津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■鳩野宗巴の西南の役観察‐亀井の病院にて

2023-04-09 10:48:29 | 先祖附

                                                           

 前回同様、亀井の協同隊の人々を扱った亀井の病院での有様である。
傷を負った人々が庭先の桜の花を見ながら、山桜を題に発句などで楽しむさまは、大和心が健在であると編者の福田小波氏は解説されている。
最期に在る句は鳩野宗巴の句だが、文中の池部顕寿の句がさし合(語重なり)だからと自ら詠んでいる。

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■享保十七年四月九日、水足先生父子災難

2023-04-09 06:43:33 | 人物

 享保十七年四月九日、高名な儒者水足屏山とその息・博泉は思いがけない災難に遭遇し、屏山は死去、博泉は重傷を負った。
その事件の原因は、屏山の妻が隣家の笠井源右衛門と不義を働いたとして、これを討ち果たさんと親子で立ち向かったが返り討ちにあったという次第である。
次のような史料が残る。

          現・谷尾崎
    水足屏山池田手永尾崎村に在宅せしが 其妻隣家ノ笠井源左衛門と云ふ牢人者と密通さしかば 享保十七年四月九日
   朝七時過屏山父子笠井宅に押懸け打果さんとせしが 却而笠井にかゝり数個所の手疵を負ひて笠井をとりにがし
   たり 然るに近所に住みし長谷川忠左衛門(300石)吉田喜右衛門(400石)父子三人馳付け来り 笠井を追懸け畑中
                                どもり
    ニて討捨て多りニ 屏山は重傷にて同日死去 博泉は御咹となりしと云ふ 當時の落書に曰く

            保の保のと尾崎の村の朝霧に儒者かくれ行學なしと(ぞ)思ふ

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