中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

「北陸雪譜」の世界

2006年01月23日 21時48分49秒 | 活動日誌
 (カーネーション  党県委員会の旗開きに使った花がいよいよ捨てられました。描くものに困っていた私は元気の良いカーネーションを拾ってもって帰りました。スケッチは、私の場合、私の描ける時間と対象とが一致することが難しいかな。それまた、楽しみか)



久し振りに原田市会議員と地元若槻地区の訪問活動を行う。
「ポスターでは見ましたが、初めてですね。」といわれる方がいて、一生けんめいまわっても、人は沢山いるなあ、と実感しました。それでも、ひとりでも多くに方との出会いを求めて訪問し続けようと思います。

 またしても大雪、国会の高橋千鶴子衆議院議員の事務所から、雪災害関係の資料が届き、高橋さん自らメールで励ましとアドバイスを送ってくれました。
 国会と、がんばっているお隣の新潟県と連帯して、長野の対策本部も力を尽くします。

 栄村のMさんは「やっと光が入るようになったのに、また真っ暗・・・。」と切なそうに電話で話してくれました。精神的に参る方がいるのではと、心配です。

 長野県というと、どこも大雪と思われているかもしれませんが、そうではありません。

 同じ長野県でも、長野市の近隣の上田市や松本市に行くと驚くほどの別世界で雪はほとんどありません。長野県の中でも、豪雪は北部地域に限られます。
 同じ長野市内でも、私の家は最北部なので、雪深いのですが、通勤の途中でだんだん積雪量が減ってくるのが良くわかります。街場に行けば、大変な違い、「長靴を履いてきたのにどうしましょう。」と困る時もあります。

 私と同じ団地に住んでいる方が、「年をとったらここには住めない。」と言われましたが、豪雪の栄村でも、さらに豪雪地帯の秋山郷にも、昔から住んでいる人がいたのです。ただし、その壮絶さは、鈴木牧之の「北陸雪譜」になまなましく記されてあるとおりです。
 
 今回も秋山郷は、国道が閉ざされ、しばらくの間、陸の孤島となってしまいました。
 
 人は、どんなに厳しい自然の中でも住み着いて、自然と闘って(共存もして)生き延びて暮らしてきたのだなあと、私はそのことに妙な感動を覚えています。

 今晩は「北陸雪譜」がまた読みたくなって、本棚を探し回りました。さがす時は見つからないもの。この本は、私は2000年の総選挙の時北陸信越ブロックの比例の候補者になったことで、雪国を知りたいと初めて手にした本だったのですが、感動とショックを同時に受けたのです。
 私は雪のなかでの生活について、まったく無知でしたから。

 明日は、浅川の流域対策問題と産婦人科医師不足の問題で国会に行ってきます。国土交通省と厚生労働省との交渉です。県議団、市議団と一緒です。
コメント
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