スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流名人位戦&待ち時間

2010-01-31 19:16:45 | 将棋
 里見香奈倉敷藤花の快勝で幕開けした第36期女流名人位戦五番勝負の第二局。
 清水市代女流名人の先手で,ごきげん中飛車を避けるような序盤戦術から,角交換型のやや変則的な後手の中飛車になりました。先手が先攻したのですが,後手がうまく対応して後手良しの情勢に。先手は飛車を働かせにいきました。
               
 第1図は▲5四歩と伸ばしたところ。▲5三歩成から後手の飛車を動かし,自分の飛車が成る狙い。後手はとりあえず△2三歩と受け,▲4五飛に△5四銀。▲5二歩には△8一飛と逃げておき,▲4四飛に△4三銀(第2図)と引きました。
               
 ここに至っては先手も飛車を逃げているわけにいかず,▲同飛成から自陣の角を生かして攻めていきましたが,これを後手が冷静に受け止め,最後は反撃に転じて勝っています。内容的には後手の快勝といえる将棋だと思います。
 里見倉敷藤花が連勝で女流名人奪取に王手。この2局,非常に落ち着いた指し回しが印象に残ります。できすぎという感じもしなくはないのですが,おそらく気を緩めるということもないでしょうから,ニューヒロイン誕生の可能性が非常に濃厚になったといっていいのではないでしょうか。第三局は2月10日です。

 ひとついい忘れましたが,CT検査は,検査する部位によっては食事の制限があります。ただ,僕の場合は首の撮影でしたから,普段通りに食事をしてもいいということを伝えられていました。したがってこの6月30日は,自宅でいつもより少し早目の昼食を摂ってから病院に向かったということになります。その前の喉のエコー検査も開始時間は同じ午後1時でしたので,この点は同様でした。
 病院に到着して,診察券を機械に入れるのは内科の通院のときと同様です。2階ではありますが,この場所から建物を上に行くのにはエレベーターが最も便利な位置にありますので,それで上がりました。2階でエレベーターを降りた真向かいに,2階専用の受付がありましたので,そこで診察券と,最初に診察券を機械に通したときに発行される,1日の予定がプリントされた用紙を見せました。これはどんな科のどんな検査でも診察でもしなければならない手続きです。
 とくにここに限ったことではありませんが,受付では必ず名前を確認され,その後どうすればいいのかを指示されます。この日は,検査をする部屋の前で待つように言われました。僕が検査を受ける部屋はこの階の,海側のマリンタワー方面の最も奥まったところでした。そこまで行きますと,部屋の前にベンチがありましたので,座りました。まだ順番待ちをしている患者が何人かいましたし,入院中の患者でしょう,ベッドのまま看護師に運ばれてきた患者もいました。したがっていくらか待たされたのですが,僕にはそれが妙に長く感じられました。時間だけでいえば,通院時の採血の検査や,内科の診察前にはもっと長く待たなければならなかったケースがあったと思うのですが,このときの時間が長く感じられたのは,あるいはCT検査が初めてでしたから,緊張していたためもあったかもしれません。
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王将戦&2階

2010-01-29 19:32:01 | 将棋
 久保利明棋王の先勝で開幕した第59期王将戦七番勝負の第二局。
 羽生善治王将の先手で後手のごきげん中飛車③で▲4八銀。先手が双方の銀を繰り出し,早めに仕掛けての急戦になりました。2日目に入り先手が馬を作って第1図となりました。
               
 先手が飛車を走ったところ。ここで△6四歩▲同銀と呼び込んでから△7四銀と打ち,▲8六馬に△8五銀打とさらに手厚くいきました。根が居飛車党ということもあるのでしょうが,僕にはとても思い浮かばない指し方。少し重い感じがしてしまうのです。しかし実戦のように▲5九馬△7六銀▲7七歩△6五銀引(第2図)と進展するなら,銀2枚を使う価値が確かにあるように思いました。
               
 将棋は終盤に入り,先手が後手玉を中段に逃がすような意表の寄せ方。かなり難解でしたが,あるいは後手の受け方に一失あったか,最後は捕まえて先手の勝ちとなっています。
 羽生王将の勝ちとなり,これで1勝1敗のタイ。第三局は来月10日と11日です。

 みなと赤十字病院の耳鼻咽喉科で初診を受けたのが5月28日の木曜日。次の診察が6月5日の金曜日。喉のエコー検査をしたのが6月19日でこれも金曜日。CTの検査は6月30日でしたから,これは火曜日ということになります。すでにお話ししましたように,この病院の耳鼻咽喉科は,木曜と金曜だけ初診を受け付けていました。したがって僕の診察は基本的に木曜か金曜になる筈であったのですが,この日だけ火曜になったのは,おそらくCT検査が可能であり,かつm先生も病院にいる日の中でベストの日付がこの日であったからではないかと思います。m先生は初診の患者のみが対象であったわけではなく,継続的に診察していた患者もいました。つまり木曜と金曜だけみなと赤十字病院に出勤している医師ではなかったということです。
 時間は喉のエコーと同様に午後1時から。ただ,検査する場所は,入院中にも何度か通い,また通院後の採血や,このときのシックデイで検査をした1階の中央検査室ではなくて,2階にあるCT撮影専用の部屋でした。
 総合内科の病棟が8階,実質的な7階でしたから,僕は名目上の8階に入院していました。この間に,何度かの検査で1階は利用しましたし,通院時は1階で検査も診察もしています。また,入院中は5階の売店や理容室も使いましたから,5階にも行ったことはありましたが,駐車場となっている地下は別としてそれ以外は知りませんので,この病院の2階に足を踏み入れるのはこのときが初めてでした。
 建物自体が大きいですから,2階のすべてを見て回ったというわけではありませんが,どうも2階はこのCTのような特別の検査のみに使用されていたようです。入院患者用の病棟もなく,そうでない患者も利用するような診察室もなかったようなので,皆無というわけではもちろんありませんでしたがかなり人が少なく,静寂に包まれたところでした。
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川崎記念&造影剤

2010-01-27 19:19:57 | 地方競馬
 netkeiba.comのプレゼント企画に応募したところ,今日の川崎競馬場の指定席券に当せん。久々の現地観戦となった第59回川崎記念
               
 ヴァーミリアンが好発。そのまま逃げることもできそうでしたがフリオーソに行かせて2番手に控えました。以下,ゴールデンチケット,テスタマッタ,マイネルアワグラス。
 1000mを過ぎたあたりで一旦ペースが落ち,残り800mから再びペースアップ。直線に入るとヴァーミリアンがフリオーソを捕えに出ましたが,そこからフリオーソもかなり抵抗。手応えからすると手こずったという印象だったのですが,最後は交わしてヴァーミリアンがレコードタイムで優勝。フリオーソが2着で3着はテスタマッタ。
 優勝したヴァーミリアンは昨年11月のJBCクラシック以来の大レース9勝目。最盛期の力はもうないとみるべきでしょうが,元来は長距離で頭角を表してきた馬ですので,これくらいの距離のレースならば,まだ一線級として十分に戦えます。このレースは2007年以来の2勝目。父はエルコンドルパサー,曽祖母がスカーレットインク
 鞍上は武豊騎手でJBCクラシック以来の大レース制覇。川崎記念は2005年以来の2勝目。管理する石坂正[せい]調教師もJBCクラシック以来の大レース制覇で,こちらは2007年以来の川崎記念2勝目です。

 話を再び喉の異物,高い確率で唾石と思われた異物のことに戻しましょう。
 エコー検査の診察結果により,CTによる検査が必要になったのですが,一般的にCT撮影をする場合には造影剤と呼ばれる薬品を用います。文字通りにCTで撮影した写真に影を造る薬剤で,これを用いることによって,撮影された写真に色分けがなされ,この色の具合によって,身体の内部の異物がどんな性質を有するものであるのかが分かるということでした。とくに,僕の場合のように,唾石のような石であるかそれとも腫瘍であるかということは,造影剤を用いて検査をすれば一発で分かるのだそうです。この造影剤は,CT撮影時の直前に,点滴のような仕方で血液中に投入されます。
 ところで,この造影剤というのを用いますと,ごくまれに,重大な副作用が生じることがあるそうです。というわけで,この投与に関しては僕自身の承諾書が必要でした。CT検査の決定直後に,看護師から説明を受けて,もしも心配であるなら造影剤は用いなくてもよいと言われたのですが,僕は承諾しました。といいますのも,僕は造影剤を使うということ,というかCT検査をするということ自体が初めての体験だったのですが,父や祖母はCT検査を何度かしたことがあり,そのときには普通に造影剤を用いていたからです。したがって,ごく軽いもの,造影剤を使えばほぼ必ず生じるような現象については別ですが,重大な副作用ということに関しては僕はそうも心配していなかったのです。
 渡米していた母と妹は,これもはっきりとした日付を失念してしまいましたが,27日か28日の夜には帰国していました。これに伴い,僕の生活サイクルもほぼ元通りとなっていました。そしていよいよ30日の検査当日を迎えることになったのです。
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和歌山記念&受動

2010-01-26 18:57:35 | 競輪
 競輪は今年から1月のビッグの開催がなくなりました。競輪グランプリから間のないビッグは選手の調整も難しいと思われ,これは適切な日程変更であったと思います。代わりに記念競輪の方は毎週あり,今日は和歌山記念の決勝(動画)でした。
 並びは飯野-伏見の福島に武井,永井-星島の西日本,稲垣-市田-東口の近畿で兵藤が単騎。
 星島がスタートを取って永井が前受け。中団に飯野,兵藤を挟んで後方から稲垣で周回。残り2周半から稲垣が上昇していくと併せるように飯野も動き,バックでは飯野が永井を叩いて先頭に。打鐘を迎えると稲垣が発進,ホームでかまして先行。兵藤は飛びつけず,飯野が3番手で粘る形に。引いた永井がバックから捲っていくとあっさりと稲垣を捕えて先頭に。星島をどかした市田が追走しましたが差は詰められず,永井の優勝。市田が2着で3着は稲垣。
 優勝した岐阜の永井清史選手は昨年4月の共同通信社杯を優勝していますが,記念競輪はこれが初優勝。今日はさすがSS,さすがメダリストと思わせるスピードでした。力からすればもっと優勝してもおかしくない選手ですので,今年は昨年以上の活躍を期待しています。

 スピノザが第二部定理一八備考に示した事柄が正しいということは,これで今回の僕自身の経験から,経験論的に明らかにすることができたといえるでしょう。一方,これをスピノザの哲学らしく論理的に示そうとする場合には,単に第二部自然学②公理一に訴えるだけでなく,さらに有効といえる方法があります。それが,人間の能動と受動のあり方に関するスピノザの哲学の考え方を用いるという方法です。
 第三部定義二において,スピノザは,その人間が部分的原因にすぎないようなこと,いい換えれば,原因の一部であってすべてではないような事柄がこの人間に生じるとき,この人間は受動状態にあると説明しました。これでみれば,人間の身体がほかの物体によって運動ないしは静止に決定されるときには,この運動ないし静止の様式は,この人間の身体と,これに関係する物体の両方の本性を含むわけですから,この人間の身体は自分自身の身体の運動ないし静止に関して部分的原因であるということになります。いい換えればこのとき,この人間は受動状態にあるわけです。
 一方,第四部定理四が示していることは,人間が常に能動状態でいることは不可能であるということです。したがって,第二部自然学②公理一が示すような受動は,ある人間が現実的に存在する限り,必然的にこの人間に生じるということになるでしょう。
 よって,各個人はこの受動状態に応じて表象像を連結させていくわけですから,各個人の間におけるこの連結の相違もまた,それら各個人が現実的に存在する限り,必然的に生じるということになるのです。第二部定理一八備考が示している例は,まさにこのことであるといえると思います。そしてもちろん,今回の連想が僕に生じ,また別のある人間には生じないということも,やはりこの論理的結論の経験的一例であるといえるでしょう。
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女流名人位戦&連結の相違

2010-01-24 18:41:47 | 将棋
 清水市代女流名人に里見香奈倉敷藤花が挑戦する注目の第36期女流名人位戦五番勝負が開幕しました。対戦成績は清水名人が6勝,里見倉敷藤花が2勝。
 振駒で先手は里見倉敷藤花。先手の三間飛車石田流模様に後手が棒金で対抗という戦型に。
               
 第1図から後手が△8六歩と仕掛けました。先手の飛車の捕獲を狙っての動きですが,これはその後の展開からも分かるように明らかに無理筋。もうすでに後手が作戦的に苦しい局面だったのかもしれませんが,先手は普通に対応したという感じでしたので,この仕掛けのために著しく苦しくなってしまいました。
               
 第2図となって▲8四とと引くのが好着想。当然の一手ではあるのでしょうが,と金は引く手に好手ありという将棋の格言を地でいく一手であったと思います。この後も後手の狙いをことごとく封じて先手の快勝となりました。
 相手の無理攻めに乗じてではありましたが素晴らしい内容で里見倉敷藤花が先勝。第二局は31日です。

 この表象像の連結が,この連結を生じる,いい換えれば何事かを想起する人間の精神のうちで,この人間の身体の刺激状態の秩序に平行的に応じて生じるということは,ただちに,表象像の連結のあり方というのは,各個人によって異なるということを意味します。なぜなら,第二部自然学②公理一によれば,ある物体がほかの物体から動かされる様式は,動かす物体と動かされる物体の両方の本性から生じます。ところで,人間の身体というのは物体にほかなりませんから,たとえば同じ物体Xから動かされる様式は,人間Aの身体の本性と人間Bの身体の本性が異なるだけ異なってきます。そしてちょうどこの様式の相違と同じだけ,人間Aの身体の刺激状態の秩序と人間Bの身体の刺激状態の秩序もまた異なってくるということになるからです。
 僕がm先生の話を聞いてかつて僕の口内にできたできもののことを連想した,想起したのは,まさにそのできものがかつて僕の口内にできたことがあったからです。いい換えれば,僕の身体の刺激状態の秩序がそのようになっていたからこそ,僕はこのことを想起し得た,あるいは必然的に想起したといえます。同様に,この闘病記をお読みになった方が,唾石の観念から口内のできものの観念に移行し得たとすれば,それはこの闘病記を読むということによって,その方の身体の刺激状態の秩序がそのように形成されていたからだということになります。
 しかし一方で,そうした経験がまったくないという方は,いい換えれば身体の刺激状態の秩序というものがそのようには形成されていない方であれば,こうした想起は生じようがありません。つまり想起することは不可能であるということになるわけで,これはちょうど,スピノザの哲学において必然と不可能が反対の概念であるということにも対応します。かくして表象像の連結というのは,各個人によって相違するのであって,そしてこの相違というものは,それら各個人の身体の刺激状態の相違に並行して生じるということになるのです。
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アラビアの怪人&表象像の連結

2010-01-22 18:58:19 | NOAH
 僕のプロレスキャリア以前のプロレスで,僕が最も面白いと感じた抗争の当事者のひとり,ザ・シークは,アラビアの怪人と呼ばれていました。
 本当にシークがアラブ人であるのかどうか,また本当にイスラムを信仰していたのかどうかは僕は知りません。しかしプロレスラーとしてのシークはそういうキャラクターであり,試合前には神に祈りを捧げるパフォーマンスを披露していました。そしてその行為は,シークというレスラーの恐ろしさを増幅させる効果というものが,確かにあったように思います。
 ただし,僕はプロレスをするプロレスラーとしてのシークに関しては,いっかな評価していません。そもそもシークというのはほぼ場外乱闘オンリーで,リング上ではほとんどレスリングをしませんでした。いわゆるプロレス技はほとんど出さず,殴ったり蹴ったりするだけ。リング上での行為も大半は凶器を使っての攻撃だけでした。
 それでもこれはシーク流のプロレスのやり方ですから,とくにどうこういうつもりもありません。ただ,僕がシークを評価できないのは,自分がこうした攻撃しかしないだけでなく,相手の技もまともに受けることを拒否するようなプロレスに終始していたからです。
 したがって,シークのシングルマッチというのは,プロレス的な技は一切といっていいくらい出ませんでした。これではさすがに見ていても面白くありません。つまりこの抗争が面白く感じられたのには,シークのパートナーであったブッチャーの功績が大であったと僕は思っています。

 スピノザは『エチカ』第二部定理一八備考において,同じ馬の表象像から,軍人と農夫が,いかに異なった別の表象像を連結させていくのかということを示しました。この説明は,僕がm先生の話を聞いたときの連想とちょうど同じ関係にあるといえます。スピノザはこうした表象像の連結についてこれを記憶,実際にはこれは記憶の現前とか想起といった方がより正確なのではないかと思いますが,これは人間の身体の外部にあるものの本性を含む観念の連結であると説明し,この連結は,この連結が生じる人間の精神のうちに,この人間の身体の刺激状態の秩序に応じて,すなわち平行論における平行関係として生じるといっています。
 この記憶,想起というのが,外部の物体の本性を含むといわれているのは,人間がこうした外部の物体を表象するとき,その表象像は第二部定義二におけるその外部の物体の本性そのものではないけれども,しかしその物体が現実的に存在するかのように認識する,実際には現前しているわけではなくても現前しているかのように認識するからです。一般に事物の本性というものは,その事物の存在を肯定するけれども否定したり排除したりはしないわけですから,この限りにおいて,ある事物,あるいはもっと正確にいうならば,ある個物が現実的に存在すると認識することは,ただそれだけでその個物の本性を含んでいるということができるのです。
 実際,僕がm先生の話を聞いて僕自身にできたあのできもののことを連想したとき,あるいはここでの説明に合わせていうなら,僕があのできもののことを想起したとき,確かに僕はこのできもののことを,現実的に存在するものとして想起したのです。つまり,この僕の想起は,このできものの本性そのものの観念,すなわちこのできものの十全な観念であったというわけではないのですが,それでもなお,このできものの本性を含む観念であったということになります。同様に,この闘病記を読まれている方が,唾石からできものの観念に移行したとすれば,やはりその方のできものの観念,この場合はできものそのものというより,僕が文章で表現しているできものの観念ですが,その本性を含んだ観念であるということになります。
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TCK女王盃&連想

2010-01-20 19:05:18 | 地方競馬
 個人的には半数の馬には勝つチャンスがあるのではないかと思えるくらいの混戦だったTCK女王盃
 先手を奪ったのは笠松のトウホクビジン。愛知のダイナマイトボディが2番手で追い,内にチャームナデシコ,外にユキチャン。前半の800mは49秒5のミドルペースになりました。
 向正面を半分ほど経過したところで後方で控えていたツクシヒメが上昇しレースが動きました。直線の入口でツクシヒメが前に取りつくのを待ち,追い出されたユキチャンが先頭に。チャームナデシコが間に入り少し不利があったかもしれません。迫ったのは最内を突いたウェディングフジコで,脚色からは交わすのではないかと思えましたが,ユキチャンももう一頑張りして凌ぎきって優勝。ウェディングフジコが2着で外を伸びたコスモプリズムが3着。
 優勝したユキチャンは前走のクイーン賞から連勝で重賞3勝目。JRA時代は賞金の関係で思うようにレースを使えず,そのために調整にも狂いが生じていたようですが,南関東では除外の心配もなく,思ったように調整できるのでしょう。そう考えれば移籍は大成功だったといえるのではないでしょうか。今日は斤量も軽くなっていて,その点も有利でした。父はクロフネ
 鞍上は川崎の今野忠成騎手で,クイーン賞以来の重賞制覇。管理している川崎の山崎尋美調教師ともども,このレース初制覇となっています。

 なぜ僕の喉の異常は唾石ができている可能性が高いというm先生の話で安心感を覚えたかは,この闘病記を通読されている方ならばすぐにお分かりいただけたのではないかと思います。僕はこの話を聞いたとき,すぐにあることに思い至ったのです。もちろんそれは,今回も激痛が始まってから発症した,あのできもののことでした。このできものは必ず舌の裏の付け根にできたのですが,m先生の話では,その部分こそ唾液が口内に排出される部分であるということでしたし,しかもこれが治まるときには,まさに石といえるようなものがそこから出てきていたからです。
 僕のこうした連想は,まさにm先生の話を聞くや瞬時に僕の精神のうちに生じました。そこで僕はこの話を聞いてすぐに,そうした石というのができた場合に,それが自然のうちに,つまり何の処置も施さないままで排出されるということはあるのかと尋ねました。m先生の答えはYESでした。そこで僕はかつて何度か,舌の裏にそうしたできものができ,少しの時間を経過すると石のようなものが出てきたことがあったと答えました。m先生によれば,これは間違いなく唾石であったようです。そしてm先生自身も,僕のこの話により,今回の異常もまた唾石である可能性がさらに高くなったと感じられたようでした。
 この唾石は袋の中にできたり管の中にできたりするそうです。たぶんそれまでは管の中にできたために自然に排出されたのだけれども,今回は袋の中にできたため,異なった症状が表れたのではないかというのがm先生の推測でした。
 胆石とか尿路結石というのは,人間が罹患する病気としてはかなり強い程度の痛みを伴うそうです。そのように考えれば,できた場所は異なるとはいえ,同じような石ができた僕が,激しい痛みを感じたのはごく自然なことであったように思えます。逆にいえば,それまでは何の痛みも感じずにいられたのは,むしろレアケースであったのだといえるのかもしれません。
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大宮記念&唾石

2010-01-19 18:50:59 | 競輪
 昨年の表彰選手のうち,優秀選手賞の平原と山崎が参戦した大宮記念の決勝が争われました。並びは山崎-渡辺の東日本,池田-平原-小沼-神山-芦沢の関東,荒井-小岩の九州。
 小岩も出ていきましたが渡辺がSを取って山崎の前受け。荒井が3番手で池田が5番手の周回。池田の動きが遅く,残り2周のバックで先に荒井が山崎を叩き,その上を抑えた池田が打鐘から先行。内で引けなくなった荒井は平原の内で粘ることに。山崎がホームから早くも発進しましたが,バックに入るところで平原の牽制を受け失速。立て直して再び捲っていきましたが,残り半周から平原が番手発進。もつれていたので山崎の番手からうまく渡辺がスイッチしましたが,余裕だった平原が寄せ付けずに優勝。渡辺が2着で,3着には神山。
 優勝した埼玉の平原康太選手は昨年11月の競輪祭以来の優勝で,記念競輪は昨年4月の西武園記念以来の4勝目。当地は一昨年に優勝しています。今日は番手からでしたので,レースとしては楽だったでしょう。ただ,番手の仕事もした上での優勝ですから,そこは褒められていいのではないかと思います。

 エコー検査の診察結果だけでは,僕の喉にできた異物が何であるのかまでははっきりとは確定できなかったのですが,m先生は高い確率でこれであると思われるものについても説明してくれました。
 僕は医学についてはもちろん,人体の構造についてもそう多くのことは知りませんでしたので,以下の事柄に関しては,すべてこのときの話によって知ったものであるとお考えください。
 人間の喉の内部には,左右にひとつずつ,袋状のものがあるそうです。これは,唾液を作るための袋だということです。この袋からはそれぞれ1本ずつの細い管が伸びていて,この管は下の裏側の付け根のあたりへと続いています。つまり袋で作られた唾液は,この管を通って舌の裏側,すなわち口内へと送られる仕組になっているのだそうです。
 このとき,この袋の中や,管の内部に,石ができてしまうことがあるそうです。人間の体内にできる石としては,胆石や尿路結石などが有名で,それは僕も知っていたのですが,この袋や管の中にできる石については,このときに初めて耳にしたのですが,これを唾石[だせき]というのだそうです。僕の場合,この唾石が喉の右側の袋の内部か管の内部にできてしまっているために,その奥がエコー検査では見えなくなってしまっているという可能性が最も高いというのがm先生の話全体の主旨でした。つまり異物はそのあたりにあると思われ,そのあたりにある異物としては唾石である確率が最も高いということです。
 可能性が高いというだけであり,絶対にそうであるといいきることができるものではありません。ただ,唾石であるかそうではない腫瘍なのかということは,CTを撮りさえすればはっきりと分かるそうです。これが30日のCT検査の目的でした。しかし一方で,この話は僕を安心させるものでもありました。というのは,僕自身,確かにこれは石なのであって,腫瘍である可能性は低いのではないかと考えることができたからです。
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ダンシングキイとキーフライヤー&診察結果

2010-01-18 18:50:38 | 血統
 ダンスインザダークの母系の紹介です。
               
 日本での祖先はダンスインザダークの母。1983年にアメリカで産まれたダンシングキイという馬で,ファミリーナンバー7。アメリカで3頭の仔を産んだ後に輸入。2年目,すなわち日本での初種付けされた仔が1994年の青葉賞でサクラローレルを破って優勝した重賞3勝のエアダブリン。さらに翌年の産駒がオークスとエリザベス女王杯を勝ち,1995年に最優秀3歳牝馬,翌年は最優秀4歳以上牝馬となったダンスパートナー。さらに翌年の産駒がダンスインザダークですから,3年連続で重賞の勝ち馬,うち2頭が大レースを勝ち,JRA賞を受賞という素晴らしい繁殖成績を残しました。
 しかしダンシングキイの輝きはこれだけでは終りませんでした。間が開いて2001年の産駒は2004年の桜花賞を制して最優秀3歳牝馬を受賞,2006年にはヴィクトリアマイルを優勝し,アメリカでキャッシュコールマイルも勝ち,やはりJRA賞最優秀4歳以上牝馬に選出されたダンスインザムード。すなわち計3頭の産駒が大レースを勝ったのです。
 このダンシングキイの3つ下の妹がキーフライヤーでこの馬も輸入されました。この馬の日本での繁殖成績はぱっとしないのですが,1995年にイギリスで産んだスプリングマンボという馬は輸入され,2005年の春の天皇賞を優勝したスズカマンボが輩出しています。
 また,ダンシングキイの母は,イーグルカフェの曽祖母の妹にあたりますので,広くいえば同じ一族ということになります。

 m先生自身の手によるやり直しのエコー検査の後は,再び耳鼻咽喉科の診察室に戻り,検査結果の話を聞きました。
 端的にいえば,間違いなく何らかの異常が,僕の喉の右側には発生しているということでした。なお,ここでは右側といっていますが,もちろんこれは僕からみて喉の右側という意味です。
 なぜ確実に異常があるといえるのかといえば,エコー検査を行えば本来は見ることができる,すなわち検査の結果として画像に写る筈のすべての部分が見えてはいないからだということでした。左側に関してはすべてが写っているので何も問題はないが,右側はそうではなかったようなのです。僕自身はその映像というか写真を見せてもらったわけではないので,どこがどう写っていないのかまでは分かりませんでしたが,この話によれば左側と右側では写りに差があるということであり,しかし人間の喉は左右で異なった構造をしているというわけではありませんから,正常な状態ではないということは僕にもよく分かりました。
 ではなぜ映らなかったのかといえば,どこかに何らかの異物があるために,その奥を見ることができなかったということでした。しかし異物の正体が何であるのかということまでは分かりませんでした。というか,エコー検査という検査自体が,こうした異物の有無に関して調べるような検査なのであって,それが何かまでは調べることができないような検査なのだそうです。
 何であるのかを調べるためには,CTを撮る必要があるとのことでした。そうしなければ分からないのであれば僕としても断る理由はありません。ということで,今度はCTで検査するということになったのです。もちろんエコー検査と同様に,これも事前の予約が必要であり,この日のうちにはできません。検査日時はおよそ10日後の6月30日と決まりました。
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王将戦&エコー検査

2010-01-16 19:13:03 | 将棋
 昨年の王将戦以来,久々のタイトル保持者同士のタイトル戦となった第59期王将戦七番勝負第一局。対戦成績は開きがあり,羽生善治王将が28勝,久保利明棋王が9勝。
 振駒で久保棋王が先手。三間飛車石田流に対して羽生王将が早めに仕掛けて急戦。先手も穏やかな指し方があったとは思いますが強気に応じ,リードを奪ったようなので,厳密にはこの仕掛けはやや無理筋であったのではないかと思います。しかしこの将棋のハイライトはその後の後手の追い込みでした。飛車の空成りを敢行した後,第1図に。
               
 馬銀両取りに飛車を打ったところ。ここで△4九銀成▲同銀△同馬▲同飛と殺到した後,△6五金と打ちました。なるほど,先手玉を薄くしてから飛車を攻めるのはいかにも実戦的という感じがします。ここで▲4六飛と逃げ△5七銀(第2図)と打たせたのですが,これではもう先手がリードしているとはいい難いような局面になっていると思います。
               
 ここで飛車を逃げる手はあり得ませんから先手も攻め合いに転じました。そして最後は後手玉に詰めろが続くかどうかの勝負に。何とか続きまして勝負は先手が制しています。
 久保棋王が先勝。冒頭にも触れたように,対戦成績がやや開いていましたので,この先勝でシリーズの面白さはさらに大きくなった気がします。

 母と妹の渡米により,僕自身の生活サイクルも少しの変化を持続したまま,いよいよ6月19日のエコー検査の当日を迎えました。時間は午後1時からでした。
 喉のエコー検査は入院中にも1度受けていましたが,方法自体はそのときと同じです。場所も中央検査室の一室。ただ,検査をした技師は,入院していたときは中年の男の人であったのに対し,この日は若い女の人でした。しかし技師はこの病院にひとりというわけではありませんから,これは驚くには値しないでしょう。
 こちらはベッドの上に横になっていればいいだけですから,検査としては楽なものです。ただこの日は,入院中の検査に比べればかなり長い時間を要しました。とくに患部となっている喉の右側に関しては何度も丹念に検査していましたから,結果を聞かずとも,正常であるということはないと確信しました。
 検査結果は技師から患者にではなく,一旦は担当医に報告され,担当医から患者に知らされるというシステムになっています。つまりこの場合はm先生から僕に告げられるということです。そこで僕は長い検査の終了後,今度は耳鼻咽喉科の方に行って,名前が呼ばれるのを待ち,診察室に入りました。
 ところがここで問題が起こりました。どうも技師からm先生への報告書の内容が,m先生を十分に満足させるようなものではなかったようなのです。そこで今度はm先生と再び中央検査室へ向い,同じ部屋でm先生の手によって再度のエコー検査を受けたのです。このときにm先生と技師とが話している内容から,喉のどの部分に問題があるのかは,僕にもおおよその見当がつきました。
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表彰選手&渡米

2010-01-15 20:17:23 | 競輪
 昨年の競輪の表彰選手が13日に発表されました。
 最優秀選手は千葉の海老根恵太選手。東王座戦,寛仁親王牌,競輪グランプリとビッグを3勝。グランプリは賞金が大きいので賞金王にも輝きましたが,競走得点や勝率はさほどではありませんでした。しかし文句なしのMVPでしょう。ほかに函館記念で優勝。2003年の優秀新人選手以来2度目の表彰。
 優秀選手は3人で,まず茨城の武田豊樹選手。こちらも3月の日本選手権,7月のサマーナイトフェスティバル,9月のオールスターとビッグ3勝。勝率こそ低かったものの,海老根選手と甲乙つけ難い成績でした。こちらは2004年の優秀新人選手で,翌年の優秀選手以来3度目の表彰。
 ふたりめは埼玉の平原康多選手。高松宮記念杯,競輪祭とビッグ2勝。西武園記念も優勝しました。初の表彰。
 最後は福島の山崎芳仁選手。1月の競輪祭,全日本選抜,共同通信社杯とビッグ3勝。これも海老根選手や武田選手に劣らない成績と思います。2005年の優秀新人選手で,2006年はMVP,2007年と2008年は優秀選手なので,5年連続しての表彰。
 最優秀新人選手は群馬の木暮安由選手。対象となる選手では競走得点も賞金もトップでした。名古屋記念を勝っています。
 福島の伏見俊昭選手が特別敢闘選手となりました。ビッグは風光るの1勝にとどまりましたが,競走得点と勝率はトップです。いわき平記念を優勝。2007年と2008年も優秀選手ですので,3年連続5度目,ほかに国際賞に4度選ばれています。
 選手をみても分かりますが,昨年の競輪界は東高西低,とくに北日本と関東の活躍ばかりが目立ちました。今年は西日本勢の奮起に期待しましょう。

 5日の再診はごく簡単なものではありましたが,それで心配事がなくなったというわけではありません。といいますのも,喉の腫れの原因というのは,可能性としては腫瘍であるという場合もあるということだったからです。つまり最悪の場合は,喉に悪性の腫瘍ができているということも否定はできなかったのです。
 エコー検査は19日でしたが,その間,これは詳しい日付を覚えていないのですが,12日か13日に母と妹が渡米しました。母の姉はアメリカに嫁いでいまして,1年か2年に1回,母は妹,場合によっては祖母も連れて渡米していましたし,姉,僕からみれば伯母にあたるわけですが,伯母も年に1度は帰日していて,たまたま今年はこの時期と母の渡米が重なったわけです。僕は両親と一緒に生活していますから,たとえば夕食などはほとんどの場合に母が作っています。しかし渡米している間は当然ながらそれができませんから,自分でそれも用意するということになりました。シックデイが完全に終了したとはいいきれない状態ではありましたが,一応の鎮静化をみた後であったのは,少しの幸運であったというべきなのでしょう。
 現在は祖母は毎月10日から月の終りまではショートステイに出ていて,家にはいません。父はいましたが,自分の食事は自分で用意していましたから,僕が作らなければならなかったのは自分の分だけです。そういう意味では,自分が摂取するべき熱量に合わせて支度をすればよかったので,楽といえば楽でした。ただ,やはりご飯だけは1回分だけを炊くというわけにはいきませんでしたから,ある程度の量を炊いて,冷凍庫で保存しておく必要がありました。それよりも面倒なのは買い物。現状,外食というのはやはりできる限り避けたいという思いがありますので,できる限りは家で食べるようにしました。しかし買い物にはそうそう毎日は行っていられませんでしたから,かなりの量を買い込むということになりました。
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船橋記念&再診

2010-01-13 19:25:28 | 地方競馬
 今年の船橋競馬の開幕シリーズは昨日から明後日までの4日間。今日の船橋記念がメーンでした。
 発走はほぼ横一線もスリーセブンスピンのダッシュがよく先頭に。しかし内からサミンバリオスが先手を主張し,さらに外からプライドキムも追い上げ,この3頭が発走後の向正面では雁行状態。最初の400mは23秒5ですから,ハイペースといっていいでしょう。
 コーナーにかかったところでプライドキムはやや苦しくなり,代わって外からフジノウェーブが上昇。直線の入口までこの隊形でしたが,すぐにサミンバリオスは脱落。追い出しにかかるとスリーセブンスピンがフジノウェーブを離していき,そのまま粘って優勝。フジノウェーブが2着で,直線はフジノウェーブの内から追い上げたケイアイスパイダーが,一旦は完全に差したプライドキムに再び追い上げられましたが,何とか凌いで3着。
 優勝したスリーセブンスピンはJRAで4勝を上げ,昨年の暮れに南関東に転入。ここが2戦目。中央時代も短距離一本で走っていた馬ですので,今日は距離短縮がよかったのでしょう。すぐに結果を出して,転入は大成功であったといえると思います。
 鞍上は大井の真島大輔騎手で,一昨年のマイルグランプリ以来の南関東重賞制覇。管理することになった大井の高橋三郎調教師は,騎手時代には制していますが,調教師としては真島騎手ともども船橋記念初制覇となりました。

 5月28日にみなと赤十字病院の耳鼻咽喉科でm先生の診察を受けたとき,処方された薬の量は,うがい薬というのはとくに量が決められているというものでもありませんので,これを別にすれば7日分でした。指定された次の診察は6月5日。つまり初診が木曜で次が金曜でしたから,この間の薬がすべて用意されていたというわけではありません。当然のことながら,再診の日までに薬はなくなり,なくなれば飲めなくなるわけです。したがって鎮痛剤も飲まなくなったわけですが,それで激痛がぶり返すということはありませんでしたし,また,そこまでは激しくなくても,物理的な痛みによって食事が摂取できなくなるということはもちろん,食事を摂取することによって痛みを感じるということさえありませんでした。
 血糖値も高血糖の状態からはすでに脱していましたから,この意味でいえばシックデイは去ったといっていいのでしょう。しかしただひとつ,最初に僕が感じた喉の腫れに関してだけは,明らかに引いてはいた,つまり小さくなってはいたのですが,完全には治まっていませんでした。何か特別の違和感を覚えるほどではなかったのですが,触ればまだ腫れているということは明らかだったのです。
 そういう中で再診を迎えたわけです。m先生は僕の喉を触診し,やはり腫れが完全には治まっていないということを確認しました。そしてこの腫れは,リンパ腺が腫れているものと思われたけれども,何か別に問題があるかもしれないので,エコー検査を受けた方がいいと言いました。もちろん僕も受諾しましたが,エコー検査というのは前もって予約が必要ということで,この日のうちにはできません。そこでこれは2週間後の6月19日に行うということに決まりました。
 結局この日はこれ以外の治療が一切ありませんでしたし,薬の処方もありませんでした。そういうわけで会計を済ませて帰宅となったのですが,診療費は210円。もちろんこんなに安価の治療費であったのは初めてですし,この後にもこんなケースはありませんでした。 
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熊本記念&逆の推測

2010-01-12 18:53:47 | 競輪
 競輪グランプリを優勝した海老根選手の新年初出走となった熊本記念は今日が決勝(動画)でした。並びは鈴木に香川,武田-中村の茨城栃木に西田,海老根-望月の南関東,吉田-藤野の西日本。
 スタートは鈴木が取って前受け。3番手に海老根,5番手に武田,8番手から吉田の周回。残り2周のホームから吉田が上昇,バックで鈴木を叩くと,吉田ラインを追った武田が打鐘から発進。しかしホームでは吉田が突っ張って先行。武田はうまく3番手に入りました。海老根の内で包まれる形になった鈴木がバックにかけてインを3番手まで上がっていきましたが,外になった武田が捲り発進。西田は離れましたが茨城栃木のふたりで捲りきり,後ろをぶっちぎっての直線勝負。寄せつけなかった武田が優勝で中村が2着。3着には鈴木追走から直線で外に出た香川。
 優勝した茨城の武田豊樹選手は昨年はオールスターなど,グレードレースの優勝はビッグばかりで,記念競輪は一昨年9月の取手記念以来となる久々の優勝。当地は一昨々年の記念競輪を制しています。うまく3番手に入れたのが最大の勝因でしょう。ゆっくりめの発進であったとはいえ,熊本の長い走路で後ろを寄せつけなかったのですから,かなり強い内容であったと思います。

 シックデイに血糖値が上昇することを,因果論で示すならば,体調の悪化が原因であり,血糖値の上昇というのは結果であるということになります。しかし,僕たちは,自分の体調が悪化している,あるいはそこまではいかなくとも,自分の身体に何らかの異変が生じているということについて,必ずそれを意識できるのかといったら,そんなことはありません。そこで僕のように血糖値測定を日常的に行っていますと,結果の方から逆に何らかの原因があると疑うようなことが起こります。
 最近の具体的な実例をひとつ挙げてみましょう。
 12月17日の朝,106㎎/㎗と良好であった血糖値が,昼食前には336㎎/㎗と急激に上昇しました。夕食前は計測しなかったのですが,就寝前も274㎎/㎗。その後,計測するたびに200㎎/㎗を超え,これが19日の夕食前の229㎎/㎗まで続き,この日の就寝前の80㎎/㎗から再び落ち着くようになりました。
 この間,僕が自分の体調についてどのように感じていたかというと,実は健康時とまったく変わりありませんでした。したがって生活自体も,とくに何も変わらなかったのです。しかし,これだけ血糖値が高騰したということは,実際には僕の身体に何らかの異変が生じていたのは間違いないところだと思われます。もちろんこうしたときも,自分ではシックデイと意識しているわけではありませんが,血糖値の上昇に合わせて,注射するインスリンの量を増やすという対策は講じます。
 実際にはこうした推測というのは,方法論でいえばスピノザが否定する帰納法にあたりますし,第一部公理四から考えても,僕の精神のうちにはある混乱した観念が生じているのにすぎません。しかしこのことは,少なくとも身体の状態に関するあるサインにはなるわけですし,またこのように高血糖の状態が持続するような間は,自然と普段以上に自分の健康面に関して留意するようになります。日常的に血糖値の計測を行うことは,糖尿病の患者にとって,単に良好な血糖値をコントロールできているかどうかを確認するだけでなく,このようなメリットもあるといえると思います。
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NARグランプリ&改善

2010-01-10 19:08:14 | 地方競馬
 昨年のNARグランプリは7日の発表でした。競走馬部門のみ,簡単に振り返ります。
 年度代表馬は全日本2歳優駿を制した笠松のラブミーチャン。2歳戦とはいえ,大レースを勝ったのがこの1頭ですから,順当な選出であると思います。ほかに兵庫ジュニアグランプリも優勝。部門別では2歳最優秀馬,最優秀牝馬を受賞。
 3歳最優秀馬は浦和記念を圧勝した川崎のブルーラッド。このカテゴリーで唯一の重賞勝ち馬ですから,これも当然の受賞。東京湾カップ,戸塚記念,埼玉栄冠賞と,南関東重賞も3勝しています。
 4歳以上最優秀馬はダイオライト記念優勝のフリオーソ。昨年はこの1勝にとどまったものの,やはり唯一の重賞勝ち馬で,これも順当な受賞といえるでしょう。2008年2007年は年度代表馬,2006年は2歳最優秀馬を受賞していて,4年連続になります。
 ばんえいとアラブはこのブログでは割愛。最優秀短距離馬と最優秀ターフ馬は該当馬なし。僕は部門がある以上,何らかの選出があるべきだという考えではありますが,昨年の場合は仕方ないかもしれません。暮れになってようやく活躍馬が出ましたが,昨年は全般的に低調な地方競馬であったと思います。
 ダートグレード競走特別賞は,かしわ記念,南部杯,ジャパンカップダートを勝ったJRAのエスポワールシチー。これも順当な選出でしょう。ほかにマーチステークスを勝っています。
 2004年と2005年の東京大賞典を連覇し,2006年には川崎記念,かしわ記念,帝王賞と大レースを3勝し,昨年で引退となった船橋のアジュディミツオーが,特別表彰馬になっています。

 シックデイの対処法が示されたプリントには,体調が悪いために食事ができないか,あるいは量が減る場合の対処法と,食事の有無や量とは無関係に,血糖値が高い状況での対処法の両方が書かれていました。もっとも,対処法といっても,インスリン注射の対処法などというものは,注射する量を増やすか減らすかのどちらかしかありません。もちろん前者の場合には減らし,後者の場合には逆に増やすというのが適正な対処となるということは,だれにでも理解できることです。そこで重要なのは,食事の量に応じてどの程度の割合で注射する量を減らし,また血糖値の状況に応じてどの程度の割合で増やすのかという点になります。
 液状の食事しか摂取することができなかった期間,必要な熱量は摂取できませんでしたから,注射の量は減らさなければなりませんでした。しかしその間も高血糖の状態が持続していたわけで,その分は増やさなければなりません。したがってこの間は,結局のところ,いつも注射しているのとほとんど変わらない量のインスリンを注射していました。
 その後は摂取する熱量は足りて,血糖値が高い状態だけが続くということになりましたから,いつもよりも多めのインスリンを注射することになりました。もっとも,6月3日の夕食前は81㎎/㎗で,これは良好な血糖値ですから,こういう場合には普段と同量の注射をしています。4日は朝が123㎎/㎗で,これなら増やす必要はありません。この日はその後は200㎎/㎗は超えていましたが,注射する量を増やすべきとされる値にまでは達していませんでしたから,やはりいつもと同じ量の注射。1日を通じてシックデイの前と同量の注射でよかったのはこの日が初めてで,5日になりますと1日を通じて血糖値が安定するようになりました。したがって,僕のシックデイの終了を血糖値から考えるなら,これは6月5日であったといっていいだろうと思います。
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JRA賞&血糖値の高騰

2010-01-09 19:01:30 | 中央競馬
 昨年度のJRA賞は6日に発表になりました。今年も競走馬部門に絞り,簡潔に紹介しておきます。
 年度代表馬はウオッカヴィクトリアマイル,安田記念,ジャパンカップと大レース3勝。JRAの大レースを3勝した馬はこの馬だけで,妥当な選出ではないでしょうか。部門別では最優秀4歳以上牝馬に選出されています。2008年も年度代表馬で,2007年は特別賞。さらに2006年は最優秀2歳牝馬に選出されていて,JRA賞は4年連続の受賞。
 最優秀2歳は牡馬が朝日杯フューチュリティステークスを勝ったローズキングダムで,牝馬は阪神ジュベナイルフィリーズ優勝のアパパネ。この部門は各々のレースが代表馬決定戦となっていますので,とくに申し添えることはありません。
 最優秀3歳牡馬はダービーを勝ったロジユニヴァース。この部門は難しいと思っていましたが,意外に大差がつきました。この馬の場合,ダービー以後は出走しなかったのも,この選出には少しプラスに働いたかもしれません。今年は本当の意味で力を試される年となります。
 最優秀3歳牝馬は桜花賞オークスを優勝のブエナビスタ。オークス後の4戦は勝てませんでしたが,いずれのレースでも力があるところは見せました。大レース2勝がこの馬だけなので,妥当な選出と思います。今年の競馬の中心の1頭になるでしょう。昨年の最優秀2歳牝馬で,2年連続の受賞です。
 最優秀4歳以上牡馬は宝塚記念有馬記念を勝ったドリームジャーニー。これもやや難しい選択の面があったと思います。2006年の最優秀2歳牡馬で,2度目のJRA賞受賞。
 最優秀短距離馬は高松宮記念スプリンターズステークスを勝ったローレルゲレイロで,これは当然の選出。
 最優秀ダートホースはかしわ記念,南部杯,ジャパンカップダートで大レース3勝のエスポワールシチー。とくにジャパンカップダートの圧勝は印象的で,これも妥当な選出と思います。
 最優秀障害馬は中山大障害を勝ったキングジョイ。この馬も昨年の同部門に続き,2度目の受賞となります。
 秋の天皇賞マイルチャンピオンシップを勝ったカンパニーが特別賞を受賞。年度代表馬のウオッカを秋に2度にわたり降したことと,ドリームジャーニーとのバランスを考えての選出と思いますが,特別賞を出したり出さなかったりする基準がどこにあるのかが不明なのは不満です。なぜ昨年のダイワスカーレットは選出されなかったのでしょうか。

 激痛が継続し,舌の裏のできもののせいで呂律が回らなくなってしまった期間,僕の血糖値は,さすがに救急車で病院に運び込まれたときほどではありませんでしたが,かなり高い数値で推移しました。すでに説明しましたように,この期間は,本来は摂取するべき熱量も十分には摂れないでいたわけですから,本来なら血糖値は低下する,それも,低血糖を心配しなければならないくらいまで低下するのが普通です。よってこの血糖値の高騰は,シックデイが影響したものとしかいいようがありません。
 病院から帰った日の夕食前,血糖値は393㎎/㎗ありました。これは翌朝に一旦は140㎎/㎗まで低下していたのですが,この日はその後はすべて200㎎/㎗を超えていました。30日の朝が184㎎/㎗,31日の朝が196㎎/㎗と,朝は一応は200㎎/㎗を下回るのですが,これは夕食との間隔が長いためであって,朝の血糖値としては異常な水準です。
 激痛は30日の午後には改善していたのですが,高血糖はさらに続き,1日の朝には222㎎/㎗とついに200㎎/㎗を超え,昼に338㎎/㎗,夕食前も343㎎/㎗と,かなり高い数値が続きました。もっともこれは,それまでは十分な熱量を摂取していなかったのに対し,この時期には痛みが和らいだため,きちんとした食事ができるようになった,すなわちそれまでのシックデイの日々よりも多くのエネルギーを摂取するようになったということの影響もあったかもしれません。逆にいえば,それまでの食べられなかった時期に同量の熱量を摂取していれば,もっと高い値がその間に出ていたという可能性もあります。
 この6月1日は内科の通院日でしたから,M先生もこの高血糖状態を知ったわけですが,やはり僕が耳鼻咽喉科の方に通院したということも把握していまして,体調が悪い場合には血糖値も高くなるのが一般的であり,一時的なものであるから過度に心配する必要はないと言ってくれました。やはり同じみなと赤十字病院を選択したのは,正解だったのだと思います。
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