津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

志水家と蒲生氏

2012-11-21 17:00:25 | 歴史

 志水元五(日下部与助)室は蒲生四郎兵衛郷安女・和久であるとされる。
元五と父・志水清久(宗加)は細川幽齋の命により息興元に仕えていたが、どういう経緯があったのか父子は興元の元を離れ清久は京都に浪居し、元五は加藤清正に仕えた。 
一方蒲生氏郷の子・秀行に仕えていた一族の四郎兵衛郷安は、秀行の寵臣の渡利八左衛門の専横に対し秀行に諫言するもこれが取り入れられず、八左衛門を殺害、石田三成がとりなして加藤清正の家臣とした。関ヶ原戦が始まると三成に恩義を感じた郷安は小西行長の居城・宇土城に妻子を託し、養嗣子・忠兵衛と共に関ヶ原へ向かうが途中で西軍の敗北を知る。急ぎ妻子を助けるために宇土へ引き返すが、妻子が捕らえられたため自らの命と引き換えに妻子の助命を願って切腹した。
共に切腹して果てた郷安の養嗣子・忠兵衛室が和久であり、孫女・松をつれて志水元五に「被下候」とある。清正の命であろうか。
この後細川忠興が清正に対して元五の細川家復帰を申し入れ、元五はすでに細川家に召しだされていた父宗加を追って細川家に召しだされた。
養女・松(万津は蒲生忠太夫郷教女)が後元五の養嗣子・志水恵重に嫁ぎ、元五系志水氏(新九郎家)として明治に至る。 

(四郎兵衛が渡利八左衛門を殺害した件については異説もあるようである)

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五ケ町--高瀬(玉名)町

2012-11-21 15:06:27 | 地図散歩

 「玉名市立歴史博物館こころピア」がだしている、嘉永七年の「高瀬町図」である。
延久寺の脇に全国的にも有名になった、玉名ラーメンの元祖といわれるラーメン店がある。この周辺の寺町かいわいはほとんど変わっていない。
(先日訪れたら、残念ながら休店日だった・・・・)高祖父・久兵衛が奉行を勤めた奉行所の跡も、いまではその面影を見出すことはできない。

http://ci.nii.ac.jp/els/110006974429.pdf?id=ART0008884195&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1353551386&cp=

http://ci.nii.ac.jp/els/110006642726.pdf?id=ART0008656749&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1353551190&cp=
 

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