中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

上田市議選の応援に行きました

2006年03月29日 22時08分45秒 | 活動日誌
  (前回応援に入ったときの写真です。がんばれふるいちさん!)

 
 上田の市議選は2日が告示、9日投票、目前にせまっています。
 
 私は今日も、前回と同じく旧真田町の古市順子さんの地域に入って、1日に予定されている石坂ちほさんを囲んでの「女性の集い」のご案内とお誘いに、古市さんの地元を歩きました。保育園も2箇所。前町会議員の中沢さんと一緒でした。

 中沢さんの引退の挨拶に、どこでも「本当にお世話になりました。」との皆さんのねぎらいの言葉です。現職時代の中沢さんへの町民の信頼が私にも伝わってきました。
 
 「共産党の議席がなかったら、守れなかったものが沢山ありますね。」との中沢さんの言葉とおり、おたずねした保育園の先生は、「中沢さんが頑張ってくださって、保育園の統廃合を防げたから、こじんまりとした心のこもったいい卒園式ができたました。ありがとうございました。卒園式の時、来賓の中沢さん、涙ぐんでいたのではないですか。私、そっと見たのですよ。」との言葉もありました。

 「お母さん方と一緒に頑張ってきたので感無量でした。私はやりがいのある仕事をさせてもらってきたと思っています。」
 中沢さんは私にこう話してくれましたが、私も、「ご苦労様でした。」と心からご苦労をねぎらいました。
 
 上田市議選、旧真田町だけでも6人も出ている、大変油断のならない選挙になっています。
「ぜひ、女性の代表を」との声も強く、また、前町会議員だった中沢さんの議席を引き継ぐためにも、古市さんにはぜひ議会で活躍してもらわなくては。

 それにしても寒い日でした。朝はまるで冬が戻ったように雪が振っているのでびっくりしました。それでも日中は陽がさしてほっとしましたが、明日もこんな天気だなんて、いやですね。もう、心は春になっているので、ギャップについてゆけません。
 
 「春ときかずばしらでありしお 聞けばせかるる胸のおもいを  いかにせよとのこのごろか・・・」早春賦の歌のとおりです。

 真田町は立派な門構えの古いお宅が多くて、歩きながら驚きました。
手入れされた庭の樹木の根元には、雪が舞う中に、春の色を添えているクロッカス、水仙、福寿草などの花がありました。

 明日は飯田市に入ります。6時20分自宅出発。
 日程表では、街頭演説を沢山、夜は健和会病院後援会での懇談「中野さなえさんを囲む会」など予定されています。
 
 「囲む会」の後、飯田市から伊那市に移動して、伊那市で宿泊。翌日は伊那市で活動です。4月30日投票の伊那市会議員選挙をたたかっていますので、応援に入ります。

 伊那市から仙台市に移動します。仙台は私用で娘の引越しです。4月1日に、長野に戻ってきます。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩尻・岡谷で、病院、施設訪問をしました

2006年03月28日 23時43分50秒 | 活動日誌
 諏塩木地区委員会(諏訪・塩尻・木曾)に到着、新しく建て替えてから初めての訪問。なんて明るい!気持ちがいい。
 それにこの地区委員会は女性のスタッフが多いからか、一歩入ったとたんから、華やかな楽しい雰囲気です。「今日一日が楽しくなりそう。」と私もご機嫌。
  
 午前中塩尻市、午後は岡谷で、市会議員、支部のみなさんと、病院、母子通園施設、障害者の作業所など訪問、懇談をしてきました。

 100床のうち60床が療養型病床の病院の看護婦さんは、「医療と介護が一緒になって、生き生きした患者さんが増えました。病気だけでなく日常の介護でよくなることにびっくり、喜んでいましたが、急転直下、今度の医療の改悪で、全く不安だらけです。週2回の風呂も、もうとても入れてやれません。」
 「病院の存続にもかかわります。療養型ベッドは、持っているだけ赤字になる仕組みです。ベッドを回転させているほうが赤字になると、市内の病院では閉鎖を始めて、患者さんを引き受けてくれないかとの相談も来ています。
 最後は、もう政治を変えるしかない、それしかいえませんよ。」と、事務長さん。

 作業所は2箇所行きましたが、同じ悩み、怒り。

 「人員は減らすわけにいかない。しかし、通ってくる仲間は毎日とは限らない。しかも、時間で管理しなければならないから、休んだり、はや引きすれば利用料はへる。経営が成り立たない。
 仲間の」給料は7000円程度。働いた給料をそっくり取られても、利用料に足りない。ならば、働かずに家でぶらぶらしてたほうがいいとなるではないか。
 作業所には人間的つながりで生きる喜び、発達を保障するところだ。自立支援法は、こんなひどい法律はない。」

 訪問の合間に5回おこなった街頭演説では、ここで共感した怒りをこめて訴えました。
 塩尻のある地域では、70歳になって入党した方がご近所の方に声をかけてくださって、お年寄りが10人ほど集まっていました。小寒い中なのに、お店の前に椅子を並べて、うなずきながら熱心に聴いてくださいました。
 「今聞いたいい話を、一杯あちこちでやっておくれ。もう、年金はけずられるし・・・。不安で仕方がない。頑張ってね。」と励ましていただきました。

 岡谷でも、あいにく午後は雨になりましたが、しっかりこちらを向いてたちどまって、最後まで聞いてくださった方が、車で帰るときに、大きく手を振って激励してくださったり、交差点で立ち止まって聞いてくださった男性が、にこにこと「頑張ってね」と握手してくださったり、元気が一杯出る出会いがありました。

 夜は、岡谷でいっせい地方選挙、参議院選挙勝利の党・後援会の集会でした。私もご挨拶、毛利県議が県議会報告と挨拶。
 私は途中で失礼して、岡谷発19時56分発の長野行きに乗ろうと思ったら、事故があったらしく特急が40分遅れのアナウンス。

 「ああ、これでは家につくのは11時過ぎてしまう・・」
でも、私の乗る列車は10分遅れで出発。良かった!でも、何の事故だったのか、人身事故でないといいけれど。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都の研究会で印象深かったことを、少し・・

2006年03月27日 22時07分06秒 | 活動日誌
 (スプーンたて 漆器で、転ばぬように底が重くなっています。)


 25,26日の二日間、京都で開かれたの発達保障研究会(全障研)に参加してきました。
 「児童福祉法における子どもの権利」のテーマで、龍谷大学法科大学院の田村和之先生の講義、発達心理学で長野でもおなじみの白石先生、「アメリカにおける自閉症研究」では立命館大学の荒木穂積先生の講義で、頭は重く一杯になりました。 全国各地での、特別支援教育、障害者自立支援法の実施情況と実践の到達点などの交流もしてきました。

 特別支援教育で配置されたコーディネーターでは、どんな仕事をするのか、どこでも試行錯誤の状態、大変な労働強化の実態も明らかにされました。
 配置自体はわたしたちの望むところでありますが、人員を増やさないことは大問題。現場では大変です。

 学校だけでなく、病院、福祉関係、心理関係、地域、幼保、などと連携して子どもをつかんでゆこうとの仕事ですが、始まったら、親からの相談が山と増えて、従来の学級の子どもとの仕事は何も減っていない・・・と学級をもってコーディネーターになった先生の悲鳴がありました。

 長野県でも、県の話では各学校に配置はしたが、校長であったり、教頭であったり、また、障害児学級の先生であったりで、それ以上は具体的に進んでない様子でした。現場の声を聞かなくてはと思っています。

 講義で印象深かったことをひとつだけ報告します。

 立命館大学の荒木先生の「自閉症」の講義は、一日目の夜、自由参加の研究会でした。前半に続いて、夕食抜きで6時半からでしたから、お腹は「ぐうう・・」。でも、ぜひ聞きたかったので参加しました。
 
 アメリカのYale大学に半年留学された時の報告でした。Yale大学は、心理学者で有名なゲゼルが研究所を開いたところ。ブッシュ大統領、前のクリントン大統領夫妻もここを卒業しています。
 大学のある町ニューへブンは、人口10万、アメリカでもっとも障害児教育が進んでいるところなのだそうです。

 古い大学には何処にも、「チャイルド スタデイ センター」があって、それが、医学部に所属しているというから面白い。全国から研究者、院生、医者などが来るそうです。

 
 Yale大学の研究室では、1才半で自閉症(アスペルガーも)を診断できるとしています。日本では、そんなに早く診断する方法を持っていないと思います。すごいことだと思います。それが療育に生かされてゆけば、発達をどんなに促すことができることでしょう。
 この研究グループでは、1歳半まえの診断が課題とのこと。

 フォローして5歳で再検査で、90数パーセントがやはり自閉(アスペ)と診断されるといいます。
 10人ほどのティームを組んで、発達診断には丸二日かけるそうです。認知レベルではなく、知覚レベルでの検査がやられているそうです。
 
 発達検査料金は、なんと30万円。州によって扱いが違うので補助金を出してくれるところもあるようですが、自己負担の人もいるそうです。
 荒木先生がいる半年の間に、貧困層に追いやられがちになっている人種の人は全く来なかったとのこと。

 今、一番お金がつく研究は「発達障害と非行」のテーマだそうで、アメリカの実態を反映していると思いました。
 検査に使うおもちゃはトイザラス、使うだけでトイザラスから多くの研究費がくると言っていました。

 さて、京都はいま府知事選が行われていますが、街は静かでした。でも、「きぬがさようこをお願いしまーす!」と声をあげて歩いている青年たちに出会いました。
 
 京都の擁護学校の先生の報告では、京都では特別支援教育を一生懸命やる先生を評価して、頑張った学校には特別予算を付けるなんてひどいことをやっているようです。
文科省の考えている特別支援教育は障害児学校のリストラなんですよ。

 きぬがささんには、勝ってもらいたい。蜷川府政だったころの政治に戻したいですね。

 会が終わって、京都に勤めている娘と合流、北の天満宮の梅を見てきました。すばらしかった。ちょうど花盛り、一本一本の枝振りが、見事な剪定で、赤、白、ピンクの織り成す色合いがこれまた見事としかいいようがありませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

合併後初の市議選のある上田市へ入りました

2006年03月24日 23時02分44秒 | 活動日誌
(福寿草  庭にてスケッチ・もくれん、梨、桜などの朽ちた落ち葉の層にしいたげられて、日の目を見るために大変な努力をしている、我が家の頑張り屋の福寿草です。)

 
 朝、山口さんと待ち合わせて一緒に上田市へ向かいました。

 前もって渡された一日の計画票を見て、「私は10回、中野さんは11回の演説ですねえ。」「ええっ、山口さんのほうが先に終わるじゃん!」
「でも、中野さんのお昼は、こだわりのそばやさんに行くみたいだよ」と冗談を飛ばしながら一路上田へ。「行きはよいよい、帰りは居眠り」の珍道中。

 当市では4月9日に投票で、合併後初の市議選が行われます。共産党は5人の候補者を立てていますが、私は、旧真田町から出る新人、古市順子予定候補の地域に入り、街頭演説や訪問活動を行いました。

 旧真田町で走っていた福祉タクシーが合併で廃止になったとのこと。古市さんは、自校給食など、今までの旧真田町のよさがなくならないようにがんばると、また、真田町唯一の女性の候補として、女性の社会参画のためにも力をつくすと訴えていました。
 新上田市では国保料の値上げも考えられています。

 真田町は風の冷たいところです。夕方は震えました。「まちかど演説会」のチラシがすでに配られていたので、寒い中でも、11箇所の演説会場には、多いところでは10人ほどの方が出てきてくださっていました。

私は、医療の改悪などの国政の異常さを訴え、上田周辺のおかあさんが「安心してお産を」と頑張った産院廃止を食い止め、全県を励ました住民運動を一緒にがんばった古市さんの粘り強く、女性ならではの活躍を紹介し、支持を訴えました。

 畑のずっと向こうにおばあちゃんが仕事をしていました。古市さんが演説している間に、あぜ道を渡ってお話しに行きました。
 「私は、決めている人がいるんだ。でも、そのときによって、入れる人が違うね。時々で決めるんだよ。」と。
 「このごろは、自民党ではどうかしら。年金も削ってしまうじゃない?」
 「まあ、がんばっておくれ」

 古市さんも私も演説を終えたら、そのおばあちゃんは大きく手を振って、それから拍手して、また両手で手を振って、深くお辞儀して、車が出るまで見送ってくれました。とっても嬉しかったですね。胸が一杯になりました。

 明日は全国障害者問題研究会の発達保障研究集会に参加するため、京都へ出向きます。27日に帰ってきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子育て学習会、みんな同じ悩みです

2006年03月23日 15時13分33秒 | 活動日誌
 (スノウドロップ  雪解けの我が家の庭に真っ先に咲く花。10センチほどの背丈、名前のとおり雪のしずくのようなかわいい花です。)


 今朝は肌さむいといっても、やはりもう春、一時の足先までジンジンいたくなる寒さは消えうせて、気分は軽やかに、定例の朝陽駅での街頭演説で一日を出発しました。
 冬の間は見ているだけで心配した中学、高校生の「生足」も、楽になってよかったなあと思います。「おはようございます。」と返してくれる返事にも、明るさがあって気持ちがいい朝でした。
 いくら長野でも、本格的な春までもう少しの辛抱です。

 新日本婦人の会の赤ちゃん小組みの学習会でした。1歳から2歳のお子さんを持つお母さんが集まりました。
 食事の問題、昼ねや夜更かしの問題、おっぱいのこと、などなど、沢山の疑問や不安が出されました。

 このホームページの「子育てQ&A」のブログも、「必要な時に覗いて」と、紹介しておきました。ブログに寄せられた質問と同じような質問がどこでも沢山でます。同じようなことで悩んでいるということですね。
 子育ては、「私だけが悩んでいるのではない」と、連帯することが大事ですね。

 日本は、子育てに何とお金がかかるくにでしょう。
 
 小さいうちは小さいうちで医療費がかかって、収入の多くはない若い家庭を圧迫しています。

 学校に入ればまた大変です。
 
 就学援助を受ける子が急増しています。
 「夫がリストラにあって、収入が10万円足らず、長女が中学生になったとき、制服代5万円、ジャージ3万円・・・」そんな新聞記事が心に食い込んできます。
 
 就学援助でやっと義務教育を受けているという家庭が増えているのに、その予算を削減しているのが自民党の政治です。
 
 今日の新聞によると、神奈川県大和市では、2004年度の就学援助補助金7千万円から、昨年は一挙に56万9千円に減らされました。一般財源化されたといっても、交付金事態が減らされています。がんばっている大和市では就学援助にかかる予算は約4億円といいます。

 親というものは何をおいても、子どもの学校のことは一番先にと考えるものです。その親が、子どもの教育費のために末期の癌に進行するまで我慢して通院できなかったとの話も、遠いところの事件ではありません。

 大学も大変。信州大学をみても、仕送りゼロという学生が少なくありません。

 子育てにこんなにも冷たい政治はもう沢山。今日のお天気のように、気持ちの良い暖かな政治にしたいですね。

 井上哲さんからのメルマガメッセージでは、グアムへの海兵隊の移転、実際には軍備の再編強化で、拠点をふやすための移転ですが、アメリカ国内には費用は最高でも29億ドルと説明していながら、日本には100億ドルかかるとうそをついている事実を紹介、そのうちの7割以上の8800億円も出せといっているのです。

 ひどい話、話にならない話。日本をなめて騙して、食い物にして金を出させているのではないですか!!悪徳商法だ!

 米軍の駐留費の水光熱費まで私たちの税金、一方、自国のお年寄りからは入院の時には水光熱費も自己負担にしようとしているのですよ!

 米軍基地の中の学校は日本の教室の基準よりより広い教室で25人学級、私たちの税金で。日本の子どもは、国の基準はまだ40人、教員の給料の国庫負担金を2分の1から3分の1に減らす計画。腹が立つこと、この上なし。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お休みディは雑用の日

2006年03月22日 23時56分13秒 | 活動日誌
 (昨日、松本駅で会った青年です。握手しました。山口さんは演説中です)

 
 お休みの今日は、雑用の日。
 娘の新しいアパートの契約書が着いたので、印鑑証書をとりに市役所へ。契約金の振込みや、送金振込銀行の変更など、細かい用事で駆け回った。
 
 娘から電話で、「仙台の粗大ごみの日は終わったから、そっちにもっていってすてるよ。」とのこと。いやはや、ごみまで引越し荷物になるとは。

 大阪にいる娘からはハガキが来た。大きなケーキの写真がプリントされていた。仕事で忙しく、夫婦二人とも「よぼよぼ」とのこと。夫君の誕生日を夜中の一時にお祝いしたというから、たまげてしまった。
そん時間にしか会えないのだろうかしら。心配。

 夜11時、帰宅した夫が「お母さんいない日、何日だっけ。4日間もいないんだ。ラーメン買っておこうっと。」
 「そこまで堕落していない」と、カップめんではなく、ちゃんと野菜を入れてなべで煮ると威張っている。
 
 しかし、先日、仙台から帰省した娘に「ラーメン作ってやる」といどんだ作品は、味噌としょうゆのたれを一緒に使ったとのことで「お父さん、へこんでいるよ。」と娘。裁判闘争の支援物資で買った博多ラーメンの箱に、しょうゆ味、味噌味の二種類入っていたものを、一緒にブレンドして使うと思ったそうだ。

 そんなこと、考える人がいるかしら。
 
 こういう夫でも、名誉のために言っておくと、昔は山口典久さんのように子どものために「小女子どんぶり」「しいたけどんぶり」など作ったのですよ。

 今も余裕があるときは、魚を開いて一夜干しやみりん干にするのが趣味なのです。先日は、「秋刀魚が安い。買っていこう。」と買ってきたのはいいけれど、暇がなくて、結局私が佃煮にする運命になりましたが。

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山口さんと山形村、安曇野市、松本市へ

2006年03月21日 20時30分14秒 | 活動日誌
   (安曇野市の商店街で  草深市会議員、山口さんとともに)



 山形村の村議選の告示日、二人の女性候補の出発式へ、山口典久さんと分担して駆けつけました。小さくても輝く自治体をと、自立を選んだ清沢村政を応援して、乳幼児医療費無料化など、沢山の実績を村民と一緒に作ってきた党の議席、定数4減の中でも、何としても2議席確保するためにがんばりたいです。

 その後山口さんと合流して、現在は安曇野市になった旧豊科町に、午後は松本市へ移動して、地元市会議員、藤沢県会議員とともに主に商店街を訪問し、ご挨拶をしながらお話を伺って来ました。

 街並みは、規制緩和による大店舗進出での爪あとが深く、痛々しい。特に豊科は、軒並みシャッター通りになっていました。

 「店を開けていても現金収入がゼロの時が多い。時々あるお客は近所のおバアちゃんです。なべを焦がして、嫁が帰ってくるまでに似たようななべを買わないとと、汗をたらして飛び込んでくる。ご時勢ですね。
 こんな具合で、どうやって食べていくかと悩んでします。こんな政治ではこまります。がんばっていただきたい。」と、金物やさんのおばさん。
 
 「どうやったって大型店には値段では太刀打ちできない。肥料や苗もみんなダメだね。がんばってあけているが、近所の仲間が次々店を閉めてゆく。消費税は払えないところが多いよ。あげるなんて、とんでもない。」種苗屋のおじさん。

 「デジカメに押されていますよ。値段は何とかがんばって量販店並みにできないことはないですが、ポイントなどでやられると、そこまではとてもダメです。あのような商法は違法ではないのでしょうか。強いものだけが生き延びるなんて。共産党さん、がんばってください。」カメラ屋のおじさん。

 「農業を大事にしない政治はおかしいですよ。国内産の米が余っているのに輸入だなんて、ばかげています。大きな農地にすれば保障するといったって、まとまりっこないですよ。価格保障がないんだから、失敗したらどうするのか。家族農業を守らなければダメですよ。
 安曇野は米の産地です。ここで獲れたものはここで食べるのが一番。食は大事、顔が見えてこそ心が通じる。共産党さんに期待していますよ。」農機具店の店長さんのお話。

 「人が住めない街になってしまう。お客も少ないです。シャッター通りですから。腰をまげて、やっとここまで歩いてきてパンを買っていってくれるおばあちゃんたち、この店がなくなったら何処に買いに行くのだろと心配になります。年寄りが住めなくなってしまう。
 私たちはこの町に納税しているのです。大型店は都合が悪くなると、さっと撤退してしまいます。散々街を壊しておいて無責任だ。私たちの税金が街で還流するようにして欲しい。」パンやのおじさん。

 などなど、行く先々で何処でも、みなさん溢れるように小泉自民党政治への怒りを語ってくれるのです。
 
 「みなさんの怒り、すごいね。今こそ共産党の出番だね。」と山口さんとかたりあい、その思いを強くした訪問活動でした。

 松本駅頭での街頭演説の時、通りかかった20歳の青年たちと話しました。

 「共産党?知らない。今あの人(山口さん)学校へノートや鉛筆もって行けない子がいるって話してたけど、俺ももって行かなかった。学校なんて、学ぶこと何もないからさ。小学校で算数なんかちょこっとやればそれでまにあうよ。俺、ろくに学校行かなかったし。
 学校楽しかったかって?楽しくなんかない。勉強も楽しくなんかない。できる子は楽しいかもしれないけどね。
 俺、高校4年やった。今年仕事に就いたんだ。県内はないから外へ出るんだ。」

 「共産党のこと、何をする党か、耳に入ったら気をつけて見ていてね。青年のためにがんばるよ。」
 「ウン、解った。だけど、あんたたち数人ががんばったって、どうにもならないよ。みんな、知らん振り、自分のことだけだよ。」
 「あなたは?」「俺も俺のことだけ。」

 まじめで素直な、おしゃれでイカス青年でした。

 そうそう、今日はどうして街が静かなのだろうって、不思議でした。連休だから郊外に出ているからかしら?とか・・・・しかし、原因は、きっと野球だったんですね!勝ちましたね。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

県委員会総会でした

2006年03月20日 18時06分42秒 | 活動日誌
 (ふきのとう  共産党朝陽事務所のまえの陽だまりで見つけました)

 
 陽もでてきて良い天気となりました。昨日の天気がうそのようです。
こんな良い日なのに今日は、一日屋内で県委員会総会でした。今後の活動のことの話し合い、3月、がんばって党を大きく前進させようとの意思統一が主題でした。

 昨日は松川村の投票日、大変残念なことに現職の井川さんを20票差で落としてしまいました。かけがえのない議席でした。今後に生かす立場で、総括も行いました。定数減の中での厳しい闘いでしたが、がんばってきた井川さんだけに、「大丈夫論」がはびこっていたことも、原因のようです。
 
 「党の力がもっと大きかったら!」と残念で悔しくてなりません。

 でも、井川さん、今日から元気にご挨拶に回っている様子を聞いて、さすが、共産党員と敬服しています。
 
 明日は山口さんと一緒に中信地域にキャラバンで入りますが、山形村の告示日になっています。

 二人の共産党候補者の出発式での応援で、まずは山形村へ入る予定です。
その後、中信地区内の行動になります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャラバン2日目は吹雪の中野市

2006年03月19日 20時40分15秒 | 活動日誌
 (野口議員と街頭演説  大さむ、さむ!でも雪なんかに負けないわ!)


 キャラバン2日目、北部地区の中野市へ、午前中はまだ良かったのですが、午後は冬が戻ったかのような猛吹雪になりました。なんてすごい風でしょうか。フルフル震えてしまいました。
 午前中は青木市会議員、午後は野口市会議員と行動しました。

 午後、2回の街頭演説を終えたところで野口議員は私を気遣って「どうする、こんな吹雪では・・やめようか?」と。
 「でも、竹原地区の人に、行くって言ってあるんだから、がんばっていこう!」と励ましあって、気合を入れていきました。

 後半は野口議員の夫さんのヤッケとぼうしを借りて武装していったから大丈夫。

 雪が解けてきたので、なし、りんご、ぶどうなどの樹体被害が良く見えるようになっており、その惨憺たる様子にあらためてため息が漏れました。4月4日予定の政府交渉ではこの実態、しっかり伝えなければ。

 中野市ではごみの有料化が大問題になっています。市の指定のごみ袋、1枚13円が一気に57円に値上がりしようとしています。10枚1袋で570円!

 ごみの減量化作戦とのことですが、これでは、うちで燃やしてダイオキシンを発生させるか、不当投棄が増えるかで、抜本的解決にはならないと思います。
 ごみはまず出さないことからはじめなければ。トレイやラップや、空き缶、ペットボトル、・・昔はなかったごみが一杯。
 ごみの発生源の企業に責任を取ってもらうのが筋というもの。

 弁別では、先進的な取り組みをしている自治体が沢山あると思います。
通勤途中に弁別のボックスがあって、家にためておかなくてもいいというとりくみは川崎市でしたっけ。

 長野市では、ぼかしをつくるポットを購入すると、市から援助金がでます。土のあるお宅は、生ごみをぼかしで土に返してやるのもいい手ですね。我が家はこの方法を取っています。

 さて、5時まで演説を続けて、その近くを訪問、対話してきましたが、4月に行われる中野市と豊田村合併後最初の市会議員選挙は、ムードができるのはこれから、というかんじでした。まだ、3月議会中ですしね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第一次全県キャラバン出発式

2006年03月18日 18時43分25秒 | 活動日誌
 第一次全県キャラバンが始まりました。12時、長野駅での出発式では、県会議員の長野市区予定候補の和田あき子さん、長野市会議員の阿部さん、今井県党県委員長と一緒に街頭から訴えました。
 トラックからの手振り、かわいいお子さんと一緒に手を振ってくれた若いお母さん、青年の皆さんは友達同士で笑顔で手を振ってくれたり、暖かい声援が沢山ありました。横断歩道を渡りながら手を振ってくれた人もいました。

 華々しく立てた何本もののぼり、びらまきと赤旗を持っての宣伝隊の青年の元気な姿が目を引いて「あれ、共産党だ。元気がいいなあ」という明るい雰囲気が、周りにできました。

 私も「共産党とともに、明るい未来を!」と、元気良く訴えました。
宣伝カーまで来てくれた若い方が「言われたことはごもっともです。まえはヘルパーをしていましたが、今は派遣の違う仕事。仕事が欲しい。給料が欲しいです。がんばってください。」と堅い握手。

 その後、信州新町へ。信州新町では4月に町議選があります。

 信州新町は、長野市への合併をめぐって微妙なところにあります。共産党は、町の自治にかかわる重大な問題、住民の声を、とがんばっています。

 町議候補の、現職の宮尾光子さん、中村和正議員、次回は中村議員に代わって立候補する予定の新人の酒井隆一さんとともに、街頭演説。午後は天気が崩れて雨模様になりましたが、雨の中、何処でも7~8人から10人ほど出てきてくれて熱心に聴いてくれました。

 「共産党にはがんばってもらいたい。年金も少なくて。」と話すおばさんと握手。
「合併はどうなるかなあ。そうだなあ。難しいな。」との仕事をしていたおじさんの声。

 通る車からも、手を振ってくれる方がたくさんいて、とても暖かさを感じた初日でした。
 共産党の元気な姿を示して、皆さんの気持ちを引き立てて、明るい雰囲気を作りたい、「そうだ、がんばろう!」との気持ちを持ってもらいたい、そんな思いで、一生懸命訴えていきたいと思っています。

 信州新町の道の駅で、夫のグループが考えた障害者用トイレを覗いて、写真を撮りました。まだ見ていない夫に頼まれて。
 野菜もしっかり買って来ました。

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする