津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

熊本城・昭君の間の抜け道

2012-11-15 07:24:29 | 地図散歩

 熊本城に本丸御殿が完成してから、熊本城人気は引き続いている。とりわけ「 昭君の間」については特別のようだ。
先にご紹介した 史料を読む「御大工棟梁・善藏より聞覺控」 その(了) で、大工・善蔵は昭君の間に秘密の抜け道があったことを語っている。
 

                               それからしょう
                               くんのまのうしろにきみつの間があ          
                               つたこつもおぼへとる かべがめぐる
                               しかけでかべが一ちょうきりつと
                               めぐるとゆかのたかさ六尺ばかり
                               のところからこまかはししごでした
                               におりって女のかみのけでねりあ
                               はせたつなにすがつて下におりそれか
                               らつまる所は不じょう御門からあ    
                               ずきざかにでるやうになつておつた 

 さすがに絵図には記されていないようだが、善蔵の話は信ぴょう性が高い。
「それから昭君の間の後ろに機密の間があったことを覚えている。壁が巡る(回転する)仕掛けになっていて、壁が一丁きりっと廻ると床の高さ六尺ばかりの
所からちいさな梯子で下に降りて、女の髪で練り合わせた綱にすがって下に降り、それからつまるところは不浄御門からあづき坂に出るように成っていた。」 

 が「昭君の間」であり、不浄御門・現在の不開(あかず)の門は――で示したところである。
この絵図は細川時代のものであるから、機密の間も存在しないがどこから抜ければ不開門に簡単に抜けられるのか、大変興味深い。

さて「あづき坂」については、稿を改めたいと思う。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする