津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

加藤清正―築城と治水

2012-11-07 14:59:36 | 書籍・読書
加藤清正―築城と治水
 
冨山房インターナショナル

あと一回で終わる予定の 史料を読む「御大工棟梁・善蔵より聞覺控」 をもっと理解するためには最適な本といえる。

http://books.google.co.jp/books?id=9cFM3vyVMGcC&pg=PA164&lpg=PA164&dq=%E8%82%A5%E5%BE%8C%E7%86%8A%E6%9C%AC%E5%9F%8E%E7%95%A5%E5%9B%B3&source=bl&ots=79BrW_uY58&sig=TtGzF7MFFzdLeE83422wzCCFVgM&hl=ja&sa=X&ei=JEqaUKXnGqWNmQWB04DIBw&sqi=2&ved=0CC8Q6AEwAw#v=onepage&q=%E8%82%A5%E5%BE%8C%E7%86%8A%E6%9C%AC%E5%9F%8E%E7%95%A5%E5%9B%B3&f=false

 

本の内容

 加藤清正は、ただ単に勇猛な武将というだけではない。熊本城の築城に無比の才能を発揮したのみならず、地元を流れる白川や緑川に今もその証跡を残す治水の天才であった。幾百年の歳月にも耐え得る事業の恩恵者として、熊本の人びとの、もっとも忘れがたい人物である。(谷川 健一 「序にかえて」より) 
2007年の築城400年を前に、熊本城、加藤清正について、専門分野を異とする8名の研究者による原稿を収めた専門書。 

目次

 熊本城の思い出—序にかえて
 「治水の神様」の系譜—信玄・清正そして成富兵庫
 加藤氏の権力と領国体制—清正期を中心に
 加藤清正の熊本城築城と白川・坪井川大改修
 肥後慶長国絵図の世界
 加藤時代の熊本城について
 熊本城跡本丸御殿の発掘調査
 現代に残る清正の緑川治水遺構
 肥後の伝統的河川工法「轡塘」について

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史料を読む「御大工棟梁・善藏より聞覺控」 その(七)

2012-11-07 10:28:01 | 地図散歩

                                いまでこそ五十四万石の城下というとる
                                ばってんけいちょう三年からお城の
                                たてかたに手をつけなはった御先
                                々代の御なんじゅうはなはたらきは
                                なみたいていなこつじゃなかつた
                                これにゃまちといわずざいゴ
                                うんもんにいたるまであせみすを
                                たらしておてつだいをしたこつあ
                                とても口や筆なんきゃつくしきれ
                                せん
                                今のお殿さんなそれこそ楽なもんで        細川忠利公
                                小倉からむこ入りにきなはったつも仝
                                じこつたい おづどんがてしおにかけ
                                てつくり上げたお城のふしんはほん
                                とうに命がけてあつたぞ
                                このごろよそからこ〃にきとるそんじ
                                ょそこらの奴どんでなんのわかるもんか
                                それにもか〃わらすすこし鳥目
                                がたまつといばりちらすつらにくさ
                                ね お城のなはばりは御
                                先々代様いひ田・もり本・みやけさ        加藤清正・飯田覚兵衛・三宅角左衛門
                                んたちでいろ/\ないみめのだし
                                入の役目は下津さんだった              下津棒庵
                                いかな大名でんよそん人はお城のう
                                ちには入るこつはかなはず御家中
                                の士にしても御そば用人と小
                                姓のほかは男女のくべつなし十五
                                より上のもんな宿さがりときまつ
                                とつた
                                お城のじならし恵いとう/\のうたの        永棟節
                                ふしおもしろくつねにききよつたが
                                じちんまつりのぎしきにおくの人
                                でしんごんしゅうの出家がつと
                                めになったばい
                                この日は女ごはだるも入つけずそののち
                                に井川をぐっさりほりになつたが
                                これもなみたいていなこつじゃなかつたげ
                                な
                                石がきのつみあげふしんななほさ
                                らのこつでずいぶん多くのけが人が
                                あつた
                                このごふしんの時あまく引きまはし
                                てほかのもんにや一さいみせなはらん
                                だつたぞ 

 

                   ブログ「徒然なか話」で取り上げていただきました。御礼申し上げます。
                             http://blog.goo.ne.jp/np4626

                              そして次回が最終回となりました。

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