津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・妻木氏

2010-06-26 11:26:50 | 歴史
 細川家家臣妻木氏といえば、ガラシャ夫人の生母・妻木氏の一族と考えるのが妥当な処であろう。                    ja.wikipedia.org/wiki/妻木煕子
しかしながらその繋がりは確認できない。

 初代勘左衛門は細川光尚代寛永二十年江戸で召し出されている。先祖附は「長門国岩永の者にて」と記しているが、土岐一族妻木氏が何故長門にいたのか謎ではある。三百石という馬乗格であり妻木氏という由緒によるものであろう。

 春日局の末子で徳川忠長(家光弟)の家臣であった稲葉正利は、家臣として連座の罪に問われる。忠長の高崎配流-自害の後、寛永十一年正利は肥後細川家預かりとなり、赦される事無く熊本で歿した。春日局にとって唯一の痛恨事であったろうし、暗に自害を薦めたという話が有る。
承應二年妻木勘右衛門はこの正利御附と成っている。共に明智につながる人間としての配慮があったのだろうか。

 明智左馬助の家系である三宅家と、菩提寺(海福山泰陽寺)が同じであるのも何か因縁めいている。
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