スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

デイリー盃ロジータ記念&遺骨の処置

2018-11-30 19:08:26 | 地方競馬
 金沢から1頭,兵庫から1頭が遠征してきた28日の第29回ロジータ記念
                                     
 発馬が最もよかったのはゴールドパテックでしたが,クレイジーアクセルが先手を主張すると控えて2番手。以下,ファーストスキップ,クロスウィンドの順で続きその後ろにパパドプロスとマルカンセンサー。タオルデスカーフを挟みハーキマーダイヤとベニアカリ。この後ろのピースフルエンゼルまで一団。4馬身差でクリノアリエル。2馬身差の最後尾にミスマンマミーア。スローペースでした。
 2周目の向正面で3番手と4番手は入れ替わり,4番手になったファーストスキップはやや後退。マルカンセンサーやピースフルエンゼルといったあたりは外から進出しようとしましたが,前もペースアップしたために追いつけず,クレイジーアクセル,ゴールドパテック,クロスウィンドの3頭が直線の入口では4番手以下に4馬身ほどのリードをつけ,3頭の争いに。マークしてきたゴールドパテックの追撃は振り切ったクレイジーアクセルでしたが,ゴールドパテックの外から脚を伸ばしたクロスウィンドには差され,抜け出したクロスウィンドが優勝。クレイジーアクセルが2馬身差で2着。ゴールドパテックが4分の3馬身差で3着。
 優勝したクロスウィンドは北海道デビューで昨年はブロッサムカップを優勝。シーズンオフの冬場は浦和に移籍して3戦し,春からまた北海道に。牡馬を相手に三冠の最終戦の王冠賞を優勝。その後8月に1戦して,今年のシーズン終幕を待たずに船橋に転入。初戦で古馬混合のB2以下条件を勝つと前走は出遅れながらA2戦でも4着。3歳馬同士なら通用しそうな結果を残していました。2着馬と3着馬が現状のトップ2でしたから,確かにそれだけの力があったと解釈して間違いないでしょう。前々走の内容から古馬混合のオープンではまだ少し厳しいかもしれませんが,成長の余地はあるので,通用してくる可能性も大いにあるでしょう。父はヴァーミリアン。母の父はアグネスデジタル。母のひとつ上の半姉に2010年に府中牝馬ステークスを勝ったテイエムオーロラ
 騎乗した大井の矢野貴之騎手はハイセイコー記念以来の南関東重賞17勝目。ロジータ記念は初勝利。管理している船橋の佐藤裕太調教師は南関東重賞6勝目でロジータ記念は初勝利。

 読経の後,僕たちを含めた参列者の前で,住職が話をしました。その中に,母の遺骨の処置のことが含まれていました。
 お寺は新しい会堂を建設中で,その中に納骨ができるスペースができることになっていました。母は生前に,そこに自分の骨を入れてもらえるように手配し,その分の代金を払っていました。父の遺骨は父の両親の遺骨とともに日野公園墓地内にある墓に入っていますが,それら3つの遺骨と,ゆくゆくのために僕と妹が入る場所,すなわち計6つの納骨スペースの代金のすべてです。住職はこのとき,母の遺骨をそこに納骨することと,父および父の両親の遺骨もそちらに移すことになるという旨のことを話したのです。
 これは僕にとって有難い話でした。というのは,母の遺骨や父の遺骨の処置をどうするのかということは,僕が独断で決定したとしてもさほど問題ないでしょう。しかし,父の両親の遺骨となると話は別で,父のきょうだいのうちまだ4人は生きているわけですから,その人たちの意向も尊重しなければならなかったからです。ところがこのときに,住職がそのようにすると,あたかも決定事項のように話してくれましたので,父の両親の遺骨を移すことに関しても,僕が中心となって執り行ってよいということが,父方の親戚の間の確認事項のようなものになってくれたからです。本来的にいえば父と母,そして僕と妹の納骨スペースについては,僕たちですべての代金を払わなければならないものですが,父の両親のスペースについては,こちらがまるで勝手に代金を支払って移すことを決定したかのような状態になっていましたから,ここでこの確認が取れたことは僕にとって幸いでした。
 この後,僕は住職の部屋に挨拶にいきました。これはお布施を渡すことが主だった目的だったのですが,このときにTさんを紹介されました。Tさんは母との間柄を詳しく教えてくれたのみならず,妹が入所しているグループホームや,通っている通所施設がいかに優れているところであるのかも教えてくれました。これは僕にとっても心強い話でした。
 さらにもう1点,住職やお寺の人たちに確認しておきたいことがありました。
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農林水産大臣賞典兵庫ジュニアグランプリ&通夜

2018-11-29 19:17:11 | 地方競馬
 昨日の第20回兵庫ジュニアグランプリ
 激しい先行争い。位置を取りにいったオルトグラフと逃げようと内に入ってきたイッツクールに挟まれる形でデンバーテソーロが不利を受けました。オルトグラフも内埒に近いところを走行していたので厳しかったかもしれません。そのイッツクールをさらに外からリンゾウチャネルが抜き去り,向正面に入るところでリンゾウチャネルが先頭でイッツクールが2番手に。3番手はオルトグラフとデンバーテソーロ。その後ろにトーセンガーネット,デルマルーヴル,シングルアップの3頭。さらにインペルフェットとララミーハーバーでここまでは集団。離れてニシノサトルがいてまた離れて最後尾にカンビアーレ。ミドルペースでした。
 向正面でオルトグラフがイッツクールとデンバーテソーロの間を上がっていき,3コーナーを回るところでリンゾウチャネル,イッツクール,オルトグラフの3頭が併走。外を回ったオルトグラフが捲る形で先頭で直線に入りましたが,これを目標に追い上げてきたデルマルーヴルが外からあっさり捕えると抜け出して快勝。オルトグラフが4馬身差で2着。デルマルーヴルの後から追ってきたデンバーテソーロが1馬身差で3着。
 優勝したデルマルーヴルは新馬を4着の後,未勝利,500万と連勝。この馬と2着馬は500万を水準以上の内容で勝っていましたので,ここでは優勝候補とみていました。オルトグラフが先に動いて前を一掃してくれた分の利はあったでしょうが,これだけの着差をつけていますから,こちらの方が強かったのは間違いありません。ただ,同じような内容で500万を勝っている馬はほかにもいますので,その中でどの程度の能力があるのかということは,今後のそういった馬たちとの対戦を見てみないとまだ何ともいえないところでしょう。
                                     
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は第19回から連覇で兵庫ジュニアグランプリ2勝目。管理している戸田博文調教師は兵庫ジュニアグランプリ初勝利。

 8月14日,火曜日。葬儀社の方が母の死亡届を区役所に提出してきてくれました。その帰途に僕の家に寄り,その死亡届と,医師の死亡診断書のコピーとを何枚か届けてくれました。こうしたコピーは後に必要になるからとのことでした。
 8月16日,木曜日。この日が通夜でした。死んだのが11日ですから,もう初七日も近い段階での通夜でした。これは斎場とお寺との日程を合わせて決定されたものでした。
 僕が妹を連れて家を出たのは午後3時50分です。納棺の日に帰ったのとはちょうど逆のルートでバスを乗り継いで行きました。午後4時半に式場に来るようにと葬儀社からはいわれていましたが,実際に着いたのはその時刻を少し回ってからです。久保山霊堂前というバス停を通るバスは概ね30分に1本ですので,バスで行く以上,少しの遅れはやむを得ませんでした。納棺の日は10分くらい待つだけでバスに乗れましたので,タイミングとしては悪くなかったことになります。
 僕たちが到着してすぐに,グループホームで妹を担当されている職員が到着しました。この日は休日にあたっているので,早めに行くことが可能であるという旨の電話をもらっていて,僕としても通夜の開始前に何か用事ができ,妹をひとりにしなければならないケースが生じるかもしれないと思えましたので,お願いしておいたのです。僕たちは参列者とは別の,家族だけの部屋を用意してもらい,その部屋で妹とふたりで待機していたのですが,職員の方もその部屋の方に入ってもらいました。ただ実際には通夜が始まるまで,長時間にわたって妹をひとりにしなければならないような状況にはなりませんでした。
 通夜の開始は午後6時でした。これは事前にお寺の奥さんからの電話でいわれていたことですが,通夜には住職と導師のふたりが来て読経をしました。これはお布施の用意がありますので,事前にいわれていなければ困ったかもしれません。ちなみにお布施をどのように包めばよいのかということは僕は分かりませんでしたので,これは母が死ぬ前に確認しておきました。
 いつもの本門仏立宗の読経と同じで,通夜は1時間ほどで終了しました。
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神奈川新聞社賞ローレル賞&納棺

2018-11-28 19:32:14 | 地方競馬
 北海道から3頭が遠征してきた昨晩の第18回ローレル賞
                                     
 発走後の正面で先頭に立ったのはスティールティアラ。内に潜り込んだアークヴィグラスとホウショウレイルが2番手で並んでいましたが,ホウショウレイルは押さえきれず,1コーナー手前からスティールティアラに並び掛けていく形。スティールティアラも引かなかったのでこの2頭が3番手になったアークヴィグラスに対し,向正面にかけて4馬身くらいのリードをとる形に。1馬身差の4番手にパレスラブリー。4馬身差で5番手にダバイダバイ。また4馬身ほど開き,6番手以下は概ね1馬身の間隔でファイヤーアラーム,ケイエスアッキ,マーチャンスルー,マオノピュアの順。さらに1馬身差でドゥーナとプラチナベルン。2馬身差の最後尾にグレイアンジェラという縦長の隊列。前半の800mは51秒1のハイペース。
 2頭の先行争いが最後の直線まで続き,3番手から追い掛けてきたアークヴィグラスがこの2頭の外に。この3頭の競り合いから抜け出したアークヴィグラスが,後ろの馬の追い上げも凌いで優勝。先行2頭の争いにはスティールティアラが競り勝ちましたが余力はなく,アークヴィグラスの外から追い込んだダバイダバイが半馬身差で2着。さらにその外から脚を伸ばしたパレスラブリーがアタマ差で3着。スティールティアラが4分の3馬身差の4着でホウショウレイルは2馬身差の5着。
 優勝したアークヴィグラスは北海道重賞を連勝した後,エーデルワイス賞も勝利。その後,川崎に転入してここに出走。重賞の勝ち馬ですから能力は上位ですが,南関東生え抜きでいずれも2着馬に2秒以上の差をつけて3連勝していたホウショウレイルがいましたので,人気はそちらに譲っていました。ホウショウレイルはいずれも逃げていたのですが,ここはスティールティアラという力のある馬と競り合うことになったために共倒れ。4番手と5番手の馬が3着と2着に来ているように,3番手のアークヴィグラスにとっても楽な展開でなかったのは事実で,この2頭に対しては着差以上に能力差があるとみていいかもしれません。東京2歳優駿牝馬はもとより,来年のクラシック路線でも有力馬となりそうです。父はサウスヴィグラス。母の父はフジキセキファンシミンファンシーダイナの分枝で3代母は1986年の京成杯と牝馬東京タイムス杯,1987年のエプソムカップと新潟記念とオールカマーに勝ったダイナフェアリー
 騎乗した川崎の瀧川寿希也騎手は平和賞以来の南関東重賞3勝目。第17回に続いてローレル賞連覇。管理している川崎の平田正一調教師は開業から3年3ヶ月で南関東重賞初勝利。

 母は生前,自分が死んだときに着る衣装の希望を示していました。これは淡いピンクの和服です。母の希望はまだ伯母が日本に滞在していた時期に示され,それに合わせて伯母がその着物を二階の箪笥から出し,その箪笥が設置してある部屋に干してありました。本当なら10日の朝早くにみなと赤十字病院からの電話があったとき,僕がそれを持っていっておけば,11日に医師が母の死亡の確認をした後,死化粧をするときに,入院中に着用していたパジャマからそれに着替えさせることができました。ただ,僕もそこまでは気が回らなかったために,持っていくことを忘れてしまったので,母は入院した日に来ていた洋服に着替えさせてもらった上で帰宅したのです。僕の手で遺体に着替えをさせるということは無理ですので,この日に母が希望した和服を持参し,納棺師に着替えさせてもらいました。この間は僕たちは納棺をする部屋の外で待っていました。ただ着替えをするだけでなく,目や口をきちんと閉じるといった処置も同時に行われました。
 納棺は導師の読経の中,30分ほどで終了しました。霊柩車はすでに帰っていますから,僕たちがそれに乗って帰るということはできません。また,出席してくれた伯父夫婦は自家用車で来ていましたが,ふたりの子,すなわち従姉弟がいましたから,僕と妹を送るということはできません。ですのでこの日はバスを乗り継いで帰りました。式場の近くに久保山霊堂前というバス停があり,そこから乗って坂を下りたところの久保山というバス停からは,僕の家にわりと近いところまで行くバスが走っていますから,これはさほど大変ではありません。帰宅したのは午後2時25分でした。
 8月13日,月曜日。朝,眼鏡の左の鼻あての部分のネジが外れてしまい,鼻あてが外れてしまいました。外れたネジ自体は小さなものですが,見つけることができました。ただ,これを自分ではめるということはできないと分かっていましたので,眼鏡屋に行く必要があったのですが,さすがにそれだけの時間的な余裕がありませんでした。ですのでこの日からしばらくの間は,少し度が弱い予備の眼鏡で過ごすことになりました。
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竜王戦&導師

2018-11-27 19:05:22 | 将棋
 24日と25日に福知山城で指された第31期竜王戦七番勝負第四局。
 広瀬章人八段の先手で角換り相腰掛銀。先手から仕掛け後手の羽生善治竜王が反撃する形で進行。この戦いの最中に先手に重大な見落としがあり,後手が優位に立ちました。
                                     
 先手が☖8七歩成を受けるために桂馬を打った局面。いかにも苦しげな手に見えます。
 ここで☖8二飛打とするのがよかったようです。8筋から攻めるためには桂馬を排除しにいくより,桂馬を守っている馬の方を排除しにいくのが優ったということでしょう。
 実戦は☖7六歩☗6八銀☖8七歩成☗同玉☖6九角☗7八歩☖8五飛☗8六桂☖8四飛引☗同馬☖同飛という手順で桂馬と馬を排除しました。ただこの順は先手玉を上部に逃がした上に☗7二飛という攻防手を誘発したため,少し差が縮まりました。
 後手は☖5二歩の手筋。これを☗同飛成は☖7五桂と打たれ☗7六玉には☖4三角の王手龍取りが発生します。なので先手は☗5五歩と銀を補充し反撃の機を窺いました。
 ここで☖8五歩と打ち☗7六玉と逃げられて悪くしたという感想が残っています。
                                     
 ただ,第2図では☖6三桂と先手玉の上部を押さえておく手があったかもしれません。実戦と同じように☗7三飛成なら☖7五歩と打ち,先手玉が下に逃げたときに飛車を見捨てて☖5三歩と銀を取っておく手が成立していると思われるからです。実戦は単に☖8六歩と桂馬を取ったので☗7三飛成に☖8一飛と後手を引き,手番が先手に回ってはっきり逆転しました。この後,後手はもう少し粘る順があったと思うのですが,あっさり土俵を割る形で終局しました。
 広瀬八段が勝って2勝2敗。第五局は来月4日と5日です。

 この後,近所の方が何人か弔問に訪れてくれました。また,町内会の掲示板に張り出す母の訃報についての手配もしてくれました。
 8月12日,日曜日。午前11時半ごろに,父のきょうだいのうち三女の長男,僕からみれば従兄が夫婦で来訪しました。この日のうちに母の遺体を納棺することになっていましたので,その前に母の顔を見ておきたかったからです。
 納棺は通夜と葬儀を執り行う式場で行われることになっていました。正午に葬儀社の方が来訪し,母の遺体を霊柩車に移し,僕と妹が前日と同様に霊柩車に同乗してその式場に向いました。従兄夫婦は式場には行きませんでしたから,見送りを受ける形になりました。式場は西区の久保山という場所です。西区といっても南区との境で,僕の家からはそう遠いところではありません。久保山には斎場,すなわち火葬場があり,式場はこの斎場と隣接していました。斎場は久保山と決定してましたので,大変に都合のよいところだったといえるでしょう。
 僕たちが式場に着いたとき,父のきょうだいの次男,すなわち前日に家に来てくれた伯父夫婦と,この伯父の長女と次男,僕からみるとふたりの従姉弟が来ていました。従姉弟は共に家を出て,とくに長女の方は宇都宮に住んでいますから会うことも滅多にないのですが,ちょうどお盆の時期ということで,実家に帰省していたとのことでした。
 お寺からは導師が来ました。このお寺の住職の夫婦には娘がふたりいて,息子はいません。僕は詳しいことは知らないので推測なのですが,現在の導師はこのふたりの娘のうちのどちらかの夫だと思います。これはお寺が発行する通信があり,そこに書かれている名前からの推測です。明らかに姉妹と思われるふたりの名前があり,そのうちのひとりは姓が住職と同じで,もうひとりが導師と同じなのです。導師の出自がどうなっているかは分かりませんが,僕はゆくゆくは現在の導師が住職になる,いい換えればこのお寺を継ぐことになるのだろうと思っています。なお,現在の住職というのは,それ以前の住職の息子です。それ以前の住職というのは本門仏立宗の中でもかなり高位の住職だったようです。
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朝日新聞社杯競輪祭&帰宅

2018-11-26 19:25:40 | 競輪
 小倉競輪場で行われた昨晩の第60回競輪祭の決勝。並びは平原‐諸橋の関東,脇本‐柴崎‐浅井の近畿中部,太田‐香川の四国で菅田と清水は単騎。
 号砲後,だれも出ていかないのを見て浅井がスタートを取り,同じタイミングで前を取りにいった脇本を迎え入れて前受け。4番手に平原,6番手に菅田,7番手に太田,最後尾に清水で周回。
 太田が動いていったのは残り3周のバックの出口から。残り2周のホームでようやく脇本を抑えにいきましたが,脇本は誘導を抜いて突っ張りました。清水が太田に続かず,菅田の後ろにスイッチしたので,7番手が清水,引かされた太田が8番手となって打鐘。この一列棒状のままバックに。ここから平原が発進。スピードは悪くありませんでしたが,柴崎が渾身のブロック。最終コーナーで内が開いたので浅井が脇本の後ろに。そのまま踏んだ浅井が逃げる脇本を差して優勝。逃げ粘った脇本が4分の1車輪差で2着。バックの出口から自力で動いた清水が外から二人目のところを伸びて1車身差の3着。
 優勝した三重の浅井康太選手は前回出場の豊橋記念から連続優勝。ビッグは昨年のKEIRINグランプリ以来の6勝目。GⅠは2011年のオールスター競輪以来の3勝目で競輪祭は初優勝。このレースは決勝進出の選手が決まった段階で,清水と太田が結束すれば脇本に対抗できるかもしれないと思ったのですが,別ラインを選択。その段階で脇本の優位は動かないように思えました。太田が動くのがいかにも遅すぎたために,脇本が突っ張り先行のレースに。柴崎の仕事が大きかったですし,脇本も2周に近い先行ではありましたが,現状の脇本の力量を考えれば,それを差した浅井も素晴らしいのではないかと思います。

 諸々の連絡を入れているうちに,午前10時近くになっていました。霊柩車が迎えにくるまでにはまだ時間がありましたので,1階のコンビニエンスストアまで買い物に行き,家族控室で妹とふたりで朝食を摂りました。
 予定の時刻に霊柩車が到着したという連絡が入りましたので,病院の関係者にそれを伝えすでに死化粧を終えた母の遺体をエレベーターで1階まで降ろしてもらいました。このエレベーターは母が緩和病棟に入院したときに使用したもので,したがって霊柩車は緩和病棟の専用の入口の近く,入院したときにタクシーを停めてもらった場所まで来ていました。僕が心配していたのは,母の遺体のほかに霊柩車に何人が乗れるのかということでした。父が死んだときには僕だけが霊柩車に乗って帰ったのですが,もしもひとりしか乗れないということであれば,まさか妹をひとりで帰すわけにはいきませんし,妹を葬儀社の方に任せるのもどうかと思えましたので,だれも同乗はせず,妹とふたりでタクシーで帰るつもりでした。そこでこのことを尋ねたところ,霊柩車にはふたりは乗れるということでしたので,妹と一緒に霊柩車で帰りました。
 家に着いたのは午前11時半でした。この時点で,父のきょうだいの次男の夫婦と葬儀社の方が家の前に到着していて,僕たちの帰りを待っていました。まず介護用のベッドを片付けた部屋に布団を敷き,そこに母の遺体を寝かせました。このとき,顔に白い布を被せられた母の姿を見て,ようやく妹も母が死んだということを理解することができたようです。そこにいた全員で線香を立てました。
 この後,葬儀社の方と諸々の段取りを決定しました。これは納棺および通夜と葬儀の場所と日程,そのときにどういう食事を出し,どういったお返しをするのか,また,そのときに使用する写真をどれにするのかとか,祭壇をどう飾るのかなどといった,これら一連の儀式に関係するすべてのことです。
 これらが決定したところで葬儀社の方は帰り,伯父夫婦が買って持ってきてくれていたおにぎりやサンドイッチなどで4人で昼食としました。これが午後1時半ごろで,伯父夫婦はその後で帰宅しました。
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ロンジン賞ジャパンカップ&死亡の確認

2018-11-25 19:27:22 | 中央競馬
 アイルランドから1頭,イギリスから1頭が招待され,北海道から1頭が遠征してきた第38回ジャパンカップ
 サンダリングブルーは発馬後に寄られる不利を受けました。先手を奪ったのはキセキ。2馬身くらいのリード。2番手はアーモンドアイとノーブルマーズ。4番手にガンコ。5番手はスワーヴリチャードとウインテンダネス。7番手にハッピーグリンとシュヴァルグラン。9番手がサトノダイヤモンドとサウンズオブアース。11番手がサトノクラウンで12番手にカプリ。ここから3馬身ほど開いて13番手にミッキースワローで最後尾にサンダリングブルー。最初の1000mは59秒9のスローペース。
 キセキは早めにスパートし,4コーナーを回るところでリードは4馬身。2番手を内で併走していたアーモンドアイはキセキの外に進路を選択。この外からスワーヴリチャードが追ってきたのですが,直線ではスワーヴリチャードは逃げるキセキと追うアーモンドアイにまた離される形になり優勝争いは前の2頭。キセキも止まってはいないのですがアーモンドアイの脚がそれを上回り,差し切ってレコードタイムで優勝。逃げ粘ったキセキが1馬身4分の3差で2着。スワーヴリチャードは3馬身半差の3着でさらに後ろから伸びたシュヴァルグランがクビ差で4着。
 優勝したアーモンドアイ秋華賞に続いて大レース4連勝となる4勝目。ここまでの成績およびレース内容から,相手関係は一気に強化されるものの,能力は間違いなく通用するだろうと思われました。この距離に対する適性が高いとはみていませんでしたので,よほどスタミナを問われるレースになってしまうと崩れることもなきにしもあらずとは考えていましたが,メンバーをみればそういうレースにはなりそうもなく,実際にその通りでした。これまでの記録を大幅に更新するレコードタイムが出たのは,2着馬があまりペースを落とさずに引っ張ったことと,馬場状態の影響もあったでしょうが,この馬の能力の証のひとつといえます。日本最強のみならず世界最強クラスの馬の筈です。父はロードカナロア。母がフサイチパンドラで祖母がロッタレース
                                     
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手はJBCスプリント以来の大レース制覇。第29回以来9年ぶりのジャパンカップ2勝目。管理している国枝栄調教師は秋華賞以来の大レース15勝目。ジャパンカップは初勝利。

 すぐ看護師が病室に来てくれましたので,僕はどうも母が呼吸をしていないようだと伝えました。看護師は手首の脈と瞳孔を診察し,すぐに医師を呼んでくれました。医師もすぐに来て,母の死亡を確認しました。午前9時18分でした。
 こういうわけで,母の死亡診断書には死亡したのは午前9時18分となっています。ただ,僕はそれ以前から母を見守り,呼吸の間隔が長くなり,やがてそれが停止するのを目撃していたわけですから,妹を呼ぶのはともかく,看護師を呼び,医師が確認するといったことは,一連の儀式のようなものにすぎませんでした。それを儀式のようなものと感じたのは,おそらく父の最期の時に行われた一連の流れと完全に同一だったこともひとつの理由としてあると思います。
 母が死ぬということは前もって理解していましたから,悲しみの感情はさほど湧きませんでした。感慨としていえば,母は僕にとって「波の上」の人になったという気持ちが強かったです。このときは「永久欠番」になったのではなく,あくまでも「波の上」の人になったという気持ちでした。僕はこのときの感情についてはこれ以上はうまく説明することができません。
 母は自分が死んだときにだれに連絡するのかということをノートに書き残してありましたので,まずそこに連絡を入れました。お寺,親戚,母の友人たちです。ただ,ロサンゼルスの伯母には電話では連絡できませんので,メールで連絡を入れました。葬儀や通夜については,お寺の信者に葬儀社の方がいますので,お寺の方からそちらに連絡を入れてもらいました。少しするとその葬儀社から連絡があり,午前11時ごろに霊柩車で迎えに行くとのことでした。
 母は死化粧をするためにベッドに乗せられたまま別室に運ばれました。僕は前にいった一連の儀式のすべてを目撃させるために,ナースコールのボタンを押す前に家族控室で眠っていた妹を起こして病室へ連れてきたのですが,妹はこの時点ではまだ母が死んだということを理解できていなかったようです。ただ,妹がそれを理解していないということについては,僕はこのときには分からず,後で判明することになりました。
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大山名人杯倉敷藤花戦&呼吸停止

2018-11-24 19:33:48 | 将棋
 倉敷市芸文館で指された第26期倉敷藤花戦三番勝負第二局。
 谷口由紀女流二段の先手。里見香奈倉敷藤花の三間飛車に先手が向飛車に振っての相振飛車。先手の序盤戦術が稚拙で作戦負けになったと思いますが,戦いが始まったところではまだ何とかできそうな感じもしました。
                                     
 5六で銀が交換され,先手の☗5七歩に飛車が引いた局面。これが本格的な戦いが開始された局面です。
 先手は☗4六銀と打ちました。交換したばかりの銀を一方的に受けに使うのでは苦しいのでしょうが,後手が5筋を攻めてくるのは目に見えていますので,あらかじめ受けておいた手。苦しい手が必要なのはそれ以前の局面に原因があり,この手はここではいい手だったのではないかと思います。後手は☖3三桂と跳ねました。先手は☗3六歩と立て直しを図り後手は桂馬が跳ねる足場を作る☖4五歩。
 ここから☗6五歩☖同歩☗3五銀と進めたのですが,この一連の手順が悪く,挽回するのが難しい差がつくことになったのではないかと思います。後手が☖1五角と逃げたところで☗3七桂と跳ねましたが,これなら何もせずに跳ねておいた方がまだよかったでしょう。後手は☖4五桂とぶつけました。
 ここで☗1六歩と突くのは仕方がなかったと思いますが☖4二角が絶好の引き場所。先手が☗4六銀と引いたところで☖7五角と大転換されてしまいました。
                                     
 第2図となっては飛車が逃げるほかなく,角交換から後手が先んじて馬を作ることになります。この手順が成立したのは後手が6筋を突き捨てたからで,その順もよくなかったということになるでしょう。
 連勝で里見倉敷藤花が防衛第16期,17期,18期,19期,20期,23期,24期,25期に続く四連覇で通算9期目の倉敷藤花です。

 幸いにして歯科に行っている間に母の様態が急変することはありませんでした。僕たちは計算の受付だけして,病室に戻りました。この間にクラークが来て,7月分の入院費の請求書を置いていきました。7月は緩和病棟の有料の病室に入院している期間が長かったので,18万円でした。これはさすがにこの日のうちに払える額ではありません。ただ,妹の医療費の精算は必要ですので,計算が終っているだろう頃合いを見計らい,僕は再び1階に行き,精算を済ませました。何度かいっているように妹の医療費は無料ですので,支払いをするというわけではなく,次回の予約票を受け取るのが主です。
 そのまま妹とふたりで母のそばに待機していましたが,様子が変わるところはありませんでした。午後6時35分に看護師が診察をしましたが,やはり変化はないとのことでした。ただ,このまま帰宅するわけにいきませんから,この時点でこの夜は病院で過ごすことを決意しました。このためにこのブログはこの8月10日だけは投稿がありませんでした。
 看護師が変わりはないと診断してくれましたので,さしあたり僕はまた1階に行き,夕食を買ってきました。妹が先に食べ,僕が食べたのが午後7時25分でした。食べ終わってまだ様子を見守っていましたが,やはり変化はないようなので,午後9時半になって妹を家族控室に移動させ,そちらで眠らせました。僕は病室に戻り,母のベッドの脇のストレッチャーに横になりました。
 深夜から未明,また夜が明けてからも何度も看護師が訪れ,母の様子を窺い,また寝返りを打たせてくれたりしていました。夜が明けても母の状況は変わりませんでした。
 8月11日,金曜日。午前9時ごろになり,母が呼吸をすることがだいぶ難しくなってきているような感じを受けました。1回の呼吸が荒く,また呼吸と呼吸の間隔も長いのです。しばし見守っていましたが,どうもそのまま呼吸が途絶えたようでした。この呼吸の止まり方は父の最期とそっくりでした。この時点でまだ妹は家族控室で眠っていましたので,僕は妹を起こし,ふたりで病室に戻りました。それからナースコールのボタンを押しました。
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農林水産大臣賞典浦和記念&歯科検診

2018-11-23 18:52:47 | 地方競馬
 第39回浦和記念
 トーセンデュークとシュテルングランツの逃げ争い。1周目の向正面では並んでいましたが,3コーナーからのコーナーワークでトーセンデュークが前に出てシュテルングランツは2番手に。3番手にグリム。4番手にアポロケンタッキーとクリソライトでここまでが先行集団。2馬身差でオールブラッシュ。3馬身差でトキノエクセレント。1馬身差でブレイズアトレイル。2馬身差でヤマノファイト。1馬身差でガリバルディ。4馬身差の最後尾にコスモマイギフトといった隊列で1周目の正面に。逃げ争いが決着したためここで縦長だった馬群も凝縮してきました。前半の1000mは62秒2のミドルペース。
 2周目の向正面に入るとグリムがじわじわと上昇。トーセンデューク,シュテルングランツ,グリムは概ね半馬身差の間隔に。この後ろにアポロケンタッキーとクリソライトで直後にオールブラッシュ。さらにその後ろのトキノエクセレントまでが勝負圏内に。3コーナーでは前3頭の外からグリムが先頭。しかし3コーナー手前から動いていったオールブラッシュが勢いよくグリムの外を進出。グリムは対応しようとしたものの瞬時に加速はできず,捲り切ったオールブラッシュが直線の入口ではセーフティリードを奪って優勝。懸命に追おうとしたグリムが4馬身差で2着。グリムの外から追い縋ったクリソライトが1馬身差の3着。
                                
 優勝したオールブラッシュは昨年の川崎記念以来の勝利で重賞2勝目。ここは相手関係は弱化してましたので,入着なら有望と考えていましたが,優勝はあまり想定していませんでした。今日は早めにスピードに乗せて動いていった騎手の判断が的確で,それが勝利に大きく貢献したのではないかと思います。出し抜けを食わせるような形でしたから,2着馬との着差ほどの能力差はないと考えるべきでしょうが,右回りよりは左回りの方が走りやすい面があるのかもしれません。今日のようなレースができるのなら,小回りの方がよりチャンスが高くなるような気はします。母はブラッシングプリンセス。姪に昨年のスパーキングレディーカップ,今年のエンプレス杯,マリーンカップ,JBCレディスクラシックを勝っている現役のアンジュデジール
 騎乗した田辺裕信騎手と管理している村山明調教師は浦和記念初勝利。

 僕がストレッチャーに横になっている間にも,看護師がたびたび病室を訪れ,母の様子を窺ってくれました。看護師は,母はよく頑張っているという意味のことを何度か言いました。これは逆にいったらもう死んでしまっておかしくはないという意味であり,看護師からみて母がそのような状況に陥っているということなのだと僕は解しました。
 正午になっても母の状況は変化がありませんでしたので,僕は再び1階のコンビニエンスストアまで行き,昼食を買いました。家族控室で眠っていた妹を起こし,病室に戻ってふたりで昼食を摂りました。食事を終えると妹は再び家族控室に移動し,また横になって眠りました。
 午後2時15分に看護師が来て,また血圧を計測しました。このときは59まで下降していました。この段階に至ると,人間の身体は血流を脳に優先的に送るように作用するようになるのだそうです。その影響か,母の脚はかなり冷えていましたし,変色もしていました。
 前日に妹を迎えに行っていたからこの日は妹と病院に来ることになったのですが,これはこの日が妹の歯科検診に該当していたからでした。これが午後3時からです。歯科,正確にいうと歯科口腔科は1階にありますから,移動をするとしても直前で大丈夫です。ただ心配なのは,妹が治療を受けている間に母の容態が急変してしまうことでした。どうするか迷うところがありましたが,同じ院内にいるわけですから,最悪のことがあっても歯科の治療であればすぐに中止してもらい,緩和病棟に戻ることは可能と思えましたので,看護師にその旨を話し,この日のうちに検診を受けてしまうことにしました。そもそも中止にすると次にいつ検診を受けることができるか決定できない状況でしたから,この日のうちに受けてしまえるなら受けたかったのも事実です。看護師もそれで了解してくれましたので,家族控室の妹を起こし,検診へ向いました。
 この日もクリーニングをしただけだったのですが,いつもより出血が多かったとのことでした。クリーニングをすると歯茎が引き締まり,その影響で歯の隙間が大きくなるので,そこをよく磨くようにとの指示を受けました。
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ブラッシングプリンセス&家族控室

2018-11-22 19:08:43 | 血統
 4日のJBCレディスクラシックは勝負根性を発揮したアンジュデジールが差し返して大レース制覇を達成しました。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は祖母のブラッシングプリンセスになります。ファミリーナンバー2-n
                                     
 ブラッシングプリンセスは1996年のアメリカ産馬。2000年から2003年まで,アメリカで4頭の産駒を産んだ後,種付けされ受胎した状態で輸入されました。なので2004年の産駒からは日本産ということになります。
 3頭目の産駒は牝馬。ティックルピンクと名付けられたこの馬は,3歳4月に未勝利戦でデビューしこのレースは勝ったもののその後の3戦は未勝利で繁殖牝馬になりました。この馬がアンジュデジールの母です。アンジュデジールの2つ上の半兄は現役でオープン2勝,重賞でも3着に入ったことがあるアキトクレッセントですから,競走成績からすれば優秀な繁殖成績といえるでしょう。
 2012年にブラッシングプリンセスが産んだ牡馬が現役のオールブラッシュ。昨年の川崎記念の勝ち馬です。このレースはメンバーと展開に恵まれた部分が多分にあり,実際にその後は10連敗中です。ただ,大レースはフロックで勝てるというものでもなく,ブラッシングプリンセスの繁殖牝馬としての優秀性を示した1頭とはいえるでしょう。
 この牝系は日本ではさほど多くの活躍馬は出ていません。最も近いところで,ブラッシングプリンセスの祖母の子孫から,2013年に中山金杯を勝ったタッチミーノットがいるくらいです。
 ブラッシングプリンセスはオールブラッシュを産んだ後,キンシャサノキセキを受胎した状態で韓国に輸出されています。したがって日本で牝系が広がっていくためには,アンジュデジールをはじめとする,残された牝馬から活躍馬が出てくる必要があります。

 そのまま母の様子をしばし見守っていましたが,どうもすぐに死んでしまうということはないように感じられました。ですから一旦は1階のコンビニエンスストアに行き,僕と妹の朝食を購入しました。ふたりでそれを母の病室で食しました。
 午前7時20分に夜勤の看護師が病室に来ました。このとき血圧を計測しましたが,80台でした。電話で知らせを受けたときには60台まで低下していたのですから,持ち直したことになります。看護師は家族が来て声を掛けるとこのように持ち直すことはままあるといっていました。ただこのときに母の血圧が上昇したのが,本当に僕と妹が駆け付けたからであったのかどうかは何ともいえません。
 さらに看護師は,簡易ベッド,これは実際にはストレッチャーのようなものですが,それを1台,この病室に用意してくれました。これは朝早くに起きたからまだ眠いのではないかという配慮からです。とりあえずこのストレッチャーに妹を寝かせました。妹はすぐに眠ってしまいました。
 午前9時に医師が来て,聴診器を用いて母を診察しました。胸の音には変化はないとのことでした。ただ,この胸の音というのが,肺の音に変化はなく,母が呼吸について苦しんでいないという意味であったのか,あるいは心臓の音に変化はないので,まだ大丈夫であるという意味であったのかは,今となっては定かではありません。ただ,僕が到着したときに感じたように,すぐにも死んでしまうという状況ではないのは間違いないのだろうと僕は受け取りました。
 午前9時35分に,この日の担当の看護師が来て,再び血圧を計測しました。このときにはまた60台まで低下していました。この後,看護師が別室を用意してくれました。これは家族控室という名称の部屋です。そこはわりと大きめの部屋で,テレビもあり,また備え付けのテーブルの前には大きめのソファーがあって,そこで横になることができました。午前10時になってから妹をそちらの部屋に移動させ,毛布を用意してもらって眠らせました。僕は母の病室で,ベッドの横に用意してもらったストレッチャーに横になりました。僕も少し眠ってしまいました。
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リコー杯女流王座戦&午前5時半の電話

2018-11-21 19:27:23 | 将棋
 静岡市で指された第8期女流王座戦五番勝負第三局。
 清水市代女流六段の先手で里見香奈女流王座のごきげん中飛車。⑤①-Aから持久戦に。先手が5筋の位を取る代償に後手が3筋の歩を伸ばし,先手が3八に歩を受けるという展開になったのですが,この交換は先手の損の方が大きく,苦戦を招くことになりました。
                                     
 後手が5一の角を上がった局面。ここで先手は☗8八玉と寄り☖3五銀☗7八金☖4六銀☗同角と進めたのですが,☖5八歩と打たれることになり,一層の悪化を招いたように思われます。
 先手は☗2四歩☖同歩と突き捨てて☗5四歩と伸ばしましたが,あっさり☖5九歩成でと金を作られました。
                                     
 第1図の時点でおそらく先手が苦戦なので,どう対応してもよくはならなかったと思いますが,実戦の対応はかなり拙い部類だったのではないでしょうか。総じていえば第1図のような局面になってしまったことが問題で,どの手が,というよりは,先手の大局観がよくなかった一局だったという印象です。
 3連勝で里見王座が防衛第3期,6期,7期に続く三連覇で4期目の女流王座です。

 母は話をすることができない状況に至っていたわけですから,僕が聞かせたことを理解することができたのかどうかは分かりません。ただ,こちらから伝えておきたいことがあるのであれば,たとえこのような状況であっても,口に出しておくことは大事なことなのではないかと僕は思います。
 木曜日に迎えに行ったのは,翌日が妹の歯科検診だったからです。指定歯科はみなと赤十字病院ですから,通院と見舞いを兼ねることが可能でした。ですから正確にいうと妹の夏休みは,13日の月曜日からだったのであり,10日の金曜日は通院のための休みでした。
 8月10日,金曜日。午前5時半に病院から電話がありました。母の血圧が60台まで低下し,脈拍も弱くなっているので,すぐに病院に来るようにとの知らせでした。僕ひとりではなく妹もいましたから,起こした上で着替え等の準備もしなければなりません。なので少し時間が掛かるかもしれないと伝えました。
 家を出ることができたのは午前5時50分でした。この時間ですし,また急がなければならないのですから,タクシーを探さなければなりません。そこで妹を連れて,広い道を根岸駅方面へと歩きました。僕の家から根岸駅に向かうということであればこれは遠回りになるのですが,近い道は狭く,タクシーが通る可能性はほぼありません。つまりタクシーが通り得る道の方を選択したということです。最悪の場合,そのまま根岸駅まで歩くことも視野に入れていました。駅まで行けばタクシー乗り場があり,そこからタクシーに乗ることができるからです。しかし,歩いているとすぐに空車のタクシーが来ましたので,さほど歩くことなく乗車することができました。
 病院に到着したのは午前6時10分でした。この時間は正面玄関は開いていませんので,タクシードライバーは緊急用の入口の近くまで入ってくれました。こちらはただみなと赤十字病院まで行ってくださいと言っただけですが,この時間ですし,どういう事情であるのかを察してくれたのだと思います。
 病室に入って母に呼び掛けました。この時点ではことばにはなりませんが声も出せましたし,目も開きました。
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フリオーソ&特別乗車券

2018-11-20 19:40:04 | 名馬
 7日の平和賞ヒカリオーソが一杯に逃げ切りました。父はフリオーソです。ふたつ下の半弟に2012年の金盃大井記念,2013年の金盃に勝ったトーセンルーチェ。Furiosoはイタリア語で猛烈に。音楽用語です。
 2歳7月にデビュー。連勝して出走した平和賞は追い込み届かずハナ差で2着。内田博幸騎手に代わった全日本2歳優駿を2馬身差で優勝して大レース制覇。NARグランプリの2歳最優秀馬に選出されました。
 3歳初戦は中央に遠征した共同通信杯。これは1秒差の7着。中舘英二騎手が乗ったスプリングステークスで大敗し,芝のクラシック路線から撤退。内田騎手に戻って羽田盃が3着,東京ダービーは2着。内田騎手が中央馬に騎乗したため今野忠成騎手が乗ったジャパンダートダービーで大レース2勝目。秋は内田騎手に戻ってJBCクラシックヴァーミリアンの2着。ジャパンカップダートはヴァーミリアンの11着と大敗。再び今野騎手が乗った東京大賞典もヴァーミリアンの2着でした。NARグランプリの年度代表馬に。
 4歳初戦の川崎記念は2着。戸崎圭太騎手を主戦に向えたダイオライト記念は5馬身差で圧勝。帝王賞で大レース3勝目。秋は川島正太郎騎手が乗った日本テレビ盃は2着。戸崎騎手と遠征したJBCクラシックはヴァーミリアンの4着でジャパンカップダートカネヒキリの7着。東京大賞典もカネヒキリの5着。この年もNARグランプリの年度代表馬に。
 5歳初戦の川崎記念もカネヒキリの2着。ダイオライト記念は4馬身差で連覇。かしわ記念エスポワールシチーの5着。帝王賞がヴァーミリアンの2着。遠征したブリーダーズゴールドカップは4着。年末の東京大賞典からの復帰で7着と,この年は重賞1勝,大レースは未勝利。NARグランプリも4歳以上最優秀馬に留まりました。
 6歳初戦の川崎記念はミルコ・デムーロ騎手でカネヒキリの2着。戸崎騎手に戻ったダイオライト記念を5着に負けて暗雲が立ち込めましたが,かしわ記念でエスポワールシチーの2着になると帝王賞でカネヒキリを降して大レース4勝目。秋は日本テレビ盃を優勝し,JBCクラシック,東京大賞典と連続2着。NARグランプリの年度代表馬に。
 7歳初戦の川崎記念は圧勝で大レース5勝目。デムーロ騎手で挑んたフェブラリーステークスは猛烈な追い込みで2着。かしわ記念で大レース6勝目をあげました。秋は復帰戦に予定していた日本テレビ盃を競走除外となり,この年は後半は全休。NARグランプリの年度代表馬に。
 8歳初戦の川崎記念が復帰戦となり3着。ダイオライト記念はハイペースに巻き込まれ5着。かしわ記念はエスポワールシチーの2着。ここから休養に入り東京大賞典を引退レースに。これは6着でした。この年は未勝利でしたが他との比較でNARグランプリの4歳以上最優秀牡馬に選出されています。
 地方所属で大レースを勝ちまくった馬は現在のところこの馬で最後。種牡馬としては登録産駒は少なくはないのですが,地区重賞どまりで南関東重賞の勝ち馬も4年目の産駒となるヒカリオーソが初。正念場にあるといえそうです。

 帰宅して午後9時ごろに,Yさんから電話がありました。Yさんは僕が到着する前に見舞いに行っていたのですが,そのことの報告でした。
 8月9日,木曜日。この日は午前中に見舞いに行き,母の隣で昼食を摂りました。これは午後から妹を迎えに行く必要があったからです。ところがこのとき,ひとつの失敗を犯してしまいました。
 横浜市では重度知的障害者に対しては,タクシーの割引券か,バスや地下鉄の特別乗車券のどちらかが支給されることになっています。これは有料ですが,値段はきわめて安価で,タクシーはともかくバスと電車に関しては無料のパスといってもそんなに不適当ではありません。妹はバスを利用しますから,バスの特別乗車券の方を支給してもらっています。これは10月1日から翌年の9月30日まで有効のもので,事前に指定の料金を払えば,郵便局で発行してもらえます。
 このパスは,妹が今の通所施設に通うようになった当初は,送って行った日の朝に,通所施設の職員に渡し,グループホームで管理してもらって,帰って来る日に妹に持たせてもらうようにしてもらっていました。ところがグループホームの利用者の中に,紙を細かく切ってしまうのが好きな人がいて,このパスが切られそうになったという報告がありました。なのでそれ以来,送って行ったら僕が持ち帰り,迎えに行く日に持っていくようにしていたのです。ところがこの日はそれを家に置いてきてしまいました。見舞いに行くということの方に気が回っていて,その後で迎えに行くということを出掛けるときに度忘れしてしまったためだと思います。なので,病院からそのまま通所施設に向かうのではなく,一旦は家に帰らなければなりませんでした。そのため,それまでの同じ日に比べると,病院を早めに出なければならなくなったのです。
 妹はこの後,夏休みに入るのでしばらく家に滞在することになっていました。このために見舞いの回数や時間が減少してしまう可能性がありましたし,緊急時には妹も連れて行く必要があるので,母の臨終に間に合わない可能性もそれだけ高くなっていました。こうしたことを母に聞かせて,病院を出ました。
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JT将棋日本シリーズ&同級生

2018-11-19 19:10:05 | 将棋
 幕張メッセで指された昨日の第39回将棋日本シリーズプロ公式戦の決勝。対戦成績は渡辺明棋王が5勝,菅井竜也七段が2勝。
 振駒で菅井七段の先手となり5筋位取り中飛車。先手の穴熊に対して後手の渡辺棋王は2筋の位を取り,2四に角を転換しての銀冠。後手の工夫が実った感じがしなかったので,戦いが始まってからは先手の方が有利に進めていたのではないかと思います。
                                     
 後手が歩を叩いた局面。ここで先手は☗2五桂と打ちました。この金取りを放置して攻め合うのはとても危険に思えるのですが,☖2八歩成☗同玉☖2七歩に☗3八玉と交わした局面は先手玉が詰みませんから,最短の勝ちを目指せるのならこれでよかったのかもしれません。しかしそういう方法がないのなら,受けに回るべきだったのでしょう。
 逆に後手は一旦は受けに回る必要が出たので☖3一金と引きました。
                                     
 ここから先手は☗2四桂☖同銀と捨て☗3一龍からすぐに詰ましにいきました。これは詰みがあるとみての指し方だったのでしょうが後手玉は詰まず,後手の勝ちになりました。第2図では☗3五桂と駒を渡さずに攻めていく指し方もあります。それでもだめということであれば,第1図で攻め合いに出たのがよくなかったということになるでしょう。
                                     
 渡辺棋王が優勝。2014年度の日本シリーズ以来となる10回目の棋戦優勝で,日本シリーズは2度目の優勝です。

 僕は長者町には長い期間にわたって通っていましたが,その一時期,帰宅するバスの車内でよく会う同級生がいました。彼はその時期は,前の仕事を辞めて新しい仕事を探していた時期だったのですが,職探しから彼が帰る時間と,僕が長者町から帰る時間とが近かったため,僕が帰るためにバスに乗り込むと,彼が乗っているということが何度かあったのです。この晩,みなと赤十字病院入口のバス停でバスを待っていたのがその彼でした。
 彼は実家は僕の家,というのが僕の実家に該当しますが,そこと同じ町内にあります。ただ,幼馴染という関係とは違い,同じ町内ですから同じ小学校に通い,5年生のときに同じクラスになったときに親しくなりました。ありふれたことばでいえば友達になったといっていいでしょう。たぶんそれまでは話をしたこともなかったのではないかと思います。僕のプロレスキャリアが開始することになったのは,同じクラスにプロレスファンだった同級生がいたからなのですが,この同級生というのが彼です。中学校も同じでしたから,クラスが同じか否かで会話の頻度というのは当然ながら変わりますが,関係性はほとんど変わりませんでした。ただ,中学校を卒業すると進む道が別になりましたので,同じ町内に住んでいても会うということは減りました。
 その後,彼は実家を離れていて,仕事を辞めたときに戻ってきたようです。ですから僕が長者町に行っていた頃に会ったのは,少なく見積もっても20年を超えての再会だった筈です。それから少しの間は頻繁に会っていたのですが,いつしか僕が乗るバスに彼が乗っているというケースはなくなりました。彼は仕事を探していたので,きっといい仕事が見つかったのだろうと思っていたのです。
 その後1度だけ,僕がWINS横浜から帰るバスに途中から彼が乗ってきたということがありました。この晩に会ったのはそれ以来ではなかったかと思います。彼は現在はみなと赤十字病院の近辺にある倉庫に勤務していて,この日はその仕事帰りだったようです。僕もなぜこの時間にここからバスに乗っているのかという事情を話し,途中までではありますが一緒に帰りました。
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マイルチャンピオンシップ&バスの遅延

2018-11-18 19:02:33 | 中央競馬
 第35回マイルチャンピオンシップ
 ブラックムーン,ヒーズインラブ,ジャンダルムの3頭はほかの馬より加速が鈍く,発走後は置かれました。アルアインとロジクライが並んで先頭,2列目にジュールポレール,ウインブライト,アエロリットの3頭,3列目にペルシアンナイト,レーヌミノル,レッドアヴァンセ,ケイアイノーテックの4頭。4列目に追い上げたヒーズインラブとモズアスコットとロードクエスト,5列目がカツジとミッキーグローリー。ブラックムーンが後方2番手でジャンダルムが最後尾という隊列で向正面の前半を通過。3コーナーにかけてさらに隊列に動きがあり,アエロリットが先手を奪って2番手はアルアインとロジクライとケイアイノーテックという並びに変化。前半の800mは47秒1のスローペース。
 直線に入るとこれら3頭の外からエアスピネルが追ってきましたが,逃げたアエロリットを外から追い抜いたアルアインが先頭に。そのすぐ外からミッキーグローリーが追い上げ2番手に。しかし内を回ったステルヴィオの伸びがよく,アルアインを捕えて先頭。さらに最内に進路を取ったのがペルシアンナイトで,この馬がステルヴィオを追い詰めたものの届かず,優勝はステルヴィオ。ペルシアンナイトがアタマ差で2着。直線先頭のアルアインは1馬身4分の1差で3着。外から3頭目を追い込んだカツジがアタマ差の4着でミッキーグローリーはクビ差で5着。
 優勝したステルヴィオはスプリングステークス以来の勝利で大レース初制覇。クラシックを走りましたが,距離適性はおそらくもっと短いところにあり,今秋の初戦に選んだ毎日王冠でも古馬を相手に2着に食い込んでいましたので,能力的には勝っておかしくないと思っていました。結果的にいうと内を回った2頭で抜け出す形になりましたので,1番枠に入ったことはかなりプラスの要素だったのではないかと思います。昨年に続いて3歳馬が勝利したことになりますので,レースの傾向がやや変わりつつあるのかもしれません。父はロードカナロア。母のひとつ上の半兄に2011年に阪神ジャンプステークスを勝ったクランエンブレム。さらに母のひとつ下の半弟に2011年に新潟ジャンプステークスを勝ったクリーバレン。馬名はイタリアの国立公園。
 騎乗したイギリスのウィリアム・ビュイック騎手は日本馬に騎乗しての大レースも日本の大レースも初勝利。管理している木村哲也調教師は開業から7年4ヶ月で大レース初勝利。

 8月8日,水曜日。昼にYさんから電話があり,この日のうちに見舞いに行くとの報告がありました。これはYさんひとりではなく,もうひとり,Yさんが家を訪問してくれたときに来たUさんも一緒とのことでした。すでに母は話ができない状況に陥っていましたから,前夜の電話では僕からは見舞いには来なくていいと答えておいたのですが,YさんにしろUさんにしろ母の親しい友人ですから,母が死を迎える前にもう一度だけでも顔を見ておきたいという気持ちが湧いたとしても不思議ではありません。僕としても,来てほしくないから断ったというわけではありませんでしたから,このような申し出があったらそれを断るような理由はありませんでした。
 僕は午後から見舞いに行ったのですが,この日はどういう理由であったか定かではありませんが,病院に行くためのバスが20分以上も遅延していたために,病院の到着時刻もいつもより遅れてしまいました。そのときにはもうYさんとUさんは帰った後でした。母は話すことができませんから,当然ながらふたりが来たということを僕に教えることはできません。ただ,この日の担当の看護師が,それらしきふたりが見舞いに来ていたということを教えてくれましたので,来てくれたことは間違いありません。
 この日も母の傍らで夕食を摂ってから帰宅しました。この時間になりますと,病院の敷地内を通って根岸駅方面に向かうバスはありません。ですから大通りまで出て,みなと赤十字病院入口というバス停から乗車して根岸駅に向かうことになります。この日,僕がそのバス停に到着すると,見知った顔がありました。小学校と中学校のときの同級生でした。
 僕は以前はよく長者町に行っていました。始まりの日の直前に,ここが阪東橋に移転しましたので,今は長者町に行くことはありません。阪東橋は位置関係でいえば僕の家からなら長者町より近いですので,長者町に行くよりは阪東橋に行く方が楽です。ただ,母の病気があり,妹の面倒もみなくてはいけなくなりましたから,長者町の頃は週に3回ほどは行っていましたが,その後は概ね週に1回になり,これが現在の時点でも続いています。
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リコー杯女流王座戦&夕食

2018-11-17 19:05:03 | 将棋
 8日に高知市で指された第8期女流王座戦五番勝負第二局。
 里見香奈女流王座の先手で5筋位取り中飛車。戦いが始まってすぐに差がつく将棋でした。
                                     
 6八にいた金が上がった局面。ここで後手の清水市代女流六段は☖7二飛と寄りました。金がいなくなった7筋を牽制する一手でしたが,これが軽率だったようです。
 先手は形は☗4七金ですがチャンスとみて☗5六金と攻めに使うことを選択しました。これが好判断。後手は☖5四歩と打ったのですが☗5五歩と合わせ☖同歩☗同銀☖5四歩☗6四銀☖同歩で銀の交換になりました。たぶん後手はこれで一旦は収まるとみていたのだと思いますが,もしそうならそれは判断ミス。したがって最初に☖5四歩と打つところでは別の手が必要で,正着は☖3三角だったようです。ただこの手は中央が争点となっている局面では発見しにくいかもしれません。
                                     
 先手は☗5五歩と合わせていきました。後手はこの手を軽視していたようです。ここに至っては☖同歩☗同金☖5四歩と進めるほかなかったようです。しかし☗6三銀と打たれました。
 飛車を逃げては歩を打った意味がありませんから☖5五歩☗7二銀不成はそう進むところなのでしょう。そのとき先手は☗5五飛~☗8五飛と回る手が生じているので受けなければなりません。ただ☖5四銀と上がると☗8一銀成以下,後手の駒損が拡大してじり貧になります。よって☖6七銀不成をみせて☖5六銀と打ちました。ただこれには桂馬を取るのではなくて☗6三銀成。
                                     
 第3図で☖6七銀成としてしまうと構わずに☗5五飛と走られて困ります。よってこの局面はすでに後手が収拾がつかなくなっていました。
 里見王座が連勝。第三局は21日です。

 この日は看護師だけでなく,医師からも話を聞くことができました。もう話ができませんから本人がどのように感じているかは正確には分からないのだけれども,聴診器で聴く肺の音から判断する限りでは,痰が絡んでいるという様子もなく,苦しみを感じているということはないだろうとのことでした。
 母は話すことはできませんが,こちらからは声を掛けたり,言いたいことを言ったりはします。ことばはありませんが声は出しますし,また,目の反応などはありました。ただ,こちらが喋っていることを正確に理解できているのかどうかまでは分かりません。ただ,それが理解できているかどうかがこちらからは不明であるがゆえに,むしろ話しやすいと思えるようなこともあります。ものすごく単純にいってしまうと,普段であれば気恥ずかして口に出せないようなことであっても,このような状況であれば率直に話せるという類のことです。もちろんそれは母が理解できると確信がもてる間に言っておくべきことだったのかもしれませんが,このような状況を少しの間だけでも僕に与えてくれたことについては,僕は今でも有難かったと思っています。
 そしてこの日から,僕は母の病室で夕食を摂ってから帰宅するようにしました。これは少しでも長く母のそばにいられるようにするためであると同時に,母の病状がさらに悪化したときに,病院に滞在していた方がいい,つまり不測の事態に備えるというふたつの理由からです。この8月7日から何日かの間,このブログはそれまであるいはそれ以後と比較したときに,投稿の時刻が少しばかり遅くなっていますが,これはこの事情によるものでした。
 帰宅してから,Yさんから電話がありました。Yさんは母が入院したということを知りませんでした。KさんはFさんには伝え,そのためにFさんは見舞いに来てくれたのですが,Yさんには伝えていなかったようです。これはおそらく,KさんとFさんほど,KさんとYさんは親しい間柄ではなかったからだと思います。Yさんはそれなら見舞いに行きたいと申し出てくれたのですが,すでに母は会話をできる状態ではありませんでしたので,お断りしました。
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大山名人杯倉敷藤花戦&血圧の低下

2018-11-16 19:05:10 | 将棋
 6日に指された第26期倉敷藤花戦三番勝負第一局。対戦成績は里見香奈倉敷藤花が6勝,谷口由紀女流二段が1勝。
 大山名人記念館館長による振駒で里見倉敷藤花の先手。初手☗2六歩で居飛車を明示。後手が態度を保留しているうちに舟囲い模様に組んだので,谷口二段も居飛車を選択。力将棋からの大乱戦になりましたが,先手の囲いの不備を突いた後手の攻めが強力で,勝ちの局面まで進みました。
                                     
 後手が6六に銀を打ち,5五にいた先手の龍が逃げた局面。ここに至るまでに後手は詰みを逃しているのですが,この局面も後手の勝勢というより勝ちといっていいくらいだと思います。
 ここでは☖8四龍と引くか☖6四金と打つのがよかったと思われます。実戦の☖5三金はとても筋がよい手で指したくなるところですが,このために☗5二角という手が生じました。
 さらに☖7二玉と逃げたのもよくなく,☖7一玉とするべきでした。先手は☗4一角成の一手。後手は☖5四金打と押さえます。これには☗5二桂成か☗6七桂の二択ですが,後者が選択されました。これは☖5五金打とされたときには桂馬を渡す方がましなので,当然の選択かもしれません。
 7二に玉が逃げた上に5四に金を打ったので,ここでは一旦は☖8一龍と引いて4一の馬を排除しにいかなければならなかったようです。ただ,そういう手順が必要なら,すでに難しくなっているといえるでしょう。実戦は☖6七同銀不成☗同歩☖4八龍と攻めを続けました。
                                     
 第2図は逆転しています。☗5四龍☖同金で金を入手した先手が☗8四桂以下の即詰みに打ち取りました。
 里見倉敷藤花が先勝。負けの局面が長かった将棋を粘っての逆転なので大きな1勝でしょう。第二局は24日です。

 8月5日,日曜日。僕は妹にとってグループホームと通所施設での生活はハードであり,妹の睡眠時間が不足しているのではないかという心配を常に抱いています。したがって妹が休日に家にいて,何らかの用事,たとえばピアノのレッスンがあって支度をしなければならないというような事情がない限り,妹を起こすことはしません。この日も同様だったのですが,妹は午後の3時まで起きてきませんでした。それから食事をさせて見舞いに行っていたのでは大変ですし,翌日は通所施設に出勤しなければならないのですから,それに支障を来してしまうおそれもありました。なのでこの日は見舞いには行きませんでした。前日に遺言めいたことを言われていたこともあったので,これはこれでよかったのだと思っています。
 8月6日,月曜日。妹を通所施設に送りました。妹がいませんので午後は僕が見舞いに行きました。こちらから呼び掛けますと明らかな反応があり,目を開いたりもするのですが,話をすることはできませんでした。すでに記したように正確な意味での会話をすることができたのは4日が最後で,別れ際に母が妹と僕に対してことばを発したのは,母自身がこれが最後になるだろうということを予期していたからだったのかもしれません。
 8月7日,火曜日。午前7時半に病院から電話がありました。母の血圧が70台まで低下しているという連絡でした。ただ,看護師が声を掛けるとそれには反応するので,すぐに死んでしまうという可能性は低いだろうということでした。なので僕はすぐには病院には行かず,もしまたもう一段階,母の病状が悪化するということがあればすぐに連絡をくれるようにと依頼をしておきました。
 僕が病院に行ったのは午後です。このとき,Kさんが見舞いに来てくれていました。僕とは会わなかったのですが,Kさんは1日にも見舞いに来たとのことでした。この日は無理でしたが1日であれば話をすることができた筈で,おそらくKさんと母との間で最後の会話があったのはその日のことだったろうと思います。
 看護師の話では,血圧の低下は急激なものではなく,徐々に下がっているということでした。
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