スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

不死鳥杯&宿泊訓練

2012-07-31 18:33:17 | 競輪
 地元のエースがふたり揃って参戦した福井記念の決勝。並びは山崎-佐藤の福島,木暮ー稲村の群馬,武田-中村の茨城栃木,脇本-市田の福井で吉田は単騎。
 スタートは市田が取って脇本の前受け。3番手に武田,吉田を挟んで6番手に木暮,8番手から山崎で周回。残り2周のホーム手前から山崎が上昇。しかし脇本がすぐに誘導を外して突っ張る構えを見せると山崎は引いて再び8番手。周回中のままの一列棒状に戻り,そのままバックから打鐘となり,脇本の突っ張り先行に。バックに入ると3番手の武田が発進。市田は止められず切り替えられずで地元勢は万事休す。そのまま抜け出した武田が優勝。マークの中村が2着に続いて茨城栃木でワンツー。このラインを追走というレースになった吉田も流れ込んで3着。
                         
 優勝した茨城の武田豊樹選手は先月の高松宮記念杯以来の優勝。記念競輪はその前の西武園記念を制していてGⅢは18勝目。このシリーズの脇本は強く,すんなりと駆けられては捲るのは大変ではないかと考えていましたが,今日は脇本がかなり無理をして行く形。その3番手を取ったのですから楽勝となったのも当然でしょう。地元勢は作戦失敗で,逆に武田は大作戦勝ちであったということだと思います。

 その翌日が妹の同僚の母親の葬儀であったわけですが,これにはも妹も参列していません。そしてこの日は,妹が,通っている作業所を運営している福祉法人の施設を利用しての宿泊訓練でした。
 これは1年に1度,必ず実施されているものです。以前にも説明しましたように,福祉法人というのはいわば障害者のコミュニティーのようなものになっていて,ここで日々の生活を送っている,要するに住んでいる人もいるわけです。妹は現在は家で暮らしていて,それでとりたてて問題があるというわけではありませんが,いつ何が起こるかということはだれにも分かりません。ですから,いつの日か妹もここに居住する必要性に迫られるという可能性もないわけではないのです。そこで万が一そういった事態が生じたときに,そこでの暮らしに慣れておくことがその目的。したがってこれは,妹の作業所の同僚で,かつ妹と同様に,自宅から通っている人はすべて,1年に1度は体験していることです。
 この宿泊訓練は1泊2日。これは毎年そうです。ですから妹が自宅に不在であったのは20日の夜だけで,21日には帰ってきました。そして翌22日の金曜日から,今度はショートステイでまた不在となりました。
 今回のショートステイは異例の試みというか,初めてのケースでした。僕が妹の支援としてこれを利用したとき,1泊2日のショートステイを月に2回利用したこと,そして現在はそれが2泊3日で月に1回と,これは母の希望で変更になったということは何度かいっている通りです。しかしいずれの場合にも,これまでにこのサービスを利用したのはウィークデーのことでした。だから当日の作業の終了後に作業所の方が施設まで妹を送り,翌朝は施設の方が作業所まで妹を送るということが繰り返されていたわけです。ところが今回は金曜日からのショートステイということからも分かりますように,ウィークデイではなく,ウィークエンドでのこのサービスの利用となったわけです。妹には月に1度の土曜出勤というのがあったわけですが,23日の土曜日はそれには該当していませんでしたから,作業所と施設の間の移動というのが不要であったということになります。
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『漱石の道程』&強風

2012-07-29 18:36:26 | 歌・小説
 これまで幾度かにわたってドストエフスキーの小説がいかにキリスト教と密接な関係を有しているかを説明してきたのは,漱石のドストエフスキー評二律背反になっている理由,とくに夏目漱石がドストエフスキーに否定的見解を有する理由の一端を,漱石による社会主義の評価と共に担っているのではないかと僕が考えているからです。つまり僕は,漱石はキリスト教に対して,あまりよい印象を抱いていなかったのではないかと思っているのです。
 漱石自身,キリスト教に関してそう多くのことを言及しているわけではありません。また,そうした言及も非常に断片的なもので,ひとつのきちんとした理論としてはまったく示していないといって過言ではありません。そこで,そうした断片的な資料を収集し,かつ自身による調査も含めて漱石とキリスト教との関係を研究したものとして,高木文雄による「漱石と聖書」という研究論文があります。僕の漱石とキリスト教との関係の考察も,この論文に非常に多くを負っています。これは『漱石の道程』という著書の中にまとめられていますが,ぼくも古書店で半ば偶然に入手できたものですから,もしかしたら現在は入手が困難かもしれません。
                         
 最初に一言だけ注意しておきます。僕はスピノザ主義者ですから,キリスト教徒ではありません。第一部定義六とキリスト教の教えとは,明らかに相容れない部分があるからです。そういう立場から読んでいますと,この高木の研究は,部分的にといっていいのですが,キリスト教信者という視点からの研究という要素が垣間見えないでもないのです。高木がどのような信仰を抱いていたのかは僕には分かりませんが,こうした研究をするためにはキリスト教に対する知識が必要ですし,またこうした研究をなそうとする理由として,キリスト教への関心も必要でしょう。そういう意味からすれば,完全に無信仰であるような僕がそのように感じてしまうということは,おそらく不自然ではないだろうと思います。ただ,僕はそうした部分に関しては,この研究をやや割り引いて理解しているというように考えてください。

 この直後に,妹の作業所の同僚の母親が亡くなられたという連絡が入りました。通夜が19日の夜で,葬儀はその翌日となる20日とのこと。は通夜の方に出席するとのことでした。
 実はこのとき,ちょっとした行き違いが僕と母との間でありました。妹の同僚の母親の通夜ですから,僕は母が妹と一緒に行くものだと思い込んでいたのです。しかし母は妹は家に置いて,ひとりだけで通夜に行く算段だったようです。通夜は午後6時からで,そうも遠くない場所でしたから,午後5時半過ぎに出掛ければ十分に間に合いましたが,これは要するに,母が出掛けている間は僕が家にいなければならないということを意味していました。妹をひとりで家に置いていくわけにはいかないからです。
 実際にはこの19日は,僕は家からすぐ近くのところの仕事。歩いていくことも可能でしたが,このときは新しい自転車を利用しています。ほぼ買い物のためだけの利用でしたが,この日は例外的な日だったわけです。そういったこともあり,午後2時半頃にはもう帰宅していましたから,行き違い自体が何か問題を生じさせたというわけではありません。僕の方も現在は,このくらいの時間に家にいないということはほとんどありませんでしたから,母としても自分だけが通夜に行くということを,僕には言っておかなくても大丈夫だろうと考えていたようです。
 実はこの日,横浜には台風が接近していました。通夜に出席するといっても,母は参列するというわけではなく,焼香だけ済ませて帰宅するつもりであったようです。会場はその方の自宅ではなく,葬儀場でしたが,バスで出掛けたところ,別の妹の同僚の親も来ていまして,その方が自動車を利用していたということで,帰りは自宅の近くまで送ってもらったようです。このおかげで,母が出掛けている間は,まだ雨も風もそこまでは強くなっていない状況でした。ただ,このときの台風は非常に大きなものでして,とくに雨よりも風が強烈で,最も接近した時間帯には家が揺れるくらいの強い風が吹きました。日本の天候というのは,たとえば僕が子どもの頃には考えられなかったというような状況が現在は普通に起こっていますが,こんなに強い風が吹いたということも,少なくとも僕の家の辺りでは初めてだったように思います。
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田上明&コミュニティセンター

2012-07-27 18:25:05 | NOAH
 NOAHの旗揚げの直前,三沢は全日本プロレスの社長であったわけですが,これは馬場の死に伴ったもの。それ以前は選手会長を務めていました。仲田龍は『NOAHを創った男』の中で,三沢を中間管理職として位置付けていましたが,これはその選手会長時代のことといえます。
                         
 社長就任に伴い,三沢は当然ながら選手会長は退きました。代わってその地位に就いたのは田上明でした。僕の三沢への評価の理由というのは,ほとんどのレスラーが三沢を慕ってNOAHの旗揚げに参加したという点にあるのですが,このとき,選手会長として田上が果たした役割というのも,少なくないものがあったのではないかと思います。
 NOAHが設立されたのは2000年で,選手の退団はその年の6月。全員がその直前まで試合に出場していましたし,退団後も,いくつかの興行には出場しています。しかしこの年の4月以降,これは全日本に残った川田と渕を含め,全選手が全日本プロレスと契約を更改していませんでした。つまりおよそ2ヶ月ほどは,フリーの立場で全日本に参戦していたということになります。
 全選手が一致して契約を更新しなかったのは,もちろん個々のレスラーが三沢を支持していたからでしょう。しかし全選手が一致してこうした行動をとったということには,選手会長としての田上の役割も,少なくはなかったのではないかと思うのです。
 三沢の殉死の後,NOAHの社長には田上が就任しました。これは三沢が生前から,田上に次期社長の就任を打診していたからだときいています。もちろんそれが本当であるかどうか,僕は知る由もありません。ただ,三沢はプロレスラーとしては,川田や田上よりも小橋の方を高く評価していました。とくに田上に対しては,はっきりと練習不足であるという主旨のことをいっています。それなのに小橋ではなく田上の方が社長としては相応しいと本当に考えていたのだとしたら,この当時の選手会長としての田上の手腕を高く評価していたからではないのだろうかと思うのです。

 翌週の金曜日,6月15日の午前中は,I歯科へと歯科検診に赴きました。この日も内容はいつもと同じで,とくに何事もなく終了。ただ,どうしたわけかこの日は今までよりも処置点というのが100点ほど高くなっていました。なので実際には僕には気付くことがなかった何らかの処置が施されていたのかもしれません。ただ,医学管理という点数の方が逆に60点ほど低くなっていましたので,内容は同じでも点数の処理の仕方が変更になったとも考えられます。いずれにしても合計では40点ほど高くなりましたので,治療費も今までより高くなっています。僕の場合は国民健康保険で3割負担ですから,40点高くなれば,120円高くなるということになります。
 その翌日,16日の土曜日が,この月の妹のガイドヘルパーの利用日。この日は本牧にある中学校へ。といってもこれは中学校で何かの行事があったというわけではありません。現在,横浜市立の小学校や中学校のいくつかは,コミュニティセンターとしても利用されていて,とくに休日などには何らかの催しや教室などが開催されることがあります。この日はその利用。実は4月のガイドヘルパーの利用時もこのコミュニティセンターで,そのときはプリザーブドフラワーを作ってきました。おそらくは体験教室のようなもので,それにガイドヘルパーの方が申し込んだのだろうと思います。この日もそれと似たようなもので,こけ玉という,釣忍の下の部分のものを作ってきました。こうした教室のようなものはよく外出予定の中に入っていますので,おそらく担当しているガイドヘルパーの方に,こうした催しの連絡が入っているのだろうと思います。プリザーブドフラワーにしろ釣忍にしろ,それを作って妹が楽しいのかどうかは分かりませんが,ガイドヘルパーの方がそれぞれに申し込んだのは意図があったようで,前者は少し早いけれども母の日のプレゼントで,後者は父の日のプレゼントということを意味していたようです。はもうすでに死んでいますからこの日は単に釣忍を作って持ち帰ってきただけですが,4月のプリザーブドフラワーのときは,への感謝のメッセージが添えられていました。
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王位戦&水曜の迎え

2012-07-25 19:17:07 | 将棋
 先週で今年の全日程を終了した函館競馬場の近くでの対局となった第53期王位戦七番勝負第二局。
 藤井猛九段の先手で角道オープン四間飛車。19手目に先手から角を交換し,後手の羽生善治王位は手損ながら8筋の歩を交換しました。
                         
 ここで先手は▲7六角と打ったのですが,少しオーバーにいえば早くもこの将棋の勝着となったように思います。後手の△8五歩は飛車交換を避ける意図。先手は構わず▲8八飛で,あくまでも先手の狙いを阻止するなら△9三桂しかありません。そこで先手は▲9五歩とこちらに転戦。△同歩▲同香△9四歩で1日目が終了し,封じ手は▲9二歩。
                         
 すでにこの時点で一定の差がついていたのではないかと思えます。ここから香車を取り合う展開になりましたが,後手にはチャンスらしいチャンスがなかったように感じられた一局でした。
 藤井九段が勝利して1勝1敗。羽生戦は11連敗していたようですが,これ以上ないと思えるような完勝で,自信を得ることができたのではないかと思います。楽しみになった第三局は来月の1日と2日です。

 なぜが水曜の家までの迎えを断ったのかといいますと,これは家で待っている時間と関係がありました。実はこの迎えのサービスというのは,いつでも決まった時間に迎えに来るというわけではなかったのです。これは当然といえば当然で,迎えに来るのは,人は決まってはいませんでしたが,作業所の職員。この職員は先に作業所に出勤し,その後に迎えに来るわけです。しかしこうした作業所にあっては,いつもいつも決まったようにスケジュールを消化できるというわけではありません。一方,迎えに来る間は作業所を空けることになるわけで,もちろん常駐の職員というのは何人もいるわけですが,作業所での仕事が忙しい場合には,迎えが後回しになってしまうというケースが出てきてしまうのです。したがって,こちらの方としては準備万端,もういつ迎えに来てもらっても構わないという状況になっていたとしても,家で待機していなければならないということは,確かにしばしばありました。
 これはこの新たなる支援の開始当初からそうだったのです。僕としては,マイペースである妹を作業所まで送っていくことに精神的な負担を感じていましたから,迎えに来てもらえるのであれば待たせておけばよいと考えていたのですが,母は僕とは逆で,待っている時間が長引くくらいならば自分で送っていってしまった方がましだと感じたのでしょう。スピノザは第三部諸感情の定義一で,人間が受動的である限りおける本性を欲望であると定義していますが,ここの部分はまさに僕と母の受動的な本性の相違に依拠しているといえます。したがって僕からは迎えに来てほしいという欲望が強く生じ,母からは送っていきたいという欲望が強く生じるということになるのです。このことは第三部定理五七からも明らかだといえるでしょう。岩波文庫版113ページ,第二部自然学②公理一から,受動的である限り,僕の受動の様式と母の受動の様式とは異なった様式であるからです。
 現在は,母の都合がつかないという場合を除いては,母が妹を送っていきます。よって母の欲望の通り,迎えのサービスを減らしたのは妥当な判断であったといえると思います。
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中野カップ&レッスン

2012-07-24 18:35:20 | 競輪
 GⅠから中3日での開催となった久留米記念の決勝。並びは岡田ー長塚の関東に鈴木,浅井-山内の中部,吉本-池田ー橋本の西国で伏見が単騎。
 浅井が前受けし,3番手は吉本,伏見を挟んで7番手に岡田という周回であった模様。上昇した岡田は残り2周のホームでまずは吉本に蓋をし,バックになってから浅井を叩いてこのラインが前に出て打鐘。ここから外を吉本が巻き返し,伏見まで出きってホームから先行。すぐに浅井が巻き返しにいきましたが岡田が牽制して再び8番手。その岡田がバックから捲っていったものの,3コーナーを過ぎて一杯。展開的には明らかに前が有利となりましたが,立て直して残り半周から捲り追い込む形になった浅井が直線で外を突き抜けて優勝。2着は接戦でしたが番手の池田が吉本を僅かに交わし,逃げ粘った吉本が3着。
 優勝した三重の浅井康太選手は月初めの岐阜記念に続く記念競輪4勝目。ここは能力は上位ですからチャンス十分。展開はおおよそ最悪といっていいものであったように思うのですが,それを力で乗り越えたといった感じ。今後も活躍し続けていくものと思います。
 久留米市は豪雨で被害がありました。この開催の売り上げが少しでも被災地復旧の役に立ってほしいと思います。

 ところがその後すぐ,母の異変が生じました。先生が無事に出産したということは,母の入院中に連絡を受けていたのですが,レッスンはまだ再開できませんでした。とても僕にはそこまで手が回らなかったからです。また,母はその年の暮には退院してきたわけですが,退院してすぐは,母自身が自分の体力というものに自信を持てなかったということもあり,すぐに再開というわけにはいかなかったのです。
 そしてその後,さらに問題が生じました。今度は先生の母親の方が体調を悪くしてしまい,入院することになってしまったのです。このため先生の方が忙しくなってしまいました。命に別条があったわけではなく,無事に退院することはできたようですが,介護が必要な状況であったため,こちらの事情だけでいえば,いつレッスンを再開しても大丈夫という状況になっていても,実際の再開は延び延びとなっていました。先生の母親の状況も徐々に改善してある程度の落ち着きを取り戻したので,それがようやく再開されることになったのが6月2日の土曜日。およそ2年ぶりのことでした。ただし,それまでは月に4回していたこのレッスンですが,現在のところは月に2回と,回数の方は半減しています。
 そしてその翌週の水曜日,6月6日のことになりますが,この日は母が妹を作業所まで送っていきました。水曜日は新たなる支援である家までの迎えがある日ですが,母は水曜の迎えは断り,月曜と金曜の週2回に減らしたのです。実は僕はこのことを前日の夜に知らされましたので,施設の方とどういった話し合いがあったのかということは分かりません。ただ,これは先方からの依頼ではなく,母の方から持ち出したことであるということだけは確かなようです。おそらく何らかの話し合いがあったのは5月のうちで,6月から迎えは週2回にすると申し出たものと思います。この6月6日というのが,この月の最初の水曜日ですから,この日から母が送っていくということになったということなのでしょう。この変更は月が変わって現在も続いていますし,おそらく今後も続いていくでしょう。つまり,火曜,水曜,木曜と,週に3日は母が作業所へ送っていくことになったのです。
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キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス&ピアノ

2012-07-22 18:31:46 | 海外競馬
 日本時間の今日未明,英国のアスコット競馬場で行われたキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスGⅠ芝12ハロンに,今年の日本ダービーを勝ったディープブリランテが参戦しました。
 一般にヨーロッパの馬は発馬がゆっくりですから,ペースメーカーがいたとはいえ,この馬ではかなり前にいくことになってしまうのではないかと予期していたのですが,意外にほぼ五分といえる発馬に。中団の外につけ,そのまま内に入れることができず,行きたがるのを何とか宥めるといった感じの追走。道中で無駄に労力を消費してしまったこともあり,直線での追い合いではまったく伸びず,前7頭からは離されての8着というゴールでした。
 ダービーは勝ちましたが,基本的なこの馬の距離適性はもう少し短いところにあると思え,日本とは比べ物にならないくらいタフなコースの12ハロンは克服困難でした。ここは優勝馬が昨年の凱旋門賞を勝ったデインドリーム,首の上げ下げで2着惜敗のNathanielは昨年のキングジョージの勝ち馬,3着になったSt.Nicholas Abbeyが昨年のブリーダーズカップターフの勝ち馬と,かなり強力メンバーで,斤量差はあっても相手関係も厳しいものでした。日本でならこの距離でも好走が可能でしょうし,能力があることは疑い得ませんから,これを糧にして,帰国後の活躍に期待したいところです。

 僕の家には1台のピアノがあります。これは僕が中学生か高校生の頃,まだ昭和の時代に購入したものですから,僕の家にやってきてから,少なく見積もってももう25年近くが経過したものです。ピアノを購入した目的は,妹がそれで遊ぶのを好んだからでした。そういうわけで,これを購入してから,概ね月に4回ほど,ピアノの先生に来てもらい,妹に指導をしてもらっていました。とはいっても,やはり妹はクラシックの楽曲などを流暢に弾けるようにはなりませんし,こちらでもそうしたことを期待していたわけではありません。それでも簡単な童謡などは,右手でメロディー,左手で和音といった演奏はできるようにはなりましたが,レッスンの内容の大部分は,先生の伴奏に合わせて歌うということ。妹はボーリングとカラオケを娯楽としては好むといいましたが,これはいわば生のカラオケのようなものであり,よって妹の人生の楽しみのひとつであったわけです。実際にはこんなことのためにピアノの先生を呼ぶなどということは,労力の無駄遣いといえなくもありませんが,僕の家にはきちんとピアノを演奏できる人がいませんでしたから,仕方がなかったのです。
 レッスンはピアノを購入してすぐに始めましたから,こちらも25年くらいになるでしょうか。これだけの年月ですから当然ながら先生の方は何人か交代しましたが,何らかの事情で回数が減るということはあっても,レッスン自体はずっと続いていました。そしてそれがはっきりと途絶えたのが,僕が横行結腸癌であるということを告知し,余命ももうあとわずかであるからすぐに退院したときです。父が玄関に最も近い一部屋を使用することになったという物理的な理由もありましたが,そもそも病人が寝ている家でピアノのレッスンなどは相応しくありませんでした。
 父の死後,さすがにすぐにはこちらも再開できるような状況ではありませんでした。しかもこのとき,この時点で指導してくれていたピアノの先生は妊娠中だったのです。何ヶ月であったかは分かりませんが,お腹はだいぶ大きくなっていました。なので出産を終え,先生も落ち着いてからまたレッスンを再開しようということになっていたのです。
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王座戦&脳波

2012-07-21 18:52:28 | 将棋
 月初めまでの棋聖戦の再戦となった昨日の第60期王座戦挑戦者決定戦。対戦成績は羽生善治二冠の4戦全勝。
 振駒で羽生二冠の先手。こうなれば中村太地六段の横歩取り。△8四飛,中住い,金開きのクラシックな構え。並べていて中盤の折衝は,後手が少しずつ得をしているのではないかと感じました。羽生二冠はずっと悪いと思っていたようですが,中村六段も自信はなかったとのことで,僕が感じていたほどの開きはなかったのだろうと思います。
 この将棋は両者が持ち時間を残す中で,突然の終局となりました。
                          
 ここで△3六角と打てば,後手が有望か少なくとも難解でしたが,△8九歩成。このために▲1五桂と打たれ,いきなりの投了となりました。▲3一龍が受からないので指すとすれば△5九角▲同王△2六角ですが,▲4八角でも▲3七角でも勝ち目はないでしょうから投了は止むを得ません。▲1五桂をうっかりしたか,△8九歩成を詰めろと錯覚したかのどちらかとしか考えられないのですが,どちらも相当に考えにくく,すごく不思議に思っています。
                          
 羽生二冠が挑戦者に。前期と立場を入れ替えての渡辺明王座との五番勝負は来月29日の開幕です。

 翌週の火曜日,5月29日は,妹のこども医療センターへの通院がありました。これは前回の定期通院のとき,検査の依頼をしましたので,それを実施するためのもの。この日も妹を休ませ,母が連れていきました。
 遺伝科では様ざまな検査を行うのですが,このときに母が依頼していたのは脳波の検査です。脳波の検査というのはおおよそ1年に1度は行っていたようなのですが,このときはおよそ3年ぶり。前にもいったように,主治医の方から検査をすると言われなかったのは,おそらく癲癇の発作が出ていなかったからで,父の最期が今からおよそ3年前のことであり,そう考えれば確かにそれ以降は,妹は1度も発作を起こしていません。
 脳波のストロークを調べますと,確かに妹はたとえば僕などと比べれば相違があるようです。一般的にはこういうのを脳波に異常があるといういい方をするわけですが,僕はスピノザ主義者ですので,ここでは単に相違があるとだけいっておきます。というのは,スピノザの哲学においては第二部定義六により,事物の完全性というのはその事物の実在性に同義だからです。つまり僕の完全性は僕の実在性のことであり,妹の完全性とは妹の実在性のことですが,スピノザの哲学における実在性という概念は,その事物の本性というのを力という観点からみたものです。したがって,本性が異なればその分だけそれがなし得ること,つまり力もまた異なるのは当然ですから,本性が異なる分だけ完全性も異なるということになります。つまり僕の完全性と妹の完全性は異なった完全性であるということになります。しかるに,一般的に異常があるということは不完全であることを意味し,逆に異常がないということは完全であるということを意味しますので,僕はスピノザ主義者としてそのようないい方はしないということです。僕の脳波のストロークと妹の脳波のストロークが異なるということは,端的に僕の本性と妹の本性には相違があるということの証明なのであって,一方が他方に対してより完全であるとかより不完全であるという意味に僕は理解しないのです。
 この日は脳波を測定しただけ。詳しい検査結果は次回の定期通院のときに知らされることになっています。
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習志野きらっとスプリント&新しい自転車

2012-07-20 18:58:42 | 地方競馬
 地方競馬スーパースプリントシリーズの最終戦,第2回習志野きらっとスプリント
 内からギオンゴールド,ジーエスライカー,セントラルコースト,バトルファイターの4頭が前に。ラブミーチャンはその直後に控える形でのレースとなりました。最初の400mは23秒3で,この距離ならばハイペースといっていいかと思います。
 前に行った4頭のうち,外の2頭が脱落し,変わってラブミーチャンが上昇。直線では先頭に出たジーエスライカーの外に並び掛け,これを競り落として優勝。ジーエスライカーも2着は楽々と確保。ギオンゴールドが3着に粘りました。
 優勝したラブミーチャンは地元での前走からの連勝。第1回に続く連覇で,南関東重賞に限れば2勝目。ここは力が上ですから優勝は当然ですが,味のある競馬で,内容的にも満点といっていいのではないでしょうか。父はサウスヴィグラス
 騎乗した笠松の浜口楠彦騎手は昨年のこのレース以来の南関東重賞制覇。管理している柳江仁調教師とともに連覇となる習志野きらっとスプリント2勝目。

 この後,5月24日の木曜日に,僕は午前中のオフを利用して本牧にあるホームセンターまで出掛けました。
 日々の食料品の買い物に関しては,現在も僕が請け負っています。そのために自転車を利用することになったことは以前に説明した通りです。僕は自転車のタイヤというのは固めが好みで,たぶんその前の週のことだったと思うのですが,少し空気が抜けてきているような感覚があり,空気を入れておきました。ところが次に乗ろうとしたとき,後輪がすかすかになっていたのです。試しにもう1度だけ空気を入れてみたのですが,入れたそばから抜けてしまい,もう使い物にならなくなっていることが分かりました。要するにパンクしてしまったわけです。
 ごく近場で仕事があるという場合には自転車を使うことがありましたが,ほとんどは買い物のためのみの利用。しかし以前,つまりこの自転車を出してくる前は,買い物にも使っていなかったわけで,壊れてしまってもそう極端に困るということはありません。しかし使うようになってもう随分と時間も経ちますから,不便になったということは間違いありません。タイヤがパンクしてしまっただけですから,それを交換すれば済むことではありましたが,なにぶんにも古い自転車であり,ギアも最も重いものしか使えないような状態でしたから,ここが潮時と思い,新しい自転車を購入しに行ったというわけです。
 電気自転車でもよかったのですが,そう多くの坂道を走るというわけではありませんから,普通のタイプにしました。買い物に利用するという都合上,前に籠が付いたいわゆるママチャリといわれるやつで,色も含めて以前に乗っていたものとほとんど同じタイプのもの。防犯登録もその場でしてもらい,それ込みで1万円弱でしたから,突然の出費には違いありませんでしたが,そう痛手になるというほどではありませんでした。
 この自転車は6速までギアがついています。僕はほとんどの場合は最も重い6速のギアで乗っています。ただ,最も急な上り坂は買い物の帰り道で,このときは4速ないし3速までは入れることがあります。それまでと比べれば格段に快適になりました。
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入院中の看護&睡眠時間

2012-07-19 18:31:50 | NOAH
 馬場が左足大腿骨亀裂骨折のために入院を余儀なくされたとき,元子夫人が付き添っていたのですが,それとは別に一日も欠かすことなく馬場を見舞ったのが,『NOAHを創った男』の著者である仲田龍でした。
                         
 ただし,これは普通の意味で部下が上司を見舞うというのとは趣が違います。仲田が病院にやってくるのは正午で,見舞いを終えて帰宅するのは午後9時であったといいますから,それだけでもこれが普通の見舞いとは異なるということは明らかだといえるでしょう。
 馬場はとくに精神面では非常にデリケートなところがあり,たとえ相手が医師や看護師といえども,自分の身体に触れられるということを極度に嫌がったそうです。馬場は師匠であるフレッド・アトキンスとは体質的に共通するところがあったと述懐していますが,それもこうしたデリケートな面の表れであったのでしょう。なので看護師が馬場に触れることが許されたのは,点滴のときと注射のときだけであったそうです。そしてそれ以外の身の回りの世話は,自分の側近にすべてをやらせていました。もちろんそれも限られた人物で,元子夫人,このとき新人レスラーであった浅子覚,『読む全日本プロレス』の著者であるレフェリーの和田京平,そしてリングアナウンサーであった仲田の4人だけでした。つまり仲田が連日にわたって9時間も馬場の病室に詰めていたのは,ただ見舞うというだけでなく,看護する,あるいは介護することも含まれていたのです。たとえば仲田は馬場の脚を洗うこともあったとのことで,さすがに患部に触れることはなかったでしょうがその近くまでは触れていた筈で,いかに馬場の信頼が厚かったかということが理解できます。
 NOAHの旗揚げに伴い,仲田は和田や元子夫人とは訣別することになったわけですが,確かに自身がいっている通り,馬場を敬愛していたということはやはり確かなことだったのだろうと思います。そして馬場も,自分のことを敬愛する仲田に対して,一定以上の信頼を置いていたということも確かなことだといっていいと思います。それはこの入院中のエピソードから明らかだといえるでしょう。

 睡眠時間と血糖値の間に一定の関係を見出したといっているのですから,それがどういった関係であるのかは,おそらく想像できるのではないかと思います。そしてそれは実際にその通りで,睡眠時間が少ないときは血糖値が高くなりがちであり,逆にきちんとした睡眠時間を確保していれば,血糖値もそうも高くならない場合が多いということでした。
 これはあくまでも僕が自分でつけているノートと,血糖値計測を標準化しているノートとを見比べることによって導き出したものです。いわば僕自身の経験則というべきものでした。ただ,後に調査したところによれば,確かに睡眠不足である場合には血糖値が高くなりがちであるということは,糖尿病と診断されているのかそうでないのかということとは関係なく,医学的な観点からも指摘されているところではあるようです。
                         
 さらに詳しく分析してみますと,これは僕の場合に限ってということになるかのかもしれませんが,睡眠と血糖値の間には,ある傾向を見出すことができました。
 これは僕に限らず,だれの場合でもそうであるといえる事柄だと思いますが,人間が睡眠不足になるのには,大まかにいってふたつのパターンがあります。ひとつは何らかの事情で早起きをしなければならず,このために就寝時間が一定であっても睡眠時間が減少する場合で,もうひとつは逆に,何らかの事情で夜更かしをしてしまい,そのために起床時間は普段と同じでも睡眠不足に陥るというパターンです。これを僕の場合で分析したところ,前者の場合にはそれほど血糖値が高騰することはないのです。むしろこの場合,朝食と昼食の時間が開くので,昼食前の血糖値はむしろ安定している場合の方が多いくらいでした。しかし逆に,後者の場合には必ずといっていいくらい1日を通して血糖値が高くなっているということが分かったのです。
 なのでこれ以降僕は,可能な限り早く床に就くことにしました。実は僕は寝つきが悪く,布団に入ったからといってすぐに入眠できるわけではなく,単純に睡眠時間でいえばそうも変わっていないのではないかと思えるのです。それでも,起きて行動している場合と比べれば,はっきりと血糖値は良好な数値を示すのです。
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農林水産大臣賞典マーキュリーカップ&一条の光明

2012-07-17 18:49:25 | 地方競馬
 ジョッキーズチームマッチも行われた昨日の盛岡競馬。メーンは第16回マーキュリーカップでした。
 岩手ダービーを逃げ切ったアスペクトの逃げは予想されたところ。ナムラハンターが2番手につけ,3番手はスエズ。ピイラニハイウェイとシビルウォーが差なく続き,フリソはその後ろの集団の中。グランドシチーは後ろ目からとなりました。ペースはそんなには早くなく,おそらくはミドルペースかスローペース。
 向正面でグランドシチーが上昇していき,これに呼応したのがシビルウォーで,シビルウォーが先頭,グランドシチーが2番手という態勢で直線に。盛岡の直線は長いのですがそのまま寄せ付けず,シビルウォーが4馬身の差をつけるレコードタイムで圧勝。グランドシチーも2着は楽々と確保。3着は3頭の争いになりましたが,中から抜けたフリソ。
 優勝したシビルウォーは昨年10月の白山大賞典以来の重賞3勝目。ここでは能力上位で,その観点からは順当な勝利。追い込み一手のようなレースを続けていたので,展開面がやや不安でしたが,いつになく前寄りの位置取りで克服。こうした競馬で勝てたのは大きな収穫でしょう。大レースは難しいかと思いますが,こうしたレースが可能なら,重賞勝利はまだ可能であると思います。
 騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手,管理している戸田博文調教師にとってはマーキュリーカップ初勝利。

 僕の通院の間隔は原則的に中8週です。ですからその通りであれば,HbA1cの検査結果が悪ければ入院ということになる次回の通院は,今月の16日,つまり昨日でした。しかし昨日はハッピーマンデー。ということで1週繰り上げられ,今月の9日がその日に設定されていました。
 今日もこうしてブログがエントリーされていることからお分かりいただけるかと思いますが,結果的に僕は入院を免れることになりました。要するにそれはHbA1cの数値が改善されたということであり,つまりは日々の血糖値を,完全とはいわないまでも一定のレベルまでコントロールすることが可能になったということです。ではなぜそうなったのかといえば,現在の時点で僕に考えられるのはひとつだけです。
 前回,HbA1cの値がかなり悪化したのは,昨年の2月のことでした。そのときはそうなってしまった原因に思い当たるふしがありましたから,生活改善,具体的にいえば運動療法の改善食餌療法の改善というふたつの改善策を講じ,その結果,それ以前のレベルまでHbA1cを下げることに成功したわけです。しかしこれらの改善策は,このときだけとくに行ったというものではなく,それ以降も継続するように心がけていました。いい換えればこのふたつの手段に関しては,僕にはもう手段が残されてはいなかったのです。
 今回の悪化の遠因は,とくに4月中の血糖値が高めで推移したことでした。この間は,ランタスの注射量が足りなくなっているのではないかと思いこむほどに深刻な状況であったわけですが,それでもある程度までは血糖値が低下している日も皆無であったというわけではないのです。そこで,どういった日に若干でも数値がよくなっていたかを確かめることにしました。
 僕は退院してから,日々の生活に関して,ごく簡単にノートに記入するようになりまして,これも現在まで継続しているのですが,この手がかりとなったのはそのノートでした。つまり血糖値が高くなりがちな日と,そうではなくてある程度まで安定している日とでは,確かに一点だけ,確実であるとまでは思えなかったのですが,そうであると思えなくもないような相違点があったのです。そしてそれは,睡眠時間に関するものでした。ノートには起床時間と就寝時間もメモしてありましたから,これがひとつのヒントとなり,僕はそこに一条の光明を見出したのです。
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寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント&原因の究明

2012-07-16 18:41:11 | 競輪
 13日から弥彦競輪場で争われてきた第21回寛仁親王牌の決勝。並びは深谷に長塚,脇本-市田の福井,川村ー稲垣ー村上の京都で,佐藤と矢口は単独でしたが,佐藤は京都を,矢口は深谷ラインを追う競走。
 スタートを取ったのが市田で,脇本の前受けはすんなり。この後ろを村上と長塚が取り合うような形で,なかなか隊列が決まりませんでしたが,長塚が取って深谷が3番手に,矢口を挟んで川村は6番手,最後尾に佐藤。残り3周のバックから早くも川村が上昇開始。早かったので脇本はすんなりと引き,深谷が中団となり,脇本は8番手の一列棒状。このまま打鐘前のバックから川村が先行。ホームから脇本が発進し,バックにかけて前に迫りましたが稲垣が番手発進。直線は村上の外から佐藤が突き抜けて優勝。村上と佐藤の中を割って長塚が2着。大外を捲り追い込んだ深谷を凌いで村上が3着。
                         
 優勝した岩手の佐藤友和選手は先週の小松島記念に続いて連続優勝。ビッグは一昨年の全日本選抜以来の5勝目でGⅠは2勝目。先週に続いて単騎の競走になりましたが,最初から京都勢を追走し,実際にその京都勢の先行となったあたり,読みの勝利といえそう。もちろん脚があってこそその読みが生きてくるわけで,かなりの程度までかつての力量を取り戻していると考えていいのではないでしょうか。

 ではなぜ1ヶ月にもわたって血糖値に問題が生じたのかといえば,僕にはその理由がさっぱり分かりませんでした。一般的に考えて,インスリン注射しても血糖値を良好に保てないならば,注射をしている人間の方に原因があるか,そうでなければ注射しているインスリンの品質に問題があるかのどちらかでなければならないのですが,そのどちらにも問題を発見できなかったからです。
 まず,僕自身についていえば,何か生活環境が特段に変化したということはありませんでした。暴飲暴食の類のことをしたわけではありませんでしたし,とくに運動不足に陥ったというわけでもありません。また,シックデイのときには血糖値が高くなりますから,それによってHbA1cに悪影響がもたらされるということはあり得ますが,少なくとも自分自身の感覚としていうなら,健康状態は良好でしたし,何か医者の世話にならなければならないというような事態は生じませんでした。
 一方,薬品の方に問題があったとも考えられません。僕の場合は超速効型と持続効果型の2種類のインスリンを注射しています。僕は現在は注射の量に関しては異例の措置をしていますから,毎日必ず同じ量だけを注射するというわけではありませんが,基本的に薬品が減る量は同じです。このうち超速効型は概ね10日で1本を使いきるペースです。したがってこの薬品に問題があったとしても,およそ1ヶ月も問題が継続することはあり得ません。仮に品質に問題があるものがあったとしても,それを連続で使用するという可能性は,0ではないにしても限りなくそれに近いであろうからです。逆に持続効果型のインスリンについては,1本を使いきるのに2カ月以上は掛かりますので,こちらに問題があったとすれば,1ヶ月で状態が改善するということはあり得ないからです。
 こういった事情でしたから,僕には改善策というのが見当たりませんでした。なのでU先生から次の検査でも結果が悪ければ入院することになると言われても,それを避けるためにどのように対処をしていいのかというのは,すぐにははっきりとは分からなかったのです。
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竜王戦&4月の血糖値

2012-07-15 18:24:25 | 将棋
 第25期竜王戦本戦トーナメント。緒戦を突破した豊島将之七段の次の相手は同じ関西の山崎隆之七段で,一昨日の対局でした。過去に3戦して山崎七段の全勝。
 振駒で山崎七段の先手。豊島七段が相掛りを受けて立ち,先手が引き飛車,後手が高飛車の構えから互いに6筋に銀を繰り出し,それが即座に交換になるという,僕はあまり目にしたことがない戦いになりました。
 よく知らない戦型ということもありますが,僕は並べていてもどちらがよいのかさっぱり分からなかったのですが,感想戦によれば,どうも中盤に先手に失着があり,そのために後手が有利になったのですが,決め手を逃してまた混戦になったという流れであったようです。
                         
 ここが最終的なポイントとなった局面のようで,△8七銀成として,▲9六王の一手に△9四銀と打っておけば先手玉に寄りがあったとのこと。しかし実戦は△7七銀成としたため,▲6五歩△5二馬▲7四歩と遮断され,先手玉に寄せがなくなってしまいました。あとは反撃に転じた先手がほぼ一方的に寄せきって勝利を収めました。
 展望で名前を出した両名が敗退してしまいましたので,次の竜王戦の記事は挑戦者決定戦です。

 僕は血糖値測定の結果を標準化していますから,この日のHbA1cの検査結果が悪くなるということは分かっていました。
                         
 これは何度かいっていることですが,僕の血糖値というのは,まるでバイオリズムを刻むかのように,高めで推移することと,良好な数値で推移することが繰り返されていました。この中間,4月の上旬に,血糖値が高いという時期がやってきたのです。しかしそのときは,またいつもと同じようなバイオリズムに突入したのだろうと思い,あまり気に留めていませんでした。ところが,長くても通常は1週間ほどで終わるこの期間が,いつまでたっても終焉を迎えないのです。それで,僕はさすがにこれはおかしいなと思うようになりました。
 とくに顕著であったのは,朝食前の血糖値です。これが,前夜に計測した値から,あまり低下していないという日々が続きました。朝食前の血糖値が高い場合には,1日を通して血糖値が高いというのがこれまでも一般的でしたので,それで1日の血糖値の平均値というのも,実際にそれを出しているわけではありませんが,それまでに比較すればかなり高くなりました。
 朝の血糖値に問題が起きたのはこれが初めてではありません。2010年の2月頃に同じことが生じました。僕はⅠ型糖尿病ではありますが,インスリンがまったく分泌されないというわけではなく,少なくともいくらかの基礎分泌はあると思われます。その基礎分泌の量が減少したというのが,そのときの原因で,このためにその次の診察のときに,基礎分泌の代用として注射している持続効果型,僕の場合でいえばランタスの注射量を増やすという処置を講じ,それ以前の状態に回帰させることができたわけです。
 こうした経験がありましたので,今回も同じことが生じたのだろうと思うようになりました。だからこのときの診察で,ランタスをまた増量するように指示されることになるのだろうと思っていたのです。ところが4月の終り,といってもこれは29日の朝のことであって,実際には5月の初めといった方が正確なのですが,また朝の血糖値が正常になってきたのです。つまり,どうやら一昨年の2月と同じことが起こったわけではなかったようなのです。
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竜王戦&HbA1c

2012-07-14 18:40:58 | 将棋
 第25期竜王戦決勝トーナメント。展望で名前を出した佐藤天彦七段は一昨日が緒戦で,飯島栄治七段と対戦しました。対戦成績は飯島七段が1勝,佐藤七段が2勝。
 振駒で先手は飯島七段。佐藤七段は得意の横歩取り。8五飛,5二玉,5一金型で先手も中住いからわりと早めに戦いになりました。
                         
 後手が歩を垂らしたところ。ここで先手は☗4四桂とただのところに跳ね出し,☖同飛に☗3六飛と浮きました。☖5五桂☗4八金の交換は入りましたが,角取りは残っていますので☖8七角成は仕方ないところ。しかし☗8八歩と打たれると☖5四馬と引き上げるほかなく,☗9六飛の大転換が成立しました。
                         
 第1図では少しばかり働きに乏しかった飛車が確実に成り込むことができるようになったわけで,ここでははっきりと先手がリード。このまま押し切って勝利を収めています。

 検査の結果で重大だったのは,ヘモグロビンA1cの値が8.0%になっていたことでした。ただし,ここではひとつ,注釈が必要です。
 実はHbA1cにはこれまで,国際的に広く使用されていたNGSPという国際標準と,日本で使用されていたJDSという日本標準がありました。これまで僕がこのブログで示してきたHbA1cの値というのは,日本標準のものです。いい換えれば,日本標準の検査結果がオーダーの書かれた検査詳細情報に示されていたわけです。しかし今年の4月からは,日本も国際標準化されました。つまり今回の検査結果である8.0%という数値は,これまでの日本標準値ではなく,国際標準値であるということになります。
 どういった理由から日本ではダブルスタンダードのようなことになっていたのかは僕には分かりません。そもそも,日本標準と国際標準があるということすら,僕はこの日になって初めて知ったくらいなのです。ただ,僕が思うに医学というのは,国境などとは関係なく,人間の健康のためにあるべき自然科学です。そのためには,病気を示すような数値というものが,国によって異なるなどということは,本来はあってはならないことではないかと思えます。ですから,日本も国際標準化されたということは,非常に結構なことであるとは思いますが,そもそも別の基準があって,それを採用していたということの方がおかしなことなのであって,この国際標準化は,遅まきながらと形容されて仕方がないのではないかと思います。
 日本標準と国際標準でどのように異なるかといいますと,国際標準ではこれまでの日本標準と比較した場合に,およそ0.4%ほど,その値が高くなるということです。したがって,これまでHbA1cの正常値の上限は5.8%とされてきましたが,それが6.2%になりました。同様に今回の僕の検査結果として出た8.0%という数値は,もしもこれまでの値で示すならば,7.6%ほどであったと考えてよいでしょう。それでもこれだけの数値というのは,昨年の2月に7.9%という結果が出て以降は,1度としてありませんでしたから,そのときに比べればまだよかったとはいえ,かなり悪化していたということは間違いありません。単純に数値だけでいうならば,すぐに入院を宣告されてもおかしくないだけの数値であるといえますし,この日はそうはなりませんでしたが,次回も同じような値なら,入院して詳しく検査することになるとU先生には言われました。
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王位戦&U先生

2012-07-13 18:34:41 | 将棋
 千日手で指し直しとなった一昨日の第53期王位戦七番勝負第一局。
 入れ替わって藤井猛九段の先手で四間飛車藤井システム。羽生善治王位は急戦を匂わせつつ一気に激しい戦いとはならないような指し方を選択。駒組から中盤の戦いになりましたが,その時点ですぐに差が開いてしまいました。
                         
 飛車角交換から後手が飛車を走ったところ。ここで先手の▲5五歩に対して後手は△1五歩。以下,▲5四歩△同銀▲9一角成△6八飛成▲8七角△1六歩▲6九歩△1七歩成▲3九玉△6一龍と進展。
                         
 先手は香得で馬を作りましたが変な所に角を打たされ,端も破られましたのでこれはマイナスの方が大きいでしょう。後手も龍をひきつける形になりましたので,すぐに勝ちにいくことは叶いませんが,着実にポイントを重ねていくように指し続け,さらに差は開くばかり。最終盤には至らぬまま,先手が投了に追い込まれました。
 羽生王位が先勝。第二局は24日と25日。藤井九段の先手です。

 外食から病院へと戻ったのは,まだ総合内科の受付をするのにも早い時間でした。ということで入口近くのロビーで購入できた週刊競馬ブックを読みながら時間を潰し,診察の予約時間の10分ほど前に総合内科の方へ移動しました。
 М先生は退職しましたから,この日は僕にとって外来では2度めの主治医の交代ということになります。その回数はともかく,これはМ先生を主治医としていたすべての患者にとって同様です。初対面であれば診察時の話も長引くでしょうから,この日も実際に診察が開始されるまでは待たされることになるだろうと予期はしていました。予期はしていたのですが,それが僕の予想の範疇を超越していました。この日,僕がいつもの診察室へと入ることができたのは,午後4時20分頃。僕は週刊競馬ブックというのは,馬券の予想をするために読むことは別として,それとは直接には関係のないような記事までほとんど読んでいますが,その大部分をこの時間で読み終えてしまいました。
 新しい主治医は,見た目から年齢を推測するなら,おそらく僕よりも少しばかり若く思われるU先生という医師でした。М先生は間違いなくもっと若かったと思いますし,その前のG先生は,僕と同じくらいに見えなくもありませんでしたが,おそらく僕よりも少しは若かったものと思います。したがって,あくまでも見た目からの印象ですが,このU先生はG先生と同じくらいの年齢ではないでしょうか。
 僕は入院中の主治医はH先生という女医で,実際に回診に来て診察を受けたこともありますし,グルカゴン負荷の検査はこの先生を中心に行われました。しかし実際に病室に来て僕と話をした回数でいえばG先生の方がずっと多く,H先生は名目上の主治医という側面があったことは否めません。実際に退院してからは,G先生の方が主治医となったわけです。
 この日から主治医となったU先生はH先生と同様に女医でしたが,そういう意味でいうなら,現実的な意味で僕の主治医が女医になったのは,これが初めてということになります。もっとも,糖尿病の診察は会話だけですから,主治医が男か女かはあまり関係がありません。
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農林水産大臣賞典ジャパンダートダービー&外食

2012-07-12 18:54:33 | 地方競馬
 JRA勢がかなり強力であったためか,11頭とあまり頭数が揃わなかった昨晩の第14回ジャパンダートダービー
 初ダートとなるトリップが逃げてしまうのではないかと考えていたのですが,ハナに立ったのはフリートストリートで,トリップは2番手。オースミイチバン,ホッコータルマエ,ストローハット,ハタノヴァンクールと,JRA勢が前を占め,1コーナーではほかの地方勢との水が開きましたが,バックストレッチに出るとフリートストリートがかなりペースを落としたので,その差が徐々に縮まっていきました。最初の1000mは63秒3ですから,超スローペースといっていいでしょう。
 最初に動いたのはアートサハラで,3コーナーにかけて外を漸進。このペースアップにフリートストリートは対応できず後退し,トリップが先頭,アートサハラが2番手で直線に。さすがに速く動いたアートサハラはそれ以上は差を詰めていかれず,トリップが完全に抜け出したのですが,JRA勢の中では最後尾に待機していたハタノヴァンクールが一完歩ごとに詰め寄り,最後は外から交わして優勝。トリップが2着で,健闘といえるであろうアートサハラが3着。
 優勝したハタノヴァンクールは初戦の芝を大敗した後2戦目にダートで勝ち上がり,3戦目の芝も大敗するとダートばかりを3連勝。ここが重賞初挑戦でしたが,オープンを連勝していましたので最有力候補ではないかと思っていました。このレースのように,じわじわと来て最後に差すというのがパターン。見た目にはあまり強さを感じさせないのですが,かなりの能力をもった馬だと考えていいように思います。父はキングカメハメハ,4代母がナイスランディングで,2010年の春の天皇賞を勝ったジャガーメイルは叔父。Vainqueurはフランス語で勝者。
 騎乗した四位洋文騎手は一昨年の高松宮記念以来の大レース制覇でジャパンダートダービー初勝利。管理している昆貢調教師は昨年の春の天皇賞以来の大レース制覇でこちらもジャパンダートダービー初勝利。

 僕は右利きです。ですから患部が左腕で,そこを右手で押さえているというのならまだしも,右腕を左手で押さえていなければならないとなると,押さえている間はほぼ何もできなくなります。なのでこの日は僕の方から所望して,ブルーのアームバンドを装着してもらいました。これがあれば移動も自由になりますから,この日も後回しにした採尿をして,注射針の処理も済ませました。
 通常であればこれで病院内の食堂へと向うところですが,この日はそうせずに外に出ました。といいましても一時的に帰宅したわけではありません。これがこの日,新たに始めようと考えていた試みで,要するに病院内の食堂ではなく,どこか外で食事をしようと思ったわけです。
 食餌療法の関係で,僕は外食をする場合,メニューは何を食べたいのかよりも熱量の方を重視して決定します。院内の食堂はそれなりにメニューはあり,僕が食することが可能なものも何種類かはあったのですが,こう何度も食事をしていますと,それらのメニューは一通り食べてしまいました。外に出ればまた別のメニューもありますから,それを食べてみるのもいいだろうと思ったのです。
 みなと赤十字病院から普通に歩いていくことができる範囲には,適当な場所はありません。ただ,定期券を利用していますからバスはいくらでも乗ることができます。よってこの日のように,検査と診察との間に十分な時間があれば,バスで出掛けることも可能でした。もっとも,以前は家まで帰っていたのですから,これが可能であるというのは当然といえば当然ではあります。
                         
 結局この日は本牧まで出まして,ファミリーレストランに入りました。注文したのはまぐろご飯ランチというメニューで,さすがにこうしたものは病院内の食堂にもありませんから,それだけでもこの試みはしてよかったといえるでしょう。
 そしてもうひとつ,僕は週刊競馬ブックを週刊誌としてはただ一誌だけ読んでいます。これは月曜発売。ただ,行くときにはまだ周辺の店頭に並んでいません。この後の時間潰しにこれを入手するのもひとつの目的でしたが,近くのコンビニエンスストアで首尾よく入手できました。
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