(アロエの花 伊豆にてスケッチ 年中地植えです。暖かなのですね)
今日は会議の日。大会を受けての県委員会総会の準備でした。
さて、大会二日目の報告です。
議事が始まる前には毎日、数人ずつ来賓の挨拶がありました。二日目の午後は、わが長野県の革新共産党町長、田中勝己さんの挨拶でした。長野県民として誇らしい気持ち。
戦いの報告とともに、田中町長は「ぜひおいでください」と観光案内も忘れずして会場を沸かせました。会場のロビーには、選挙のときのパンフレットが積まれ、全国の方が興味深く手にしていました。
この田中パンフレット自体が、開けば木曽町に行きたくなるような観光案内書になる優れものだと、私は思っています。
さて、二日目、三日目は終日討論が行われました。討論に参加した代議員は全日程を通して58人、希望した人は227人でした。いいお話がもっともっとあったことでしょう。
心に残った発言の感想を二~三、報告します。
まず、沖縄・那覇市会議員のひがみずきさん、31歳。彼は民医連出身です。生活相談にのった方が、行政の窓口でおびえて手を震わせている、そのすがたを見て胸が締め付けられ「何としても党を大きくしたい」と心から思うといっていました。その方の辛さが伝わり、思わず私も涙ぐみました。
生活相談にのったかたに「一緒に政治を変えよう」と呼びかけ、10人が仲間になってくれたそうです。
戦争の時、日本は沖縄を捨石にした。そんな日本になんで復帰したいのか、理解できなかったそうです。
党員の先輩が「憲法九条を持っている日本に帰りたかったんだよ」と。
しかし、34年たってもいまなお基地の島沖縄、「ひとりの百歩より百人の一歩で、命どぅ宝」と、力強い発言に、私は手が赤くなるほどの拍手を送りました。
福岡県の民医連病院勤務の青年代議員の発言は、詳しく赤旗に載りましたが、対話訪問活動で、先輩と組んで元気良くやっている様子も生き生き語られました。ドクターも一緒に行動しているそうです。
医師であるわが夫を見る限り、死にそうなくらい働いてもまだまにあわず、このごろは党活動の時間はほとんど取れないのが実情です。
また診療報酬の改定などさらなる医療改悪がねらわれ、経営の面でもいっそう厳しさが増す中で、職員の労働強化も予想されるし、それを切り開き元気に活動していくために、この病院の様子をもっと聞きたいと思いました。
「ひとりの百歩より百人の一歩」かな。
次は山形県鶴岡市の代議員の発言、末娘の住んでいる街ですから、聞き耳を立てました。
この支部では機関紙目標を突破しての参加です。日刊紙130パーセント、日曜版220パーセント。(拍手)
支部会議の週一回の定着にたいへんな努力で根気良く取り組み、2週に一度の支部学習会を行い、専門部も儲けて活動して仲間の心がまとまっています。
この発言で学んだことは、「政策と計画」が豊かなことです。
地域住民運動に参加することがきちんと位置づけられており、「九条の会」はもとより、医療生協の班会や、通学路の除雪など、住民要求にこたえて活動しているのです。
ともすると、「政策と計画」は党勢拡大などの政治目標に狭くとらえがちな傾向がありますが、よりたかなイメージを提供してくれました。
支部活動の豊かさを伝える報告はほかににもありました。
「私が望んでいたことが明確になっている!」と大変嬉しかったのは、最終日に提案された決議案に「支部の政策と計画」の部分に追加があり、より具体的な提案になっていたことです。人と結びつくことを本当に大切にした決議に成りました。
こうした討議を重ねながら、それを決議案に反映し練り上げてゆく、民主集中制がここに現れています。初参加のOさんが「民主集中制がどういうことか、初めてわかった」と感動していました。
「共産党員はみんな同じことを言う」といわれる方もいます。確かに、個性豊かな表現をするための努力は必要ですね。「自由闊達に」って、結構難しい課題でだなあと、私も思います。演説では、結構苦労しています。
でも、大切な基本路線、方針のところは、こうして集団で練り上げてできたものですから、違っては困るのです。
自民や民主は、個々ばらばら勝手な考えで派閥争いをしていますが、これこそ政党としてあるべきすがたから外れています。
さて、「政治は世論の力」を確信したのは、神奈川県の北部地区委員長の発言。相模原市、座間市の市長さんは、「戦車にひかれても」「ミサイルが打ち込まれても」米軍基地の強化は許さないとの毅然とした態度を取り、政府に反旗を翻して住民の願いの先頭に立ち、私もすごいなと思っていました。
もともと、安保条約には賛成の立場の保守首長ですから、驚くべき頼もしい姿勢です。
しかし、自動的にこの事態が起きたわけではありません。基地反対署名の大きな運動で座間市では人口の過半数、相模原市では三分の一筆あつめきった力、また、基地強化反対を掲げて戦った選挙選で、負けはしたが、ここでもつくった大きな世論が、首長を動かしてきたのです。
「政治を動かすのは私たち」このことは浅川ダム中止の運動で、長野県民も確信を持っているところですが、あらためて力の湧く話でした。
どの発言も、「国民の苦難あるところ共産党あり」と献身的に活動しているすがたが伝わって来ると同時に、住民と結びついた力が、党を大きくし政治を動かしていると確信できるものでした。
会場の外には、お茶、コーヒーなど無料の飲み物のサービスコーナーがあります。休み時間ともなれば、黒山の人だかり。
そこで吉川春子参議院員とお会いしました。
「中野さん、雪、大変ね。国会でできることはがんばるから、現地の要求を聞きにいくようにまた、計画します。一緒に行きましょう。」とはげまされ、焼き芋を半分分けていただき、一緒に食べてきました。これがまた、おいしい焼き芋でした。
「政府は満蒙開拓団のことを明らかにしないのよ。実際には、開拓どころか、家さえも中国人を追い出して略奪したという証言もあるの。一体どのくらい本当に開拓したものか・・・など、明らかにしたいとおもっているの。中野さんも選挙でたくさん訴えていましたよね。」
「そうですね。侵略を否定しているからこそ、その事実を突きつけるのは大事ですね。」などとの会話もはずみました。
従軍慰安婦問題でがんばっている吉川さんの、新たな意欲が伝わってきました。
お弁当は、毎日違うものでした。一日目は幕の内、二日目は中華、三日目はおすし、最終日はお赤飯。
飽きないようにとの係りの思いやりが伝わってきました。でも、毎日冷たいものなので、時には「ラーメンでいい」「うどんが食べたい」なんて、贅沢なことを考ました。
同室に泊まったYさんから、私の「秘密」がばらされました。「すごく寝ぞうが悪いんだって!?」
確かに、起きた時布団にはいなかったわね。
今日は会議の日。大会を受けての県委員会総会の準備でした。
さて、大会二日目の報告です。
議事が始まる前には毎日、数人ずつ来賓の挨拶がありました。二日目の午後は、わが長野県の革新共産党町長、田中勝己さんの挨拶でした。長野県民として誇らしい気持ち。
戦いの報告とともに、田中町長は「ぜひおいでください」と観光案内も忘れずして会場を沸かせました。会場のロビーには、選挙のときのパンフレットが積まれ、全国の方が興味深く手にしていました。
この田中パンフレット自体が、開けば木曽町に行きたくなるような観光案内書になる優れものだと、私は思っています。
さて、二日目、三日目は終日討論が行われました。討論に参加した代議員は全日程を通して58人、希望した人は227人でした。いいお話がもっともっとあったことでしょう。
心に残った発言の感想を二~三、報告します。
まず、沖縄・那覇市会議員のひがみずきさん、31歳。彼は民医連出身です。生活相談にのった方が、行政の窓口でおびえて手を震わせている、そのすがたを見て胸が締め付けられ「何としても党を大きくしたい」と心から思うといっていました。その方の辛さが伝わり、思わず私も涙ぐみました。
生活相談にのったかたに「一緒に政治を変えよう」と呼びかけ、10人が仲間になってくれたそうです。
戦争の時、日本は沖縄を捨石にした。そんな日本になんで復帰したいのか、理解できなかったそうです。
党員の先輩が「憲法九条を持っている日本に帰りたかったんだよ」と。
しかし、34年たってもいまなお基地の島沖縄、「ひとりの百歩より百人の一歩で、命どぅ宝」と、力強い発言に、私は手が赤くなるほどの拍手を送りました。
福岡県の民医連病院勤務の青年代議員の発言は、詳しく赤旗に載りましたが、対話訪問活動で、先輩と組んで元気良くやっている様子も生き生き語られました。ドクターも一緒に行動しているそうです。
医師であるわが夫を見る限り、死にそうなくらい働いてもまだまにあわず、このごろは党活動の時間はほとんど取れないのが実情です。
また診療報酬の改定などさらなる医療改悪がねらわれ、経営の面でもいっそう厳しさが増す中で、職員の労働強化も予想されるし、それを切り開き元気に活動していくために、この病院の様子をもっと聞きたいと思いました。
「ひとりの百歩より百人の一歩」かな。
次は山形県鶴岡市の代議員の発言、末娘の住んでいる街ですから、聞き耳を立てました。
この支部では機関紙目標を突破しての参加です。日刊紙130パーセント、日曜版220パーセント。(拍手)
支部会議の週一回の定着にたいへんな努力で根気良く取り組み、2週に一度の支部学習会を行い、専門部も儲けて活動して仲間の心がまとまっています。
この発言で学んだことは、「政策と計画」が豊かなことです。
地域住民運動に参加することがきちんと位置づけられており、「九条の会」はもとより、医療生協の班会や、通学路の除雪など、住民要求にこたえて活動しているのです。
ともすると、「政策と計画」は党勢拡大などの政治目標に狭くとらえがちな傾向がありますが、よりたかなイメージを提供してくれました。
支部活動の豊かさを伝える報告はほかににもありました。
「私が望んでいたことが明確になっている!」と大変嬉しかったのは、最終日に提案された決議案に「支部の政策と計画」の部分に追加があり、より具体的な提案になっていたことです。人と結びつくことを本当に大切にした決議に成りました。
こうした討議を重ねながら、それを決議案に反映し練り上げてゆく、民主集中制がここに現れています。初参加のOさんが「民主集中制がどういうことか、初めてわかった」と感動していました。
「共産党員はみんな同じことを言う」といわれる方もいます。確かに、個性豊かな表現をするための努力は必要ですね。「自由闊達に」って、結構難しい課題でだなあと、私も思います。演説では、結構苦労しています。
でも、大切な基本路線、方針のところは、こうして集団で練り上げてできたものですから、違っては困るのです。
自民や民主は、個々ばらばら勝手な考えで派閥争いをしていますが、これこそ政党としてあるべきすがたから外れています。
さて、「政治は世論の力」を確信したのは、神奈川県の北部地区委員長の発言。相模原市、座間市の市長さんは、「戦車にひかれても」「ミサイルが打ち込まれても」米軍基地の強化は許さないとの毅然とした態度を取り、政府に反旗を翻して住民の願いの先頭に立ち、私もすごいなと思っていました。
もともと、安保条約には賛成の立場の保守首長ですから、驚くべき頼もしい姿勢です。
しかし、自動的にこの事態が起きたわけではありません。基地反対署名の大きな運動で座間市では人口の過半数、相模原市では三分の一筆あつめきった力、また、基地強化反対を掲げて戦った選挙選で、負けはしたが、ここでもつくった大きな世論が、首長を動かしてきたのです。
「政治を動かすのは私たち」このことは浅川ダム中止の運動で、長野県民も確信を持っているところですが、あらためて力の湧く話でした。
どの発言も、「国民の苦難あるところ共産党あり」と献身的に活動しているすがたが伝わって来ると同時に、住民と結びついた力が、党を大きくし政治を動かしていると確信できるものでした。
会場の外には、お茶、コーヒーなど無料の飲み物のサービスコーナーがあります。休み時間ともなれば、黒山の人だかり。
そこで吉川春子参議院員とお会いしました。
「中野さん、雪、大変ね。国会でできることはがんばるから、現地の要求を聞きにいくようにまた、計画します。一緒に行きましょう。」とはげまされ、焼き芋を半分分けていただき、一緒に食べてきました。これがまた、おいしい焼き芋でした。
「政府は満蒙開拓団のことを明らかにしないのよ。実際には、開拓どころか、家さえも中国人を追い出して略奪したという証言もあるの。一体どのくらい本当に開拓したものか・・・など、明らかにしたいとおもっているの。中野さんも選挙でたくさん訴えていましたよね。」
「そうですね。侵略を否定しているからこそ、その事実を突きつけるのは大事ですね。」などとの会話もはずみました。
従軍慰安婦問題でがんばっている吉川さんの、新たな意欲が伝わってきました。
お弁当は、毎日違うものでした。一日目は幕の内、二日目は中華、三日目はおすし、最終日はお赤飯。
飽きないようにとの係りの思いやりが伝わってきました。でも、毎日冷たいものなので、時には「ラーメンでいい」「うどんが食べたい」なんて、贅沢なことを考ました。
同室に泊まったYさんから、私の「秘密」がばらされました。「すごく寝ぞうが悪いんだって!?」
確かに、起きた時布団にはいなかったわね。