津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

57年前の悪夢

2010-06-21 23:15:12 | 徒然
 今日は夏至「陽熱至極し又、日の長きのいたりなるを以て也」というが、梅雨の真っ只中で「陽熱至極」には程遠い。今年の梅雨入りは一週間ほど遅れて、熊本市内はしとしと雨がここ三四日続き、今週は日のめを見ることも無さそうだ。6月26日は昭和28年に大水害を経験した日だが、小学校六年生だった私は命を拾った日でもある。学友20数名が濁流に呑込まれて死んだ。26日は何とか晴れてほしい。雨が降ると又夢を見そうな気がする。
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お藤さまの婿殿

2010-06-21 20:57:21 | 歴史
 綿考輯録を読むと、さかんに藤姫の消息が出てくる。保寿院の子供ではないが、忠利が愛していた事が伺える。廿歳で嫁いだ相手は奥平松平家の松平忠弘、当時山形藩十五万石の当主、父忠明の生母は家康女・亀姫、故をもって家康の養子と成った。

             細川忠利---+--光尚
                     |
                     +--藤
                        ∥
        +===========忠明---忠弘(山形藩主・十五万石)・・・伊勢桑名・・・武蔵忍
        |          ↑
徳川家康---+---亀姫    |
             ∥----忠明
          奥平信昌
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細川小倉藩・御用覚書之帳--元和九年五月(5)

2010-06-21 11:33:59 | 歴史
     ■五月九日 当番浅山清右衛門尉

  又、取かへし、喜兵衛ニ相続也、十日ニ町ニテ、似横目仕候者ヲ誅伐仕候ヲ、ためし申候、一筒アラハ弐枚程かゝり申候
一、大道打之御大脇指、寺尾左介方へ渡ス也

  源右衛門・與兵衛ニ申渡候、即、御材木相渡候本切手見届、写を仕、中津へ遣申候
一、中津より、三輪源右衛門尉・森與兵衛手前之儀・釘本半左衛門女之出入之儀申来候事

一、釘本半左衛門知行所女之出入之儀、御郡代へ申候処ニ、中津御奉行衆より被仰越分■■之出入
   ニテ候由候、半左衛門上方より被申候迄、相待候て、様子承届、中津へ其節具ニ返書可申筈之事 

  (林)弥五左衛門・(河田)八右衛門ニ相尋候へハ、手伝入申間敷と、見及候由ニ候也
一、大槻久次手前手伝事

  加主馬(加々山可政)所へ、急度得御諚被申越候へと、門司ニ舟懸り候ニ、鯛瀬三郎太郎者ニ申遣候
一、中津奉行へ、拾弐貫目銀ノかり請取、返シ申事

  市左衛門ニ申渡候
一、御荒仕子弐人、田川郡より十日ニ、小倉へ罷越可申候、便舟次第江戸へ遣可申候事
  御荒仕子一人
  御荒仕一人牧市左衛門ニ申渡、明日より遣事
                ・荒木二郎八
一、明石権右衛門澤田吉右衛門・米田甚右衛門・余田左大夫人即事

  千手新左衛門・塩木又丞
一、岩石山より大橋の御材木、中嶋ノ橋ノ御材木出ス御奉行事

  和田伝兵衛方へ申遣事
一、白土之御奉行、手前ニ有之斤両之目をもり候事

  切紙遣候事
一、北ノ御丸路地之御掃地、明日より仕候ニ付、少介方へ差紙遣申候事

  過怠銀四十三匁、奥左衛門持参候而、藤崎言斎・竹村弥右衛門方へ被相渡候事
一、人もとしの御使ニ、豊後へ荒木助左衛門被参候時、国東郡内今市村久作案内者ニ被参、せうこ人
   ニ参候而、不埒明内ニ、罷帰候ニ付、過怠之事

   
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