不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

いよいよ明日は公示です。準備の日。菅首相、原発の新増設の「白紙、見直しを含め検討」と!!

2011年03月31日 17時29分17秒 | 活動日誌

 

事務所に張られた候補者のポスター、全員勝利したい!!

 

 いよいよ、明日、いっせい県議選の公示日を迎えます。今日はもろもろの準備ですごしました。演説原稿も書きました。

 私は選挙期間中は、弁士として政党カーに乗ります。激戦区になる長野市内を担当します。

 共産党は、候補者カーの他に政党カーを2台だせます。候補者の数で政党カーの数も決まるのです。政党カーもデコレーションをしてきれいになりました。

一生懸命デコレーション

丁寧に拭いて、新車みたいにきれいになりました。

出来上がり。私の乗る宣伝カーです。

 自粛を言っている政党もありますが、災害をどう乗り切ってどんな国つくり、県政を作るかの政策をしっかり論戦することなしには、県民の知る権利さえ奪うことになります。宣伝はパーフォマンスではありません。共産党はいつの選挙でも、まじめに政策の論戦をしています。

 災害救済復旧の財源はどうするのか、エネルギー政策はどうするのか、原発をどう解決するのか、地方自治のあり方は・・など、論戦してこそ、この災害を乗り越えて新しい政治を作る力が湧いてくるのではないでしょうか。

 パーフォマンスだったら自粛したほうがいいかも知れませんね。

 本番になると、例によってブログにも候補者の名前や写真が載せられなくなってしまします。まったく不合理なことです。だから明日から「石坂ちほ」「和田あき子」とかけないので、I候補、Y候補となるのです。

 さて、さっき、うれしいニュースが入りました。

 今日の午後、志位委員長が菅首相と首相官邸で会談。大災害と福島原発の対応をめぐり懇談した結果、菅首相は、被災者生活支援法の補償限度額300万円を引き上げと、原発の新増設計画は「白紙、見直しを含め検討」となったそうです。

 早速、栄村の広瀬さんに連絡しました。

 300万円の上限の引き上げは、共産党国会議員団がずっと取り上げてがんばってきました。この震災でも、強い要求をしていたところです。きっと被災者のみなさんに、希望と励みになるに違いありません。

 公示前にうれしいニュースで、元気になりますね。

 私も全力でがんばります。石坂ちほ、和田あき子、毛利栄子、両角ともなり、藤岡よしひで、高村京子、小林しんよう、くぼた泉、備前みつまさ、林ともふみの10人の候補者への絶大なる応援をよろしくお願いします。

 7人の現有をまもり、上乗せがあればあるほど、県政が大きく変わることは間違いがありません。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市田書記局長と栄村へ。夜は演説会。

2011年03月30日 21時10分22秒 | 活動日誌

                        

 今晩は中央員会書記局長の市田さんをお迎えしての演説会の日でした。

 夜の演説会の前に、栄村入りした市田書記局長に、私も同行しました。村長と懇談、市田さんは中央委員会からの、私は県委員会からの募金を村長に手渡しました。

 村長や、同席した党村会議員から、避難解除になったものの、いまだに231人が避難所生活をしていること、仮設住宅の申し込みが98人もあるのに、県は40戸しか建設予定がないこと。また、壊れた住宅の解体の費用を保障して欲しい、生活援助金は300万では家の再建藻できないなど、沢山の要求が出されました。市田さんは、村長さんや村民のみなさんを激励し、国会で要求していることも話し、復興のために力をつくす約束しました。

 その後、被害のひどかった青倉、横倉の視察をし、の区長さんや住民のとも話しをしました。

 半壊と判定された方の家は誰が見てももう住めない状態で、これでは全壊と同じです。保障扱いの柔軟さが必要と思います。「とりあえずは雇用促進住宅に入れそうですが、これからどうしたらいいか、呆然としています」と語っていました。「保障でがんばっていただければありがたい」と。この困難を乗り越えて、生活が成り立っていくまで、国民みんなが世論も作り、力を合わせていかなくてはと思います。

 昨日は国会で予算案が通りましたが、災害復興を真剣に考えているのか!と政府に言いたい。

 区長さんも「みんながバラバラにならないでまとまって助け合いたい」とコミニュティの大切さを強調していました。こんな時、心がつながっていることが、何よりの生きる力になるのです。私も、災害の経験があるから、良くわかります。

                 

 夜は演説会。寒くなったのでみなさんの足が止まったら困るなあ・・・と心配しましたが、会場はいっぱいでした。

 震災の被害者への黙祷を捧げたあと、被災地からの報告で、栄村の元村議、広瀬進さん、宮城の坂総合病院に応援に行った医療生協の石川さんから生々しい話しをしてもらいました。

 広瀬さんは「被災地に何度もきて、励ましてくれたり募金を持ってきてくれたのは、政党では日本共産党だけ・・・元気づけられている」と住民の思いを伝えたことばは、心に響きました。

 和田あきこ、石坂ちほ両県議の決意のこもった挨拶。そして市田書記局長の話しにはたびたびの拍手がわきました。災害復興の財源作り、原発の解決の道エネルギー政策、「福祉の心」・・・。うなずけました。

 最新の情報では「子ども手当て」のつなぎ法案に賛成したわけを詳しく語ってくれました。どうも、「子ども手当てに賛成した」と誤解されている向きもあって、正確なところを話していただけて良かったと思いました。

 私は今日は司会の役割でした。二人の当選のために、正直まだまだ票が足りない。広げて欲しいと必死のお願いもしましたが、みなさん、よろしくお願いします。激戦です。

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石巻報告。私の故郷は変わり果てた姿に。軽油が500円?!

2011年03月29日 12時50分06秒 | 活動日誌

 

 昨日は皆さんから寄せられた支援物資を、長野県委員会の車で宮城県石巻市へ運びました。朝7時半に出発、物資を下ろしたあと現地を視察して回って、とんぼ返りで帰路に。長野着は12時半、自宅に着いて午前1時になりました。

 

積荷です。隙間を見つけてぎゅうぎゅう詰め込む。

 29人乗りのバスにびっちり満載の物資、寝具組合からも布団などがたくさん、米にりんごなど、皆さんの心がバスに積みこまれました。

6人の乗務員「行ってきます」

 乗務員は、大町の市会議員の太田さん、市議候補の平林さんはじめ、大町のグループの方です。太田議員と平林議員候補は、長距離バスの運転手さんだった方ですから、最高のメンバー、交代で安全運転をしてくれました。

到着しました。午後3時。7時間半かかりました。

 石巻のなつかしい仲間とあっての開口一番の言葉は「さなえちゃん、おらだぢ、生きてだよー」「よぐまあ、とおいどご、来てけだねえ」「なんだべえ、こんなでっかいバスばレンタルしてまできてけだのすか」

 私も東北弁になってしまって「みんな元気でいがったー!心配でたまんねがったちゃー」と抱き合いました。

 市会議員の三浦さん、水沢さん、ブロック事務所の小野寺さんなど総出でお迎えでした。東部地区委員会は津波の犠牲になって、新しい事務所で対策本部を立ち上げて、皆さん、献身的に働いておられました。

荷卸し

「お米が足りない!」の現地の要望に応えて、長野県各地から集まったお米が次々下ろされます。

まだまだたくさん、600キロ以上でした。

 「米は、いつばん、喜ばれんだでば。ありがてなあ」「ちっちえ袋はこのまま家族の多いどごさ、やればいいねえ」「卓上コンロも、ありがて。ガスが通ってねえどこ、あるんです」

 みんなで写真

 お米を持っているのは三浦市会議員。三浦市議の左の方が白い袋を持っているでしょう?これは現金のお見舞い、みなさんからの募金です。

 「なんだべ、おがねまでもすか、悪いね。あらー、こんなにも!ありがどございます!」

 故郷のみなさんに喜んでもらえて、私は本当に嬉しかった。長野県民代表で連帯の気持ちを届けました。

 弟夫婦の実家にも寄って、昨日娘たちが準備してくれた物資を置いてくることが出来ました。「久しぶりで栄養とった」と喜んでいましたが、自宅避難の人は炊き出しにもありつけないので、野菜やタンパク質の不足があると実感しました。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 荷卸を終え、事務所で車に乗り換えて、現場の視察に行きました。

どこも見るになえない光景が続きます。

商店街は全滅です。

漁業の再建はどうなるんだろう。

日和山から。眺めて泣いている方がたくさんいました。

 ここは、門脇、南浜町一帯の写真ですが、全滅です。焼け野原の東京のようでです。まだ立ち入り禁止だそうですが、その前に弟が自転車で回った時には悪臭がひどく、ヘドロの町に。波が早くて逃げられなかったところです。おそらく、この土砂の中にたくさんの犠牲者がいると思うと、言葉が出ません。

 中学生とおばあちゃんが奇跡的に見つかった家?は、この写真の一角だったそうです。本当に奇跡だとおもいました。

上の写真の左側。河口です。

 門脇、南浜町は海と川に挟まれています。両方からやられました。津波は、見た人の話しだと「波なんてもんじゃない。何十メートルもの水の壁がガーッときたんだ」そうです。

 「女川や北上町はニュースになってないんげど、もっとひどいんです。女川は壊滅なんだど。まだ、被害がわがんねんだね」

 石巻には「日本製紙」会社があり、町の雇用を支える大きな企業です。日本製紙も打撃をうけましたが、「撤退せずに再建をめざす」と社長が言明したどうです。私の弟も「これで1万人以上の雇用がまもられるっちゃ。いがったでばあ。日本製紙がねぐなったらば、もう石巻もおわりになってしまうべえ」と喜んでいましたが、党機関の方の話でも、市民の希望の光になっているとのことです。。

 食料は以前よりも回るようにはなっているそうです。水はまだ給水車から。電気は通り始めていました。

 物価が高くなって、一時は軽油が1リットル500円もしたんだそうです。買物袋を無防備に持っているとひったくられたり、電気が通って少し良くなったけれど、電気のついていない家は荒らされたり、治安がまだまだ悪いそうです。

 政府の緊急の救援が求められています。全力挙げてやってもらいたい。定数の削減なんて言っているときではない。原発もそうだし、日本の一大事です。

 「さなえちゃん、選挙でたいへんな時にまんず、ありがとう。選挙、がんばってください。長野の人によろしぐね」

 石巻を後にして、せつなさで胸がつぶれそうでした。選挙、がんばるぞ。負けてなるか!「福祉のこころ」の町を作るんだ!!

 今日は長水地区委員会の支援車が県議団と共に、福島に行っています。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公示前最後の日曜日はY地区での行動でした。明日は石巻へ・・。

2011年03月27日 22時29分22秒 | 活動日誌

 

私の絵筆 

 公示前最後の日曜日、一生懸命働かなくちゃ!それにしても今日もなんて寒いのでしょう。冬のコートをクリーニングに出さずに良かった。

 Y地区の訪問行動に加わりました。「いままでにない活気ですね」と炊き出し当番のAさんが言うほど、午前も午後も、事務所はたくさん仲間が集まってにぎわいました。

 訪問先では「共産党の中野です」というなり「今、こんな時をしているときですか!!」と怒られる方がいました。「私の友人も連絡がつかない。被災した人が苦しんでいるときに、自分のことだけ考えるなんて!!」と怒りをあらわにぶつけられました。

 「本当にその通りですね。私たちも支援活動に全力を挙げるべきだと選挙の延期を提案したのです。でも、他党が、特に公明党が強く反対したので選挙になりました。だから共産党は災害支援も、選挙も両方がんばります。常々、人が大切にされる政治をするために共産党を応援してください」「共産党は、そう言う立場だったんですか」

 Aさんが「中野さんは実家が宮城なんですよ。被災した家族がいるんです」といいました。「そうだったんですか」「母を長野に避難させたんです。でも、多くの犠牲者を思うと、私は切ないし、じっとしていられない。支援もがんばるけど、選挙になったんだから、原発や浅川ダムをやめさせて復興に力を入れるためにどうしても共産党の議席をなくすわけにいかないのです」と訴えながら、不覚にも涙が出てしまいました。

 その方も友人の安否でよほど辛い思いをしているのでしょう。一緒に涙を流されて「飛んでいきたいところでしょうね。がんばっていただきたい。応援します」と暖かく応対してくださいました。心が通い合って力強かったです。

        

 明日、県委員会で支援物資を石巻に届けることになりました。私も行くことになりました。その連絡で、石巻の地区委員会に電話したら、水沢市会議員が対応してくれました。「北上町はどうですか。知り合いがいるのです」「大分家が流されたんですよ。南浜町も全滅です」と。南浜町にも友人がいます。こころ穏やかではありません。

 どうしてもこの目で見て来ないと気持ちが納得しない。無理を押しても行かなくては、と「支援団」に加えてもらいました。今、先達で行った夫から、多面にわたってきつい忠告を受けたところです。

 夫の後輩の矢崎ドクターの診療所は、ダメージを受けたが負けずに診療を始めているそうです。夫は寄って来れなかったから、余裕があったら寄ってきて欲しいとのことです。母の主治医でもありました。

 では、明日は石巻に行ってきます。日帰りですから、ブログはお休みになるでしょう。明後日、報告をいたします。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

訪問活動と演説会。原発の避難者は身近にたくさんいます

2011年03月26日 21時45分44秒 | 活動日誌

白のミスミソウ 葉が三角です。

 夜は坂城町での演説会の弁士の仕事があったので、午前中はその準備をしました。午後は、Y地区の医療生協後援会の作戦に参加。Y地区では、行動参加表を貼って書き込むようにになっていますが、段々ふえてくるから元気が出ます。「わ、Kさんも、Nさんも出てくれるんだ!」と、ぱっと華やかな雰囲気です。大勢でやるって、いいですね。特に、病院の職員の方と一緒の行動は百人力、みんな大喜びです。

 とっても寒い日でした。朝、夕は吹雪きました。訪問中の午後は雪はやんだけれど、風にすくみながらの行動でした。辛い!寒いの、嫌い!

 県議会の重鎮大物のIさんを推しているという方のお宅に行きました。「名刺もいらないよ。決まっているから。Iさんとは古いつきあいなんだ」という方に「ま、そうおっしゃらずに。入れる入れないは別にして、共産党をどんなふうにごらんになっていますか」とお聞きしたら「しっかりしてる。いいこと言っているな」と。

 「福祉を大事にする政治にしたいのです。Iさんとは正反対の考えも多いですが、議会で違いをはっきり言い合える議員がいるのは大事なことですよね。1票回していただけませんか」そしたら「そうだなあ・・・私は、共産党は嫌いではないよ」といって下さいました。「名刺もせっかくですからお近づきの印に」とチラシと一緒に受けとっていただきました。「寒いところご苦労さん」と暖かく送ってくださった。

 そんなこんな話しをしながら、「寒い寒い」と歩きました。報告の感想に、一緒に歩いたHさんは「寒かった」と書きました。もう一人一緒に行動したKさんは「娘が放射能の水の汚染で、子どもを連れて東京から避難してるのよ」と深刻な話しです。

                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 夜は演説会、坂城町へ行きました。後半戦の町議選に現職の大森さん、円尾議員と交代する新人の塩入さんの2人が現有議席をめざします。大森さんは、自らが中小企業の親方ですから、ものつくりの町の坂城になくてはならない人です。塩入さんは先生を38年もやってきた「子どもの見方」。二人の応援にいきました。

 

右の男性が塩入候補、大森候補です。

 

 二人の訴えのあと、私は40分の持ち時間。震災、原発問題を中心に、「福祉の町作り、国作りをここから」と、国政と地方政治はしっかりつながっていると強調しました。共産党は救援の仕事も、選挙も、両方全力でがんばる、と訴えました。坂城には共産党は県議候補を立てていませんが、県政にも若干触れ、全県10人立候補しているので知り合いによろしくとお願いも忘れずに。

 帰りに「元気が出たよ」「がんばれそう」と何人もに声をかけていただいて、とても嬉しく思い、私も元気になりました。

 ここでも 「娘が福島にいたけど、避難してアパートを借りているの。一体いつまでこんな生活なのか、不安です」との深刻な話しがありました。原発の避難者に身近にぶつかります。本当に大変な問題です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日中徹底して訪問活動をしました。

2011年03月25日 20時40分38秒 | 活動日誌

 

 石坂ちほ県議がY地区入り、私も一日訪問活動を共にしました。

 今日は医療生協有志後援会の行動、9人の方が参加、原田市会議員も加わって合計12人。2人づつの組になって賑やかに、午前、午後、夕方と3ラウンドやりました。私はMさんと組みました。

 石坂ちほさんと会うのは久しぶり、お互い別々のところで行動していますからね。だから、昼休みには、おしゃべりしまくって近況を伝え合い、励まし合いました。

 お昼は石坂事務所で炊き出しをいただきました。カレーライスに煮物に、野沢菜の炒め煮。おでんの残りもありました。お昼ご飯は、私の一日の何よりもの楽しみです。でも、最近は必ず被災者のみなさんや弟の家族のことが頭に浮かんで、胸を痛めながら食べています。それでもたらふく食べて・・・。

 石坂さんは「日程がつまっているからこの頃はおむすびを車の中で食べたりして、サッサとすませることもあるの」と。緊迫しているから、そんな日もありますね。でもいつもではいけない。今日は、昼の時間は40分くらいだったけど、仲間と一緒におしゃべり付きというスパイスが効いていたと思いますよ!

「ごめんくださーい」 石坂さんの後ろ姿。

 話題は、やっぱり震災のこと。「孫が東北電力で働き出したばかり、放射能が心配」「国民が助け合わなければ。年金暮らしだけど募金をすることしかできない」「選挙などやる時ではない」「浅川ダムは、最初から反対でした。今お金をつぎ込むときですか!」「子どもが高校生になるので、医療費無料化には間に合わないけど、大学の授業料を何とかして欲しい」「ちほさん、しっかりした方です。応援します。知り合いにも広げましょう」「共産党にはがんばって欲しい」などなど、沢山のご意見や要求をお聞きできました。

 「医療生協の有志後援会です」とご挨拶したら「私は一度だけしか病院にはお世話になっていないのです」と、とまどっていた方がいました。震災の話しから「中央病院でも医師を派遣しているのです。常々医療、福祉を大切にしていれば、パニックも押さえられます。医者も減らし、地域の病院がやっていられない政治では・・・・共産党は福祉の心にある政治をしたいと思っています」などお話ししました。その方は「年金も減らされて、くらしを守ることが大事ですね」と、「チラシを良く読みましょう。寒いのにご苦労様です」と言ってくださいました。

ミスミソウ 暖かくなれば三角の葉が青々としたみどりになります。訪問先でみつけた。

家のはまだまだ堅いのに、訪問先では咲いていた。

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会議が二つ。合間をぬって美容院。長野の物資が石巻に!!

2011年03月24日 21時30分30秒 | 活動日誌

 

 選対本部会議とK地域の医療生協有志後援会の作戦会議の2つの会議がありました。その合間をぬって美容院に行きました。

 朝、宮城県石巻の小野寺さんに電話しました。小野寺さんは、共産党東部地区委員長をしていましたが、定年で辞めて、今は東北ブロックの仕事に就いている同志です。父と母が大変お世話になった方で、私が学生のころからのお付き合いです。

 電話したのは、赤旗で石巻の党組織が物資を直接被災者へ配っているニュースをみたからです。先日は「配達するガソリンがない。自転車で運んでいる」と困っていたから。「ガソリンは、市から優先的に分けてもらえたんです」との話し、良かった!!さらに「あの写真の物資は、長野からのものだよ。ありがとう」と。嬉しかった!!諏訪・塩尻・木曽地区委員会で運んだ物資だ!!「米が足りなくて。あっという間になくなってしまって。今、(党の)県の方にも優先的に回して欲しいって頼んだんだけど」との要求に応えて、「米を集めよう」と県委員会で話しになりました。

 自分の故郷に直接支援できるって、とてもとても嬉しいです。話題になるだけでも、胸がいっぱいになって、友達の顔が浮かびます。

                     

 毎朝、出勤の前に病院に寄って母の顔を見てきます。呼んでも反応せず、ぼーっとしています。顔をなでたりさすったりしても反応なし。ずっと点滴だけで生きているから、元気も出ないでしょう。母には多くは望みませんが、せめて一瞬でも私が誰であるかわかって欲しいものだと思います。

 だけど先日は、2年前に温泉に連れ出したときに、「こけし館」で母が自分で描いたこけしをみせたら、「上手に描けてるね」と言ったので、それはビックリしました。 あの時は「孫に会う機会を作らないと、会わずに死んでしまうかも。もう最後かもしれない」と「思い立ったが吉日」とおばあちゃんの孫たちに集合の命令を発して、みんなで温泉に出かけたのでした。とても喜んでくれました。だから印象深かったのかもしれません。

 そのあと、昨年の12月に、「これが最後かもしれない」とまた温泉に行きました。その時にはすでに、私をわかっているのかどうか、怪しかったのです。初めて名前を呼んでくれなかったのでショックでした。全介助で3人かがりの旅行でした。今度はまた「きっとこれが最後だ」と、選挙が終わったら、5月頃に温泉に連れ出そうと考えていましたが、もう無理になったようです。

 夫の病院のみなさんのおかげで、震災から助けてもらった命です。もう少し、生きて欲しいと思います。じっと母の顔を見ていると、重なるのは震災で苦しんでいるお年寄りのみなさんのことです。

                  

 さて、会議の合間をぬって美容院へ行きました。小さなお子さんのいるスタイリストの方が「中野さん、子どもに長野の水を飲ませてもいいでしょうか。福島原発の3号機から煙が上がったときには、私、荷物をまとめたんです」というのです。しばし、原発の話しになりました。

 福島原発の問題は、災害によって起きた不可抗力のものではないのだとお話ししたら、「そんな危険なものをなぜ許すの。儲けのためなの」と、お母さんは子どもを守るため、必死です。「冷静に判断し対処するためにもデータをちゃんと公開させなくてはね」「そうだよねえ」と、深刻な状態を心配しています。水が汚染されれば、本当にどう対処すればいいのか。

 「ナウシカ」の世界が、空想の漫画の世界でなくなるかもしれない。恐ろしいことです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「被災者支援・いっせい地方選挙勝利・全国決起集会」「不屈の底力」

2011年03月23日 15時14分37秒 | 活動日誌

 

CSとインターネットを通じて、全国決起集会が行なわれました。県委員会の2階も会場になりました。

 志位委員長の報告は、まず、犠牲になった方への黙祷で始まりました。未曾有の大震災で自らが被災し、また家族を失うなどの痛みを持っていても不眠不休でがんばっている党員の姿にも触れ、「これこそ日本共産党の立党の精神を体現するもの」と私たちもがんばって「国難」を乗り越えようと訴えは心に沁みました。党員議員も6人の命が奪われ、いまだに行方不明の議員もいます。

 国民の「自分も何かしたい!」との熱いエネルギーがわき上がっていることも強調しましたが、私も、実感しています。

 今、緊急に取り組むことは2つ。被災者の救援、2時災害を防ぐための活動。もうひとつは、福島原発の被害を最小にくい止めること。 この二つをやりぬくためには、考え方の違いを超えて国上げて力を合わせなければならない。共産党は全力を尽くそうと強調しました。

 救援活動では、被災者に物資が届くように体制を作ること、寒さに震え、ひもじい思いをしている人が沢山います。

 医療、介護などのスタッフの支援は現場では待ったなしです。私の姪も看護婦ですが、1週間以上家に帰らず風呂にも入らず走り回っています。民医連から連日医師の派遣を行なっていますが、皆さん、床に寝ての支援。そんなにがんばっても野戦病院のような状態だといいます。せっかく助かった命を二次災害で失うことのないようにしなければ。

 志位委員長は、福島原発について日本学術会議の意見を例に挙げながら「正確な情報の公開を要求する。たとえ深刻な情報でも、正確に国民に伝えれば冷静に行動でき、風評被害も防げる」、さらに、ヨー素剤の適切な使用、被災者の生活支援のために全力を尽くそうと話しました。

 そのうえで、生活再建と地域社会の再生のための政策として、個人補償の充実、自治体への財政支援、中小企業、農林水産業への応援などで地域経済の復興をめざすこと。

 その財源確保のために「来年度の予算の組み替え案を提案する」としました。さらに、ムダを削ると同時に今の国債とは別に「震災復興債券」の発行の提案をしました。「これはいい!」と思いました。予算の組み替えだけで復興財源が確保出来るのだろうか・・・と思っていましたから。

 エネルギー政策では、原発依存からエコエネルギーの抜本的転換を真剣に行なうときとして、ドイツではエコエネルギーはすでに全体の16パーセント、福島原発1号機のの25基分の熱量に値すると例に挙げました。へええ、すごい!

 この戦後最大の大災害を乗り越えて、ここから新しい政治を作ろう、負けないでがんばろう、そして、選挙では大いに政見を語って「住民の命と暮らしを守る 『福祉、防災のまちつくり』をめざそう。共産党の不屈の底力を出そう」との呼びかけには、県委員会2階の会場でも拍手が起きました。

 被災を理由に、「選挙活動を自粛しよう」との動きがあります。

 例えば宣伝活動では、政策を言わず名前の連呼ばかりの活動なら自粛してほしいと思うけど、この災害をどう乗り越えるか、被災者救援でしなければならないことは何か、そのためのお金の使い方はどうあるべきか、またエネルギー政策は・・・・・・地方政治ではくらしを守るのは何ができるか・・・それを訴えることこそ、この選挙でもっとも大事なことではないでしょうか。

 困難な時だからこそ、復興と未来を語れる選挙にしたいと思います。共産党は、こんな時だからいっせい地方選挙は全国的に延期すべきだと提案しましたが、自民、公明、民主など他党の反対で受け入れませんでした。やるとなったのだから、しっかりと話し合う機会にしなければと思っています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会議。物資が届かない!栄村、避難解除にはなったけど・・・。

2011年03月22日 19時23分05秒 | 活動日誌

あせび 訪問先で

 常任委員階でした。災害支援活動と選挙活動とを、どちらもしっかりやろうとの会議でした。

 被災地の施設や病院の状態を聞くたび、医者を減らし国公立病院も閉鎖や縮小をしたり、看護士や施設の職員の定数基準を低く抑えるなど、医療や福祉を大事にしてこなかった政治が被災者の救える命も救えない事態を作っていると、私は憤りを覚えます。災害に強い町は「福祉」にも強い町、「命どう宝」が息づいている政治です。

 だから、命を守る政治をすすめるために、選挙は勝たなければ。人間がお粗末にされる政治はもう沢山ではありませんか。

 会議で「物流が悪くて、食料もすみずみまで行き渡っていない。うちの近所では、『自衛隊のヘリコプターで落とせないのか』とみんな怒っている」との話が出ました。ここが問題です。隅々にものが届かないのは、ガソリンがないのが大きな原因です。人手も足りない。夫の行った坂病院でも、たくさんの物資が全国から寄せられているが、配達する人とガソリンが不足して、手も足も出ない状態だったそうです。

 諏訪・塩尻・木曽地区委員会の支援物資を積んだ救急車輛が、午後、石巻の避難所になっている湊小学校と、石巻にある共産党東部地区委員会についたそうです。東部地区委員会の元地区委員長だった小野寺さんに電話したら「ありがとう!」と感謝されました。

 ところが、「物資がたくさん届くようになって、ありがたい。道も片付いてきたし、共産党の事務所も新しいところを借りられた。でも、ガソリンがないから、配達できない。宣伝カーにみんな積み込んで渡して歩きたいが、出来ないんですよ。昨日はがんばって自転車でやりました」との話しです。

 本当にジリジリします。自衛隊のヘリだったら、出来るんじゃないだろうか、と私も思います。

 さて、栄村は避難解除になりました。自宅に帰れる被害の少なかった方はほっとされたことでしょう。良かった。でも、帰れない人が大問題です。当面、県で斡旋してくれた飯山市の雇用促進住宅に入ろうと思って見に行ったところ、エレベーターなしの5階しか空いていないとのこと。これではお年寄りには無理です。他の斡旋場所はどうなのか。住民のみなさんの一番望んでいる方法は、どうすることなのか。

 小学校、中学校に避難している人は、4月には学校が始まります。だから空けなくてはなりません。村の意向はどうなのか。避難している住民は、どんなに不安いっぱいのことでしょう。共産党栄村村委員会と電話でやりとりして対策を相談しましたが、これも緊急です。

 

母。目を開けるようになりました。

 石巻で助かったおばあちゃんとお孫さん、良かったですねえ!! 9日間も良く頑張った。2人だからよかったのですね。励まし合ったのですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Y地域連続で3日目の訪問。再生可能なエネルギーに力を。

2011年03月21日 21時25分57秒 | 活動日誌

バラ                              

 

 Y地域3日目の訪問行動。他党の動きの激しさを今日も実感。「いいですよ。私は共産党応援、石坂さんに入れましょう。夫ですか? T候補が挨拶に見えたので、せっかくきてくれたからそちらへ一票です」「Tさんはダムには賛成の方ですよ」「ええ!知らなかった」

 福島原子力発電所の事故で、住民は一体どうなるのか、食料の汚染は心配ないと言っているがごまかしているのではないか、などの不安の声が聞かれました。

 いくら放水が効果をあげていると言われても、それで安心出来る状況ではありません。一時放水しただけで落ち着くのかどうか・・・・電機系統で冷却する装置が作動していないのだから、先が不安です。

 住み慣れた町を捨てざるを得なくなった住民のみなさんの心中を考えると、国と東電の責任は重大です。また、現場で我が身を犠牲にして放水作業でがんばってくれている方やご家族の心中を考えても同じです。

 政府は、エコエネルギーを理由に原子力発電所の計画を推し進めてきましたが、安全神話は全く崩れました。二酸化炭素排出が少なければ何でもいいとは限りません。まして、危険が叫ばれて住民ガ反対している原発に頼るとどうなるか、福島原発が示してくれました。

 来年度予算を見ると、原子力発電所関係の予算が3998億円に較べ、再生可能なエネルギー関係予算はたったの535億円です。化石燃料に頼らない地球に優しいエネルギー作りに本腰を入れている姿勢ではありません。

 それに原発は、美浜にしても新潟の刈羽にしてももんじゅも、活断層の上に立っています。これは、日本原子力研究開発機構が認めています。そんな国はどこにもありません。アメリカでは法律で禁止さえしています。

 共産党の笠井亮衆議院議員らがドイツなどヨーロッパの視察に行った報告書「今地球温暖化のために何をするべきか」は、ヨーロッパがいかに真剣にエコに立ち向かっているかが良く分かる内容でした。国会議員のみなさんには、全員に読んでいただきたいと思いますね。

                     

さて、母が落ち着いてきました。状態の良くないところへ持ってきて遠路長旅で疲れたこともあり、安心できない状態でした。長旅であるし、連れて帰った方がいいのかどうか、夫は迷ったのだそうですが、宮城の先生が「暖房もなく寒い。明日からもっと寒くなるし、自家発電の灯油もない。病院で治療を受けさせてあげたい」と言ってくださったので、決断したそうです。宮城では治療する条件は、今はないのです。

 落ち着いてきて、安心しました。目を開けるようになりました。

 「被災地ではこうして年寄りが死んでゆくんだなあ・・・と実感した」と夫が言います。良くなってきた母を見て涙が止まりませんでした。それは、母が良くなった喜びだけではなく、被災地では、寒さを辛抱し、治療も不十分でついには亡くなる犠牲者も出ていることが、切なくてたまらなかったからです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする