津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

霊厳洞

2012-11-29 14:48:59 | 徒然

 某会社の社長と話していたら、「宮本武蔵の墓に行ってきました」と仰る。何故またと伺うと、「武蔵の勝気にあやかろうと思ってです」とのこと、ほほえましく思いながら話を聞いているとちょっと筋道が離れてきた。東の武蔵塚でもなく、泰勝寺でもないそうだから西の武蔵塚のことだろうと思って聞いていると、話がかみ合わない。「途中で海が見えていいところ」ときいて、ああ霊厳洞のことと合点して話を合わせる。
              http://www.manyou-kumamoto.jp/html/A109.html 

              http://www.selection-s.net/musashi/reigandou.html

彼は私の歴史狂いはご存じない。しばらく聞き手に回って彼の熱のこもった武蔵談義を拝聴する。

一族に阿蘇家とつながる方が居られる彼は信心も深い。先祖の供養も良くされる。「神様・仏様を大事にされるから、ご利益がありますよ」と申し上げると、「いや、ご利益目当ての信心じゃありません」「先祖あっての私ですから」とおっしゃる。 まさに「神仏を尊んで神仏を頼まず」という武蔵の言葉どおりである。

「ああいう場所には気が満ちています。その気を頂戴し活力にして頑張ろうと思います」
彼には夢があり、その実現のために助言を求められている。本気になって居られることを実感し、成功を祈るばかりである。

過日 Dr.T と玉名へご一緒した帰り道近くを通ったのだが、寄り道をしておけばよかったなあと反省している。改めて出かけずばなるまいと思っている。 

 

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千姫の嫁入り

2012-11-29 09:25:40 | 史料

 忠興から内記(忠利)への元和二年八月廿九日書状(131 抜粋)である。
千姫が桑名藩主本田忠政の嫡男・忠刻と結婚することを報じている。 

    大坂 御姫様九月末ニ桑名江御よめ入 大炊殿御供候由候
    於必定は大炊殿へ人を可遣候間 能々被立聞 前かとニ可被
    申越候 使者を差上 大炊殿へ音信可申候事

大坂城で火傷をおいながらも千姫を救出した坂崎出羽守は、家康の約束(坂崎家への千姫の嫁入り)を反故にされたことに反発し、嫁入りの道中を襲おうとして露見自害したとも、家臣に殺害されたとも言われる。これにより坂崎家は絶えることと成った。
細川家家臣に坂崎氏があるが、その祖川崎忠三郎が出羽守の弟だとする資料が出羽守のご子孫の元にあるという。

時代に翻弄された千姫と坂崎出羽守である。
     

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