財団法人・首都高速道路技術センターのサイトのコンテンツ「愛宕山周辺の変遷」から引用
www.tecmex.or.jp/history.html
綿考輯録に「今年(慶長七年)於江戸初而御屋敷拝領被成候」という一文がある。(巻十七--忠興公・上p423) これによると、「或説ニ、忠興君初而於江戸御拝領の御屋敷ハ、愛宕下藪小路之由」とある。北野隆・熊本大学名誉教授によると、翌八年に上屋敷たる龍口屋敷が普請に入ったとされ、通常「愛宕屋敷」「三齋中屋敷」と呼ばれる御屋敷の普請は、元和八年からはじまったとされる。
切絵図(芝口南西大久保愛宕下之図)をよくよく見ると、愛宕山の前の道路は「此ヘンハアタゴ下ヒロ小ジト云」と書き込みがある。現在の「愛宕通り」である。ここに加藤越中守の屋敷がみえるが、これが「三齋屋敷」であろう。武州豊嶋郡江戸庄図にある場所と一致する。そして南側の道には「○三才小ジ(三齋小路カ)」とあり、北側の道路に「○ヤブ小ジ」とあった。時代は違うが、すぐ近くに宇土細川家屋敷(細川豊前守)が見える。(田ムラ小ジ)
いろいろ検索していたら、安藤広重の浮世絵「名所江戸百景」の「愛宕下藪小路」に出会った。広重のこの絵は、かっての三齋屋敷周辺の模様が描かれているのだろう。さて左の建物は何か。右手に描かれている小川から此の場所が推定できるのか。いろいろ謎ではあるが、当時の雰囲気が見て取れて大変興味深い。
(春ハ名ノミノ風ノ寒サヨ・・外出もしたくなく、こんなことをしながら日曜の一時を過しています)
追記:3/15pm18:45 問題は解決いたしました。説明文を全文引用しました。
www31.ocn.ne.jp/~hira/atago-ukiyoe.htm
愛宕下藪小路 愛宕神社下の愛宕通りから芝方面
『愛宕下絵図』を見ると、新橋を南に行き、2ツ目の四ツ辻のところに「ヤブ小ジ」と記されている。現在の港区虎ノ門1丁目あたり。今はない桜川で、左手の屋敷は土方備中守の屋敷。右の竹が見えるのは、江州水口の加藤越中守の屋敷で、同家で鬼門除けのために竹を植えたので、藪小路の名が出たという。広重は、静かに雪が降る景色とし、桜川の中央に濃い藍を用いて、水の深さ流れの強さを強調している。この加藤越中守屋敷が、かっての細川三齋屋敷である。