津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■CD・rom 版「旦夕覺書」作成

2023-04-11 09:29:04 | 史料

  堀内傳右衛門著の「旦夕覺書」を2011年5月20日からタイピングを始めた。
肥後文献叢書(四)に所収されている全163頁を都合3年10ヶ月ほどの時間を費やしてタイピングしたものだ。
全93回に及んだが、鳥の巻でへこたれ、途中休憩している。
今回ある方かたからリクエストが有り、ワード版にて全文をCD・rom に落して提供することにした。
PDFではなくワードというのがみそで、何事か企てていらっしゃる。
そのために、これを一度書式や文字・大きさなどを統一するために「花」「鳥」「風」「月」の巻ごとにでまとめ直した。
この作業が思いのほか大変で、年寄りには応える。
途中で明らかなタイピングミスが見つかると原本と照合して校正したりする手間も増えた。
体裁を整えて昨晩終了、CD・rom に落して一件落着。

          花の巻  2011・5・20 ・・・・・・・・・・・・・・・・・2011・6・14了
                 p125               p157

          鳥の巻  2011・6・19 ・・・・・・・・・・・・・・・・・2014・8・20了     
                 p158            p190

          風の巻  2014・10・8  ・・・・・・・・・・・・・・・・・2015・2・24了
                 p191            p241

          月の巻  2015・2・26 ・・・・・・・・・・・・・・・・・2015・3・7了
                   p242            p288 

 本当に堀内伝右衛門という人はまめな人で、よくぞと思うような記事を遺してくれている。
有難いことで、この「旦夕覺書」の中から面白い記事を取り上げてご紹介したいと思っている。
この「旦夕覺書」、どこかのデジタルアーカイブで紹介されているかと思いきや、意外なことに為されていない。
もしこれを読んでみたい方がおられればと思い、PDF版でCD・rom を数十部作ろうと思い立って作業に入った。(ご苦労なこったい)

 

 

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■「陽明学徒追放」に非ず

2023-04-11 06:53:21 | 先祖附

 寛文九年十月六日、北嶋三立(雪山)や小姓頭・朝山次郎左衛門をはじめとして十九名の者が御暇を出された。
異教といわれた「陽明学」を信奉していた人々が追放された。
その中にガラシャ夫人に殉職した小笠原少斎の孫、小笠原家二代の民部長光の三男・勘助(長義)が含まれる。
私はずっとこの人も「陽明学徒」であると思い込んできた。
同日付「肥後藩御奉行所日帳」には主に「陽明学徒」を主としているが、併せて切支丹宗門の為や、役向きの失策、不行跡の者も含まれていたという。その仕分けはよく判らないできたが、小笠原勘助については、堀内伝右衛門の著「旦夕覺書‐月」が真実を教えてくれた。伝右衛門の父は「慮外者」と呼ぶ。どうやら不行跡の人物だったようだ。
 

   一、小笠原勘助と申す五百石被下いか様島原の時は榊原飛騨殿手にて働たる様に承及ひ候 御側筒十五挺同
     名文左衛門同役にて御家中一番の口聞興津才右衛門よりは上と申候 老父なとは慮外者と文左衛門咄被
     申候事覺申候 江戸にて讃岐守様御初駕の刻晝の御休にて御使者勤申筈の處に休息仕居申下々も臥寝忘
     れ肝つふし御一宿へ参候て勤申御廣間に直に罷出申箇様/\と少も遠慮なく罷出申上候 小屋に歸り相
     役の誰そ頼候て箇様/\とて遠慮仕候はゝ御暇被下候様には有之間敷物と何も申候 拙者初江戸にて能
     覺申候 箇様の御使者はいか成る不調法者も勤申事に候 平生は口聞發明にて人を何とも不存神佛なとは
     不及申上天の恐れなと夢にも見ぬ男にて隈本にて御暇被下候 その後拙者京都に御茶つほ取に参候て朝
     山次郎左衛門牢人被致佐賀(嵯峨カ)に被居候 老父は朝山齋寄親の様に被存養子にて候故拙者に寄候
     て無事なる様子承候得と被申候 拙者に勘助申候は偖々久々にて得御意候先心得に成候事咄可申候 御使
     に桑名抔通り候刻家来にても手討仕間敷候 此比紀州様御家来何某と申仁早使に通候刻桑名にて家来手
     討に仕候 宿主即刻松平越中守殿へ申候へは御留置にて紀州へ被仰遣候て御家来まきれ無之との家老共
     ゟ使者参りて通申候 右の使者早打の由断申候へとも國法にて御座候由勘助も初て承候 拙者も存ましき
     由にて咄被申候 勘助被申候は私儀は如御存うつけを盡し如斯仕合にて候随分/\御奉公可被御精出候
     拙者は紀州に縁御座候て久敷逗留仕関東にも隙にて居候へは松島迄見物に参申候て方々承申候 熊本の
     様成る所は無御座候 御家柄と申随分勤候へと被申候 山名十左衛門殿も御親父以来別て今の田中又助も
     初江戸の刻桑名とかにて咄申由今の又助三歳の時御暇申たる由今又助咄被申候 牢人仕思ひ知り可申候
     右の仕合假初にも輕き事にても御奉公實に心得候はゝ寝入可申様なく候得共誰も勤る事とおろそかに
     存不實にて天罰蒙り候と存候

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