津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

忠利君再従兄弟・斎藤伊豆(立本斎)

2009-03-14 13:10:40 | 歴史
2008年11月11日のブログでご紹介した「加藤清正臣・斎藤伊豆守(立本斎)」について、遅ればせながら綿考輯録の該当項をご紹介する。(立本斎は春日局の実兄)

【(天正十七年)斎藤伊豆公義の囚人と成、忠興君御預り被成候て、河北石見に御預ヶ被成候処、無程御免ニ而加藤清正江被下候】

 伊豆ハ明智光秀も家人斎藤内蔵助か子なる故、秀吉公をねらひ鉄炮にて打可申と謀候由、
 秀吉公の御馬廻に伊豆か甥有之候而密訴いたしニ付、早速伊豆を召籠られ、御穿鑿有之
 候、伊豆申候ハ、父にて候内蔵介、明智殿への届けに君へ御敵仕殺され候、私儀何とて
 御懇可申上様無之候、彼者浪人の私を失ひ、御褒美にも預り可申と拙き底意より、現在の
 伯父に無実を申かけ、無是非仕合ニ候と申、双方証拠なき事故分明ならす、先忠興君へ御
 預け被成候、此比の風俗にて公義よりの御預ヶ人と云なから召籠置、張番等附置候儀も無
 之由、石見申候ハ、貴方仮令逐電めされたりとも、上よりの御尋ものニ候へハ、日本の内に
 隠れ所は有ましく候、卒爾に逃隠れ、我等に皺腹切せ候様には努々いたさるましく候、自然
 気違ひ如何様の事候とも其時迄と存候間、寛々と居られ、用事は遠慮なく被申聞候へと、殊
 の外深切にいたし置候、扨或日北野にて双方共鉄火を取せ、邪正御糺明有へきに究り候ニ
 よつて、其前日石見、伊豆を同道ニ而北野の天神に立願のため参候処、石見平生の真信な
 き故にや奇端なと有之候と也、翌日双方出合、役人も数多被指出、其外見物夥敷中ニ而長
 さ四寸程の鉄を焼、かなはさみにて挟ミ差出し候を、一番に伊豆罷出、両手の上に紙一枚敷
 き、熊野の牛王を一枚置、右の鉄火を受て向の棚に直し、手を引と其儘牛王紙青竹の棚焼
 貫、鉄大地に落し也、其跡に相手の者罷出、件の様子を見て早顔色変し、如以前牛王を掌
 に置、鉄火を受ると其儘紙牛王焼貫て、鉄火を地に落しけれハ、役人其者をとらへ忽磔にか
 けられ候、伊豆ハ御赦免にて清正へ被下、追々取立られ士大将ニ成候、松井・有吉木付籠
 城候時之書通ニ立本斎と有之ハ、此斎藤伊豆守事なり、肥後守忠広領國被召上候以後、将
 軍家光公ニ被召出御取立被成候、斎藤佐渡守と被改候、忠利君とハ御再従兄弟也

   「蜷川家古文書」というサイトに「斎藤氏系図」が紹介されている
    系図最下段右端に伊豆守、左端に春日局の文字が見える
コメント
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