津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

あづき坂

2012-11-17 11:03:16 | 地図散歩

 先の 熊本城・昭君の間の抜け道 で書いた不浄門(不開門)を抜けると、現在の熊本県立伝統工芸館の前に出る。
御大工・善蔵はそこから「あづき坂」に出ると語っている。

以前柊坂について記したあと、この坂のことを「タブの木坂」と呼ぶのだということをF氏からご教示いただいた。(柊? タブの木? 参照されたし)
お礼のメールを差し上げた際、善蔵が語る「あずき坂」のことをお尋ねした。
その後「あづき坂」についてご丁寧なご連絡をいただいた。原文のままご紹介する。

茶臼山ト隈本之絵図の解説に、「~東の壷井から坪井川を渡り茶臼山に上る所にアヅキ谷がある。今の厚生年金会館(折栴檀)から家庭裁判所へ上がる坂をアヅキ坂とよんだので、アヅキ谷もこの付近であろう~」とあります。市政だよりくまもとにも、~家庭裁判所から藤園中学の運動場に通じていたアズキ坂の下にあった折栴檀橋で、今では坂道・橋ともに痕跡も見ることはできない」とあります。熊本県の地名には、「~城内の棒庵坂から下りて小豆坂を下り坪井川を渡る。城内から内坪井への唯一の通りで、折栴檀(地元ではオリエセンダンと呼称)と称している(現在ない)」とありますので、坂はそのルートで、谷は家裁と城の間、棒庵坂の北側あたりと認識しております。

新熊本市史の地図絵図編を眺めていたら、棒庵坂を下った向かい側・大木織部の屋敷の脇に内坪井につながる道が記されている絵図(12・熊本之図)があった。大木織部の屋敷は現在の熊本家庭裁判所の位置である。この道に該当するのは、KKRホテルの裏手にある駐車場らしい。内坪井とは6.5メートルほどの高低差(国土地理院のデータから)があるから、これが坂道であることは間違いない。あづき坂の書き込みがある絵図はないかといろいろ探したが見当たらない。
いろいろ思案している内に先にご紹介したDr・T様から提供を受けた絵図に熊本の変貌を見る・・(4) 明治初年の内坪井のことを思い出し、あわてて取り出してみると・・・・・あった。

まさしく「小豆坂」がありその先に「折栴檀橋」が書かれてあった。あわて者の私はここにまったく気が付いていなかった。なんたる不覚(汗・・)
この絵図によると、すぐ近くに栴檀の古木があったことが記されてあり、この橋の由来になっているものと思われる。そして先にご紹介した明治初期の熊本の町名にある比丘尼橋は折栴檀橋の誤りであることが判明した。

 

コメント
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