写真は北九州「いのちの旅博物館」のHPより引用。
現在、細川藩平野家について色々調べているが、ふとひらめいてある事を思い出した。
大名細川家『文と武の軌跡』展が、八代の「未来の森ミュージアム」で開かれた時拝見した、利休作の茶杓「ゆがみ」だ。(此の展覧会は終了後、いのちの旅博物館で開催された)この茶杓は、忠興が未練を残しながら、平野長泰に贈ったものだ。
尚/\、御やくそく申候茶杓進申候、涙をこほし申候、ふと御やくそく申候、
これハ名をゆかミと申候、我等茶杓のうちにてハ一にて御さ候
平野長泰は、加藤清正らと共に賤ヶ岳七本鑓の一人と賞された。しかしその処遇は芳しくない。二つの家系が細川家に仕えている。そんな長泰に、何故この茶杓が渡る事になったのか、その訳は承知していない。そしてどういう経緯か、光尚代細川家に返還されたとされる。
2007/10の芸術新潮「細川家・美と戦いの700年」に、この茶杓が掲載されている(p51)が、私の記憶の中にあるものとはまったく違う姿を見て、感激を新にしている。
現在、細川藩平野家について色々調べているが、ふとひらめいてある事を思い出した。
大名細川家『文と武の軌跡』展が、八代の「未来の森ミュージアム」で開かれた時拝見した、利休作の茶杓「ゆがみ」だ。(此の展覧会は終了後、いのちの旅博物館で開催された)この茶杓は、忠興が未練を残しながら、平野長泰に贈ったものだ。
尚/\、御やくそく申候茶杓進申候、涙をこほし申候、ふと御やくそく申候、
これハ名をゆかミと申候、我等茶杓のうちにてハ一にて御さ候
平野長泰は、加藤清正らと共に賤ヶ岳七本鑓の一人と賞された。しかしその処遇は芳しくない。二つの家系が細川家に仕えている。そんな長泰に、何故この茶杓が渡る事になったのか、その訳は承知していない。そしてどういう経緯か、光尚代細川家に返還されたとされる。
2007/10の芸術新潮「細川家・美と戦いの700年」に、この茶杓が掲載されている(p51)が、私の記憶の中にあるものとはまったく違う姿を見て、感激を新にしている。