津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

迷惑く・明和九・・・目黒行人坂火事

2012-11-11 18:28:01 | 歴史

 目黒行人坂の大円寺を火元とする大火事は江戸三大火事に挙げられるが、三日にわたり燃え続けたという。この火事は「明和九年」の火事として紹介されることが多いが、実はこの火事をきっかけとして改元されている。「明和九年」を「めいわく  とし」と呼んで嫌ったとされ、安永となった。細川家の龍口邸も類焼した。

              先月廿九日江戸表出火 龍口御屋敷御類焼之段御到来有之
              苦々敷次第ニ候 太守様其外上々様益御機嫌能奉恐悦候
              右之趣触支配方へも可及達旨御用番ニ申聞候間 以下例文
                 三月十三日

追いかけるように他の屋敷が類焼した事が知らせられる。

              去ル二日江戸仕出之雇着 先月廿九日之出火弥以及大火
              大工町・檜物丁御屋敷も同晦日類焼之段申来 重畳苦々敷
              太守様えは白金新御殿え先御一所ニて 益御機嫌能被成御
              座旨 三月十五日御立 


目黒行人坂の大円寺の隣には細川家の大崎御屋敷があり、少し離れて白金邸があり、又細川山城守屋敷もほど近い。これらの屋敷が燃えなかったのは幸いであった。江戸の1/3が燃え、大名屋敷168軒が焼失したとされる。
龍口邸が完成し、引越しが行われたのは安永二年十一月だという。

 
江戸防災博物館のサイト目黒行人坂火事絵は、大変興味深い。

             http://www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index.cgi?ac1=R204&ac2=R20403&Page=hpd_view   

 
     

 

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昭和11年10月細川家の皆様

2012-11-11 10:17:34 | 徒然

 昭和11年10月26日細川治年公の百五十年祭が立田邸で催されるに当たり、細川護立侯・博子夫人・護貞様・雅子様(次女・寺島宗従夫人)が来熊された折の、神戸発のむらさき丸船上での写真である。護貞様はこの年、京都大学を卒業されている。
 

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