津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

熊本城顕彰会・季刊「熊本城」から

2012-11-23 12:11:24 | 熊本

先に書いた 柊? タブの木? に呼応するかのように(ではないのだが)、財・熊本城顕彰会が発行する季刊「熊本城・88号」に、この坂のことが富田紘一氏の記事で取り上げられていた。「熊本城の歴史と探訪」第二十六回 二の丸(七) 宮内(一)である。熊本城研究の第一人者である氏も、史料に混在する「柊坂」「タブの木坂」にいささか困惑のご様子である。これは永久に謎のままで終わる感じがする。

その他、「加藤清正妻子の研究」の著者・福田正秀氏の連載、「肥後加藤家改易の研究」は第七回となり、今回は「二条城会見の清正」である。
又村田真理氏による「熊本年中行事圖絵」に見る熊本城下の年中行事 は、多くの圖絵を紹介しながらの記事で親しみが持てる。
今回は十回目「藤崎宮放生会(Ⅰ)」である。そのた村上豊喜氏の「熊本城前史 中世の熊本城」も九回目に至っているなど、盛り沢山のメニューである。

皆様の御入会をお勧めしたい。購読料・年四回分 1,500円/一年 随時入会可
                    連絡先 財団法人・熊本城顕彰会
                          電話 096-352-2975 

 

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巡り合わせ

2012-11-23 09:07:54 | 徒然

 わがサイトは2003/8/22 に立ち上げたので、今日で9年3ヶ月を経過した。その間随分の御宅のご先祖探しに関わってきた。
そのつど共に感動を味あわせていただいたが、今回にすぎるものは又とないかもしれない。

M家のご子孫から有禄士族基本帳に高祖父様のお名前があるとのご連絡をいただいた。実は同姓の御宅の先祖附が残されているのだが、こちらは五代で絶家扱いになっている。両方を取り寄せ読み下してみると、一二代抜けているがまさに一つの流れとしてつながる御宅だと判明した。それは一貫して藩主内家に仕えておられていたことによる。

一方昨年九月G様から細川支藩新田藩(高瀬藩)に仕えておられたM氏(お祖母さまのご実家らしい)の家系図のご提供を受けた。新田藩に関する資料は大変少なく、ご厚意に甘えるばかりで、こちらからご報告する資料もなく大変心苦しいことであった。

今般ご連絡のあったM家は細川宗家のご家臣であり、G様のお祖母様のM家は細川新田藩のご家臣の違いはあるものの、ルーツは同じなのではないかと家系図を詳しく拝見すると、なんと両家はご先祖を一にするご兄弟を祖としていることが判明した。
それを確認したとき、興奮と共に鳥肌が立つ有様であった。ご提供を受けた家系図は42ページに及ぶもので、ご兄弟からさらに1,000年ほど遡る詳しいものである。その由緒が明らかになりM家にご報告した次第である。

それにしても何という巡り合せであろうか・・・・9年3ヶ月の活動が報われた一瞬であった。 

 

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