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中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

河原田ドクターと病院訪問

2007年02月28日 21時48分10秒 | 活動日誌
(またしてもカサブランカ  つぼみが開くとおしべの先を取らなければ・・・と切ったばかりです。ゆりの花粉は洋服に着いたら絶対落ちないものね。イングリット・バーグマンの主演した映画「カサブランカ」を思い起こしました。)


 朝から失敗のまき。目覚めてとっさに「今日はえーっと、木曜日。朝陽駅だ」と飛び起きた私、そそくさと働いて、まだ食事中の夫に「いってきまーす」と言って飛び出しました。
 
 雪が降っていましたが傘を忘れたことに気がつき、また家に戻ったりの失敗をしながら朝陽駅へ。
 冷たい朝陽駅でのぼり旗を立て「おはようございまーす」と通勤の方に挨拶しながら、待てど暮らせど相棒は来ない。
 
 「おかしいな、雪だからやめるなんて事はないよな」と永井市会議員に電話をすると!!! ヤーダ、今日は水曜日じゃないの!
 すごすご濡れた旗を降ろして、とぼとぼ・・。ドジだなあ・・。

 失敗で始まったけれど、終いは最高。

 共産党後援会役員をしてくださっている、青空診療所の河原田ドクターとご一緒に、志位委員長を招いての演説会のご案内と、2月7日に党が出した「深刻な医師不足を打開し、医療破壊から地域を守る」提案書をもって病院訪問を行い、これが楽しい行動でした。

 診療中でお忙しいにもかかわらず、ほとんどの先生が患者さんの合間に会ってくださいました。こちらが遠慮して受付に資料をおいてくるだけで、と思っていたのに、恐縮でした。お待ちしていたら、オペ着姿で来てくださった先生もいました。

 ある院長先生は時間を取ってお茶まで用意して、短時間でいたが懇談してくださいました。
 「このままでは医療は崩壊する。ひどいものです。でも、信越病院はたいしたものですね。4人もドクターが集まったですね」

 今日の赤旗でも紹介されたように、信濃町にある信越病院、医師不足で存亡の危機に立たされていましたが、病院職員の「出前講座」で窮乏を住民と分かち合い、知恵を求めて奮闘したのです。
 町民も応えて医師の紹介50件、職員は全国を回って4人の医師を確保し、病院は回転しだしました。
 
 院長先生はそのことを、大変評価していました。実は、これは共産党の町議団が提案し、みなさんとご一緒にがんばってきたのです。私まで誇らしい気持ちでした。
 信越病院で何単位かの外来を担当している河原田先生も、嬉しそうに経過を話されました。


 「河原田先生、お元気ですか。お会いできてうれしい。さなえさんですね。友貴ドクターはお元気ですか」と喜んでくださる先生にも、励まされました。

 でも、志位委員長の宣伝、まだまだ足りない。知らない人が多いのには驚きました。あと一週間、宣伝しっかりしないと・・!

 河原田ドクターの話に、身が引きしまりました。

 河原田ドクターは「井上さとし・中野さなえの代理です」と印刷した封筒をもって行動しています。「これで1000人と対話するのが私の目標です」と言われました。「今、300人」と。診療のほかの仕事です。私は、力がムクムクと湧く思いでした。
 こんな風に私も、誰かを励ましているだろうか。私もひとりでも多くの人を励ましたい、今日は気持ちを新たにしました。

 
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3・7のお誘いで会場周辺のお宅を訪問

2007年02月27日 22時57分59秒 | 活動日誌
 (スイトピー   こわれそうに優しい。私は「七色の虹を超えて流れてゆく風のリボン・・・」の歌を思い浮かべています。破壊された戦後の町を飾った花は、こんな風に優しく人の心に暖かさをもたらしのではと。でもそれははかない優しさではなく、平和への強い希望をこめて咲いた花・・・)

 
 3月7日は志位委員長を招いての演説会です。支部の方と会場の周辺のお宅の訪問をし、お誘いをしました。

 「いやあ、偉い人が来るんだね。一度聞いてみたいね」
 「テレビではいつも会ってるがね」「ぜひ、生志位さんを!」
 「わざわざ、恐縮です」

 「どなたです?」と怪訝そうに、取り付く島もないような表情の方が「共産党の中野と申します」というと、パッと明るく笑顔になって「ああ、共産党さんですか!」と応えてくださった時は、本当に嬉しかった。

 などなど、皆さんに好意的に受け止めていただけました。

 「あんまりいい世の中だから、黙って死ぬわけにいかないじゃないか!」と怒る方もいました。
 「医療費も大変だけど、タクシー代で参っています。医療費何とかしてもらいたい。年金で食べていけなくなった」とおばあちゃん。

 みなさんに志位さんの話を聞いてもらいたいです。きっと、元気が出るに違いないもの。


(一昨日のカサブランカのスケッチのモデル。カサブランカは、それだけでいけた方が花の個性が生かされる・・・と私は思っています。花瓶は上田市の骨董品やさんで買ってきたもの。割れたつぼを修復したもので、大変安かったが、カサブランカにはぴったりの花瓶だった。)

 
 夜は、住んでいる上野区の組の会議でした。長野市上野区は約1200世帯の団地、4つの部と46の組に分かれています。私は4部の45組、26世帯の組です。役員の交代が主題の会議で、来年度は我家は役はなし。

 少子化高齢化で子どもがいる家庭が少なくなりました。でも、45組は最近同居したお宅も数軒あり、26軒のうち8軒に中学生以下のお子さんがいます。多いほうなのでしょうか??

 それで育成会は、こどものいる家庭だけに任せず、ほっぺた回しでみんながやっています。「地域の子ども」の考え方で。そういうかんがえでやっている地域は多いと思いますが。
 老夫婦で育成会が回ってきた方には、「大変だな」と思うのと、「良い面もあるかも」と思ったりしてますが、実際はどうなのでしょうか。

 「組の人間関係を作ろう。だんだん年をとるのだし、支えあっていこう」そんな話も出た、コミュニテイ会議でした。

「いのちはコンクリートより・・」アップしました。怒りくるってかきました。お読みくださいね。

 
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「暮しを守ろう」の訴えにみなさんこちらを見て・・

2007年02月26日 17時46分04秒 | 活動日誌
(昨日の写真です。松本での「女性の集い」 候補者勢ぞろい。赤い私、左となりは藤沢のりこ県議、松本市議団と三村候補です。)


(歌を歌いました。「たんぽぽ」です。春ですね。)


 定例の常任委員会でした。3月7日には、志位委員長を迎えての共産党演説会を開催します。その成功の取り組みも話し合いました。

 国会の様子を生々しく聞けるめったにないチャンスです。皆さんもおこしください。夜7時から長野市若里の県民文化会館です。

 昼は「社保協」「憲法会議」「消費税増税反対連絡会」3者合同の街頭演説でした。私は共産党を代表して訴えました。毎月一回、行っているものです。いつも、病院や県教組、高教組、県労連などなどの組織加盟の職場の皆さんが、昼休みを利用してちらしまきをしてくれます。
 
 「人間らしい暮しを、憲法25条を守らせよう」との今日のチラシは、受け取りが大変良かったです。信号待ちの方たちの多くが視線をこちらに向けてくださり、立ち止まって聞いていた方もいました。
 じっとこちらを見て聞いていた紳士とご婦人は、チラシをたたんで大事そうにポケットにしまっておられました。大変嬉しかったし、励みになりました。

 パソコンが回復しました! パソコンドクターKさんのおかげ。一日で直って、前よりいい子になりました!

 
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木曽路から松本へ

2007年02月25日 22時13分57秒 | 活動日誌
    
               (松本の「つどい」では、みんなで「たんぽぽ」を歌いました)


2月24日(土)

 今日は木曽路を走った。まずは木祖村、南木曽町、そして木曾町に入りました。

 木祖村は標高1000メートルある村で、あいにく冷たい風と雪が舞っていましたが、そんなことはなんのその、議員と共に午前中だけで50軒を訪問するという猛スピードで走り抜けました。

 午後は南木曽町で「中野さなえと世直しをかたる会」が開かれ、45人の方が参加してくださいました。若夫婦の参加もあり、とても嬉しく思いました。妊娠7ヶ月ですって。丈夫な赤ちゃんが生まれますように!
 足の悪い方が会場の階段を一生懸命階段を登ってまでの参加には、感激でした。

伊藤議員からも、「こんなにたくさんおいでくださって、嬉しい。ここからは県会議員の候補者は出していませんが、共産党の地区としては毛利栄子さん、備前さんを当選させなくてはなりません。そして参議院選挙では井上さんと中野さんを」とのご挨拶です。

 私から暮し、平和の問題で45分のお話をし、その後たくさんの意見が出されました。

 戦争中インパール作戦に参加して九死に一生を得たとい方が2人もいらして、その経験を話してくださり「絶対戦争はいかん。亡くなった友を思うと悲しくなる。ほとんどが餓死、白骨街道ができたのです」と切々と平和の大切さを訴えられました。

 「浅川ダムのことをもう少し詳しく」
 「国民投票法案を具体的に」
 「共産党は小さくて・・どうやって変えていったらいいでしょう」そして「中野さん、がんばれ」との熱いエールです。



 この集会のために、支部上げて全戸にチラシをいれ、宣伝カーを回し、街頭宣伝をして訴えてきたという準備の様子を議員さんからお聞きし、すごいなあ、と政治革新のエネルギーが伝わり、「私、がんばらなくっちゃ」と心にしみこみました。

 木曽町では街頭演説中心でした。木曾町に続いて御代田町に共産党町長が誕生したこと、真っ先にお伝えする演説となりました。

 上松町に移動して「ねざめのホテル」に宿泊しました。ここはたっぷりとした熱めの温泉があり、極楽極楽。贅沢すぎて申し訳ないみたい。

 昼は木祖村で、議員さん紹介のこだわりの蕎麦屋さんで食事。この蕎麦屋さんで驚いたことは、てんぷらそば、とろろそばなどのメニューがないこと。かも南蛮だけが、そばだけでない「混じり物」があるメニューでした。
 「油でごまかされてそばの味を味わってもらえない」というこだわり方です。

 私は、「ざるそば」と「かも南蛮そば」を、両方ペロッと食べてしまいました。たくさんの方とお会いでき、おいしいものも食べ、豊かで贅沢な一日でした。
 それに、木曾は素晴らしい。この長野県らしさを守っていきたいものです。森林を守るということです。

 「夜明け前」の木曾が、夜明けを迎えるように。


2月25日(日)

 上松町での街頭演説で一日が始まりました。午後は松本へ移動して「女性の集い」80人ほどの参加でした。「憲法といのち輝く政治を」と題して30分のお話をしました。
 いっせい地方選挙に挑む藤沢県議はじめ、松本の5人の現職、松本に合併した梓川から立つ三村さんもご挨拶。四賀村から立つ望月さんは所要で参加できず残念。

 池田市議団長が、訪問先の女性の御苦労と自分のお母さんを重ねて、涙ぐんで話されたのが印象的でした。私も母を思うと辛いです。私の日程を優先しますから、たまには会いに行ってあげたいと思っても、宮城は遠いし、ままなりません。池田市議の気持ち、本当に良くわかります。

 お花とケーキと歌声と、楽しい女性ならではの「つどい」でした。各テーブルごとのスピーチも楽しかった。みなさん、「選挙は絶対勝とう!」との思いをこめた発言でした。私のブログをまいにち見ているというか方の発言もあって、大いに励まされました。

 夜は松本市内で入党のお誘いの行動をしたあと長野に向かい、病院にいた夫を「拾って」帰宅、9時からのテレビ番組「華麗なる一族」の後半ににかろうじて間に合いました。
 
 夕食は「つどい」のバザーで買ってきた大豆製品。「おから」を煮て、「生湯葉」もいただきました。長野で「生湯葉」が食べられるなんて、これまた感激でした。明日はがんもどきを煮て、お豆腐で朝食です。
 まめまめしく働こう!

 写真はあしたアップ。
 

 
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ダムの危険性がますます明らかに

2007年02月23日 13時48分12秒 | 活動日誌
(カサブランカ  石坂ちほさんの「つどい」で石坂さんが頂いた花をおすそ分けしてもらいました。好きな花です。)


 昨晩の浅川流域協議会を傍聴しました。発言が尽きることなく続いたので後日再開をするとして、昨晩は9時半で閉会となりました。
 ダム反対意見が出ると、野次がごうごうと飛ぶ中での話し合いでした。

 知事、副知事、土木部長始め、県の担当者が多数出席。知事は、始めは拒否していたのですが、世論に押されて出席したものです。知事の挨拶は、「河川管理者の立場から生命財産を守るために、一日も早く河川改修を、そのためにダム建設を」というものでした。
 安全を願うなら一日も早い内水対策こそ大事なのに、一方的な押し付けを感じました。

 土木部長はダム予定地が「いかに安全な地帯か」を繰り返し力説しました。論理的に無理があるので、力説するほど、とっても危ないところなのだと、反対に説得しているようでした。

 安全性を心配する声には、全く耳をかそうとせず、ダム建設先にありきの立場で、これまでの専門家、住民、行政のみなさんで話し合ってきたことを、全く無視、質問にはまともに答えませんでした。答えられないのかな。

 ダムサイトの周りには確かに地すべり地帯はあると認めながら、しまいには、「地すべりは危ないというイメージがあると思うが、盛り土など工法を使えば危なくなんかない」という始末です。
 「万が一の時には、誰が責任を持つのだ」との質問にはこたえることができませんでした。
 私は「あなた、地すべり地帯の上に、家を建てて住んでみてよ!」と叫びたいようでしたよ。


(このバラも頂き物です。写真、うまく撮れたかなと思ってアップ)
 

 100年先か200年先かわからない、また基本高水の数値は測量したわけではなく、ダムを作るための数字合わせとも言われているのですから、そんなあいまいな数字を根底においての外水対策のために何としてもダムをつくる。
 一方で、毎年起きる内水対策のほうは、排水機所の整備は行うとしましたが、遊水地は否定しないまでも後回しです。緊急なことには手をつけない。これでは住民の合意は得られないのでは。

 このダム、国が勧めている行革推進債を借りて、つまり借金で作ろうとしているのだから許せない。
 行革推進債は、「暮らし・福祉の予算を削ったら貸してあげる。でも使い道は公共事業だよ」という、大変な代物です。

 県民を苦しめたごほうびに借金させてもらって、それでゼネコンを応援しようとしている村井県政、この後戻り、県民は決して許さないでしょう。

 今朝の本郷駅でも宣伝では、石坂県議、野々村市議、私で、それぞれの立場でダム問題中心に訴えました。

 今日は党全県会議でした。
 明日は、木曽路に入ります。木祖村、南木曽、泊まりで明後日は上松、そこから松本に移動、「女性のつどい」に参加します。

 

 




 続きは少し後で・・
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浅川流域協議会にでてきます

2007年02月22日 17時10分33秒 | 活動日誌
  (庭のバラ つぼみの色合いががとても美しく、しばし眺めていました。)

 夕方7時からひらかれる浅川流域協議会に出てきます。様子を書き込みたいけれど、実は、私のパソコンが瀕死の重傷になってしまい(かなりショックを受けてる私・・・)パソコン病院にはいりますので、今晩お知らせできないのです。

 住民の公募で県が作った流域協議会でのダム反対派、賛成派両方の意見を聞き粘り強く話し合ってきた到達点こそ、浅川流域の治水対策の住民の総意です。

 世論に押されて、本日やっとひらかれる事になったのです。だから,様子をおしらせしたかったのですが・・・また、後ほど。


(デイジー  3鉢でなんと60円で買ってきました。安売りだったみたい。でも、かごに入れたら美しさを存分に発揮してくれました。)

 昨日は県議会で毛利栄子県会議員が代表質問で浅川ダム問題を取り上げました。
安全性、無駄、住民合意の3点での質問に、知事はまともに答えることはできませんでした。
 浅川流域協議会は「決定する場ではなく、意見を聞く場。意見は聞きました」との態度、今日の協議会が、形だけに終わらせることのないように、委員の皆さんにはがんばってもらいたいと思います。

 共産党国会議員団が、2007年度の予算案の抜本的見直し案を出しました。全く共感します。
 今もとめられているのは、どれだけお金をつぎ込むかわからない危険なダムなどの大型公共事業はやめさせて、何より暮らしを守ることです。
 
 浅川ダム反対は暮らしを守るたたかいと切り離すことのできない、まさに一体のものなのです。

 パソコンの病気で気落ちしてるから、せめてきれいな花のスケッチで気分を華やかにしたいと思います。
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小布施で小林正子議員の再選必勝の会

2007年02月21日 23時12分05秒 | 活動日誌
                (デイジー)

 小布施町で、小林まさこ町議を再選させようと、少人数でしたが熱気のある後援会の新年会が開かれました。

 おいしいなべをつつきながら、話はダムのこと、「九条の会」のこと、母子家庭の生活困難などの貧困のこと、などなど尽きませんでした。

「御代田はやったね。がんばれば伸びる状況だね」と喜び合ったのはもちろんのことです。
 
 「九条の会」では、小布施にある桜井甘精堂の桜井佐七さんが、県の「九条の会」の呼びかけ人にもなってくださっていることもあり、大変活発に活動が行なわれています。共産党もご一緒にがんばっています。


(左側に座っているのが小林正子議員、右側に座っているKさんは、パソコンがお得意、ニュースが定期的に出せるのは彼女と、小林御父君の力に負うところが大きいそうです。) 


 小林正子さんは、小布施で一人の共産党の議員です。大きな体で皆さんの要求をしっかり受け止め、がんばっている頼りがいのある議員、今度も何としても活躍してもらわなくてはなりません。

 



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もてき新町長県委員会に挨拶に・子育てネット学習会・地すべり原稿

2007年02月20日 22時08分45秒 | 活動日誌
  (茂木新町長と握手! よかったねえ、うれしいねえ!最高だね!)


 朝の街頭宣伝は、宮崎市会議員、石坂県議と共に行ないました。

 県議会が始まりました。石坂県議は、浅川ダム建設の問題点を訴え、県民の要求実現の論戦をしっかりやるとの決意を述べました。
 私は、今日の赤旗の一面トップ記事の「勤務医は過労死寸前」を取上げ、医療人にも、病院にも、国民にも負担を押し付けている国の医療政策を抗議し、いのちを守る政治を、と訴えました。

 夫も赤旗に書いてあるとおりです。「週7~80時間の労働」「月に一回も休めない」。月一回どころか、年何回休んでいるのでしょうか。患者会の行事や学会が夫の休日なのかしら・・・。
 日曜日も夫のお弁当を作るのが私の日課になっています。せめて外食をできるだけ避けなければ、ますます不健康への道です。

 過労死ラインは「80時間以上」だといいますから、人事ではなく、夫も過労死ラインで働いているのです。

 大阪にいる娘が、時々夜11時過ぎに電話をかけてきます。「今、駅に着いたんだ」と、暴漢予防に携帯電話をかけ続けてアパートに帰るのです。娘夫婦も勤務医師。夫婦でこんな生活ではこどもを育てることはできない、女性の医師がやめざるを得なくなるのも、良くわかります。

 医師がこんな労働条件では、ミスが多くなっても当然、良い医療はできないと思います。医師不足は深刻です。

 さて、午前中は「子育てネット」の学習会、いじめ問題の3回目、教育再生会議の答申を深めました。「こどもを守る会」理事の馬島直樹さんが講師でした。

 夕方、もてき御代田新町長が県委員会を訪れました。拍手とやんやの大騒ぎで、県委員会は喜びに包まれました。


(事務所は沸き立ちました。「がんばろうねえ。今度は藤岡君の番だね!佐久から県議だそうね!」左端県委員長、もてき町長、そのとなりで笑い崩れているのは山口のりさん)

 「住民のマグマが吹き出たような選挙でした。予算は執行させませんよ。町長報酬はカットします。議員報酬15万円でやってきたんですから、あははは」と、もてき町長の力強い挨拶でした。

 2月号の「民主長野」の原稿書きをしました。既に書いて投稿していたのですが、その後浅川ダムが持ち上がったので、黙っておれず主題を変えて書き直しました。私の地附山地すべり被災の経験から、「危険」だから絶対許せないと今、訴えたかったのです。選挙報告の関係で発行が遅れていて、ちょうど良かった。

 
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やりました!民主町政誕生です!

2007年02月19日 21時58分54秒 | 活動日誌
(野沢菜 畑を青々と染め生命力に溢れています。漬物になり損ねた野沢菜ですが。)

 木曽町に続き、長野県に民主町政誕生、党員町長です!最高に嬉しいです! 町民のみなさんの良識の勝利です。現職候補から1100票も離しました。
 不透明かつ脅しで税金を食い物にしていた同和行政への強い批判が、町中を熱気に包んでの勝利でした。

 夕べはテレビの前で、「やったー!」と叫びました!

 今日はどこへ行っても、「良かったね!」「うれしいね」「がんばろうね!」の連発が挨拶でした。全国の皆さんにも、きっと大きな勇気をもたらしたと思うと、また嬉しさがひとしおです。
 
 最終日は町の方々が、自らハンドマイクで津々浦々訴えて歩くという画期的な行動もありました。
 ハンドマイクが初めてという方ももちろんいます。出発する前に事務所で、お手本原稿を読む練習風景もありました。その一生懸命さがものすごく新鮮でした。

 さあ、党員町長を誕生させた長野県で、いっせい地方選挙はもちろん、参議院選挙、そして長野市では市議選も、絶対負けられません。この勝利、大変重い責任付き、「よっしゃ!やりますわよ!」という気分です!

 きょうは常任委員会の後、辰野町へ行って活動しました。

 
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池田町共産党「ファンクラブ」で挨拶・ちほさんを励ます会

2007年02月18日 20時24分24秒 | 活動日誌
 (「つどい」でご挨拶)

 午前中は池田町へ、共産党後援会(池田町ではファンクラブというそうです)の集会でご挨拶をしました。
 手作りのご馳走が用意されていましたが、残念、私は挨拶後失礼して、石坂ちほさんを励ます「つどい」に参加のため、長野に戻りました。

 池田町はいっせいで町議選が行なわれますが、立候補状況がまだはっきりせず、今のところ定数オーバーにはなっていません。でも、きっと選挙になるとの関係者は見ています。




(大根、にんじん、ナズナ・・・・・ナズナは昨日のナズナです。千曲川調査の時とってきたもの)

 長野に戻って、石坂ちほさんを励ます「みんなのつどい」は会場満員。何人かな?300人から400人の間くらい。
 浅川ダム問題が浮上している時、会場も浅川の公民館とタイムリー。ダムを作らせてなるものか、自然といのちと暮しを守るため長野市から2議席を必ずとの熱気で溢れていました。

 私も一言ご挨拶しました。

 浅川流域協議会の副座長のIさん、田中応援団のTさんからも熱い励ましのご挨拶でした。

 文芸評論家の東栄蔵氏とちほさんの対談がメイン、東氏はまず、ちほさんとの始めての出会いだのきっかけとなった、東氏が行なった島崎藤村の「破壊」の講演に触れました。
 
 中学時代のちほさんは、貧しさからさまざまなアルバイトを通し世の中を垣間みて、一生懸命働いているのに報われない人がいる理不尽さを感じていたそうです。
 
 そんな時「破壊」を読み、影響を受け、社会の差別に目を向けていくようになったそうです。東氏の「破壊」の講演に感銘を受け、そこで東氏とお知り合いになりました。

 伊藤千代子を世に出した東氏は、石坂さんの後援会長を引き受けてくださっています。

 和太鼓、美空ひばりの歌に合わせての日舞、マリンバの演奏、そして南京玉簾では大笑い、文化行事も最高に楽しい会でした。

 マリンバの演奏に合わせてみんなで合唱、「花」。隣同士に座っていた私とちほさん、2人で・・大変美しく!!・・二部合唱しました。

 今日驚いたのは夫の行動。三才での老人クラブでの講演のあと、石坂さんの「つどい」に参加、終了後、浅川ダムサイト予定地など一人で調査に出かけていました。驚くのは、彼は自転車しか乗れないからです。

 3箇所を自転車で移動したのです。「ループ橋はけっこう坂道だなあ」とヒーヒー言って、たくさん写真を撮って帰ってきました。彼の現場主義には、脱帽です。

 
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