名横綱と称えられた双葉山は、横綱になった直後目白の細川侯爵邸に出かけている。昭和11(1936)年1月・5月場所で連続優勝して横綱に成った。その直後のものと思われる。当時はまだ熊本に相撲の神様「吉田司家」があり、細川家への横綱の挨拶は恒例と成っていたようだ。
我が家に数葉の当時の写真が残されている。私の祖父が当時細川家の家政所にいた関係で此の写真が残されている。土俵入りの写真や、横綱を囲んでの集合写真は40名ほどの人で溢れ返っている。祖父も移っているはずなのだが、よく判らない。
ところで双葉山の時津風部室も今回の騒動で揺れている。死亡事件や朝青龍事件、木瀬部屋事件そして今回の大事件と、協会の対応の拙さが際立っている。名古屋場所も止めたほうが良かったのではないかと思うが如何・・・
こんな有様では信頼と人気を挽回する事は、至難の技である。貴乃花親方を理事長にするくらいの大英断が必要なのかもしれない。(難しいか・・)
我が家に数葉の当時の写真が残されている。私の祖父が当時細川家の家政所にいた関係で此の写真が残されている。土俵入りの写真や、横綱を囲んでの集合写真は40名ほどの人で溢れ返っている。祖父も移っているはずなのだが、よく判らない。
ところで双葉山の時津風部室も今回の騒動で揺れている。死亡事件や朝青龍事件、木瀬部屋事件そして今回の大事件と、協会の対応の拙さが際立っている。名古屋場所も止めたほうが良かったのではないかと思うが如何・・・
こんな有様では信頼と人気を挽回する事は、至難の技である。貴乃花親方を理事長にするくらいの大英断が必要なのかもしれない。(難しいか・・)