御殿のしょうじにてつのほねを入て
きりツとめぐるようなしかけであっ
たがよその国のお城にかうしたもんが
あつたかろうかな それからしょう
くんのまのうしろにきみつの間があ 昭君の間
つたこつもおぼへとる かべがめぐる
しかけでかべが一ちょうきりつと
めぐるとゆかのたかさ六尺ばかり
のところからこまかはししごでした
におりって女のかみのけでねりあ
はせたつなにすがつて下におりそれか
らつまる所は不じょう御門からあ 不開門(あかずのもん)
ずきざかにでるやうになつておつた
一のお天し(天守)の下と奥御殿のゆか下に
し於(塩)をおいてあつたし大がまなども
まさかの時のよういとしてそなへてあつた
つぎにうぐいの御ろうかのしかけといひ
どりもこりもぎょうさんなふしんだ
ったぞ
摂津(小西行長)が上かたでしんでから宇土までいつて
天しをときあるいは御門もときにおるは
でしごと職人をつれていつた ときくづ
した材木は車と牛馬なんきゃ引っぱって
いつてこっちにはこんできたがわるぢへ
の多かった摂津はすへはほろんでしまう
たね ひとをのろへばあなふたつとやらじ
めつしたこつはこきびのよかつた
かうらい門や三丁目の御門なんきゃ 高麗門
みなおるがてしほによつてでけたが今の
ごてかうかわらうなんきゃあおのころはゆ
めにもおもうちゃおらんだつた ほんとう
よの中といふもんなかわるもん
ね
お城のようかいのはなしなんきゃ人にや
けっしてはなしちゃならんけんゆう
なよ 恵々かい
(了)
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