スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大山名人杯倉敷藤花戦&カセアリウスへの指導

2019-11-30 19:01:51 | 将棋
 24日に倉敷市芸文館で指された第27期倉敷藤花戦三番勝負第三局。
 倉敷市長による振駒で伊藤沙恵女流三段の先手。里見香奈倉敷藤花が先に三間飛車に振ってから先手が向飛車にしての相振飛車。先手の金無双に後手の美濃囲いという戦型になりました。
                                        
 後手が歩を打った局面。☗同香なら☖6七銀と打っていくつもりだったと思います。
 先手はここから☗8四歩☖同銀☗7六飛☖同角☗同香と攻め合いにいったのですが,これは拙速で,☗3九銀と引いて自玉を広くしておくべきでした。
 後手はすぐに☖6七銀と打つのも有力そうですが,☖7七飛と打ちました。これはスピードは遅くなりますが,と金を作って確実性を高めにいった手。これに対して☗6五角と打ったのもおそらく疑問で,ここはと金作りを防ぐだけですが☗6八歩と打つ方がよかったと思います。
 後手は当初の予定通りに☖6七歩成。☗4三角成にも☖5八とと取り仕方のない☗同金に☖6四飛と回りました。
                                        
 飛車の成り込みは簡単に防げるものの,と金と金の交換になったのが大き過ぎ,ここでは後手が大きくリードしています。
 2勝1敗で里見倉敷藤花が防衛。第16期,17期,18期,19期,20期,23期,24期,25期,26期に続く五連覇で通算10期目の倉敷藤花です。

 スピノザは『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の第二部からカセアリウスJohannes Caseariusに指導を始め,第三部に入ってすぐに指導を終えています。『デカルトの哲学原理』が中途半端なところで終了しているのはこのためです。これはおそらくそれまでのようにスピノザとカセアリウスが会えなくなったからと思われます。スピノザは1663年4月20日付のマイエルLodewijk Meyerに宛てた書簡十二の末尾に,移転はもうすぐと書いています。そしてスピノザはレインスブルフRijnsburgからフォールブルフVoorburgに移りました。もしかしたらこれが,カセアリウスへの指導を終える理由であったかもしれません。あるいはそれより前に,カセアリウスの方に何らかの事情があった可能性もないとはいえないでしょう。
 スピノザはカセアリウスに自身の哲学ではなくデカルトRené Descartesの哲学を教授しました。これはカセアリウスの要望であった可能性が皆無であるとはいえませんが,スピノザにもそうする理由があったのは間違いありません。シモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesに宛てた書簡九には,カセアリウスは真理veritasよりも新奇を求めている,用心しなければならない人物であるという主旨のことが書かれています。このために,スピノザ自身の思想についてはカセアリウスには教えないようにしてほしいという依頼をしています。つまりスピノザにとってこの時点でのカセアリウスは,すでに講読会を行っていたシモン・ド・フリースたちとは異なり,自分の思想についてはまだ教えるには早いと思える人物だったのです。ですから自身の哲学を教えるかわりにデカルトの哲学を教えたというのが,スピノザの側からの事情になります。
 ただ,だからスピノザがカセアリウスに自身の思想をまったく伝えなかったといいきれない面はあると僕は思います。というのは書簡九のこの部分は,書簡八でいつでもスピノザと会って話をすることができるカセアリウスのことを羨んでいたシモン・ド・フリースをスピノザが慰撫するために書いたのだと受け取れなくもないからです。ですからスピノザがカセアリウスに自身の思想を少しも話さなかったとは僕は断定しません。ですが,カセアリウスがスピノザにとって用心すべき存在であったのは事実だと思います。
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大山名人杯倉敷藤花戦&時期

2019-11-29 19:02:38 | 将棋
 23日に倉敷市芸文館で指された第27期倉敷藤花戦三番勝負第二局。
 里見香奈倉敷藤花の先手で中飛車。伊藤沙恵女流三段が三間飛車にして相振飛車。先手の美濃,後手の矢倉に。端を攻めたところで後手がリードを奪ったのではないかと思いますが,勝敗の分かれ目はもう少し後にあったと思われます。
                                        
 先手が後手の玉頭を叩いて後手が取ったところ。ここで☗6八飛と寄りましたが,この手は緩かったように思います。すぐに☗7七桂と跳ねた方がよかったのではないでしょうか。
 後手は☖6六歩と焦点の歩を放ち☗同飛に☖5二銀と受けました。先手はそれから☗7七桂と跳ねたのですが☖7五金と逃げた手が飛車取りに。結果からいうとここでは☗6三歩成からの二枚換えの順に持ち込むほかなかったのではないでしょうか。
 実戦は☗6九飛と逃げました。しかし☖4六歩☗同金☖1六歩☗2五桂と決められて☖6六香と打たれました。
                                        
 これで飛車角を押さえ込まれて先手は攻めが難しくなりました。ここで後手の優勢がはっきりしたように思います。
 伊藤三段が勝って1勝1敗。第三局は24日に指されました。

 スピノザは『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』の中で,少なくとも部分的には,確実性certitudoと真の観念idea veraを等置しています。したがってすでにその時期には,デカルトRené Descartesの方法論的懐疑doute méthodiqueに対する批判的精神を有していたと考えるべきだと思います。ただし『スピノザ 力の存在論と生の哲学』でいわれているように,『知性改善論』は重層的であるため,その部分が書き直された可能性を完全に否定することはできません。ですからそれがいつ書かれたのかということを確定的に示すことはここでは避けておきます。
 一方,僕にとって確実であると思われるのは,どんなに遅くとも『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』を書いていたときのスピノザには,そのような考え方がすでに内在していたということです。というのは,その中には真理veritasと確実性をスピノザは等置していることを窺わせる記述が含まれているからです。なのでこのことについてここでは詳しく説明しておきましょう。
 『デカルトの哲学原理』は,第一部の定義Definitioの前に,緒論が書かれています。その中で確実性に関連する事項に多くが割かれています。これには明確な理由があるのですが,それについては後で説明します。
 『デカルトの哲学原理』は1663年に出版されたものです。ただし原案は,スピノザがレインスブルフRijnsburgに住んでいたときに同居させていたカセアリウスJohannes Caseariusにデカルトの哲学を教えるために口述筆記させたものです。1663年2月24日付のシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesからの書簡八に,そのカセアリウスの名前が出ています。ですからそのときにはすでにデカルトの哲学を教えていたとみるのが適切でしょう。つまりこの指導は前年から始まっていたと思われます。ただしその指導は,第二部から開始されていたことが,マイエルLodewijk Meyerに送った書簡十五から分かります。
 そして,これから僕が示す部分は,第一部の前にある緒論に該当する部分で,ここは書籍化するにあたって書き下ろされた部分ということになります。書簡十五でスピノザがいっていることから,第一部は二週間で書かれたということが分かります。もちろん第一部の前にある緒論ですから,これもその二週間のうちに書かれたものの一部ということになるでしょう。
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農林水産大臣賞典浦和記念&神学からの解放

2019-11-28 18:53:45 | 地方競馬
 第40回浦和記念。クリストフ・スミヨン騎手が腰椎を捻挫したためケイティブレイブは御神本騎手に変更。
 発走後の向正面でハナに立ったのはアイファーイチオー。2番手にデルマルーヴルとマイネルバサラ。4番手にセンチュリオンとケイティブレイブ。以下はヤマノファイト,オールブラッシュ,ロードゴラッソ,キングニミッツ,アナザートゥルース,バイタルフォース,ナラという順で,この時点ではあまり差が開きませんでした。1周目の正面に入ってマイネルバサラが単独の2番手になり,外に出したケイティブレイブが3番手。デルマルーヴルは内を回っての4番手でその後ろにセンチュリオンという隊列に変化。前半の1000mは61秒9のハイペース。
 向正面の半ばでアイファーイチオーは一杯となりマイネルバサラが先頭に。ケイティブレイブはその外の2番手。早めに動いて追い上げてきたアナザートゥルースとの差が開きました。最終コーナーの中間でケイティブレイブが先頭になり直線に。捲り上げてきたアナザートゥルースの勢いはよかったのですが,直線に入った時点でのリードも大きく,また差が開くような形になってケイティブレイブの優勝。アナザートゥルースが3馬身差で2着。アナザートゥルースの後から外を追い上げてきたロードゴラッソが4分の3馬身差で3着。道中の反応が鈍かったデルマルーヴルでしたが最後はロードゴラッソの内から伸びてきてクビ差の4着。
                              
 優勝したケイティブレイブは昨年のJBCクラシック以来の勝利で重賞10勝目。浦和記念は第37回以来となる3年ぶりの2勝目。能力だけでいえば勝たなければおかしいメンバー構成。ただ春にドバイに遠征したところ現地で腹痛を起こして出走取消。その後に開腹手術を受け,それ以来の実戦でしたから,それ以前の力を出せるのかどうかが最大の不安点でした。結果的には問題なかったということになります。総じて内を回った馬が苦戦しましたので,最内枠だったものの早めに外に出した騎手の判断もよかったのだと思います。父はアドマイヤマックス。母の父はサクラローレル。母の12歳上の半兄に1999年に北海道スプリントカップ,2000年にガーネットステークスと黒船賞と群馬記念とかしわ記念と朱鷺大賞典,2001年にガーネットステークスととちぎマロニエカップを勝ったビーマイナカヤマ
 騎乗した大井の御神本訓史騎手はJBCスプリント以来の重賞5勝目。浦和記念は初勝利。管理している杉山晴紀調教師も浦和記念初勝利。

 スピノザのように,Xの確実性certitudoをXの真の観念idea veraだけに依拠させ,それ以外のどのような観念もその確実性の保証には不要であるとする考え方は,自然科学と親和性をもつことになります。なぜなら,デカルトRené Descartesのように,神Deusの存在existentiaがあるのでなければ観念の確実性が保証できないというのであれば,自然科学的な真理veritasもまた神の存在に従属することになりますが,スピノザの場合はそのような従属性は必要ありませんから,自然科学が神の観念から離れた単独の真理あるいは真理を探究する学問として成立することになるからです。とりわけデカルトとかスピノザが生きていた時代というのは,神学,キリスト教の神学がまだ大きな影響力を発揮していた時代なので,自然科学が神学に従属しなければならないのか,それとも神学に従属せずともそれ自体で真理を解明することができる学問であるのかという相違は,現代における相違よりもずっと大きかっただろうと推測されます。スピノザの哲学が無神論というラベルを貼られ,その影響がスピノザの死後も長く続いたのは,必ずしもこの考え方に起因したとはいえないのですが,ある意味ではこのような意味で確実性を提示したことは,自然科学を神学から解放する要素であったという見方は,それほど誤った見方ではないように僕には思えます。
 たとえば天動説と地動説があったときに,地動説を唱える学者が,天体の運動motusに関して真なる認識cognitioを有していたとするなら,その学者はその学説について確実性を有しているということになります。そしてこの学説の確実性は,神学に依拠しなくとも担保されるというのがスピノザの考え方になるわけです。スピノザは科学者として地動説を唱えたというわけではありません。しかしその正しさを補完するような要素が,スピノザの哲学にはあることになります。学説だけでいえばスピノザもデカルトも天動説は誤りで地動説が正しいという点では一致していたと思われますが,デカルトの考え方を採用すると,その正しさもまた神学に依拠しなければならないことになるのに対し,スピノザの場合はそうではなくなるという相違は,そんなに小さなものではないように僕には思えるのです。
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農林水産大臣賞典兵庫ジュニアグランプリ&もうひとつの批判

2019-11-27 18:53:45 | 地方競馬
 第21回兵庫ジュニアグランプリ
 好発から少し外に持ち出すような形でスティールペガサスの逃げ。2番手以下はテイエムサウスダン,ファシネートゼット,メイショウテンスイ,ゲンパチマイティー,ガラミスジャクソン,ステラモナークの順でここまでは集団。2馬身差でエキサイター,イロゴトシ,イチライジンとなりアザワクとエイユーキャッスルが最後尾で併走もこの5頭も集団というレース。向正面でゲンパチマイティーがメイショウテンスイより前に出た以外は隊列の変動はほとんどありませんでした。ミドルペースであったと思われます。
 3コーナーを回ってテイエムサウスダンがスティールペガサスに並び掛けていき,直線の入口で先頭に立って抜け出しました。外から追ってきたのがファシネートゼットとゲンパチマイティーで内を回ってきたのがメイショウテンスイ。直線でゲンパチマイティーが脱落。ファシネートゼットが外から一旦は2番手に上がりましたが,スティールペガサスとファシネートゼットの間からメイショウテンスイが鋭く伸びて2番手に。しかし先に抜け出していたテイエムサウスダンには追いつけず,優勝はテイエムサウスダン。メイショウテンスイが1馬身半差で2着。ファシネートゼットが1馬身4分の1差で3着。スティールペガサスが4分の3馬身差の4着でゲンパチマイティーが4分の3馬身差で5着。
 優勝したテイエムサウスダンは3戦目に未勝利を勝ち上がり,続く1勝クラスも連勝。これで3連勝として重賞初制覇。ここはJRAでダートの1勝クラスを勝っていた馬が3頭いて,それらの能力が上とみていましたが,その3頭で上位を独占しました。位置取りやコース取りあるいはペースといった要因もあるので,この3頭の勝負付けがこれで済んだとみるのは早計かもしれません。また,1勝クラスのダート戦は毎週のように組まれていますから,あくまでも今日のメンバーの中での争いであり,出走していない馬の中にもっと能力の高い馬がいるとみておいた方がよいかと思います。父はサウスヴィグラス
                                        
 騎乗したミルコ・デムーロ騎手と管理している飯田雄三調教師は兵庫ジュニアグランプリ初制覇。

 第二部定理四三方法論的懐疑doute méthodiqueに対して批判していることは,すべてのことを疑うということは不可能であるということです。真の観念idea veraを有しているなら真の観念を有しているということを知り,したがってその確実性certitudoについて疑い得ないというのは,誤った観念idea falsaであれば疑うことは可能であるけれども,真の観念も含めたすべてのことを疑うことは不可能であるという意味だからです。ですからスピノザの哲学の立場からいえば,デカルトRené Descartesがやっていることは,ことばの上でそのようにいっているだけで,思惟作用としてそれをしているわけではないということになります。これはスピノザがことばと観念を別のものと解していることから説明できるでしょう。
 さらにスピノザの確実性の考え方がデカルトに対する批判となるのは,方法論的懐疑の不可能性に留まるものではありません。というのは,真の観念が確実性と等置することができるのであれば,確実性はその真の観念だけに依拠して知られ得るものであって,ほかの何らかの観念に依拠しなければならないというものではなくなるからです。つまりデカルトは最終的には,神Deusの存在existentiaが確実性を保証するというように考えていたわけであり,神ではないたとえばXの真の観念がある人間の精神mens humanaのうちに存在するのだとしても,その確実性はその人間の精神のうちにある神の認識cognitio,神の真の認識によって保証されるという結論に辿り着いています。いい換えれば,ある人間の精神のうちにそうした神の認識が存在しないのであれば,それ以外のどんな真の観念の確実性も保証することはできないという結論に至っているのです。しかしスピノザの考え方でいえば,Xの真の観念の確実性はXの真の観念だけで保証されるのですから,別にそれを認識するcognoscere人間の精神のうちに神の観念が存在しないとしても保証されるということになります。つまり,神の存在が認識されるのでなければ確実性は保証されないというデカルトの考え方に対して,それがなくても真の観念の確実性は保証し得るという点で,スピノザの考え方はデカルトの考え方に対して批判的であることになるのです。
 この相違というのは意外に重要であるといえます。
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竜王戦&哲学史的意味

2019-11-26 19:09:55 | 将棋
 21日と22日に湯村温泉で指された第32期竜王戦七番勝負第四局。
 広瀬章人竜王の先手で相矢倉。豊島将之名人が途中で受け間違えてしまう将棋でした。
                                        
 先手が攻防に利いている後手の飛車先を叩いたところ。攻めに利かすなら☖同飛で受けに利かすなら横に逃げるのですが,☖9二飛と横に逃げて後者を選択しました。こういうときはなるべく遠くに逃げるというのがセオリーのひとつですが,この場合は特異なパターンで,☖8二飛と逃げなければいけませんでした。
 ☗3五歩☖7四香☗3四歩と攻め合いに。後手は☖5一角と逃げましたが☗8五銀と取られ☖同歩に☗3三桂と打たれました。
                                        
 このときに後手の飛車が8二にいると,後手玉への詰めろが途切れたときの後手からの反撃が厳しいため,先手はこの順は選べませんでした。第2図は後手からの反撃が迫力不足だったため,先手の勝ちになっています。
 広瀬竜王が勝って1勝3敗。第五局は来月6日と7日です。

 『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』の矛盾そのものに関する考察はこれで終了です。しかしここではその関連事項として,次のこともいっておきます。
 スピノザの哲学における確実性certitudoの考え方は,単にスピノザの哲学において意味があるというよりは,哲学史という観点からも意味があるのです。というのは,確実性を真の観念idea veraに依拠させるなら,方法論的懐疑という思考方法を排除あるいは否定することができるからです。スピノザが確実性に関して自身の主張を展開するとき,おそらく念頭にはそのことがあったと解するのが適切だと僕は考えます。別のいい方をすれば,スピノザは確実性についての自説を主張するときには,デカルトRené Descartesのことを批判する意図をかなり多く有していたと考えるのが適切だと僕は思うのです。
 デカルトは,確実な認識に至るために,絶対に疑い得ないような認識cognitioを求め,そのためにすでに認識していたことのすべてを吟味することから始めました。これはいい換えれば,デカルトは誤った観念idea falsaだけを疑ったのではなく,真の観念についても疑ったのだということになります。そうしてデカルトが最終的に確実であり決して疑うことができないと解したのは,そのように疑っている自分がいるということ,他面からいえばそのように疑っている自分の精神mensがあるということでした。これが有名な「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」という結論の発生です。そしてデカルトは,自分すなわち人間の精神mens humanaのうちに確実な思惟Cogitatioがあるということは,神Deusが思惟するものであるということに依拠すると考え,すべて真verumなるものは神の認識によって保証されるという方向に進んでいったのです。つまり,疑っている自分がいるということは,確かに確実な結論ではあったとしても,それはそれ自体でその真理性を保証するものではなく,神の存在によってその真理性が担保されるのでなければならないと結論したのです。
 スピノザの確実性に関する主張が,方法論的懐疑を無効にするということはそれ自体で明らかだと思います。なぜならデカルトがしていることは,真の観念をも疑うことですが,第二部定理四三がいっているのはそのようなことは不可能なことであるということだからです。
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朝日新聞社杯競輪祭&正確な記述

2019-11-25 19:06:54 | 競輪
 小倉競輪場で行われた昨晩の第61回競輪祭の決勝。並びは吉田‐平原‐諸橋の関東,清水‐松浦‐柏野の中国で木暮と和田と坂口は単騎。
 松浦がスタートを取って清水の前受け。4番手に和田,5番手に吉田,8番手に坂口,最後尾に木暮で周回。残り3周の最終コーナーから清水が誘導との車間を開けて後ろを警戒。残り2周のホームに入って吉田が清水を叩きにいくと,清水が突っ張りました。先行争いになるのかと思いましたが,バックで吉田が清水を叩くと清水は引かず,平原の内で競りにいって打鐘。その後ろも内の松浦と外の諸橋で競りになり,その後ろは柏野‐和田‐木暮‐坂口となりました。競りは残り1周のホームを過ぎるまで続き,その後のコーナーで平原が外に浮き,清水が奪取。清水はその勢いで発進。松浦の後ろにはうまく諸橋がスイッチし,この3人が前に。和田も最終コーナーで捲ってきましたが,諸橋に牽制されて失速。車間を開けていた松浦が直線で清水を差して優勝。清水が半車身差の2着に残って中国のワンツー。諸橋が4分の3車身差の3着に流れ込みました。
 優勝した広島の松浦悠士選手は前回出走の松戸のFⅠの完全優勝に続いて連続優勝。9月の富山記念など記念競輪は3勝していますがビッグは初制覇。記念競輪を最初に勝ったのが昨年で,その昨年からトップクラスでの頭角を現してきた選手。ここは清水というよい目標を得て,吉田と清水では清水の力の方が上なので,チャンスはあるとみていました。吉田に先行されて平原が発進していく展開でも,清水の力ならなんとかできるのではないかとみていたので,番手を奪いにいったのは意外だったのですが,単騎の選手が3人もいたことを踏まえれば,むしろいい作戦だったのかもしれません。たぶん平原は競られることをあまり想定していなかったと思われますので,作戦勝ちといっていいのではないでしょうか。

 この概要から,『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』の七八節が,スピノザの哲学に則する場合にどう記述されるべきであったかが理解できます。
                                        
 スピノザは精神mensのうちにひとつの観念ideaしかないならという,現実的にあり得ない仮定を立てていますが,この仮定から結論できることは,その精神のうちに疑惑dubitatioが生じることはないということです。もしその観念が真の観念idea veraであった場合,精神は確実性certitudoを有するので,疑惑の生じようがありません。一方,その観念が誤った観念idea falsaであった場合,精神はそれについて確実であることはできませんが,疑惑を有する積極的な理由もありません。精神は真の観念によっては疑惑を有することができないので,疑惑を有するならそれは誤った観念によってですが,ひとつの誤った観念からは疑惑は生じ得ず,ふたつ以上の誤った観念が比較されることによって,疑惑が生じ得るからです。
 次に,確実性についていえば,それは観念がひとつしかないかふたつ以上あるかということはまったく関係ありません。これに関係するのは,精神のうちに真の観念があるかないかです。もし精神のうちにひとつの観念しかないとしても,それが真の観念でありさえすれば,精神はそれについて確実性を有することができます。逆に,精神のうちにふたつ以上のいくら多くの観念が存在するとしても,その中に真の観念が存在しないなら,いい換えればそのすべてが誤った観念であるなら,精神は何の確実性も有することはできません。
 最後に,僕はここではスピノザが疑惑を確実性の反対概念と混同したと推測しましたから,そのような意味での不確実性についていえば,精神のうちにいくら多くの観念があっても,そのすべてが誤った観念であれば精神が不確実性を有することができないという点では確実性と同様であり,したがってこの場合も精神のうちにいくつの観念が存在するかということとはまったく関係ありません。また,真の観念がひとつだけあるなら,確実性だけがあり不確実性はありませんが,潜在的には不確実性を有しているといってもいいと考えます。そのときに誤った観念が発生すると仮定すれば,それに対する不確実性を有することができるからです、
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ロンジン賞ディープインパクトメモリアルジャパンカップ&疑惑の発生

2019-11-24 19:03:04 | 中央競馬
 第39回ジャパンカップ
 発馬は互角でしたがマカヒキはすぐに控えました。逃げたのはダイワキャグニー。2番手にカレンブーケドールとウインテンダネスとダンビュライト。5番手にワグネリアンとエタリオウ。7番手にスワーヴリチャードとシュヴァルグラン。9番手にムイトオブリガード。10番手にレイデオロとジナンボーでこの11頭は集団。6馬身差でユーキャンスマイル。2馬身差でルックトゥワイス。8馬身差でタイセイトレイル。3馬身差でマカヒキと,残る5頭はばらばらの追走。最初の1000mは60秒3のハイペース。
 直線に入ったところでダイワキャグニーのリードは3馬身くらい。カレンブーケドールがその外に出し,さらに外からエタリオウ。そしてダイワキャグニーとカレンブーケドールの間を突こうとし,最終的にはダイワキャグニーの内に進路を取ったスワーヴリチャードの3頭が追ってきました。ここからエタリオウは脱落。内のスワーヴリチャードと外のカレンブーケドールは一杯になったダイワキャグニーを差し,カレンブーケドールの外から3番手に追い上げてきたのはワグネリアン。最内のスワーヴリチャードの伸び脚が優って優勝。カレンブーケドールが4分の3馬身差で2着。前の2頭には追いつけなかったワグネリアンが1馬身半差で3着。
 優勝したスワーヴリチャードは昨年の大阪杯以来の勝利で大レース2勝目。その後は勝てていませんでしたが,大きく崩れたケースは少なく,今日のメンバーなら最有力候補ではないかと思っていました。内目の枠から内を回って,最後も最内を突けたことなど,恵まれた点もありましたから,あくまでも今日のメンバーの中での能力レベルの差で勝つことができたとみるのがいいのではないかと思います。時計が早くなってしまうよりは,適度に掛かる方が力を発揮しやすい馬だというのが僕の見方で,その点では今日の馬場状態もプラスに作用したのではないでしょうか。父はハーツクライ
 騎乗したイギリスのオイシン・マーフィー騎手はナッソーステークス以来の日本馬に騎乗しての大レース2勝目。日本での大レースは初勝利。管理している庄野靖志調教師は昨年の大阪杯以来の大レース4勝目。ジャパンカップは初勝利。

 スピノザが疑惑dubitatioと不確実性すなわち確実性certitudoの反対概念を混同していたという見解opinioから得ることができたスピノザの哲学に関係する概要は以下の通りです。
 まず,確実性とは,ある人間の知性intellectusのうちに観念ideaがあるとき,その観念が確実であるということ,他面からいうと観念の対象ideatumについて確実であるということを知るという意味です。そしてこの確実性は,真の観念idea veraに依拠します。つまり知性のうちにある観念が真の観念であれば,その知性は確実性を獲得することができます。
 次に確実性の反対概念としての不確実性は,実際にはスピノザの哲学には存在しません。ある知性のうちに観念があるとき,それが不確実であること,他面からいえば観念の対象について不確実であるということを保証する観念があるとすれば,それは確実性を保証する真の観念ではあり得ない以上,真の観念ではない観念,すなわち観念を外来的特徴denominatio extrinsecaからみた場合の誤った観念idea falsaしかあり得ませんが,誤った観念はそのことを保証しないからです。一方,知性のうちに真の観念と誤った観念が同時に存在する場合は,知性は真の観念の確実性を獲得すると同時に,誤った観念の不確実性も獲得します。なぜなら,真の観念は確実性の規範であると同時に,不確実性の規範でもあるからです。
 最後に,疑惑は不確実性とは異なります。すなわち疑惑とは,観念についてそれが不確実であるということを知るということを意味するのではなく,確実であるか不確実であるかが不明であるということを意味します。ところで,知性のうちに真の観念があれば,真の観念については確実性を有することができ,誤った観念には不確実性を有することができるのですから,実は疑惑は生じません。一方,誤った観念があるのだとしても,それがひとつしかないならおそらくその知性は疑惑を有さないでしょう。単に確実性を有することはできないが,不確実性も有していないという状態になるからです。ですがふたつ以上の誤った観念があるならそれらを比較することによって,疑惑が発生する場合があり得ます。たとえば表象の動揺は,複数の誤った観念を比較することによって生じる疑惑ということができるからです。
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将棋日本シリーズJTプロ公式戦&反対概念の根拠

2019-11-23 18:56:19 | 将棋
 17日に幕張メッセで指された第40回日本シリーズの決勝。対戦成績は渡辺明JT杯覇者が12勝,広瀬章人竜王が11勝。
 振駒で広瀬竜王の先手。角換りを志向しましたが渡辺JT杯が角道を開けずに拒否。2手目☖6二銀の将棋からの進展としてありそうな序盤となり,先手が雁木,後手が5筋の位を取る将棋に。
                                        
 5五で角が交換され,すぐに先手が角を打ち,後手が銀を引いた局面。僕はAbenmaTVで観戦していて,いずれは取られそうな歩を☗6四歩と突いておくか,右の銀を使いにいく☗5七銀や☗4六歩を指すのかなと思っていましたが,☗2二歩と打ちました。指されてみると☖同金で金が角筋に入るのでこれもいい手かと思いましたが,実際はやり過ぎだったようです。
 先手はそれから☗4六歩と突きました。対して☖3二王は浮いている金にヒモをつけた手。先手は☗2四歩☖同歩☗4五歩☖3三銀☗2五歩☖同歩☗3五歩☖同歩として☗2五桂と跳ね☖2四銀に☗2三歩と打ちました。これは☖1二金の一手。
 後手はほぼいいなりになっているだけですが,先手は歩を多く渡していますから,攻めが止まって一段落してしまうと不利になります。それで☗3四歩と垂らしましたが☖2三王と取られました。
                                        
 第2図の後手玉は愚形に見えますが,これで先手の攻めは続かなくなっているようです。ここからは攻め合いとなり,後手が勝ちました。
                                         
 渡辺JT杯が優勝。第35回,39回に続く連覇で3度目の日本シリーズ優勝。通算11回目の棋戦優勝です。

 真理veritasと虚偽falsitasが反対概念でなければならないと僕が考える,もうひとつ別の理由があります。
 スピノザの哲学における真理と虚偽の関係は,単にそれらが真verumであるのか偽であるのかということだけを意味するのではなく,前者が有esseであるのに対して後者が無であるという有と無の関係も同時に意味します。これはスピノザが第二部定理四三備考で,真の観念idea veraと偽の観念についていっていることから明白です。スピノザは有と無とはいわず,有と非有といっていますが,非有というのが無を意味するのはとくに説明を要さないでしょう。すると,有と無は当然ながら反対概念ですから,真理と虚偽もまた反対概念でなければならないことになります。これはとくに,スピノザがいっている有と非有で解すればより容易に理解できるでしょう。有と非有は反対概念であって,よって真の観念と偽の観念は反対概念であることになりますが,個々の真の観念の集積が真理であって個々の偽の観念の集積が虚偽なのですから,真理と虚偽は反対概念であるということが帰結するからです。
 つまり,真理と虚偽は,真の観念と誤った観念が反対概念であるなら反対概念でなければなりませんし,有と無あるいは有と非有が反対概念であるならやはり反対概念であるのでなければなりません。そしてこれは両方とも成立するのです。ですから,その規範が何であるかということを問う限り,真理と虚偽は反対概念ではないといういい方も僕は一理あると考えますが,真理と虚偽を概念notioの上で解する場合には,各々の規範にその根拠を求めるべきではないのであって,よって真理と虚偽は反対概念であると僕は考えるのです。
 これに対して,確実性certitudoと不確実性の場合はそういうわけにはいきません。真理と虚偽は,真の観念がある,誤った観念があるといわれる場合のそれら各々の集積であるのに対し,確実性及び不確実性は,ある知性intellectusのうちに何らかの観念がある場合に,その観念が確実であることないしは不確実であることをその知性が知るということを意味するからです。よってこの場合には,確実性および不確実性の規範から各々の概念を解さなければなりません。そしてその規範は同一なのです。
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リコー杯女流王座戦&真理と虚偽

2019-11-22 19:02:09 | 将棋
 14日に岐阜市で指された第9期女流王座戦五番勝負第二局。
 里見香奈女流王座の先手で西山朋佳女王のノーマル三間飛車。先手が穴熊,後手が高美濃の持久戦になりました。
                                        
 先手の2八の飛車が寄った局面。銀を受けただけにも見えますが,狙いを秘めた一手でした。ここではすでに先手がうまくやっているようです。
 先手の次の狙いは☗4六銀ですが,後手にはそれを防ぐ術がありません。☖4五歩と打っても☗4六歩と合わせられます。よって☖7六歩☗4六銀☖7五銀☗4五銀☖8六銀と攻め合いになりました。
 先手はここで飛車を取らずに☗同歩。後手は☖4三飛と逃げました。先手は取った銀を☗3二銀と打ち☖3三飛に☗5四銀とただのところに進出。角取りなので☖8六角と逃げましたが☗6三銀成☖同銀☗4一飛成と金取りで飛車を成り込みました。
                                        
 角金交換の駒損の上に銀を使ってしまっているのですが,龍が大きい上に玉が固くこれで先手が優勢のようです。実戦は3二の銀も使える形になり,先手の快勝に終わりました。
 里見王座が勝って1勝1敗。第三局は27日です。

 実際には真の観念idea veraと誤った観念idea falsaは反対概念です。すでに示したように,第一部公理六からして,もし観念されたものideatumと一致しない観念があるのならそれは真の観念の反対概念でなければならず,そういう観念が実際にはあって,それが誤った観念といわれるからです。これを第二部定理三二との関係で示せば次のようになります。
 ある人間の精神mens humanaのうちにXの真の観念がある場合,この人間の精神の本性naturaを構成する限りで神DeusのうちにXの真の観念があるといわれます。一方,ある人間の精神のうちにXの誤った観念がある場合には,この人間の精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を有する限りで神のうちにXの観念があるのです。どちらの場合も,神のうちにはXの真の観念があるのですが,その観念がある人間の精神とだけ関連付けられる場合には,前者はその人間の精神のうちで真の観念であるのに対し,後者の場合はその人間の精神のうちで誤った観念になります。ですから,もしも観念を神とだけ関連付けて考えるのであれば,真の観念には反対概念がないといういい方も一理あることになるでしょう。ですが観念を人間の精神のうちにあると考えた場合には,真の観念はもちろんのこと,誤った観念の方も神と関連付けるなら真の観念としてあるということができるのですから,誤った観念はあるといういい方が成立することになります。よって真の観念も誤った観念もあるので,このふたつは反対概念として成立しなければなりません。
 これが成立するのなら,真理veritasと虚偽falsitasもまた,いかにその規範は真理いい換えれば真の観念のうちに一律にあるのだとしても,やはり反対概念であるといわれなければならないと僕は考えます。なぜなら,スピノザの哲学において真理というのは真の観念の総体のことです。したがって観念を外来的特徴denominatio extrinsecaからみた場合には,真の観念ではない観念の総体,要するに誤った観念の総体というのも概念notioとして把握することができるのであり,そうした総体のことが虚偽といわれるのです。よって,真の観念と誤った観念が反対疑念であるのなら,必然的にnecessario真理と虚偽も反対概念です。個別なのか総体なのかの相違にすぎないからです。
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デイリー盃ロジータ記念&確実性の規範

2019-11-21 19:03:28 | 地方競馬
 昨晩の第30回ロジータ記念
                                        
 発走後の向正面で外から押していったシャイニングアカリがハナへ。この勢いで一時的に後ろとの差が開きましたが,正面でぐっと差が詰まりました。2番手以下はケイティマドンナ,キタサンベッキー,アブソルートクインの順でその後ろで併走したグランモナハートとサツマキリコの6頭は一団で2周目に。この後ろは5馬身差でゼットパッション。グローリアスライブが直後に続き,3馬身差で一旦は控えたリトミックグルーヴ。ジョースイーツとメルシーサンサンは前から離されての追走。ミドルペースでした。
 3コーナーを回ってケイティマドンナがシャイニングアカリに並び掛けようとしましたが,ここではシャイニングアカリが抜かせませんでした。3番手にはアブソルートクインでしたが向正面から勢いをつけて上がってきたリトミックグルーヴが外から捲り上げて,前を射程圏内に。直線に入ってから粘るシャイニングアカリをケイティマドンナが差したものの,そこで脚は一杯。リトミックグルーヴも最後は脚色が鈍り,この2頭の間から差してくる形になったグランモナハートが優勝。リトミックグルーヴが1馬身差で2着。ケイティマドンナがアタマ差の3着で,アブソルートクインがアタマ差で4着。シャイニングアカリは1馬身差で5着。
 優勝したグランモナハートはここまで9戦して未勝利。初勝利が南関東重賞となりました。このレースは春の実績馬が好走するというのが過去の傾向でしたが,今年は高い実績を有する馬が不在。その中で東京プリンセス賞で5着だったのがこの馬で,3着だったのが2着馬。今年のメンバー構成ならこれくらいの実績で通用するということだったのでしょう。激戦となったように,上位5頭に実力差はあまりなく,展開次第でどれが勝ってもおかしくないというレースだったいえます。古馬を相手にすぐに通用というのは難しいのではないでしょうか。父はフリオーソ。祖母は1993年にサファイヤステークス,1995年に中山牝馬ステークスを勝ったアルファキュート
 騎乗した船橋の本田正重騎手は埼玉新聞栄冠賞以来の南関東重賞6勝目。ロジータ記念は初勝利。管理している大井の福田真広調教師は開業から2年7ヶ月で南関東重賞初勝利。

 確実性certitudoにも真理veritasと同様に規範を求めるとするなら,それは真理の規範と同様になります。すなわち,確実性の規範なるものがあるならそれは真の観念idea veraです。ある人間の精神mens humanaのうちに真の観念があるなら,その人間はそれについて確実性を有することができるからです。そして同時にこの確実性の規範は,これも奇妙ないい方ですが不確実性の規範でもあるのです。なぜなら確実性の規範は,単に確実性の何たるかを教える規範であるわけではなく,確実性と不確実性とを区分する規範でもあるからです。いい換えれば,確実性の何たるかを教えるだけの規範ではなく,確実でないもの,不確実なものの何たるかを教える規範でもあるからです。よって僕たちは,精神のうちに真の観念を有しさえすれば確実性の何たるかを知ると同時に,確実性を有さないものとしての不確実性の何たるかを知ることができるのですが,真の観念を有していない場合,つまり誤った観念idea falsaだけを有している場合には,確実性の何たるかを知り得ないのはもちろん,不確実性の何たるかを知ることもできないのです。このためにスピノザの哲学では,確実性を概念notioとしてみた場合には,その反対概念は存在しないといわなければなりません。確実性と不確実性は,同じ概念のうちに含まれているというのが正確なところだからです。
 なお,こうしたことは真理と虚偽falsitasの間にも成立するのではないかという疑問が生じるかもしれません。すでに僕が示した通り,真理の規範というのは同時に虚偽の規範でもなければならないからです。そして僕は,真理と虚偽とをこのような観点からみる限りでは,確かに真理と虚偽は反対概念ではないという見方に一理あると考えます。ただしこの場合には,次の点にも注意してください。そもそも観念は,第二部定理三二にあるように,神Deumと関連付けられる限りではすべて真veraeです。よってこの意味でいえば,実は真の観念の反対の観念すなわち誤った観念というものが存在しません。これを概念として考えれば,真の観念にも反対疑念は存在しないということになるでしょう。僕はこれと同じような意味で,真理には反対概念がないという考え方に一理あることを認めるのです。
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神奈川新聞社賞ローレル賞&虚偽の規範

2019-11-20 19:12:09 | 地方競馬
 北海道から2頭が遠征してきた昨晩の第19回ローレル賞
                                        
 外によれるようなところもありましたがスティローザがハナへ。ノラが2番手でマーク。3番手にルイドフィーネとブロンディーヴァ。2馬身差でプリモジョーカーとマッドシティ。3馬身差でミナミン。1馬身差でトキノカナエル。1馬身差でアートムーブメント。2馬身差でサブノアカゾナエとハセノワールドとバブルガムダンサー。4馬身差でクレセントアーチとトキノノゾミという縦長の隊列。前半の800mは51秒4のミドルペース。
 スティローザとノラが競り合うように最終コーナーをカーブ。追ってきたのは外からブロンディーヴァ,内からルイドフィーネの2頭で,この4頭と5番手以下に4馬身くらいの差がつきました。直線に入るとノラがまず脱落。ブロンディーヴァが外から逃げ粘るスティローザを差して先頭に。内を回ったルイドフィーネはスティローザとブロンディーヴァの間を割り,最後は内からブロンディーヴァに迫ろうとしましたが,最後は同じ脚色となり,ブロンディーヴァが優勝。ルイドフィーネが1馬身差で2着。外から追い込んできたミナミンが1馬身半差の3着で,同一厩舎で上位を独占。
 優勝したブロンディーヴァは北海道デビュー。2戦しただけで南関東に転入し,初戦は3着でしたが2戦目を勝ってここに挑んでいました。これで5戦3勝とし南関東重賞を制覇。2戦しかしていなかったので北海道での実績は劣りましたが,デビュー戦で負かした馬は後に鎌倉記念と北海道2歳優駿で2着となった馬で,素質面ではむしろ上位であったかもしれません。このレースの勝ち馬はその後も南関東重賞を制覇するケースが多く,この馬も来年のクラシックで上位争いをすることになるだろうと思います。父はNARグランプリで2010年2011年にダートグレード競走特別賞馬に選出されたスマートファルコン。母の父はサクラバクシンオー。母の3つ上の半兄に2006年の目黒記念と2007年の目黒記念に勝ったポップロック。馬名の英語表記はBlonde Divaです。
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は京成盃グランドマイラーズ以来の南関東重賞37勝目。今月はJBCスプリントも勝ちました。ローレル賞は第11回13回を勝っていて6年ぶりの3勝目。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞16勝目。ローレル賞は初勝利。

 誤った観念idea falsaが誤った観念であることを教えるのは誤った観念ではありません。それは真の観念idea veraなのです。
 このことは,スピノザの哲学における真理の規範とは何であるかに注意すれば理解することができます。スピノザがいう真理veritasとは,真の観念の集積にほかなりません。そして真理の規範は真の観念それ自身です。第二部定理四三がいっているのはこのことです。ところで,真理の規範とは,単に真理の何たるかを,同じことですが真理を真理と教えるだけの規範ではありません。真理を虚偽falsitasと分かつ,いい換えれば真理と虚偽の相違を教える規範なのです。真理と虚偽の相違を教えるとは,真理の何たるかを教えると同時に虚偽の何たるかを教えるという意味です。したがって,これは奇妙ないい方かもしれませんが,もしも虚偽の規範なるものがスピノザの哲学にあるとしたら,それもまた真の観念なのです。
 ただ,このいい方をする場合には次の点に注意してください。確かにスピノザの哲学に虚偽の規範なるものがあるなら,それは真の観念なのですが,それは真の観念が真理の規範であるがゆえに虚偽の規範でもあるということです。つまり,真理と虚偽とは概念notioとしてみれば反対概念ではあるのですが,僕たちは真理についてはそれが真理であるというようにそれを知るのですが,虚偽についてはそれを虚偽であると知るというよりは,真理とは異なるもの,あるいは真理ではないものというように知るのです。もっと別のいい方をするなら,僕たちは真の観念については確実性certitudoを有することによってそれが真理であるということを知るのですが,誤った観念については,それが不確実性を有するから虚偽であるということを知るのではなく,確実性を有することができないものとしてそれが虚偽であることを知るのです。
 よって,僕たちは誤った観念を有する場合,その観念の観念idea ideaeもまた有することができるのですから,その観念を有しているということは知ることができます。ですがこれは真理の規範でないのみならず,虚偽の規範でもないので,そのことについて不確実性を有することはできませんし,それが誤った観念であることも知ることができないのです。
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竜王戦&誤った観念の観念

2019-11-19 18:50:21 | 将棋
 9日と10日に神戸で指された第32期竜王戦七番勝負第三局。
 豊島将之名人の先手で角換り相腰掛銀。広瀬章人竜王が必勝に近い終盤戦になりましたが,そこから波乱がありました。
                                        
 後手が8八の龍で桂馬を取った局面。ここは☗6九金と受ける一手。金を使わせて後手玉はさらに安全になりました。まだ余裕がありますからすぐに詰めろを掛ける必要はなく,☖4五桂打。
 先手は☗3三香成☖同金と取りました。ここで☗2五桂☖同銀☗3一角と攻めるのは☖3二王で足りないようです。なので☗3四歩と打ちました。
 ここは☖3二金と逃げるのも有力で,そちらの方がよかったかもしれません。実戦は☖同金と取りました。☗1四桂☖1三王☗2六桂もありそうですが単に☗2六桂と打ちました。後手は☖5七桂成と取って☗同銀。
                                        
 ここが勝負の分かれ目。☖4七金と打って☗3四桂には☖1三王と逃げれば後手の勝ちでした。ところが☖4五金と,取られる金を逃げて詰めろを掛けたのが悪手。3四の地点を開けてしまったため☗3四桂打とされ1筋からの脱出が不可能に。☖1二王☗1三歩☖同銀に☗2一角で先手の勝ちになりました。
 豊島名人が勝って三連勝。第四局は21日と22日です。

 確実性certitudoを概念notioとしてみたとき,その反対概念は次の条件を満たさなければなりません。それは,もしある観念ideaが精神mensのうちにあるとき,自分が不確実であるということを知ることができるということです。ところで,その観念が真の観念idea veraであるなら,その人間は自分が確実であるということを知ることができるわけですから,確実性の反対概念の条件を満たすことはできません。そして観念を外来的特徴denominatio extrinsecaからみたとき,真の観念でない観念は誤った観念idea falsaなのですから,もしもこの条件を満たす観念があるなら,それは誤った観念であることになるでしょう。ところが,ある人間の精神mens humanaのうちに誤った観念があったとしても,その人間は自分が不確実であるということを知ることができないのです。これは次のような理由によります。
 真の観念がある人間の精神のうちにあるとき,その人間は自分が真の観念を有していると知ることができます。ところが,誤った観念が人間の精神のうちにある場合には,その人間は自分が誤った観念を有していると知ることはできないのです。真の観念であろうと誤った観念であろうと,観念と観念の観念idea ideaeは同じ原因causaと結果effectusの連結connexioと秩序ordoで発生するのですから,同じ仕方で神と関連付けられます。すでに説明したように,ある人間の精神の本性naturaを構成する限りで神DeusのうちにXの真の観念があるというとき,その人間はXの真の観念を有するわけです。そしてXの真の観念の観念もまた,これと同じ仕方で神と関連付けられます。これに対して誤った観念は,ある人間の精神の本性を構成するとともにほかの観念を有する限りで神のうちにXの観念があると関連付けられる場合に,その人間の精神のうちにあることになります。そして誤った観念の観念についてもこれと同じ仕方で神と関連付けられるのですから,確かにXの誤った観念がある人間の精神のうちにあるときには,その誤った観念の観念もその人間の精神のうちにはあるのです。ですがこれは,誤った観念があることを知るということとは異なるのです。なぜなら,真の観念を真の観念と教えるのは真の観念自身ですが,誤った観念を誤った観念と教えてくれるのは誤った観念ではないからです。
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大山名人杯倉敷藤花戦&確実性

2019-11-18 19:00:03 | 将棋
 10日に皆生温泉で指された第27期倉敷藤花戦三番勝負第一局。対戦成績は里見香奈倉敷藤花が15勝,伊藤沙恵女流三段が5勝。
 開催実行委員会の委員長による振駒で伊藤三段の先手。駆け引きのある序盤戦でしたが,先手のノーマル向飛車に後手の里見倉敷藤花が5筋位取りの対抗形に。終盤まで接戦でした。
                                        
 後手が歩を垂らした局面。ここは☖6八銀と打つ手もあって,それならすぐに飛車を取れます。☖6八歩は時間は掛かりますが確実に攻めていこうという手。このまま☖6九歩成とされてはいけないので☗4八金上としたのですが,これはあまりよくなく,☗7九飛と回るべきだったようです。
 後手は☖6九歩成☗2九飛でと金を作り☖6八とでそのと金を使いにいきました。先手は☗4五歩と突きここは☖3三角。
 先手にとってはここが最後のチャンスで,☗5三成銀と攻めるべきだったとのこと。実戦は☗3五歩からさらに角を攻めにいったのですが☖5八と☗同金☖5七歩成とされました。
                                        
 これだと☗3四歩の後の☖2四角が攻めにも利いてしまいます。第2図は後手の勝勢でしょう。
 里見倉敷藤花が先勝。第二局は23日です。

 確実性certitudoを概念notioとしてみたとき,それがどのような概念であるのかということをまとめておきます。
 確実性とは,ある人間が何事かを認識したときに,その認識cognitioが確実である,いい換えれば真verumであるということを知るということを意味します。人間が何事かを認識するcognoscereとは,人間がその何事かを対象ideatumとした観念ideaを有するということを意味します。第二部定理四三備考から分かるように,人間が何事かについてそれが確実であるということ,つまり真であるということを認識するためには,前もって確実な認識,真の認識がその人間の精神mens humanaのうちにあるのでなければなりません。したがって,ある人間が何事かについて確実性を有するための絶対条件は,その人間の精神のうちにその何事かの真の観念idea veraが存在するということになります。
 しかしこの条件は,絶対条件であると同時に十分条件でもあります。なぜなら第二部定理四三により,ある人間の精神のうちに何事かの真の観念が存在すれば,その人間は同時に自身がその真の観念を有しているということも知るからです。他面からいえば,ある人間の精神のうちにXの真の観念がある場合には,その人間の精神のうちにはXの真の観念の観念も存在するからです。これは,ある人間の精神のうちにXの真の観念があるということは,その人間の精神の本性naturaを構成する限りでXの観念は神Deusのうちで真であるという仕方で神と関連付けられるのですが,Xの真の観念の観念がその同じ人間の精神のうちにある場合にも,これと同じ仕方で神と関連付けられなければならないからです。これはXの真の観念とXの真の観念の観念が同一個体であるということに注意するなら,第二部定理七から明白です。この定理Propositioでものrerumといわれているのは物体corpusという意味ではなく観念対象という意味であり,真の観念の観念の観念対象は真の観念ですから,真の観念と真の観念の観念の原因causaと結果effectusの連結と秩序Ordo, et connexioは同一であることになり,したがってそれらは同一の仕方で神と関連付けられなければなりません。
 もし確実性の反対概念が存在するのであれば,これと同じようなことがいえる概念でなければなりませんが,そういう概念はないのです。
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マイルチャンピオンシップ&確実性の反対概念

2019-11-17 19:07:48 | 中央競馬
 第36回マイルチャンピオンシップ
 互いに出方を窺い合うような発走後でしたが,マイスタイルがハナに立ち2番手にグァンチャーレ,3番手にフィアーノロマーノ,4番手にインディチャンプ,クリノガウディー,ダノンプレミアムの3頭という前の隊列に。直後からダノンキングリー,プリモシーン,モズアスコットの3頭。レッドオルガとアルアイン。ペルシアンナイト。ダイアトニックとエメラルファイト。レイエンダ。カテドラル。最後尾にタイムトリップという隊列。一団でのレースになりました。前半の800mは47秒2の超スローペース。
 3コーナーを回って外から単独の2番手に上がっていたフィアーノロマーノが,直線に入るとすぐにマイスタイルを抜きにかかりましたが,ここからマイスタイルがひと踏ん張り。フィアーノロマーノは脱落し,その外からダノンプレミアムが上がってきました。一旦はダノンプレミアムが先頭に立ちましたが,マイスタイルとダノンプレミアムの間から伸びたインディチャンプが突き抜けて優勝。ダノンプレミアムが1馬身半差で2着。勝ち馬を追うような進路を取ったペルシアンナイトがクビ差で3着。マイスタイルが半馬身差の4着で最内から脚を伸ばしたダノンキングリーがクビ差で5着。
 優勝したインディチャンプ安田記念以来の勝利で大レース2勝目。このレースは勝つ力がありそうな馬が多くいて混戦模様。道中は内目にいたのですが,直線では内を狙わずに少し外に出したのがよかったように思います。絶対能力がこのメンバーの中でトップであるとは僕は必ずしも思いませんが,春秋のこの距離の大レースをどちらも勝ったことは高く評価する必要があるでしょう。父はステイゴールド。母の父はキングカメハメハ。祖母はトキオリアリティー。母の5つ上の半兄に2007年にオーシャンステークスを勝ったアイルラヴァゲイン,ひとつ下の半弟に2011年に安田記念,2013年に阪神カップ,2014年に阪神カップ,2015年にジョージライダーステークスを勝ったリアルインパクト,4つ下の半弟に2016年に札幌記念,2017年に中山記念とクイーンエリザベスⅡ世カップを勝ったネオリアリズム
 騎乗した池添謙一騎手は有馬記念以来の大レース25勝目。第20回,21回,28回に続き8年ぶりのマイルチャンピオンシップ4勝目。管理している音無秀孝調教師は南部杯以来の大レース14勝目。第26回,33回に続き3年ぶりのマイルチャンピオンシップ3勝目。

 僕が示している仮説というのは,スピノザは『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』の七八節では,本来は確実性certitudoの反対概念ではあり得ない疑惑dubitatioを,反対概念としてここで規定した不確実性と等置してしまっているのではないかということです。このために,もしも人間の精神mens humanaのうちにひとつの観念ideaしかないならばという現実的にはあり得ない仮定を立てた上で,その観念が真の観念idea veraであろうと誤った観念idea falsaであろうと,確実性も疑惑も生じないといっているのではないかと推測しているのです。真の観念と誤った観念が反対概念であるなら,確実性と疑惑を反対概念とみなす限り,その観念が誤った観念であっても疑惑が生じないといえるのなら,その観念が真の観念であっても確実性は生じ得ないということができそうだからです。
                                        
 ただ,これはあくまでも僕の推測であって,実際にスピノザが疑惑と不確実性を混同したということを僕が主張したいわけではありません。前にもいったように,このような仮定をしたら,スピノザの哲学の内容について考察するのに役立つということが重要なのです。実際に疑惑というのが不確実性とは異なるということ,具体的にいえば,疑惑とは不確実であるということを知るということ意味するのではなく,確実であるか不確実であるかが不明であるということをいうのだということは,ここまでの考察で明らかにすることができました。
 確実性とは,自分がそれについて確実であるということを知るということを意味しました。よってその反対概念である不確実性は,自分がそれについて不確実であるということを知るという意味なのでなければなりません。ではこのような不確実性というのは,スピノザの哲学においてはどのような概念notioであると考えるべきなのでしょうか。
 結論から先にいうと,このような不確実性という概念はスピノザの哲学にはありません。いい換えれば,確実性をひとつの概念としてみたときに,その反対概念というのはスピノザの哲学にはないのです。真の観念と確実性が等置でき,真の観念には誤った観念という反対概念があるのに,確実性には反対概念がないのは不思議に思われるかもしれません。なぜそうなのかを説明していきます。
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霧島酒造杯女流王将戦&疑惑

2019-11-16 18:51:16 | 将棋
 11月1日に指された第41期女流王将戦三番勝負第三局。
 振駒はと金が3枚で西山朋佳女王の先手となり,角道オープン三間飛車。ただ後手の里見香奈女流王将がすぐに角を交換したので,角交換振飛車と似たような戦型に。後手が穴熊に入ったところで先手から仕掛け,徐々に先手がリードしていくという展開に進みました。
                                        
 後手が2一の王を寄った局面。これは延命するための一手ですから,局面は先手がよいと判断してよさそうです。
 先手は☗5一飛と打ち☖4一銀に☗2二歩と垂らしました。後手が☖6二馬と寄ったので☗9一飛成。☖6四馬の龍取りには☗9二龍の馬取りで返し☖7二歩に☗8一龍。後手はさらに☖7一桂と徹底抗戦。ただしここは後の展開からしても☖5一桂の方がよかったように思えます。
 ここでは☗2五香とか☗2一歩成~☗2五香あるいは☗2五歩といった手が見えます。ですが☗7六桂と馬を攻めにいったのがよい判断で,これが先手を勝利に導く一着になったと思います。
 意外だったのは後手がほぼノータイムで☖7三馬引としたこと。☗7六桂は思い浮かびにくい手だと思うのですが,後手は予想していたということでしょう。
 7三に引いたのはもし☗6四香なら放置して☗6二香成に☖同馬と取ろうという意図でしょう。先手はそれは許さないと☗7四歩と打ち☖同馬に☗6四香と打ちました。後手は6二に馬を残すのが意図なので☖7三馬引はありそうで,それは☗7四歩☖6四馬☗同桂となるでしょう。それもあったと思いますが単に☖同馬☗同桂と進めました。
                                        
 ここで先手が大きくリードを奪ったといえるのではないでしょうか。馬を攻めにいくのがいい着想だったという印象です。
 2勝1敗で西山女王が女流王将を奪取。女流王将戦は初出場でのタイトル獲得。通算では3期目です。

 僕の考えでは,『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』の七八節でいわれている疑惑dubitatioは,ここで規定している不確実性と等置することができません。
 確実性certitudoとは,ある人間の精神mens humanaのうちに真の観念idea veraがあるとき,その人間がそれが真の観念であると知ることができるということ,したがってその観念の対象ideatumについて自分が確実であるということを知ることができるということでした。ですから確実性の反対概念である不確実性は,自分がそれについて不確実であるということを知ることができるということでなければなりません。すると,これは奇妙ないい回しですが,その場合には自分が不確実であるということは確実であると知っているということになるのですから,それについて疑惑を有するというのは不自然です。疑惑というのは,自分がそれについて確実であるか確実ではないかが不明である場合にのみ生じる事象であるといわなければならないからです。つまり,疑惑とは,自分がそれについて不確実であるということを知っているということをいうのではないのです。そうではなく,自分がそれについて確実であるか不確実であるかが分からないということを意味するのです。したがって,疑惑と不確実性は異なります。他面からいえば,疑惑は確実性の反対概念であることはできません。
 スピノザは疑惑がこのような意味であるということは認めていると考えられます。なぜなら第二部定理四九備考では,それについての疑惑が存在しないということと,それについて確実であるということは異なるといわれているからです。もし疑惑が不確実性すなわち確実性の反対概念であるとしたら,このようなことはいえない筈です。というのは,たとえば真の観念と誤った観念idea falsaは反対概念であり,よって観念を外来的特徴denominatio extrinsecaからみたとき,それが真の観念でないなら誤った観念でなければなりませんし,誤った観念でないなら真の観念でなければなりません。これと同じように,もし確実性が存在しないならそれは不確実性でなければなりませんし,不確実性でないなら確実性でなければならないのです。ところが疑惑がないことと確実であることは違うのですから,疑惑は確実性の反対概念ではないのです。
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