中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

森もりねっと班会

2018年01月31日 22時21分13秒 | 活動日誌

医療生協の「森もりねっと」の班会でした。

今日は3人のママと子どもたちとスタッフで11人。ママたちは多い時で10人、少ない時は1人の時もあります。

 

お子さんが3才になると保育園や幼稚園に通い出し、ママは働く方が多いです。ですから、出入りが多いですね。新婦人のリズム小組と一緒ですね。

 

それでもう4年近く、毎月一度欠かさずやってきたのですから、すごいものですよ。と、自我自賛。

 

低迷が続くと、正直、スタッフの中から「もうやめようか」との声が出た時もありました。

 

でも、継続は力。若いママのよりどころになる場所は多い方がいいし、「森もりねっと」のメリットは、ママの健康管理も大きな役割の一つだということです。子育て中に健康診断がおろそかになる方は意外に多いです。

 

班会では尿検査や血圧、体脂肪などの検査を行っているので、月一度、自分の体を知ることはママたちにとってとても大事だと思っています。病気の早期発見にもなりますし。

 

子育て相談の後、今年の運営についての話し合いをしました。細々とでも、今年も継続しよう!

その後は、党のK支部のみなさんと行動しました。

そうだ!皆既月食見ましたか。星の間にどんなに距離があっても、原則は貫かれるなあ、光はどこまでもまっすぐだ・・・・と、当たり前のことなのですが、科学の事実の前に感動を覚えました。

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訪問先での共感が嬉しい

2018年01月30日 21時00分07秒 | 活動日誌

今日も冷えました。原田さんと署名用紙と赤旗を持って歩きました。

今日、うれしかったのは、赤旗は初めてという方がお二人、ご購読してくださったことです。昨日からだと、3人が初めての方になります。これはうれしい。

 

そのうちのお一人は「安倍政治を変えてほしい。そう思っているだけで、自分では何もしなくて申し訳ない。毎日、こたつでテレビを見ているだけだ」と言われました。

なんて気持ちのこもった言葉でしょうか。ジーンと嬉しくなりました。

「いえ、いえ、署名をして頂きました。これが力になります」「いやいや・・・」そして新聞のご購読に。

 

 

署名用紙は、その方にしていただくだけでなく、1枚か2枚をお願いしてくることにしています。どのお宅にお願いしたか、メモしておかないといけませんね。

 

以前、買い物や散歩のときに会った方と立ち話になった時、署名を広げるお願いをした方もいましたので、訪問の合間に留守宅に封筒に入れてポスティング。

 

行動を終えて自宅に戻ったら、ポストに封筒が!

昨日、署名を広げるお願いした方が、早速1枚の5人分をうめて持ってきてくださったのです。封筒には「昨日は来てくださってありがとうございました」と書いてありました。あ、カンパも入ってる!!またまた、ジーンときました。

人と気持ちがつながってゆくことが、一番、うれしいことですね。

バッタは訪問先の玄関に飾ってありました。よくできています。

 

 

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「3000万署名」どなたもが1枚、2枚と引き受けて・・。

2018年01月29日 21時13分55秒 | 活動日誌

署名用紙と赤旗をもって訪問活動、相棒はいつもの原田のぶゆきさん。

 

あるくと気持ちいいですね。雪景色の中を歩く楽しさと、訪問先での話の楽しさと、両方が相まって気持ちいいのです。

 

3000万署名とヒバクシャ国際署名は、ご自分の名前を書いただけでなく、1枚、2枚と預かって下さた方が何人もいました。

 

おまけに預かっていただいた方から夜電話が来て「あのう、よく見たら募金ってあるのですが、これはいくらくらい頂いたたいいのでしょうか」との質問でした。

 

「あ、それは気持ちです。署名だけでもいいんです」「でも頂くとしたら・・」「そうですね。100円か200円で、500円では御の字です」

まあ、本当にまじめに取り組んでくださるのだなあと、嬉しいことでした。

 

そして、先日の地元の「3000万署名推進委員会」立ち上げの会に来てくださったKさん、参加してくださるとは思ってもみなかったんですよ。来ていただけただけで、感謝いっぱいでした。

 

「あんな集まりは初めてでした。みなさん、がんばっているのですね。小林さんの戦争体験の話ね、よかったです。もう、戦争はいけません」と、なんと、初めて赤旗を読んでくださる事になりました。うれしい!

 

赤旗読者のYさんは、「何かやんなくっちゃね。ひどい政治だね。でも何ができるかな。どうしたら変わるかな」と怒っています。「共産党員になってみんなと一緒に頑張ろうか」と軽く言ったら「え!」と驚きながら説明をよく聞いてくださいました。「ちょっと考えさせて」と。きちんと「党を知る会」に来ていただかなくては・・・。

 

「今日はこれでやめようか。明日どうする?」 明日も、相棒・原田さんと歩く予定です。

 

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一人一人が西郷どん!

2018年01月28日 21時18分01秒 | 活動日誌

県党会議に全県の党の代議員が集まりました。長野県の党の最高の決定機関の会議です。

来賓は、衆議院選挙で野党・市民連合で頑張った3人の方。社民党の竹内久幸さん、5区の統一候補になった曽我さん、信州市民アクションの代表の茅野みのるさんです。

 

3年前には、県党会議にこのメンバーが来賓でご挨拶していただけるなんて、想像もしませんでした。でも今は、当たり前の姿になっている。

 

大同団結で政治を革新する、そして、市民も野党と市民の共闘があたりまえ、市民が主人公の役割を立派に果たして政治を動かしている。

 

政治の質的変換期だな、と今日も実感しました。私、大変な時代に今生きている、その思いで胸にひたひたとし寄せてくるものがありましたね。

 

大河ドラマで「西郷どん」が始まりました。今は、あの激動の時代に匹敵する時代だなあと思うのですね。

 

歴史って、過去のものとして検証されるとその価値が鮮明になりますね。プラスの面もマイナスの面も。でも渦中にいると、敏感になるには敏感になろうとしないと見えてこないかもなあ・・とも思いました。

 

マルクスが資本論の第一巻を刊行したころは、日本はちょうど「西郷どん」の時代。「資本主義」との言葉さえ存在しなかった。

でも、私たちには「資本論」を基礎にした科学的社会主義の理論がある。向かう先がわかって、今の情勢を判断できる。

 

先人の先鋭のたたかいを踏んで、今は多数者革命へと進んできた。一人一人が西郷どん。

 

憲法九条を守り、新しい政治へ向かうためには今年は要の年、3000万署名の成功や党の自力をつけるために何が課題か、が話し合われました。

当面、今日から4日間、党を大きくする期間と決まりました。総論よし、実践で示さなくては!ふ~。

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せまっこい考えで子育てしてないか

2018年01月26日 20時03分58秒 | 活動日誌

驚くほどしっかり自立しており、自由な考え方と生き方をしている18才の女子高校生に、2時間のインタビューをしました。

 

この3月にはカナダのモントリオに留学をする予定だ。ファッションデザイナ―になるため、ラサールカレッジに入学する。

 

なぜ、モントリオなのか。フランス語と英語の両方を学べて、デザインンも勉強できるところはモントリオだった。(カナダの公用語はその占領の歴史から英語とフランス語。モントリオのあるケベック州はフランス語が公用語になっています。またモントリオはファッションの街として名高い)

 

幼いころからデザイナーになりたかった。洋服の絵を描くことがすきだった。その夢はずっと消えることなく続いている。だからフランス語にも興味を持った。

 

小学校4年生の終わりころから、フランス語の勉強を始め、高校では国際科にいたのでフランス語を選択した。昨年は、フランス、アフリカへホームステイもしてきた。

 

こう述べると、「恵まれた環境の子か」と思うでしょう?

確かにないとは言えません。一定の家庭の財力は基本にありますね。

 

しかし、ホームステイも学校の制度や留学制度を利用して、学習し試験を受けて公費でいっている。

 

今度の留学も、行先も自分でインターネットで探し、カナダへ渡る時も一人で出かける。はじめの4か月はホームステイだが、その間に自分でアパートを探すという。

 

すべて自分で調べた上で、「こうしたい」と親に相談している。ここがすごい。「情報は待っていてもきません」と彼女は言いました。

 

「学費は親に出してもらいます。でも、アルバイトをしてお金をためて、次にそなえたい」と、しっかりしています。

 

次の彼女の言葉には、正直、私は驚きました。

 

「日本では、自分の意思を主張するのは難しい。夢を語る場もない。自分の意見を言うことは自分の行動を決めることなのに。

 

学校でも、受験の路線で、やりたいことがあっても我慢して、当面は受験。偏差値で進学校を推薦される。その波に乗って暮らさなければならない状況があります。私も、めげそうになった時もあります。でも、親友がいていつも夢を語り合ってきました。

 

親友と語り合うと勇気が湧く。彼女も優秀な人なのに学校の進める大学ではなく、自分のやりたいことの道を選びました。彼女がいたから、私はつき進めた。

 

私はワクワクすることをしていたい。自分の好きなことを大人になっても忘れなければ、続けられるかな。基本的に、考え方がポシティブなんです。挫折しても、だめだ・・ではなく、何ができるかって考えます。

 

アフリカに行って思いました。貧しくて女の子は特に学校へいけないで働いている。日本では大変なこともあるけれど、中学までは学べてる。努力すれば道が開けるのではないか」

 

彼女の言うように、日本の子どもは「努力すれば道は開ける」と単純には解決できない苦しみを負わされています。自己責任の範囲ではない。自殺まで追い込まれる異常さがある。

 

でも、18才の彼女の持つ自由な発想、開拓精神、エネルギーと独立心はすばらしい。どこで育まれたのだろうか。

 

後半のインタビューはそこが焦点となりました。

 

私、親として、我が子に対しどうだったんだろうか・・・と考えさせられました。せまっこい考えで向かってたんではなかろうか。今もせまっこくないかしら?

うーん、フルフル頭をやわらかくしなくっちゃ、と思いましたよ。

 

最後に聞いてください。彼女の夢。

 

「世界で有名になりたい。自分のブランドを作り会社の社長になりたい。アフリカでは女性が働く場所もない。私がアフリカに会社を作って、発達途上国に笑顔をもたらしたい。カラフルで奇抜なデザインで明るい気持ちを届けたい」

私は18才の時、こんなこと考えもしなかった。感動しましたね。若返りました!! 今日はいい日でした、最高です。

 

 

 

 

 

 

 

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ママと子どもの悲鳴

2018年01月25日 20時54分56秒 | 活動日誌

長野も雪。でも、市内はそうたいしたことはなくすんでいます。冷えてはいますね。

知り合いの方に3000万署名の用紙をお願いしに回りました。みんな快く、何枚かの署名用紙を引き受けてくださいました。「戦争なんて、とんでもない!」と。

 

何人かの若いママとお話しました。

 

Aさんは3人目のお産で実家に帰ってきていました。「東京にいますが、保育園に入れないんです。仕事に復帰できない」悩みを語ってくれました。

 

Dさんは、「実家が遠いので応援してもらうことが難しい。今の職場では今後続けられるか、不安です。いっそ実家のそばに引っ越して仕事を探そうかと思ったりしてしまいます」

 

子育てに専念しているママは、働きたい悩み、経済的に大変だとの苦労、一日子どもと一緒でイライラする悩み・・・・

 

みんな苦労を抱えていました。

 

色々な立場のかたへの子育て支援は、重大な問題です。誰もが入れる保育園、安心して子育てできる医療や教育の無償化、労働条件の改善は必須です。

 

いま、政府は、「働き方改革」で「職場に行かなくてもパソコンの前で仕事ができる」とか「様々な働き方であなたも」などと甘い言葉で労働法を替えようとしていますが、とんでもない。

 

待っているのは、正規職員を無くすこと、裁量制労働で実際は労働強化や無権利の野放し、残業時間の青天井、残業代ゼロの世界です。

 

子どもは悲鳴を上げていますよ。「パパ、ママともっと一緒にいたい」「ママ、怒らないで」「3度の食事を腹いっぱい食べたい」「進学したいけど、家はだめだ。あきらめた」「将来の希望が見えないのに、何を頑張るの」・・・・・もっともっと、一杯一杯あります。

 

こんな政治ってある? 先進国の名が泣きますよ。先進国の中でも日本はひどい国だってこと、私は声を大にして言いたい。安倍政治は許さない。

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「子どもや孫に勇気と誇りを与えるために生きている」

2018年01月24日 20時39分16秒 | 活動日誌

名護市長選で、翁長知事の稲嶺候補の応援の挨拶の中で「わたしたちはいま、子どもや孫たちに勇気と誇りを与えるために生きています」の言葉に、心が揺さぶられました。

 

FBなどで、沖縄に応援に行っている仲間からの報告によると、名護市長選はかなりな激戦で、相手方はあることないことならびたてて稲嶺候補陣営を攻撃しているらしい。

 

相手候補は、政策では、争点の基地問題を真正面から論戦しないで、都合よろしく逃げ、国からのお金はちゃっかりいただいてもいいなどと、筋の通らぬこと言っている。

 

まともに論戦できないのは、自分らが県民や国民の意に反していることを自覚しているからです。

 

翁長知事の言葉の通り、私たちは、子どもや孫に、勇気と誇りを与えるような戦いをしたいものです。名護市長選、そして憲法を守るために。

 

今日は合唱団のレッスン。風邪でやっと声がもどってきましたが、まだ少々咳がありうまく発声ができませんでした。もう一息です。

 

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お孫ちゃんと葬儀に参列

2018年01月23日 17時05分23秒 | 活動日誌

お孫ちゃんの目は、結局風邪からの軽い結膜炎だったようです。でも、ま、昨日と今日の二日間、用心のために園を休み、バァバと過ごしました。

 

昨日は吹雪の中、果敢にそり遊びに興じましたが、今日はいっしょにWさんの葬儀に参列しました。

 

癌とたたかっておられましたが、年末まで大変調子よく改善していたところ、年明けて急速に悪化したそうです。ご家族も、深刻には考えていなかったようなのです。あまりに急なことでした。

 

我が家の娘たちも、保育園時代、お世話になったことがあります。お母さんとは障がい児親の会でも、ご一緒に運動してきました。

 

障がいを持って生まれた娘さんのMちゃんは、生まれた時から生死をさまよい、病魔と闘いぬいて生き抜いてきたお子さんです。今はすでに成人し、グループホームで暮らし作業所で働く素敵なお嬢さんになりました。

 

Wさん、Mちゃんの今後のこと、どんなにか心配なさっていたことでしょうね。

 

このところ、お孫ちゃんと一緒に葬儀に参列する事が続きました。「死ぬ」ということがどういうことか、子どもなりに、だんだんわかってくるようになるのでしょうね。身近な人や大切な人、飼っていた動物の死などの経験は、命の尊さを心に刻む大事な経験です。

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大雪

2018年01月22日 19時58分18秒 | 活動日誌

天気予報通り、大雪。大雪の中、お孫ちゃんと公園にそり滑りに行って、ずぶぬれになるくらいさんざ滑ってきました。

しかし、そりは楽しいレベルの雪で済めばいいのですが・・・。

 

なぜ、お孫ちゃんとあそぶ時間があったかというと園を休んだからです。

 

お孫ちゃんが、風邪からくる結膜炎らしく、受診。「悪化していないから、おそらく風邪から来たものでしょう。しかし流行目の可能性もゼロではないので、今日、明日は保育園を休んだほうが安全です。ここ2日で悪化しなければ大丈夫」というので、仕方がない。

 

予定を変更してお孫ちゃんと過ごす一日になった。

 

目は治癒に向かっている様子、大丈夫だな。ああ、しかし、明日も休むのか・・・(;O;)

 

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ノーベル平和賞理由「核廃絶を」と踏み込んだ内容

2018年01月20日 21時39分32秒 | 活動日誌

午前中、県原水協の理事会に出席。午後はオスロでのICANノーベル平和賞の授賞式に招待された、日本被団協事務局長の藤森俊希さんの報告会でした。

 

参加者は予想を超えて会場にあふれ、椅子だけをありったけ付け足しても、立ち見?がでるほど。

 

核のない世界への国際的流れが手に取るように伝わってくる報告会でした。

 

平和賞受賞理由がすばらしい。会場からも驚きの発言がありましたが、成果を評価したにとどまらず、「核廃絶に向けて真剣な交渉をするように保有国に呼びかける」と、明確に「廃絶」を訴える内容まで踏み込んでいたからです。

 

こんな内容の平和賞は今まで全くなかった。

 

しかも、ノルウェーは今、中道右派政権。核兵器禁止には反対の立場の国のオスロの市役所が会場、ノルウェーの国会から任命された代表も堂々と廃絶を述べたのです。すごいことですね。

 

また、日本の長年の核兵器廃絶の粘り強い運動が実ったのだと、うれしさもひときわですね。

 

報告で興味深かったのは、NATO加盟国で唯一、国連会議に参加したオランダの代表の行動です。

 

禁止条約に「わたしは賛成ではないが」と必ず前置きをして、結構いい意見を述べたのだそうです。それも、討論の項目の時には必ず発言し、最後に「きちんと投票で決めるべき」とも主張したというのです。投票でない方法で決議しようとしたらしい。その提案をまた、すんなり受け止めて実施した態度もいいですね。

 

もちろん、投票ではオランダは反対しました。賛成122か国、反対1、棄権1(シンガポール)でした。しかし、アメリカの妨害のある中で国連会議に参加したのです。そうさせたオランダ国民の世論の力と、それを受け止めた国と代表の態度も立派だと思いました。

 

会場からの発言では、学校の教師から「子どもを尊敬する。日本が核兵器が必要だと言ってるなら、広島のようなことがあってもいいと認めていることだよね、と端的に言う」との発言がありました。

 

ほんと、難しいことではない。そういうことです。澄んだ心で考えれば、おのずと困難を配する手段が見えてくる。対話の外交しかない。

 

それにしても、阿部県知事は、核廃絶の署名はしてくれましたが、国連に出かける前も帰ってきた後も、また、オスロに出かける前も帰ってきてからも、藤森さんの知事と会いたいとの申し出をすべて断っています。理由は、もちろん「時間が取れない」ですが。ほんとかな?

 

署名も、してはくれましたが、会ってはくれませんでした。オスロでのノルウェーの代表やオランダの代表との違いを見る思いです。

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