shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

Blue Selection / 井上陽水

2009-03-07 | J-Rock/Pop
 聴き始めの頃にはその素晴らしさが理解できず、何年も経ってからようやくその真価が分かってきた懐の深いアーティストがいる。井上陽水は自分にとってまさにそういう“憎らしい”存在である。学生時代にリアルタイムで聴いた陽水の歌は彼独特のクセのある歌い方がどうにも鼻についてあまり好きにはなれず、又、後追いで聴いた初期の「傘がない」「夢の中へ」「心もよう」といったヒット曲の数々もそれほど大きなインパクトはなく、むしろライバルと言われた吉田拓郎のストレートな魂の叫びを夢中になって聴いていた。今にして思えば当時の私はそういった表現方法のみに気を取られ、陽水の歌の持つ内面的なパッションを味わえるほど大人になっていなかったのだろう。確かに拓郎のように本音をさらけ出して叫び、それを歌にして共感を得るのはたやすい事ではないが、陽水のようにあくまで歌のあるべき道に留まり、歌の中に魂を封じ込めていくのもまた凄い事だということが分かったのは2001年に出た「UNTED COVER」を聴いた時だった。
 全曲が昭和歌謡のカヴァーという異色のアルバムだが、秀逸なアレンジと何よりも陽水の変幻自在のヴォーカルが耳タコのはずの楽曲に新たな生命を吹き込み、実にクオリティーの高いカヴァー集になっていた。特に「花の首飾り」「旅人よ」なんかは鳥肌モノで、彼の声の存在感に圧倒されたものだし、「ウナ・セラ・ディ東京」では絶妙なヴォーカルで原曲の持つ切なさを見事に表現しており、知り合いの音楽の先生が「日本の歌手で一番歌が上手いのは井上陽水だ!」と言っていた理由が何となく分かった気がした。
 すっかり陽水に対する誤解、先入観のなくなった私の気持ちを見透かしたかのように翌2002年にリリースされたのがこの「Blue Selection」である。これは全曲ジャズ・アレンジのセルフ・カヴァーで、発売前からその筋では結構話題になっていたらしい。竹内まりやの「リクエスト」といい、中島みゆきの「おかえりなさい」といい、ただでさえセルフ・カヴァー・アルバムというのは作者自ら楽曲の髄を引き出してリスナーを目からウロコ状態にさせるような名盤が多いのに、そこへもってきてジャズ・アレンジとくれば期待しない方がおかしい。
 アルバムの印象というのはだいたい1曲目で決まることが多いが、いきなり冒頭の①「飾りじゃないのよ涙は」で私は完全KOされてしまった(≧▽≦) スルスルと滑っていくようなギターやヒラヒラと乱舞するエレピを従え、瀟洒なブラッシュが支配するジャジーなサウンドをバックに陽水が疾走する。実は私はエレピの軽薄な音が大嫌いなのだが、この曲に関して言えば軽やかに駆け抜けていくような感じを出せるエレピしかなかった、いわば必然的な選択だ。そこには中森明菜が歌ったあの昭和歌謡の名曲の姿はなく、見事に換骨堕胎されて洗練されたジャズへと生まれ変わった“陽水スタンダード”が屹立していたのだ。もう参りましたというほかない。
 そういう意味では彼が高樹澪に提供した③「ダンスはうまく踊れない」も①と甲乙付けがたい素晴らしい出来映えだ。ミディアム・スローでスイングする陽水の何とカッコイイことよ!この曲の持つ儚さを見事に表現したヴォーカルが絶品だ。⑧「ワカンナイ」もカッコ良いジャズ・アレンジを得て20年前の作品とは思えないくらい瑞々しいヴァージョンに仕上がっている。この曲に限らず、陽水の声とジャズの出会いが生み出す相乗効果は私の予想を遥かに超えて魅力的だった。これは私の知る限りJ-Popsアーティストによるジャズ・アレンジ作品の最高傑作だと思う。

飾りじゃないのよ涙は