shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

ちあきなおみ・これくしょん ~ねぇ あんた~ (Pt. 3)

2010-02-08 | 昭和歌謡
 成功の陰にはよく “人生を変えた出会い” というのがある。ちあきさんの場合、楽曲面では恵まれていたが、彼女が進むべき明確な方向性を示してくれる優秀なブレーンには恵まれず、1971年の彼女はヒット曲を出せずに暗中模索状態にあった。そんな時、コロムビアの中でも主にポップス系の作品を手掛けてきた東元晃氏が担当ディレクターに就任した。彼は弘田三枝子の「渚のうわさ」で当時まだ無名だった筒美京平氏を起用したことでもわかるように抜群の音楽的嗅覚を持った人である。彼はこの後、ビクター、テイチクとレコード会社を移っていくのだが、注目すべきはちあきさんが常にその後を追うように移籍し、彼がちあきさんを担当して傑作アルバムを作っているという厳然たる事実である。そんな彼が仕掛けたのが “ドラマティック歌謡” 路線だった。
 彼が担当になって最初に吉田旺&中村泰士コンビが用意した新曲が⑬「喝采」だったというのもジャストのタイミングだった。ドラマティックな歌詞と品格滴り落ちる曲想の相乗効果で聴く者の心を震わせる大名曲だが、このただでさえ凄い曲を更に凄いものへと昇華させてしまったのがちあきさんの圧倒的な歌唱力。この歌を聴いていると大げさではなく何かドラマを見ているような錯覚に陥ってしまう。この曲は彼女にとって久々の大ヒットになっただけでなく、並みいる強敵を押しのけてレコード大賞(←当時はめっちゃ権威ありました!)まで獲得してしまうのである。今では価値観の多様化が進み、老若男女が口ずさむ “国民的ヒット曲” などというものはなくなってしまったが、この曲は間違いなく1972年の邦楽を代表する1曲であり、あれから40年近く経った今でも40代以上の日本人ならたいてい口ずさめる “心に残る歌” となったのだ。
 ⑬に続く “私小説歌謡” 第2弾⑭「劇場」は⑬の超ロングヒットの陰に隠れるような形で大ヒットには至らず。私的には “旅は続くの~♪” の旋律部分にもう一工夫ほしい気もするが、 “サイン求める~♪” のくだりなんかはもうゾクゾクしてしまう。吉田&中村コンビの “ドラマティック歌謡3部作” の最後を飾る⑮「夜間飛行」は “動き始めた汽車にひとり飛び乗った” ⑬や “ドサ回りと人に呼ばれる旅” の⑭からスケールアップして “翼に身を委ね” る飛行機の旅だ。初めて聴いた時は間奏で挿入されるスッチー風のフランス語にビックリ... “マダム、ムッシュー、ボン・ボヤージュ、メルシー...” ぐらいしか聞き取れないが、何のこっちゃサッパリ分からないこのフランス語の語りがちあきさんの歌声と絶妙なコントラストを成していてインパクト抜群だ。 “帰らないの~♪” 2連発の余韻もたまらない。
 ⑯「あいつと私」は決して悪い曲ではないと思うが、それまでのドラマチックな3部作に比べると曲としての印象は薄く、チャートのトップ100にも入らなかったというからオドロキだ。⑰「円舞曲(わるつ)」は弘田三枝子の「人形の家」を作曲した川口真の起用が当たって10万枚を超えるスマッシュ・ヒット、やはりちあきさんには雄大な曲想のナンバーが良く似合う。ゆったりした3拍子に乗ったちあきさんの温もりに溢れる歌声に包まれる喜びを何と表現しよう!まさに “癒し系歌謡(?)” とでもいうべき寛ぎに溢れたこのナンバー、 “海鳴り 漁火 海辺のホテル~♪” のラインがたまらなく好きだ。
 その後のちあきさんは体調を崩して満足なプロモーションが出来ず、「喝采」を軽くしたような⑱「かなしみ模様」、「五番街のマリーへ」の二番煎じみたいな⑲「花吹雪」の2曲共にあまりヒットはしなかったが、何よりも痛手だったのは担当ディレクターだった東元晃氏がコロムビアを退社してしまったこと。更に悪いことに担当を引き継いだ人が演歌路線に方向転換、次のシングル⑳「恋慕夜曲」はまだ演歌とは呼べないものの、イントロからしてそれまでのちあきさんとは明らかに違う雰囲気にちょっと引いてしまう。そしてこの演歌路線こそが第2期低迷期の始まりだった。 (つづく)

夜間飛行 ~ ちあきなおみさん


円舞曲(ワルツ)/ちあきなおみ^^
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