飯山市に行きました。市議選が終わったばかり、3人全員当選しました。午前中は竹井市議と支部のTさんと3人で、午後は渡辺議員と2人で、お礼のご挨拶回りでした。
お寺の町、飯山です。
みなさん本当に喜んでくれて、ある方は「もっと票を取らせてあげなくてごめんね。もっと取れるかと思ったのに、切なくて・・・」と、こちらが言うべき言葉なのに恐縮でした。そして二つ返事で「赤旗」を読んでくださると言うので、また感激でした。
一番の感激は、Yさんご夫婦がそろって入党してくださったことです。亡くなられたYさんのおじいちゃんには、私は選挙の度によくよくお世話になったのです。もっと早くにお誘いしなければいけない人でした。
お訪ねしたとき、ご主人はお留守でした。奥さんが「父はほんとに気骨のある党員でした。ほんとに世の中変えなくては。私のできることをします。でも、一応、夫と相談します。もし夫が入らないと言っても私は入ります」と。
「では、1時にまた来ますがいいですか?」「ハイ、お待ちしています」
それで1時に再びおじゃましたら、「夫は用事で出かけてしまったけど、一緒に入ってくれました」と、もうサインをすませた2枚の入党申し込み書を用意してくださっていました。何てうれしいことでしょう。「みんな、どんなに元気にな屡ことでしょう!」と堅く握手してきました。
冬の準備が進んでいました。雪囲いです。
沢山の要望が出されました。共産党議員団に期待が寄せられています。
飯山は雪が深い。しかも、渡辺議員がすんでいるところや岡山という地籍などは、豪雪地帯中の豪雪地帯です。岡山は、10数年前に道がついたので、冬でも村から出ることができるようになりましたが、ごく最近まで、道は閉ざされ半年は孤立する村だったのです。でも今でも吹雪けば目印の積雪棒さえ見えなくなるので、外出はしないといいます。
除雪救助員制度と医療環境への強い要求がありました。
里から離れたには、公民館に週に2回、医療スタッフがやってきて診療をしてくれていますが、「それが打ち切られるうわさがあるんだ。困る。としよりは暮らしていけない。何とかして欲しい。病院に行けといわれても、足がない。タクシーの料金の補助とか、バスを通してほしい。切実だよ。そういうところにお金を使って欲しい」
初当選を果たした渡辺議員は、「早速調べて何とかしなくては!」と意気込んでいました。
あるおばあちゃんは「私はご近所さんのおかげで生きている。この方が住んでくれるようになって(Iターンで)、近所の家に火がともったからほんとに嬉しかったんだよ」と語ってくれました。ジンときました。誰が過疎の村を作ったんだ!!!
「飯山は農業ですよ。TPPはとんでもない!」との声もたくさんありました。本当にその通り、農業をつぶしてきたから過疎が進んだのではないですか。
一人一人とじっくり話せて、とても有意義な訪問でした。浅川ダムの話題が沢山出ました。昨日の阿部知事の表明にあきれる声が多かった。「こんなにくらしが大変なのに」と。
夜は、病院時代の同僚が病気で亡くなって、お通夜でした。かけがえのない同士でもありました。私と同じ年でした。誰もが終わりのを知らずに生きています。私も一日一日大切にしたいと思いました。合掌。