現代において「在宅」とは、宅に在するすなわち「外出しないで自分の家にいること」と定義している。
藩政時代における「在宅」とは、在に宅することをいう。すなわち生計に困窮した家臣・藩士が、地方に住むことによって生活の立て直しを図るという制度である。宝暦の改革に伴い原則500石以上の家臣には許されなかったが、約1/4 の家臣が家族を伴い地方で暮らした。
御知行取之内在宅願之儀左之通
一 五百石已上之面々在宅被仕度被存衆ハ 熊本居住難成との訳立候面々ハ
其訳頭々委ク被承届 尤之様子ニ候ハゝ今迄之通 月番御家老衆内意被申
達候上ニ而願書・家内付・添書被仕 御役所日ニ頭々持参可被相達候事
但 頭々病中又ハ差合等之節ハ組衆を以可被相達候事
一 四百五拾石以下在宅願之儀 願之趣頭々委細承届 尤之様子ニ候ハゝ御家
老中江内達ニ不及 直願書・家内付・添書被仕 頭々持参不時ニ御役所へ
可被相達候事
但 右同断
一 右之通ニ付 向後妻子在宅之類ハ難成候事
右之通被 仰出候事
以上
宝暦五年
七月廿七日