小田原市では、というか小田原市長小沢氏は世界城下町サミットを、2007年秋に開催するという。その目的は「城下町というまちの特性を見直して、活力にあふれ、人にやさしく、まちなみが美しいまちをつくるために、世界の城下町都市と意見を交換し、交流を深めようとする事業です。」という事だそうだ。
7月28日~30日、国内の城下町から人が集まり、この企画のプレイベントとして、パネルディスカッションをする。小田原市民として、城下町サミットは賛成しかねる。この町が城下町とはとても思えないからだ。そんな街づくりがされてきたようでもない。これからの発展を考えた時に、この町の魅力は城下町的要素では無いからだ。小田原を考えた時、過去の遺産に目が行くのは、現実の小田原を直視していない証拠だと思う。
先ず、自慢の天守閣を、比較した時に、何とも恥ずかしくなる。これが、松本城や、姫路城のような国宝にも指定されるような、本物の城郭があるならば、少しは誇りももてるが、残念なことに小田原城は、戦後、昭和30年に作られたものだ。私自身作られたときを記憶している。鉄筋コンクリートつくりで、熱海城や、ウイロウ城と別段変わりは無い。
あの鉄筋天守閣を、わざわざ入らして下さる世界の城下町の方々に、どんな顔をして見ていただけばいいのだろうか。どこが誇りを持てるというのだろうか。小沢市長は今諸外国をご夫婦でお尋ねして、城下町サミットに来ていただくための、お願いに歩いているようだ。
何故、こんな無様な事になってしまったかといえば、小田原という町の捉え方を出来ないでいるからだろう。昔は良かった。というような回顧的な感性で、町の将来を考えても、建設的な発想がでてくる事は無い。過去に思いをめぐらせるといっても、年寄りの繰言ではないのだから、将来の町のイメージが、小田原市民に共有化されていなければ始まらない。まさかこの先城下町では無いでしょう。
小田原がどんな町になればいいか、実はこれは何度も市は表明している。ところが市民の共有するところにならないでいるのだ。「西さがみ共和国」「キャンパスシティー小田原」「ビジョン21おだわら」「小田原市都市計画マスタープラン 」「おだわらルネッサンス」等などがでている。この名付け方からして、内容が想像されるでしょう。
これを一度読んでみるといい。当たり障りの無い概論の羅列で、相変わらず、おだわらはどんな町になりたいのか、見えてこない。こうした市の立てる、外注計画案に対してはいつも意見募集がある。私は、これに何度か応募した。応募したにもかかわらず、受け取ったの返事もなければ、そん後の何の反応も無い。全てが、形式を整えるために、おざなりに行われているに過ぎない。私はそれを後々の証拠のために出しておこうと、した。市は記録も残していないかもしれないので、私は残している。
こうしたやり方で、決まってしまった事が、この馬鹿げた『城下町サミット』という事になる。プレイベントにも参加するらしい、金沢市には4年暮らした。その後も時々行く。金沢が城下町サミットを主催するなら、うなずける所がある。それなりの街づくりをしているし、城跡から、大学を追い出して、城址公園として整備してゆこうという方針だ。城下町としての将来像も市民に共有化されている。
今からでも取りやめる事は出来ないものだろうか。来年の秋を思うと、今からなにやら、申し訳ないような、恥ずかしいような、厭な気持ちで落ち着かない。
7月28日~30日、国内の城下町から人が集まり、この企画のプレイベントとして、パネルディスカッションをする。小田原市民として、城下町サミットは賛成しかねる。この町が城下町とはとても思えないからだ。そんな街づくりがされてきたようでもない。これからの発展を考えた時に、この町の魅力は城下町的要素では無いからだ。小田原を考えた時、過去の遺産に目が行くのは、現実の小田原を直視していない証拠だと思う。
先ず、自慢の天守閣を、比較した時に、何とも恥ずかしくなる。これが、松本城や、姫路城のような国宝にも指定されるような、本物の城郭があるならば、少しは誇りももてるが、残念なことに小田原城は、戦後、昭和30年に作られたものだ。私自身作られたときを記憶している。鉄筋コンクリートつくりで、熱海城や、ウイロウ城と別段変わりは無い。
あの鉄筋天守閣を、わざわざ入らして下さる世界の城下町の方々に、どんな顔をして見ていただけばいいのだろうか。どこが誇りを持てるというのだろうか。小沢市長は今諸外国をご夫婦でお尋ねして、城下町サミットに来ていただくための、お願いに歩いているようだ。
何故、こんな無様な事になってしまったかといえば、小田原という町の捉え方を出来ないでいるからだろう。昔は良かった。というような回顧的な感性で、町の将来を考えても、建設的な発想がでてくる事は無い。過去に思いをめぐらせるといっても、年寄りの繰言ではないのだから、将来の町のイメージが、小田原市民に共有化されていなければ始まらない。まさかこの先城下町では無いでしょう。
小田原がどんな町になればいいか、実はこれは何度も市は表明している。ところが市民の共有するところにならないでいるのだ。「西さがみ共和国」「キャンパスシティー小田原」「ビジョン21おだわら」「小田原市都市計画マスタープラン 」「おだわらルネッサンス」等などがでている。この名付け方からして、内容が想像されるでしょう。
これを一度読んでみるといい。当たり障りの無い概論の羅列で、相変わらず、おだわらはどんな町になりたいのか、見えてこない。こうした市の立てる、外注計画案に対してはいつも意見募集がある。私は、これに何度か応募した。応募したにもかかわらず、受け取ったの返事もなければ、そん後の何の反応も無い。全てが、形式を整えるために、おざなりに行われているに過ぎない。私はそれを後々の証拠のために出しておこうと、した。市は記録も残していないかもしれないので、私は残している。
こうしたやり方で、決まってしまった事が、この馬鹿げた『城下町サミット』という事になる。プレイベントにも参加するらしい、金沢市には4年暮らした。その後も時々行く。金沢が城下町サミットを主催するなら、うなずける所がある。それなりの街づくりをしているし、城跡から、大学を追い出して、城址公園として整備してゆこうという方針だ。城下町としての将来像も市民に共有化されている。
今からでも取りやめる事は出来ないものだろうか。来年の秋を思うと、今からなにやら、申し訳ないような、恥ずかしいような、厭な気持ちで落ち着かない。
尾張名古屋のお城の近くで仕事をしていますが、梅が咲いた、藤が咲いた菊の展示会とニュースで聞くだけです(笑い)。
自治体の首長はイベントは町興しという考えなのでしょうね。市長様ご夫妻の世界の城下町行脚の費用は公費だろうし、そしてやってくる城下町の関係者も多分公費だとしたら、お互いに公費を使いあい、国からの交付金が減るご時世に、市民のみなさんは気になるでしょうね。あっ、公費で旅行ができる役得が目的なのかな(苦笑)。
ウイロウは実は小田原の生薬なのです。
お菓子のウイロウとは又違い、外郎売の口上というのが、歌舞伎などで演じられる、芸になっています。
この薬のウイロウが、何ととんでもない、小田原城に良く似た、お店を、一号線沿いに作ったのです。これが又、見苦しくて、評判は最悪なのですが。市の優良建築物の賞を貰っているのです。
最近の僕の街づくりの基本はフィレンツェにあります。
町自身は世界遺産なので手を付けることができない(壁紙一枚の張替えにも許可がいるそうで)けれど、市民はそれを誇りに思っており、不便を不便と感じ取らないで16世紀に建てられた建造物の中で生活している。
不便を受け入れることで、謙虚とか協力とか言う言葉も生まれ、必要以上の権利の行使を求めない。
小田原市民は、城下町としての誇りを持っているかといえば、自分の利便性をそぐわない程度(ランドマークレベルで)のものしかないでしょう。そこに本物の城下町の方が来たら失笑されて終わるのではないでしょうか?
街の中心にあり、広大なキャンパスが、独立した形で存在する。兼六園も隣接し、その中を自由に散策できる。
街は城下町としての、落ち着きがありました。
人口は40万人でした。
美術館もすばらしい、芸術文化財の中に暮らしている、豊かさがありました。
市長にお手紙差し上げました。ぜひ皆さんも、市長に一筆お願いします。大好きな小田原が笑い者になるのは心底困る。
そうですね。言うだけ言わないで、諦めるわけには行かないですね。
私も、手紙を出してみます。