津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

愛宕下藪小路

2009-03-15 14:34:46 | 歴史
  
  財団法人・首都高速道路技術センターのサイトのコンテンツ「愛宕山周辺の変遷」から引用
                     www.tecmex.or.jp/history.html

 綿考輯録に「今年(慶長七年)於江戸初而御屋敷拝領被成候」という一文がある。(巻十七--忠興公・上p423) これによると、「或説ニ、忠興君初而於江戸御拝領の御屋敷ハ、愛宕下藪小路之由」とある。北野隆・熊本大学名誉教授によると、翌八年に上屋敷たる龍口屋敷が普請に入ったとされ、通常「愛宕屋敷」「三齋中屋敷」と呼ばれる御屋敷の普請は、元和八年からはじまったとされる。

 切絵図(芝口南西大久保愛宕下之図)をよくよく見ると、愛宕山の前の道路は「此ヘンハアタゴ下ヒロ小ジト云」と書き込みがある。現在の「愛宕通り」である。ここに加藤越中守の屋敷がみえるが、これが「三齋屋敷」であろう。武州豊嶋郡江戸庄図にある場所と一致する。そして南側の道には「○三才小ジ(三齋小路カ)」とあり、北側の道路に「○ヤブ小ジ」とあった。時代は違うが、すぐ近くに宇土細川家屋敷(細川豊前守)が見える。(田ムラ小ジ)

 いろいろ検索していたら、安藤広重の浮世絵「名所江戸百景」の「愛宕下藪小路」に出会った。広重のこの絵は、かっての三齋屋敷周辺の模様が描かれているのだろう。さて左の建物は何か。右手に描かれている小川から此の場所が推定できるのか。いろいろ謎ではあるが、当時の雰囲気が見て取れて大変興味深い。

(春ハ名ノミノ風ノ寒サヨ・・外出もしたくなく、こんなことをしながら日曜の一時を過しています)


   追記:3/15pm18:45  問題は解決いたしました。説明文を全文引用しました。
              www31.ocn.ne.jp/~hira/atago-ukiyoe.htm
愛宕下藪小路 愛宕神社下の愛宕通りから芝方面
『愛宕下絵図』を見ると、新橋を南に行き、2ツ目の四ツ辻のところに「ヤブ小ジ」と記されている。現在の港区虎ノ門1丁目あたり。今はない桜川で、左手の屋敷は土方備中守の屋敷。右の竹が見えるのは、江州水口の加藤越中守の屋敷で、同家で鬼門除けのために竹を植えたので、藪小路の名が出たという。広重は、静かに雪が降る景色とし、桜川の中央に濃い藍を用いて、水の深さ流れの強さを強調している。この加藤越中守屋敷が、かっての細川三齋屋敷である。

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忘れ雪

2009-03-15 10:35:19 | 熊本
 まったく気付かなかったが、昨日熊本市内でもチラリと雪が舞ったそうだ。少し暗くなってから所用で南阿蘇に車を走らせた。目的地に至ると同乗者が「おう・雪だ」と声をあげる。生垣の上にわずかだが白く積雪している。国道の「道路情報」に気温0度とあった。明日は桜の開花が予報されていた熊本だが、さてどうだろうか。

 今朝はいいお天気、起き掛けに東のほうを眺めると、積雪で阿蘇の外輪が白く輝いている。新聞は阿蘇の米塚の積雪の優美な姿を報じている。大文字焼きも催されて賑ったらしい。阿蘇の春も確実に近づいているのだが、忘れ雪は観光客を振るいあがらせたようだ。
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