津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

宮本武蔵の墓はどこ・・?

2012-11-19 11:36:52 | 地図散歩

 宮本武蔵の墓といわれるものが熊本に三か所ある。細川家の菩提寺である泰勝寺内の歴代和尚のお墓がある辺りに武蔵の墓があるが、藩主のお墓の守りというのであろうか。二つ目は「西の武蔵塚」と呼ばれる所に、女性の影を匂わせるお墓がある。西の武蔵塚と呼ばれるが、本来は家老有吉家のお墓がメインである。さて三番目が、藩主の参勤交代を見守る「武蔵塚」である。これについては詳しい記録があり、どうやらここが本当の武蔵の墓だろうと私は思っている。

        新免武蔵塚之事
     宝暦三年不時伺帳之内
           覚
     新免武蔵儀、寛永之頃当御国江御見廻参候節、 妙解院様兵法被遊御稽古、打続 真源院様兵法被遊御稽古、御二代御師範申上、 真源院様
     御代、正保二乙酉年於御当地病死仕候、 妙解院様は其以後武蔵流御稽古之儀寺尾求馬申上、武蔵存生之内申上候は、御両代之 太守様御
     師範申上、殊ニ御懇意ニ被 仰付忝奉存候、病死仕候共太守様御参勤之御上下奉拝度奉存候間、往還 御目通石牌建置可申由申候ニ付、病
     死仕候節其趣奉伺候処ニ、其望之通可仕旨筑後殿御下知ニ而、飽田郡弓削村之内杉馬場往還筋 御目通石牌相建申、今之通ニ而御座候、塚
     廻空地之所壱弐反程松杉並木桜等植置、往還筋より之見当も宣御座候而、其時分より右之所を武蔵山と申、今以唱来り申候、然処去年畝山等
     惣払相成申候、右之段遅承付御役人中江前々之儀申達候処、塚廻り切残り之木少々御座候分残申候、其後大風又ハ御用之由ニ而段々致減少
     今二三本ニ相成申候而塚廻雑人牛馬を繋、其外法外之様子ニ而踏荒申候、只今之通御座候ハゝ往々如何躰相成可申哉も難計奉存候、天下無
     双之武蔵墓所と申、御先代御師匠之石牌之所、往々荒野ニ相成申候而は乍恐勿躰儀ニ奉存候、流儀相伝居申候者共も気之毒ニ奉存候、武蔵
     山之儀御立山ニ而も無御座、村方畝山と申ニ而御座候相成申儀ニ御座候ハゝ、右之所壱弐反程拝領仕松杉植立、前々之通見当宜仕、後年荒
     不申様仕置申度奉存候ニ付、御内意奉伺候、以上
           寛延三(1750)庚午年五月                              志方半兵衛

 武蔵が死んだのは正保二年(1645)五月十九日である。この覚の日取りからすると105年が経過している。
塚は荒れ放題だというが、なんとも侘しい話ではある。「 流儀相伝居申候者共も気之毒ニ奉存候」と半兵衛は記しているが、それらの人たちもたまには出かけて草刈くらいされたらよかろうにと思うが如何だろうか。

あちこちでお墓を拝見しているが、無残な姿のお墓を見るにつけご子孫はご存じであろうかと心が痛む。
現在の武蔵塚は熊本市の手により、すばらしい管理がなされている。 http://www.manyou-kumamoto.jp/html/A56.html 

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