実に8馬身もの差をつける圧勝。勝ち馬があまりに強い競馬をしたために2着争いは後方から脚を伸ばした伏兵陣による接戦での争いとなり,そこから抜け出たイブロンが2着。3着はラインプレアー。勝ち馬を別にすれば大波乱といっていいでしょう。
 優勝したナイキマドリードは6月にさきたま杯を勝っていて,それ以来の勝利。南関東重賞は2勝目です。重賞を勝っているくらいですからここでも能力上位は疑い得なかったところですが,これだけの差をつけて勝てるとは思っていませんでした。浦和コースもいいのでしょうし,距離もこれくらいあった方がいいのでしょう。来年も活躍を続けられるものと思います。
 騎乗した大井の戸崎圭太騎手は今月はクイーン賞も勝っています。ゴールドカップは初勝利。管理している船橋の川島正行調教師は条件は異なりますが第38回以来の2勝目となりました。

 ようやく始まった診察ですが,この日にオーダーされた検査には,前々回にはあった乳ビも,前回にあった溶血もなくなっていました。また,その代わりに新しい内容が入っているということもありませんでした。つまりそれより以前の内容に戻ったということになります。乳ビにしろ溶血にしろ,これは検査された内容の正確性を調査するためのものであり,糖尿病そのものの検査とは異なります。おそらくこうした検査は,ある程度の期間をおいて定期的に調べていればよいということなのではないかと思われます。
 この日の検査結果で特記しておくべきことはひとつだけ。前回の通院のときに6.5%という,それまでには出ることがなかった値にまで下がっていたヘモグロビンA1cが,7.4%まで悪化していたということです。前回を除けば,僕のHbA1Cは概ね7.0%前後で推移していました。今年の2月の通院のときに,一時的にかなり高くなってしまい,そのときが7.9%。ただこれもこのときだけの結果で,今回はそれ以来の高い数値となってしまったわけです。ただ,僕自身は日々の血糖値の計測を標準化していますから,値がどれくらいになるかは別にして,今回は高くなるであろうということは予期できていました。もちろんそれは,計測した血糖値の値が,高いことがそれまでよりも明らかに多かったからです。日々の血糖値がそれまでより高いケースが多いならば,HbA1cも高くなって当然です。
                         
 実をいいますと,それまでも,血糖値が高めで推移する期間というのはあったのです。原因はまったく分からないのですが,ある程度の期間は安定していたものが高くなり,その高めの期間が少し続いてまた元に戻るということが,いわばバイオリズムでもあるかのように繰り返していました。その点は前回の通院の日以降も同様であったのですが,今回は高めの期間の継続がそれまでよりも明らかに長く,その分だけそれまでの同じくらいの期間よりも血糖値の平均値が高くなっていました。僕は実際に平均値を抽出しているわけではありませんでしたが,間違いなく高くなっているということは理解できていました。だからこの結果自体は少しも驚くものではありませんでした。
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棋王戦&出血

2011-12-26 18:57:59 | 将棋
 久保利明棋王への挑戦者を決める第37期棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負第一局。対戦成績は1勝すればよい勝者組の郷田真隆九段が4勝,2勝が必要な広瀬章人七段が1勝。
 振駒で郷田九段の先手。広瀬七段のごきげん中飛車③▲4八銀から相穴熊に。中盤は先手が苦労したように思いますが,うまく打開して勝負に持ち込んだとみえた局面から,後手が一気に決めてしまいました。
                         
 ここで△4四角。これは△2九馬から△8七桂を狙った単純な手にも思えます。先手は▲7七金と受けました。後手は△2七歩と叩いて▲同飛に△5六馬。これが角を打った真の狙いであったよう。先手は▲8四歩と突いたのですが,いきなり△7七角成と切り,▲同銀に△7八銀。▲同金△同馬▲8八銀打に△6七金と打たれ,先手はこの攻めを振りほどくことができなくなってしまいました。
                         
 第2図以下,先手も懸命に粘ったものの,後手がうまく寄せきりました。
 広瀬七段が勝って挑戦権の行方は第二局に。ここのところ勝者組は第一局で勝って挑戦,第一局を敗者組が勝つと第二局も勝って挑戦というパターンが続いていますが今期はどうなるでしょうか。年明け1月6日に指されます。

 この日の病院は非常に混雑していまして,採尿は自分でやりますから問題ありませんが,採血までにはずいぶんと待たされました。そしてその採血の後に,ちょっとしたハプニングがありました。
 採血が終りますと,その部分にガーゼを当てて5分ほど押さえているように指示を受けます。1度だけ青いアームバンドを当てられたときがありましたが,そのとき以外はいつものことで,これはもう手慣れたもの。だからこの日も終了後にすぐに食堂には向わず,中央検査室のベンチで押さえていたのです。ところが自分では気付かなかったのですが,この日はなかなか出血が止まらなかったようで,ガーゼに血が滲み,さらにそれが溢れ出ていました。こうしたケースがあるということは聞かされていましたから,それほどの驚きではなかったのですが,僕自身には初めてのことでしたので,ちょっとびっくりしたのも事実。帰宅してから見てみますと,内出血の跡も大きくなっていましたから,僕自身の体質的な問題というよりも,たぶん採血の際の注射に問題があったのではないかと思われます。
 前回は検診の予約などもしましたし,予約が午後2時でしたから,昼食を終えてもそれほどの空き時間があったわけではありません。しかしこの日は2時半で,さらにするべきこともありませんでした。いくら混んでいたとはいえ,昼食後はそれなりの時間があったわけですが,入口付近のロビーで読書をして過ごし,予約時間の10分ほど前に,総合内科の受付に向い,そちらのベンチで待機していました。
 検査が混雑している日は診察も混んでいて,そのために待ち時間が長くなるということは経験的に理解していました。だからこの日もいつもよりは長めの待ち時間にはなるだろうとは思っていました。しかしこの日は本当に長いこと僕の順番を示す番号が表示されず,ようやく診察が開始されたのはもう午後4時になってからでした。以前に午後3時の予約で午後4時を過ぎてから診察が始まったということはあったのですが,この日の待ち時間はそれよりも長く,過去最長でした。どうもハッピーマンデーの影響で月曜が休診というケースが多くなり,ここにきてそれが捌ききれなくなってきていたようです。
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有馬記念&祖母の退院

2011-12-25 19:15:44 | 中央競馬
 今年を締め括るに相応しいメンバーでのレースになった第56回有馬記念。ペルーサが左前脚の外傷で出走を取り消して13頭。
 このコースは基本的に外枠が不利ですが,これといって逃げたい馬が皆無でしたので,外目の枠のアーネストリーが1周目の4コーナー過ぎで外から先頭に立っての逃げ。とはいえこの馬もどうしても逃げたいというわけではありませんから,200m14秒台が2度もある極度のスローペースになりました。やや出負けしたヴィクトワールピサが2番手で,その後ろは内にブエナビスタで外がトーセンジョーダン。
 ほぼこの隊列のまま最後の直線に。前4頭の後ろに控えていたエイシンフラッシュがうまく馬群を突いて伸びましたが,後方で自分の競馬に徹し,外を捲り追い込むようなレースとなったオルフェーヴルがあっさりと前の馬たちを抜き去って優勝。エイシンフラッシュが2着。勝ち馬よりさらに後ろからの競馬となったトゥザグローリーが3着。スローの瞬発力勝負を得意とする馬たちの上位独占でした。
 優勝したオルフェーヴルは連勝を6に伸ばし,菊花賞に続く大レース4勝目。本当の意味での力勝負というレースにはなりませんでしたが,力の違いを示したようなレース内容で,間違いなく現役トップの位置に立ったといっていいでしょう。日本では並び立てるようなライバルは不在という感じで,さらに連勝を伸ばしていくことができるものと思います。父はステイゴールド,ブルードメアサイアーはメジロマックイーン。曾祖母がグランマスティーヴンスで全兄に第54回のこのレースの覇者であるドリームジャーニーで兄弟制覇。Orfevreはフランス語で金銀のかざり職人。
 騎乗した池添謙一騎手はマイルチャンピオンシップに続いて今秋の大レース4勝目。管理している池江泰寿調教師は天皇賞に続いて今秋の大レース2勝目。有馬記念は揃って2年ぶりの2勝目。

 翌週の火曜,11月8日に妹のこども医療センター遺伝科の予約が入っていました。前回の通院のときに楽であったことが決め手となり,予定通りにこの日は妹に作業所を休ませました。連れていったのは母です。予約時間は15時半で,後で話を聞いたところ,この日はかなり混雑していたそうです。それでも17時頃には帰っていました。僕が何度か連れて行った経験からすれば,この時間の予約でなおかつ混んでいたならば,こんな時間に帰宅することは不可能です。ただそれは僕が帰りにもバスを乗り継いだからであって,確認したわけではありませんが,おそらくこの日はタクシーを利用したのではないかと思います。そしてこうした日に毎度のように問題となるのが,夕食をどうするのかということなのですが,この日は事前に母からどんなに遅くなって,僕が先に家に帰るようなことになっても,待機するように指示されていました。どういう意図があったのかは把握しかねるのですが,結果的に出前を頼むことになりました。
 そして金曜日,11日が祖母がみなと赤十字病院を退院する日になっていました。退院となれば迎えが必要で,まずはアパートの叔父に依頼したようですが,叔父はこの日は仕事があって無理とのこと。しかし入所している特別養護老人ホームの方で,自動車を出してそのままホームへ連れて帰ってもよいとの打診がありましたので,それに甘えることになりました。とはいえ,支払いなどがありますからだれかが病院まで行かなければならないということは変わらず,これは母が行っています。僕もこの日は午後はどうしても外すことができない仕事がありまして,退院自体は午前中でしたから行かれないというわけでもなかったのですが,手続きなどにどの程度の時間が掛かるのか不明な点もありましたので母に任せ,午後から予定通りに出掛けました。
 それから10日後の11月21日が,僕のみなと赤十字病院の通院の日でした。この日の診察の予約時間は午後2時半でした。前回は午後2時だったわけですが,その日と同様に正午過ぎに家を出て,午後1時前に到着するバスに乗り,採血と採尿をした後で,病院の食堂で昼食を摂るという方法を採用しました。
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農林水産省賞典中山大障害&肺の影

2011-12-24 18:59:11 | 中央競馬
 暮れの中山の風物詩のひとつ,第134回中山大障害
 逃げの手に出たのはドングラシアス。スプリングゲントが追い掛けていき,その後ろは離れての追走。ここは登録段階から10頭で,それがすべて出走してきたのですが,さすがに飛越は安定している馬ばかりで無難でした。
 2周目の大障害を飛越したところでディアマジェスティが前の2頭に取り付いていき,この後のコーナーワークを利して先頭に。ドングラシアスはついていきましたが,スプリングゲントは徐々に遅れ始め,変わって向正面ではマイネルネオスが3番手に上がり,この3頭が雁行しながら直線に。ディアマジェスティが何とか後続を振り切って抜け出しましたが,前の争いを見るように追い出しを遅らせたマジェスティバイオが大外を伸び,ディアマジェスティを交わして優勝。ディアマジェスティが2着でドングラシアスが3着。
 優勝したマジェスティバイオは今年の4月から障害競走に参入。3戦目で未勝利を脱出した後,春と秋に東京で重賞制覇。中山は前走のオープン特別が初出走で2着。今日はそのときの経験も生きたと思いますし,仕掛けを我慢した鞍上のプレーも見事でした。障害では若手といえる4歳で,早くも重賞3勝,大レース制覇ですから,今後の障害競走はこの馬を中心とした争いになっていくと思います。はとこにキングヘイロー
 騎乗した山本康志[こうし]騎手,騎手時代には障害競走でも大活躍した田中剛調教師は共に大レース初優勝となりました。

 借金返済を滞りなく終えた翌日,11月5日に,の健康診断の結果を知らせる通知が到着しました。それによると,3点の異常が発見されたとのことでした。
 ひとつは血圧。これが高かったようです。もっとも血圧は自宅の血圧計で母は測定していまして,この時期は高くなってきていると分かっていたことです。よってこれは事前に予測できた範囲のうちであったといえるでしょう。
                         
 次が肝機能の異常で,GOTが高かったようです。肝機能の異常については,降圧剤の変更によって改善され,かつこのときはその降圧剤の処方自体が停止されていたわけですから,意外といえば意外でした。ただ,これらの2点についていうなら,母は磯子中央病院の内科の通院の際には必ず検査していたわけですから,そもそも健康診断の内容として受診する必要があったのかどうかということが僕には疑問です。そして内科の通院は,間隔は以前よりも開きましたが,継続中ですから,これらふたつの問題については,そのときに何らかの処置が下されるということになるだろうと思われます。
 もうひとつ,これが僕には重大に思えたのですが,X線の検査の結果,肺に影があるのが発見されました。これは穏やかな話ではありません。詳しい再検査が必要になるのかと思ったのですが,この時点ではそうした段階ではないので,経過を観察するという判定内容でした。この経過観察という判定自体は,血圧も肝機能も同様で,前述したような理由から,それらふたつは実際に経過を観察するということが可能ですが,肺についてはとくに医師の診察を受けているというわけではありませんから,どうなるのかははっきりとは分かりません。たぶん次に健康診断を受けるときまで,放置されるのではないかと思います。しかしこうしてみますと,医学的な意味での経過観察というのは,現実的には何もしないということと同じ意味なのかなと思います。
 そしてこの日,みなと赤十字病院から連絡がありました。これは祖母の退院が決まったということ。限定的ではありますが,ものを飲み込むことができるようになったので,入院の主目的であったリハビリは達成され,これ以上の入院は不要となったのです。
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農林水産大臣賞典名古屋グランプリ&借金の総額

2011-12-23 19:33:44 | 地方競馬
 ダートでは最長距離の重賞となる第11回名古屋グランプリ
 外枠でしたが逃げてこそのエーシンモアオバーが主張しての逃げ。競りかける馬はなく,ニホンピロアワーズが2番手でマークし3番手のインにキクノアポロ。やや離れてミサキティンバーとボレアス,マイネルアワグラスは後方。距離も距離ですから隊列が決まればペースは落ち,道中もマイネルアワグラスが1周目の3コーナーあたりから少し上昇した程度でした。
 2周目の向正面に入ってエーシンモアオバーが自らペースアップしたように思えました。ニホンピロアワーズは自然についていいきましたが,キクノアポロは手が動いて苦しい感じ。結局は前の2頭のレースとなり,直線に入るとニホンピロアワーズが悠々と交わして優勝。エーシンモアオバーも2着に粘り,外を回って追い上げたマイネルアワグラスが3着。
 優勝したニホンピロアワーズはこれが重賞初制覇。ただ,ここ一連の成績からはここでは能力上位と考えられましたので,順当な勝利といってもいいと思います。まだトップクラスとははっきりとした差があるとは思いますが,年が明けて5歳になる馬ですから,まだ成長の余地が見込め,期待したいところです。ブルードメアサイアーがアドマイヤベガで祖母の従兄がフジキセキ
 騎乗した酒井学騎手,管理している大橋勇樹調教師にとっては名古屋グランプリ初勝利でした。

 実はこのとき,借金の総額がいかほどのものなのかということを,僕は事前に把握できていませんでした。というのも通帳は非常に古いものでしたからそれについては何の記入もされていませんでしたし,労働金庫から送付されてきた資料にも,この時点ではそれが明記されていなかったからです。僕は借金の相続のために戸塚支店まで出向くわけで,これはつまりそれを現金で支払わなければならないということを意味していますから,困るといえば困る状況ではあったわけです。しかし一方で,が組んでいたローンには限度額というものがあって,それが30万円であるということだけは把握できていました。したがってそれを上回ることはないということだけは分かっていたので,僕もこの点については労働金庫に電話を掛けたときにも詳しくは尋ねなかったのです。実際には,仮に父がその限度額一杯のローンを組んだのだとしても,自動的に口座の方から引き落とされていたわけですから,返却しなければならない金額というのはさらに下回っていたことでしょう。ただ借金には金利もありますから,何かあるといけませんので,一応は30万円は用意して行ったのです。しかし実際に僕がこのときに支払わなければならなかったのは2万5千円弱でした。ある程度は事前に返却されているだろうとは思っていたものの,担当者からこの金額を知らされたときにはやや拍子抜けしたのも事実です。
 金融機関は大抵の場合は午後3時になるとシャッターが下ろされます。この労働金庫ももちろんそうでした。手続きに時間が掛かりましたから,僕がここを出たのはその時刻を過ぎていまして,シャッターを再び上げてもらったのです。もっともこれは信託銀行で定期預金の相続の手続きをしたときもそうでしたから,初めての経験であったというわけではありません。ただ,信託銀行のときには僕の手続きが終了しても,まだほかに顧客が残っていましたが,この日は僕が最後のひとりでした。
 この後,まだ仕事があって,長者町まで出ました。戸塚から長者町は市営地下鉄のブルーラインで1本です。本当は先に仕事を終えた方が合理的だったのですが,持ち帰らなければならない荷物が出ると分かっていたので,この順序にしたものでした。
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クリアアンバー&借金返済

2011-12-21 18:29:49 | 血統
 日曜日の朝日杯フューチュリティステークスアルフレードが勝って3戦3勝としました。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は1967年にアメリカで産まれたクリアアンバーファミリーナンバー4-mですから,チップトップダイナゴンと同じです。
                         
 輸入は社台。サンデーサイレンス以前に社台の屋台骨を支えた種牡馬は何といってもノーザンテーストですが,そのノーザンテースト産駒で最初に大レースを勝ったのがこのクリアアンバーの仔のアンバーシャダイ。1981年の有馬記念でした。1983年には春の天皇賞も勝ち,引退後は種牡馬に。メジロライアンなど多数の重賞勝ち馬が輩出し,成功を収めました。
 アンバーシャダイの妹にはダイナクラシックがいて,その仔が1990年の阪神3歳ステークスを勝ち,翌年の弥生賞でリンドシェーバーを差し切ったイブキマイカグラ。この年はNHK杯も勝ち,菊花賞では2着となっています。
 さらにダイナクラシックの妹がサクラハゴロモで,この馬がサクラバクシンオーの母になりました。
 これ以後,やや空白があったのですが,アンバーシャダイの妹で,ダイナクラシックの姉になるダイナアンバーの孫から,重賞2勝,2002年の菊花賞では2着になったファストタテヤマが出て,一族の活力が衰えてはいないことが証明されました。
 そしてサクラバクシンオーの妹のスプリングコートの孫から,今年の朝日チャレンジカップを優勝したミッキードリームが産まれました。アルフレードの祖母であるラトラヴィアータはスプリングコートの妹ですので,ミッキードリームとアルフレードははとこという関係になります。
 輩出した重賞の勝ち馬がすべて牡馬ということもあり,枝葉が広く分布しているというわけではありません。ただ,現在でも大レースを勝つだけの活力が残っているということがはっきりと証明されましたから,すぐに淘汰されてしまうような一族ではないでしょう。

 もしもこのルートを使って戸塚まで行くということになれば,当然ですがまずは地下鉄に乗らなければ話になりません。そこで僕の家から最も近い地下鉄の駅はどこかということになりますが,これは阪東橋駅か吉野町駅のどちらかということになります。戸塚へ向うということになれば,吉野町駅を選択する方がベターでしょう。これらふたつの駅は,どちらも歩いて行かれないわけではありませんが,普通はバスを使うことになります。ただ,吉野町とか阪東橋というのが僕の家からみれば北の方角にあるのに対し,戸塚は西になりますから,いきなり見当違いの方向へ回り道をしているということになり,ちょっとばからしい気がします。一方,上大岡は西寄りで,これなら遠回りをすることにはなりません。そして上大岡にもバスは出ているのですが,こちらはおおよそ2時間に3本程度だけで,時間の目途が立てにくいというリスクがあります。ちょうどよい時間にバスがあればいいのですが,下手をすれば吉野町周りの方が早かったというケースも大いに考えられるわけです。
 一方,戸塚というのは横浜市営地下鉄だけではなく,JRも走っています。僕の家の最寄り駅はJRの根岸駅ですから,距離を無視して利便性だけを考えるなら,こちらを選択する手もあります。この場合は根岸線で大船まで出て,東海道線か横須賀線に乗り換えるということになります。ただ,大船というのは単純に直線距離だけで考えても戸塚より僕の家から遠いですから,戸塚へ行くということだけを考えれば大回りしているということになります。
 実際に僕が使ったのはJRを使うルートでした。距離は大回りで,時間的にも必ず早いとはいえなかったのですが,どのくらいで戸塚に到着できるかということを考えれば,やはりこのルートが最も確実性が高いと思えたからです。事前の計画通りに午前中にひとつの仕事を終らせ,家に戻って昼食を摂ってから再び家を出たのが午後1時過ぎ。戸塚支店は戸塚駅前を通っている東海道を藤沢方面へ少し歩いていったところにあったのですが,午後2時くらいには到着できました。通帳が非常に古い,現在の労働金庫のものではなかったためにそれを新しくしなければなりませんでしたし,すでに口座の残高が借金を下回ってしまっていたために,そのための専用の手続きもしなければならなかったようで,1時間以上を要することになってしまったのですが,無事にこの日のうちに借金の返済を終わらせることができました。
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東日本大震災被災地支援広島記念&戸塚

2011-12-19 18:52:30 | 競輪
 年内の記念競輪も残りはふたつ。昨日が広島記念の決勝でした。並びは木暮-戸辺の関東,小嶋-柴崎ー笠松の中部,脇本-三谷の近畿,佐々木-高原の四国。
 前受けは佐々木。3番手に小嶋,6番手に木暮,8番手から脇本の周回。最初に動いたのは木暮。これに小嶋が呼応。小嶋が佐々木を叩き,さらに木暮が小嶋を叩くと,打鐘を過ぎて脇本が木暮を叩いて先行。一列棒状からバックで小嶋が発進。木暮,三谷の横を通過し,さらに脇本も抜き去って先頭。笠松が離れて柴崎と直線勝負。直線入口で一旦は引き離すも再び詰め寄られましたが,何とか抑えきって小嶋の優勝。柴崎が2着で中部のワンツー。2車が千切って離された3着には木暮。
 優勝した石川の小嶋敬二選手は9月の青森記念に続いて記念競輪31勝目。今年のベストナインの出走がありませんから力量は上位。後方に置かれれば苦しかったでしょうが,6番手を確保すればこのメンバーでは十分な位置だったようです。レースからも明らかなように脚力はまだありますから,今後もやはり位置取りがカギになってくるのではないでしょうか。勝ち上がりで失敗するケースも見受けられますが,GⅠを獲ってもおかしくないだけの力があると思います。

 僕がまだ中学生だった頃のことですから,今から25年以上前,は栄区内にある新興住宅地,新興住宅地といえば聞こえはいいですが横浜市内でいえば辺鄙な山奥といってもいいようなところにある中学校に勤務していたことがありました。実は現在の栄区というのは,今の泉区と同様に,戸塚区から分区してできた区です。父が勤めていた当時はあるいはまだ栄区というのはなく,戸塚区であったかもしれません。この中学校には僕も1度だけ行ったことがあるのですが,今はともかくその当時は本当に周囲には目立って大きな建物のないところでした。労働金庫の支店があった戸塚駅とはここもずいぶんと離れてはいたのですが,そうした当時の状況というのを想起してみれば,この中学校まで労働金庫の営業の職員が来ていたとしても,おかしくはなかったように思えます。実際に通帳で口座の開設された期日というのを調べ直してみましたら,確かに父がこの学校に勤めていた時期のものであるということが確かめられました。
 口座の開設の経緯がどうあれ,戸塚支店まで出向かなければならないということに変わりはありません。しかし戸塚,ここでは戸塚駅周辺のみを指して戸塚といいますが,これは僕の家から行くのにはやや厄介なところなのです。
 まず,僕の家から最短距離で戸塚へ行くということを考えてみれば,上大岡へ出て,上永谷から日限山を通り,舞岡を経由して行くというルートであると思われます。たぶん僕が散歩と称してこのルートをそのまま歩いたとしたら,上永谷から日限山にかけて上り下りがあることを考慮して,おそらくは2時間ほど掛かることになるでしょう。僕が歩く速度というのはほぼ一定ですので,12km前後だと思います。ただ,さすがに相続のためにこの距離を歩いていくということは時間的に考えてできません。一方,僕は運転ができませんから,バスや電車を使うということになります。
 前記の通過ルートのうち,上大岡,上永谷,舞岡というのは横浜市営地下鉄ブルーラインの駅があり,舞岡の次が戸塚です。したがってこの地下鉄を利用するのが単に距離だけを視野に入れた場合には最短のルートであっただろうと思います。
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朝日杯フューチュリティステークス&戸塚支店

2011-12-18 18:50:14 | 中央競馬
 3歳芝のチャンピオン決定戦,第63回朝日杯フューチュリティステークス
 枠は外目でしたがハクサンムーンの逃げは予想の範囲内。追ったのがニンジャとマコトリヴァーサルで,その後ろのインに控えたのがアルフレード。前半の800mは45秒9ですから,ハイペースに近いくらいのミドルペースといったところでしょうか。
 前半はアルフレードの外につけていたトウケイヘイローが3コーナー過ぎから外を上昇。アルフレードはこの時点ではじっとしていて,直線に入ると逃げたハクサンムーンが1頭分だけ開けた内を突いて進出。そのまま抜け出して2馬身差をつけ,タイレコードで快勝。かなり掛かっているように見えたのですが,勝ち馬の後ろから後を追うように上がってきたマイネルロブストが2着。後方2番手から外を追い込んだレオアクティブが3着。
 優勝したアルフレードはここまで2戦2勝。ここは能力の上限を感じさせる実績馬と新興勢力の争いという図式でしたが,結果的にこの馬の上昇度が上回りました。ただレース自体はあまりにうまくいきすぎた感じがしなくもありませんので,つけた着差ほど他馬との力量差はないように思います。父はシンボリクリスエス,祖母はサクラバクシンオーの全妹ですので,その父はサクラユタカオーということになります。
 騎乗したオーストラリアのクレイグ・ウィリアムズ騎手は日本ではNHKマイルカップ以来の大レース3勝目。管理している手塚貴久調教師は2005年の全日本2歳優駿以来の大レース2勝目です。

 刻み食をさらに柔らかくするという配慮は,祖母が入所していた特別養護老人ホームでも可能でした。つまりそこに戻ればそうした食事に切り替えるということが可能。脳梗塞に関しては特別な治療を行っていたというわけではありませんでしたから,この段階で祖母は退院の目途を立てたということになったわけです。年齢的に考えてもう苦しいのではないかということは,僕を含めてだれもが抱いていた予感ではなかったかと思います。僕はこのときの祖母の生命力の強さには感嘆しました。
 翌11月4日が,借金の相続の手続きを行う予定の日でした。これは借金に限りませんが,金融機関の口座を相続するという場合には,その金融機関の口座が開設されている支店に出向くというのが一般的なようです。このときもそうで,それが戸塚支店ということは,父の通帳にもそう記されていましたし,またこの通帳はひどく古いものでしたが,手続きの依頼をするための僕宛ての書類の送付先もそうなっていたから僕も把握していました。しかし実際に行くとなれば,その支店の所在地を確かめておかなければなりません。そこで事前にネットでそれを調べたのですが,そのときに僕は大きな勘違いをしていたことに気付いたのです。
 位置関係でいいますと僕の家からこども医療センターへ向かった先,JR横須賀線の東戸塚駅に近い中学校にかつて父は勤務していたことがありました。だから僕は戸塚支店という名称から,父がその中学校に勤務していたときに開設した口座と組んだローンなのだろうと思いこんでいたのです。よって労働金庫の戸塚支店というのも,東戸塚駅の周辺にあるものだろうと思っていたのです。ところが実際に調べてみると,それは隣の戸塚駅の近辺だったのです。
 この辺りの地理に詳しくない方は分からないでしょうが,東戸塚と戸塚というのは,隣の駅で同じように戸塚といわれていますが,かなり離れています。東戸塚駅というのは戸塚区ではありますが北寄りで,保土ヶ谷区に近く,逆に戸塚駅というのは同じ戸塚区内でも南端の方で,もう藤沢市や鎌倉市にも近いのです。ではなぜ戸塚駅近くの支店に口座があったのか,僕はかなり不思議に思いました。
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ミスチャネル&リハビリの効果

2011-12-17 18:46:21 | 血統
 タマモクロスの輸入基礎繁殖牝馬は1951年にオーストラリアで産まれたミスチャネル。馬は登録されれば登録された通りに表記され,したがってそのように読まれることになりますが,英名表記はMiss Channelです。敗戦後は馬の資源も枯渇傾向にあり,オセアニアからわりと多くの馬が競走馬としても繁殖牝馬としても輸入されていたのですが,この馬もその1頭。ファミリーナンバー21-aは,日本では多くの馬が繁殖として輸入されている血筋。
                         
 繁殖生活は日本のみ。最初に産んだのがクニハヤという馬で,この馬は1961年に春の中山大障害を勝ちました。この時代の障害競走は,少なくとも現在よりは活気があったと思われますが,これを大レースの勝ち馬といっていいかどうかは見解が分かれるところでしょう。
 その後は重賞の勝ち馬すら長らく出現しませんでした。そんな中から出てきたのが,タマモクロス。ミスチャネルはタマモクロスの4代母で,輸入されてから30年が経過していました。
 タマモクロスが最後の大レースとなる秋の天皇賞を勝ったのは1988年10月30日のこと。それから半月ばかりが経過した11月13日に,タマモクロスの半妹となるミヤマポピーが,当時は3歳牝馬限定だったエリザベス女王杯を勝ちました。このレースにはルイジアナピットも出走しています。ミヤマポピーは重賞勝利自体がこのレースのみでしたから,成績的にはタマモクロスとは対照的な一発屋的存在。ただしこれはその後は牡馬を相手にレースをしなければならなかった影響もあったでしょう。
 クニハヤを除けばこの一族からの重賞勝ち馬がこの2頭だけ。こういう牝系はどうしても淘汰されていきますから今後の発展は難しそうです。

 これで必要な書類の一式が揃いましたので,この日のうちに再び労働金庫に電話をしました。先方の話ですと,借金は金利があって日毎に膨らんでいきますから,なるべく早いうちに相続してしまった方がよいとのこと。しかしこの当日はもう時間的に無理でしたし,翌11月2日は僕は仕事がありました。さらに3日も僕は仕事でしたし,そもそもこの日は祝日ですからそうでなくても無理。4日にもふたつの予定が入っていたのですが,ひとつは午前中に終わらせ,もうひとつは逆に手続きを終えた後でも可能に思えましたので,時間をずらし,その日に行くことにして,その旨を伝えておきました。
 3日は祝日でしたから妹の作業所も休み。そこでが妹を連れて祖母が入院しているみなと赤十字病院へ見舞いにいきました。先述したように僕はこの日も仕事でしたので,帰ってから母に話を聞いたのですが,祖母が栄養を補給するために装着していた鼻から胃へと通すチューブが外されていたとのこと。要するにこれは,それを装着する必要がなくなったこと,すなわちリハビリの効果で祖母がものを飲み込む力を取り戻したということを意味していました。そして同時に,胃瘻を装着する必要もなくなったということです。
 ただ,飲み込むことができるようになったといっても,それはたとえば僕たちが普通に食事をするのと同じような意味で摂食することが可能になったという意味ではありません。そもそも祖母は,まだ有料老人ホームに入所する前,僕の家で一緒に暮らしていた頃から,あまり堅いものを食べるということはできませんでした。これは年齢的にいってもごく自然なことでしょう。よって柔らかいものを摂っていたわけですが,これはその後で特別養護老人ホームに入所してからも同様。ここでは食事には様ざまな段階の配慮というのが凝らされていまして,祖母は刻み食というのを与えられていたようです。僕は現物を見たことはありませんから正確なことは分かりませんが,その名称から察するに,おそらく調理したものを噛みやすいように細かく刻んだもののことでしょう。
 このときに祖母が飲み込めるようになったのは,段階でいえばそれより上の,さらにそれを柔らかくしたものだったようです。
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香港国際競走&必要な書類

2011-12-15 18:39:32 | 海外競馬
 11日に行われた香港での国際招待競走。今年は3レースに4頭の日本馬が出走しました。
 香港ヴァーズGⅠ芝2400mにはアルゼンチン共和国杯を勝ったトレイルブレイザーが出走。やや出遅れた発走となり,後方2番手付近を追走。直線は馬群に突っ込む形から最後は外に出て,それなりには伸びているのですが,かなりスローペースのレースだったこともあり,前も止まらず6着でのゴール。個人的には最もチャンスがあると考えていた日本馬はこの馬で,発走が悪くなった点は惜しまれます。
 香港スプリントGⅠ芝1200mにはスプリンターズステークスでワンツーしているカレンチャンとパドトロワ。パドトロワが最内から外の馬と並ぶような形で逃げ,カレンチャンは5番手を追走。パドトロワは直線に入るとすぐに失速して最下位。カレンチャンは直線で行き場をなくすような形で引き,立て直して追われましたが,前の3頭から少し離されての5着。直線の走行で池添騎手は騎乗停止の処分を受けました。この路線はレベル差がありますので,香港に行って香港の馬に勝とうというのがそもそも困難。その中でカレンチャンの5着は健闘だと思います。日本馬のレベルも以前よりは上がってきているのでしょう。
 香港マイルGⅠ芝1600mには今年はヴィクトリアマイルを勝ったアパパネが出走。無理なく5番手の外を追走。しかし直線手前で騎手の手が動き始めると反応がなくばてた1頭を抜いただけのブービーでした。この馬は日本でも牡馬相手に結果を残していたわけではありません。おそらく体調面でここは能力を十全には発揮できていないと思われますが,仮に能力全開でも,やはり勝つというのは難しかったのではないでしょうか。ただ,十分に能力を出せなかったのは残念ではあります。

 翌日となる10月30日の月曜から,いよいよ借金の相続に本格的に着手しました。まずは労働金庫へ確認の電話。が除籍され,かつ代表して相続する僕に相続の権利があるということ,いい方を変えれば僕が父の子どもであるということを証明する書類に関しては,やはり手元にあった全部事項証明で大丈夫とのこと。なお,この書類は正式には父の除籍謄本といわれるようです。僕の手元にあったのは去年の9月,つまり父が死んで1ヶ月ほど経ってから入手したものでしたが,いつ申請しようと内容は変わらないので,それだけの時間が経過したものであっても大丈夫であったのでしょう。
 一方,僕の印鑑証明なのですが,これは6ヶ月以内のものが必要とのこと。僕が持っていた,今年の1月に入手したものでは古すぎるので,新しいものを申請しなければなりませんでした。したがって,この時点では実際に相続の手続きを行うためにはまだ書類に不備があったということになります。そのほか,できれば通帳とカードがあればいいということ。通帳は非常に古いもの,この労働金庫が現在の経営形態になる以前のものでしたが存在しましたし,カードの方もひびが入ってしまっていましたがありました。これらふたつの点をとってみても,父が口座を開設し,ローンを組んだものの,長期にわたってそれを放置し続けていたということが分かります。一般的に口座が長きにわたって使用されていないと,金融機関から通知があるものなのですが,ここの場合は借金の方が自動的に口座から天引きされる形になっていましたので,そうした通知が届かなかったのだろうと推察されます。もしかしたら父自身が,この借金の存在自体を忘却してしまっていたのかもしれません。
 こうした事情で印鑑証明を入手する必要に迫られたのですが,横浜市の場合は,印鑑登録証を窓口に提示すれば,わりと簡単にそれを入手することが可能です。これは区役所での手続きですが,印鑑登録証さえあれば,僕が区役所まで出向く必要はありません。母に相談しますと,翌日は妹を作業所まで送っていくので,その帰りに区役所まで行ってもいいとのこと。やや遠回りにはなりますが,作業所から区役所へはバス1本ですから,お願いすることにしました。
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農林水産大臣賞典全日本2歳優駿&ガイドヘルパー

2011-12-14 21:07:53 | 地方競馬
 今年最後となる今週の川崎競馬はセミナイター開催。第62回全日本2歳優駿も19時の発走となりました。
                         
 人気のオーブルチェフが発馬後に外によれるような形で中団からに。先手を奪ったのはヘヴンズパワーでしたが,メジャーアスリートはその外にほとんど並ぶように続き,この2頭が引っ張るレースに。前半の800mは48秒4で,超ハイペースといっていいかと思います。
 オーブルチェフは向正面半ばあたりから漸進していき,3コーナーでは3番手。メジャーアスリートが呼応して先頭に立ち,ヘヴンズパワーは一杯に。直線に入るとオーブルチェフがメジャーアスリートを交わして先頭に立ち,これまでのような大きな差はつけられなかったものの優勝。メジャーアスリートが2着に粘り,3着は好位から伸びた2頭の接戦で,ヴェアリアスムーンが鼻差で制しました。
 優勝したオーブルチェフ北海道2歳優駿に続く勝利。ダートでは負け知らずでの大レース制覇。これまでに比べれば苦しいレースとなりましたが,現状の能力の高さで克服しました。こういったレースで勝ったというのはひとつの収穫だったと思います。Obruchevは月のクレーターの名前。
 騎乗した中舘英二騎手は2007年のスプリンターズステークス以来となる大レース制覇で全日本2歳優駿は初勝利。管理している萩原清調教師は一昨年のダービー以来の大レース2勝目でした。

 労働金庫から書類が届いた翌日となる10月30日の日曜日,妹が横須賀市内のある施設に出掛けました。これはガイドヘルパーに依頼したものでした。
 ガイドヘルパーというのは,簡単にいえば障害者の外出を補助してくれる人。僕の妹はダウン症とはいってもそれほど手が掛かるというわけではないので別ですが,中には外出すること自体が大変な方というのもいらっしゃいますし,家族の負担が大きすぎてなかなか外出する機会がないという方もいらっしゃって,そうした障害者を預かって,遊びに連れて行ってくれるような仕事です。ただ,妹の場合は先述したようにさほど手が掛からないということもありますし,また,体力があるという方でもありませんから,休日はむしろ休息させた方がいいだろうというや僕の判断もあり,これまでは利用したことがありませんでした。それを利用したのは以下のような事情があったからです。
 妹の作業所の同僚の母親で,ケアマネージャーをされている方がありました。その方が最近になってガイドヘルパーも立ち上げました。そこでその方から母に,これを利用してみてはどうかという話があったのです。妹は体力的な理由から,それまでも休日に頻繁に外出していたというわけではありません。ただ母の異変が生じた後,母が自動車の運転をしなくなって以降は,それ以前よりもさらに外出の機会が減っていたことは確かでした。ガイドヘルパーは依頼すれば少なくとも日曜日は毎週でも利用することが可能でしたが,やはり体力的な面も考慮する必要がありますし,そもそも妹の場合はガイドヘルパーを依頼する本来の趣旨からすればやや外れているようなところもありました。それで,毎週末に利用するということは控えることになったのですが,せっかくのお誘いでしたから,月に1度程度の割合で利用することに決めたようです。決めたようですというのは,実はその妹の同僚の母親というのが,僕の家までやってきて母と話し合って決めたそうですが,僕は事後にそれを知らされたということ。そのガイドヘルパーを初めて利用したのがこの日ということになりました。
 この10月30日は,来日していた伯母がロサンゼルスへ帰っていった日でもあります。
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