shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

Somewhere Out There / Linda Ronstadt

2010-02-21 | Rock & Pops (80's)
 ポップスの世界において80年代はまさに MTV の時代であり、ポップ・ミュージックと映画のスクリーンが有機的に結びつき、 Top40 アーティストが映画の主題歌を歌って大ヒットを飛ばすことが多かったが、そんな中でも特に目立ったのが大物同士のデュエットである。そのきっかけになったのは多分、1981年秋に9週連続全米№1を記録したライオネル・リッチー&ダイアナ・ロスの「エンドレス・ラヴ」だろう。そしてこのトレンドを決定的にしたのが翌82年の冬に3週連続全米№1に輝いたジョー・コッカー&ジェニファー・ウォーンズの「アップ・ホェア・ウィー・ビロング」ではないか。特にリチャード・ギアの名演技(←鬼軍曹との別れのシーン、そして軍服姿でデブラ・ウィンガーを工場へ迎えに行くシーンは何度見ても泣けます...)が光る「愛と青春の旅立ち」は映画の感動を更に盛り上げてくれるような見事なバラッドで、私なんか音楽と映像の相乗効果で映画にもサントラにもハマりまくっていた。
 その後も「フットルース」からアン・ウィルソン&マイク・レノの「オールモスト・パラダイス」('84)、「ホワイト・ナイツ」からフィル・コリンズ&マリリン・マーティンの「セパレイト・ライヴズ」('85)、「ダーティー・ダンシング」からビル・メドレー&ジェニファー・ウォーンズの「ザ・タイム・オブ・マイ・ライフ」('87)と、映画絡みのデュエットは挙げていけばキリがないが、そんな “サントラ・デュエット・ラッシュ” の中でも断トツの完成度を誇っているのが我らがリンロンと “クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子” ジェームズ・イングラムのデュエット「サムホェア・アウト・ゼア」である。
 この曲は映画「アメリカ物語」の主題歌として1987年3月に全米2位まで上がる大ヒットになり、「ホワッツ・ニュー」以降のリンロンに味気なさを感じていたポップス・ファンに “リンロン健在なり!” を強くアピールしたが、本来ならば3週連続№1ぐらいになって当然の名曲名唱だと思う。勢いの差とはいえ、ヒューイ・ルイスの「ジェイコブズ・ラダー」ごときに首位を阻まれたなんて到底納得できない(>_<)
 相方のジェームズ・イングラムは確かクインシー・ジョーンズの「ザ・デュード(邦題:愛のコリーダ)」の中で「ジャスト・ワンス」というバラッドを熱唱しているのを聴いたのが最初だったと思う。確かに上手いのはわかるが、私は昔からブラコンの歌い上げるパターンがどうも苦手で、彼の歌も “ボク、歌上手いでしょ、声量あるでしょ、超大型新人即戦力でしょ!” と言っているような感じがして自分的にはNGだった。この人はデュエットが滅多やたらと多く、続くパティ・オースティンとのデュエット「ベイビー・カム・トゥ・ミー」はまだマシだったが、私の苦手中の苦手マイケル・マクドナルドとのデュエット「ヤー・モ・ビー・ゼア」なんかもう鬱陶しすぎて最悪だった。
 そんな苦手系ジェームズ・イングラムと愛しのリンロンのデュエットとなったこの曲は、映画音楽界随一の名作曲家ジェームズ・ホーナー(←「タイタニック」のスコアを書いた人)とバリー・マン&シンシア・ウェイルという60'sポップスの黄金コンビが組んで書き上げた、80年代屈指の名バラッドだ。絵に描いたような名曲とはこういう曲のことを言うのだろう。もちろん主役はネルソン・リドルとの3部作で表現力に磨きをかけたリンロン姐さんで、いつもは暑苦しいジェームズ・イングラムの歌声があんまり気にならないのは曲の良さと、姐さんの圧倒的な存在感を誇るヴォーカルのおかげだろう。特にジェームズ・イングラムのソロ・パートに続いて姐さんの艶やかな歌声が滑り込んでくる瞬間なんかもう鳥肌モノだし、中盤から後半にかけての盛り上がりも圧巻の一言だ。
 このシングル盤はちょうど世の中がアナログ・レコードからCDへと移り変わる過渡期に発売されたもので、CDシングルとアナログ45回転盤が混在していたややこしい時期だったのだが、私はコレを京都のタワレコで安く買って大喜びしたのを覚えている。因みにこの盤はアナログのみでリリースされたシングルとしては最後のミリオンセラーだという。大袈裟かもしれないが何だか歴史の一部を手にしているようで、色んな意味で私にとって思い出深い1枚なのだ。

Linda Ronstadt & James Ingram - "Somewhere Out There"
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