津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

どうなる「大相撲」・・?

2010-06-28 17:29:06 | 徒然
 名横綱と称えられた双葉山は、横綱になった直後目白の細川侯爵邸に出かけている。昭和11(1936)年1月・5月場所で連続優勝して横綱に成った。その直後のものと思われる。当時はまだ熊本に相撲の神様「吉田司家」があり、細川家への横綱の挨拶は恒例と成っていたようだ。
我が家に数葉の当時の写真が残されている。私の祖父が当時細川家の家政所にいた関係で此の写真が残されている。土俵入りの写真や、横綱を囲んでの集合写真は40名ほどの人で溢れ返っている。祖父も移っているはずなのだが、よく判らない。

 ところで双葉山の時津風部室も今回の騒動で揺れている。死亡事件や朝青龍事件、木瀬部屋事件そして今回の大事件と、協会の対応の拙さが際立っている。名古屋場所も止めたほうが良かったのではないかと思うが如何・・・

 こんな有様では信頼と人気を挽回する事は、至難の技である。貴乃花親方を理事長にするくらいの大英断が必要なのかもしれない。(難しいか・・)
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細川小倉藩・御用覚書之帳--元和九年五月(11)

2010-06-28 11:29:30 | 歴史
     ■五月十八日 当番浅山清右衛門

  善右衛門ニ申渡、十九日ニ御加子を乗せ候て、廿日ニ出舟
一、北前、御舟壱艘可遣事 1

  善右衛門ニ申渡候
一、大坂へ御舟壱艘可遣事 2

  上林甚介・野瀬少左衛門与ニ申渡、竹木ノ枝おり申者とらへ、上ケ候へと申渡候也
一、小倉土手廻り、竹子・杉枝おり候由、大学殿(沢村吉重)より申■■間来候事 3

  善右衛門ニ申渡候也
一、江戸へ飛脚上せ候小早、壱艘可申付事 4

  くわんおんノ米ノ内ニ入、貸付可被申由、ゐ兵衛(田中氏久)・小左衛門(野田幸長)ニ申渡候事
一、清水ノ木ノ枝売候代米、六斗六升七合五夕有之事 5

  和斎弥左衛門・尾方五兵衛方へ指帋遣也
一、御弓・鉄砲衆持候なたかま、七百拾三丁出来候事 6

  御意無之ニ、御無用之由、御年寄衆御惣談候事
一、平戸佐川主馬・松浦太郎左衛門方へ御信音信事 7

  河喜多五郎右衛門方へ差帋相添、遣也
一、大藪小左衛門、元和七年分ノ塩ノ算用帳目録、大藪十太夫上ケ申候事 8

  頭孫太夫、御掃地ノ者四人助五郎、三人御葉さミ箱持、一人御そうり取、合五人也
一、御本丸・北ノ御丸御路地掃地事 9

  惣市遣候也
一、とうゆノ番替事 10

 (1)(2)(4) 全て舟の手配に関する記事である。 鏡善右衛門は船頭頭である。
 (6)以前の記事にあったが、御弓・御鉄砲衆へ供給される、なた・かまが出来上がった。

  
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