津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川小倉藩・御用覚書之帳--元和九年五月(11)

2010-06-28 11:29:30 | 歴史
     ■五月十八日 当番浅山清右衛門

  善右衛門ニ申渡、十九日ニ御加子を乗せ候て、廿日ニ出舟
一、北前、御舟壱艘可遣事 1

  善右衛門ニ申渡候
一、大坂へ御舟壱艘可遣事 2

  上林甚介・野瀬少左衛門与ニ申渡、竹木ノ枝おり申者とらへ、上ケ候へと申渡候也
一、小倉土手廻り、竹子・杉枝おり候由、大学殿(沢村吉重)より申■■間来候事 3

  善右衛門ニ申渡候也
一、江戸へ飛脚上せ候小早、壱艘可申付事 4

  くわんおんノ米ノ内ニ入、貸付可被申由、ゐ兵衛(田中氏久)・小左衛門(野田幸長)ニ申渡候事
一、清水ノ木ノ枝売候代米、六斗六升七合五夕有之事 5

  和斎弥左衛門・尾方五兵衛方へ指帋遣也
一、御弓・鉄砲衆持候なたかま、七百拾三丁出来候事 6

  御意無之ニ、御無用之由、御年寄衆御惣談候事
一、平戸佐川主馬・松浦太郎左衛門方へ御信音信事 7

  河喜多五郎右衛門方へ差帋相添、遣也
一、大藪小左衛門、元和七年分ノ塩ノ算用帳目録、大藪十太夫上ケ申候事 8

  頭孫太夫、御掃地ノ者四人助五郎、三人御葉さミ箱持、一人御そうり取、合五人也
一、御本丸・北ノ御丸御路地掃地事 9

  惣市遣候也
一、とうゆノ番替事 10

 (1)(2)(4) 全て舟の手配に関する記事である。 鏡善右衛門は船頭頭である。
 (6)以前の記事にあったが、御弓・御鉄砲衆へ供給される、なた・かまが出来上がった。

  
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