中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

検査で病院へ。うーん、赤旗増やさなくては・・・

2011年09月30日 18時26分00秒 | 活動日誌

アメリカセンダイグサ 近くの草原で

 

 今日は検査の予約だったので、病院で過ごしました。市民検診の最後の日だったのか、うまく駐車できたけど、病院の駐車場はメチャクチャ混んでいました。

 30日でしょう。月末なので「しんぶん赤旗」の増減が気になります。それで、途中で友人にお勧めに行きました。

 子育て中の彼女は「給料は上がらない。子育て手当てはなくなる。扶養控除はなくなったままでしょう?子育て手当てをなくすなら、扶養控除も元に戻して欲しい。ひどい!」と怒りいっぱです。本当にその通りです。

 「それで私たちに増税?原発事故でかかったお金は結局、庶民にかぶせるってこと?生活は苦しい」と、とても日刊紙を取る余裕などない彼女でしたが、「赤旗がなくなったらどうなるか」と、赤旗が果たしてきた役割を話ました。

 「うちは一般紙も取ってないの。本当に苦しけど、わかりました。がんばって読みます」と言ってくれて、本当に嬉しかった。

 それで、「そうそう、昨日はとてもいいことがあったの」と、昨日の「多喜二の母のような母」の話をしました。

 彼女は「いい話ですね。毎朝、今日は何しようかなと考えると楽しいなんて、いい人生を送ってますね。新聞もしっかり読んでいるなんて。いい世の中が必ず来ると信じているなんて。私、恥ずかしくなってしまう」と、とても感動してくれました。「新聞、しっかり読まなくてはね。私、その話、みんなにしてあげよう」と。

 30日だ、ああ、もう一つ思い出した今日締め切りの仕事!!民主長野の原稿書き!!

 家に帰って原稿を書きながら、頭は「誰か読んでくれる方はいないかなあ・・」と、それも考えていたのです。今も考えながらブログに向かっていますが・・・うーん。うーん。

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小林多喜二の母のような母の入党!党候補者へ結びつけた「選挙違反」報道への地区委員会の談話

2011年09月29日 21時01分57秒 | 活動日誌

ノブドウの季節 この写真を撮るのに、頭からメガネまにまで蜘蛛の巣がべったり張り付いた。ぎゃ!

 

 今日も引き続き北部地区で活動です。中野市と高山村に行きました。

 小林多喜二の母のようなお母さんが入党して下さいました。

 活動家の息子夫婦をもつYさんは、8月に96才の誕生日を迎えました。会議で、「ぜひお迎えしたい」との話になりました。

 正直「96才ですよ!」との声もありました。でも、私はYさんと何度もお会いしているので、ぜひお迎えしたい方だと思いました。

 少し前、今井県委員長が「母が語る小林多喜二」の本をプレゼントしたのです。Yさんは「赤旗の宣伝でみて、ぜひ読みたいとおもっていました」と喜んでくれたそうです。読書の好きな方なのです。「その本を読み終えてからにしよう」との声もありました。

 でもDVDを見ていただければいいのでは・・・となって、息子さん夫婦と支部からSさんにも来てもらって、5人で懇談しました。

 まず驚いたことには、「多喜二」の本はもう数ページで読み終わろうとしていたのです。数日で読み切る根気に、驚かない方はいませんよね。感服しました。

 「多喜二の本はいかがでした?」

 「同じ母として、なんであんな殺され方をされなければならないのか、胸が痛い。多喜二には今の時代に生き返って欲しいなあ」と言われます。

 36分DVDは「瞬きもせず」と言っていいほど真剣に見てくださいました。

 「志位さんは偉いなあ。私は志位さんの言っている世の中は必ず来ると信じています」としっかりと言い切るYさんは、毎日、赤旗日刊紙を隅から隅までよーく読んでいるのです。そう、本の広告まで。

 「私は聖教新聞も読んだことがありますよ。聖教新聞は、活字は赤旗より少し大きくて漢字には仮名がふってあるし、語り口調で書いてあるから読みやすいのですが、内容は赤旗です。赤旗は、みんなに読んでもらいたいですねえ。いつもそう思っているのですよ、みんなに読んでもらいたい。私は無学ですから、時々読めない漢字があるのです。こんなことかなあ、とだいたいの内容をつかんで読むのですが、孫やお嫁さんに聞きますとね、『ばあちゃん、こう読むんだよ』って教えてくれます。すると、いっそう中身がわかるんです。ありがたいです」

 と語るYさんに心揺さぶられながら、入党を訴えました。

 「私は何もできないですよ」「いいえ、長生きしてくだい。96才になっても赤旗を真剣に読み、とても前向きな生き方が、どんなに支部のみなさんを励ましてくれるでしょう。おばあちゃんは小林多喜二の母のようなお母さんですね」と訴えた私は、Yさんの入党の決意に心から励まされました。

 早速、「年金はこのくらい、党費の金額はいくらだろう」と言うYさんに「綱領」を渡しました。息子さんが「今度はこれ読んでおいて」と。

 それから小1時間、Yさんの人生をお聞きしてきました。未熟児で生まれたことや亡くなられたご主人のこと、子育てのこと・・・・・・。

 「働くのが好きです。めがねはなくても字は読めますが、この頃耳が少し遠くて・・・・・。でも朝起きて『今日は何をするかなあ』と考えるのが楽しみです。草取りも畑でも、新聞の記事を思い出しながら『ああ、その通りだなあ』とおもいながら働いてますよ。目が見えなくなって本や新聞が読めなくなったら、もうつまらないなあと思います」

 「村の年よりの集まりが楽しみですよ。家でうまくいかないことなど話が出ますと『そうそう、うちも同じ』とね。それでみんな元気になるみたい。私が一番年上ですが、気持ちは若いよ。野球が好きで、監督さんが気に入ったから中日が好きになりました。でも、落合さん、やめましたねえ」

 失礼する時には、もう「綱領」を読み始めていました。ビックリしました。

 「おばあちゃん、私の祖母は105才まで長生きしました。それ以上に生きてください」と別れを言う私に、「忙しいのに私にために、ありがとうございました」と。私はどこまで生きられるかわからないけど、Yさんのようになれるかなあ・・・と、素朴で謙虚で優しくて、前向きな「人間」を学びました。もっともっと人生経験をお聞きしたい                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて全く別件。読売新聞を読んだ方はビックリされていると思います。信濃毎日でも朝日でも報道されましたが、読売は名前も出しての報道でしたから。

 長野市会議員選挙での「他人名義での選挙違反」で3人が逮捕されたことです。党の候補者と結びつけた報道がありました。共産党の見解は、昨日、長水地区委員会が発表した談話の通りです。「どうなっているんだろう」とご心配されている方もおいでだと思いますので、紹介します。共産党と候補者になんらやましいことはありません。

                         **** * 長水地区委員会 談話 *****

 詐偽投票はいかなる理由があろうとも赦されることではありません。清潔、公正を心情とする共産党の選挙方針とは無縁のものです。

 長野市議戦で日本共産党の6人の候補者は、正々堂々と政策を訴え、その主張に市民のみなさんに共感を寄せていただいて全員当選を勝ち取らせていただきました。

 原発から撤退、福祉と防災のまちつくりなど、公約実現と市民の声で動く政治への前進をめざして、6人の市会議員を先頭にいっそう力を尽くす決意です。                               

                                                               以上

 

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「後期青年者」入党!

2011年09月28日 20時12分18秒 | 活動日誌

ハノイのホテルでは日本の震災支援のバッチとカンパ箱がありました。

 

 一日、北部地区で行動。北部地区とは、新潟の津南町と隣接する栄村をはじめとして、飯山市、山ノ内町、中野市、須坂市、小布施町、高山村がある、長野県の北に位置している地域です。きょうは、山ノ内町での活動でした。

 山ノ内町は昔は革新町政の温泉町、全国保育問題協議会の大会が毎年開かれていた「由緒ある」町です。共産党の住民大学も開かれました。私も、まだ仙台にいたころ、参加のために来たことがあります。今では「我庭」のような地域になっていますけれど。

 さて、この町で51才の方が入党を決意してくださいました! 数年前に地元の支部の方と訪問したときに、「しんぶん赤旗」の購読をしてくださった方です。

 それ以前からずっと共産党を応援してくださった方で、「今、本気になって政治を変えるとき。国民のくらしを守るために、一緒に苦労をしてください。心を寄せ合うことこそが、変える力です。入れば、今までより楽になることはありません。でもその苦労は新しい政治を作り出す気持ちよい苦労です」と訴えたら、気持ちよく入っていただけました。

 支部のみなさんは「あんまり近い人だったから、考えから外れていたよね。Tさんが『彼には入ってもらいたい』と提案した時、『あ、そうだ!!』と思ったよ!!」と、「歓迎会は昼にしよう」など、喜びが広がりうれしい限りでした。

訪問先の池に金魚。赤白がきれいだった。

 さて、この年齢を「後期青年者」と呼ぶのはどうでしょうか。若々しい感じでしょう?壮年と言う言葉の響きもいいけれど、さっき、ふと考えて、「これはいい!!私の年代もそう呼びたい!」と思いました。無理があるかな?でも、気持ちです。

 その後も、支部の方と行動し、訪問先で世直しの話を大いに交流し合い、赤旗も増えて、満足でした。

夕暮れの飯綱山

 移動しながらカーラジオで国会中継を聞いています。昨日は自民党の石破議員、「保守とはなにか」で野田総理を追求していました。「保守とは国家を守ること。天皇制讃美、憲法改正」で、国民の今のくらしや願とかけ離れた時代錯誤の内容であきれるばかり、誰の心も打たないだろうと思いましたが、しかし、なんというか、確信を持ってもっともらしく展開するあたり、あらためて恐ろしい人だと思いました。

 残念ながら志位さんや市田さんの質問は、ラジオでも聴けずしんぶんで読んでいます。

 

 

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若いママが入党! 北部地区で活動。

2011年09月27日 21時10分39秒 | 活動日誌

 最初に報告。「ベトナムからのたより」をアップしました。よみなおしたら、誤字脱字、言い回しの重複などが見つかり・・・「あああ、でも、もういいや」です。我慢して読んでくださいね。

                   

 北部地区での活動前に、10月16日に開催される「信州赤旗秋祭り」のチラシやチケットを配りに、長野市内の民主団体をまわりました。市議選があったので、短期間の取り組みになっており大わらわです。

 ある団体に行ったら「今から党創立記念のDVDを見るのよ」と言う。そしてKさんが「Mさんはね、どうしても党に入ってもらいたい人なの。でも、2回、お話ししたけど決意できないのよ」と、私の耳元でささやきます。

 それで私も一緒に見てゆくことにしました。

 何度見ても感動するDVDです。志位委員長の党創立89周年記念講演を再編集したものですが、震災の石巻が出てくると、そして仲間の頑張りを見ると、私は今回が4度目でしたが、毎回どうしても涙がにじみます。

 DVD全体は、共産党が本当に良く分かるように編修されています。「ああ、党員で良かった」と自分の人生が誇らしく思える36分のDVDは、誰にも見てほしい。

 見終わった後、Mさんと話しました。そして、「そうだね。入るときだね」と決意してくださったのです。待たれた入党だったので、嬉しくて嬉しくて、そこにいた3人の仲間はみんな涙ぐんでいましたよ。なあんて、私が一番、めろめろだったんですが・・・。

 昼食を取って、県委員会の宮下さんと一緒に北部地区委員会へ飛びました。会議のあと、数カ所の支部を訪問し、大運動の具体的計画の相談会、そして明日の行動計画を準備をしました。

夕日を見ながら帰路につきました。

 

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日常のくらしに戻る。常任委員会。

2011年09月26日 21時27分06秒 | 活動日誌

 

フエのホテルで

 さて、今日から日常に戻りました。今朝はさすがに疲れが出たせいか、気がついたら6時半。あわてました。

 遊んできたのだから、疲れたなんて言ってあられないか、と気をキッと締めて飛び起きました。本当は、今日は一日寝ていたかった気分だったんですよ。若くはないからねえ。

 常任委員会でした。選挙結果の総括や、大運動を成功させるための意思統一と手だて、信州赤旗秋祭りの準備の相談が会議の内容でした。

 明日から月末にかけて、私は北部地区委員会所属の支部のみなさんと活動することになりました。明日は地区委員会の常任委員会なので、そこに参加して行動の相談をすることにしました。

 その後は留守中にたまった雑務をこなし、一週間のベトナム旅行の紀行文の手直しをしました。それはできたのですが、写真の処理がまだです。私のカメラよりも娘のカメラの方がいい写真がとれているようなので、今から借りて処理に入ります。

 だから、明日か明後日には、写真付き「ベトナムからのたより」をアップできると思います。ぜひぜひ、開いてみてください。一人で楽しい思いをしているのも惜しいので、一生懸命夜に、あるいは朝早く起きて書きました。もっともっと書きたいことは山のようですが、そんなに書いたら読んでいただくのに疲れてしまいますね。だからほどほどにしました。

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 常任委員会で、北方ジャーナルの記事が話題になりました。北海道一帯にあるコンビニに置いてある雑誌だそうで、表紙の真ん中には「原発スクープ連発! しんぶん赤旗」とあります。見出しが目立ちます。

 中身は作家の島田雅彦氏が書いています。「脱原発を推進する党に1票を入れるとしたら、共産党しかない。いっそ菅さんも共産党に入党すれば」と皮肉たっぷりです。

 情勢はここまで来ていますね。がんばろう、共産党!

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ただいま、帰りました!! 

2011年09月25日 16時46分12秒 | 活動日誌

 

 みなさん、お久しぶりです!!ただいま、ベトナムから帰りました。

 留守中、コメントやメールで、長野市議選の御祝いの言葉をたくさん、ありがとうございました。本当に全員当選で晴れ晴れとした気持ちで行かせてもらいました。いま、しみじみ、長野市のみなさんにも、全国のみなさんにも、責任が果たせたと、安堵感があります。

 あちらから配信したかったのですが、インターネットがうまく通じなく、私の英語ではなお通じなく説明もうまく受けられず、配信はあきらめました。

 でも、ワードで毎日「ベトナムからのたより」を書きましたので、見直し次第、アップしますので、ぜひ、ごらんください。「社会主義をめざすベトナム」の非常に興味深い話も聞き、実態の一端もしり、おもしろい事件にも遭遇してきました。

 フエのストリートチルドレンの「子どもの家」、ハノイでは枯れ葉剤の影響で障がいを得た子の養護施設にも行き、懇談もしてもらえました。医療、福祉の実態にも触れてきました。

 世界遺産も見てきました。ベトナム戦争の時住民が地下生活したトンネルや、17度線の非武装地帯にも行って来ました。

 後は読んでのお楽しみに。とりあえずは、ただいまの挨拶です。またブログを再開します。

活気ある市場。魚を売っている女性。

果物の宝庫。でも日本の果物も最高だと思った。

バイクがすごかった。

空港もお店も、女性の制服はアオザイ。きれい。

「子どもの家」では日本の震災支援への寄せ書きが・・

フエの世界遺産の王宮

世界遺産のハロン湾。クルーズしました。

 

 

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やりましたあ!!!!

2011年09月18日 23時44分13秒 | 活動日誌

 

 6議席、とりましたあ!!!やったあああ!!! やった!!

 これで心おきなく旅行できます!!!う・れ・し・い!!!

ばんざーい!! 原田さんのとなりでバンザイの私。

 午前中は阿部候補のブロックでお礼の電話かけをしましたが、午後は地元の原田ブロックに戻って、それでも最後は地元で活動できて、地元のみなさんとバンザイできて、本当に良かった。言うことナシ!

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訪問活動は終わりました。いよいよ明日。

2011年09月17日 22時03分22秒 | 活動日誌

ヤマボウシ 訪問先の庭で

 明日の投票箱が閉まるまでは選挙戦は終わりませんが、でも、宣伝や訪問は終わりました。

 今日も一日歩きました。良く歩いた選挙でしたね。いろんな方と組ませていただいて楽しかったし、医療生協後援会はすばらしいなとの実感です。命の絆のつながりですね。

 先進諸外国では、医療費は無料があたりまえです。アメリカをのぞいてはね。医療後援会のみなさんと、誰もが安心して医療・介護を受けられるシステムを作っていきたいものだと思いました。

 訪問の途中、2箇所だけ、A候補の街頭宣伝にお付き合いしました。演説しているまわりのお宅にチラシを配ったり、うちの中で聞いてくださっている方にご挨拶にいき話をしてきました。

 候補の最終盤の訴えには迫力がありました。市民の願いに応えるには、なんとしても当選させなければと思います。評判は上々。あと一息。

 私はずっとA候補の陣営を担当してきました。他の5人の候補の様子も聞いてはいますが、体がたくさんあるなら6人のところを駆け回りたいような選挙戦でした。6人全員の当選を願ってやみません。

 演説を聴きにできてくださった方がいました。なんとも蒸し暑い日でしたから、党支部のKさんがポカリスエットを配っています。自分のご近所の方への心使いに感心しました。わざわざ出てきてくださったことが、本当に嬉しかったのですね。私も嬉しかった。

 明日はやはりA候補の地域で、私が訪問したお宅に、この間のお礼の電話をしたいと思っています。

ブーゲンビリア

 さて、明日は当確がわかるまで気が気ではないとおもいますので、ブログに向かえるかな?そこで今日のうちにご連絡。

 明日投票箱が閉まる8時までがんばって、19日午前3時に自宅を出発し、1週間ベトナムに旅してきます。夫が中央病院から勤続30年の御祝いの休暇をいただきました。それを利用して、私も便乗してベトナムに行く計画を立てました。夫は東京の柳原病院、仙台の坂病院も含めて、民医連には35年の勤務になるのでしょうか。

 私たちは、夫が学生の時結婚したこともあって、新婚旅行はしていないのです。この際、旅行にいこうかなと。しかし、末娘が一緒ですから、「新婚旅行」とはいきませんが、もはや娘が一緒が心強く感じる年齢です。

 私たちは、ベトナム戦争反対のたたかいのまっただ中で学生時代を送りました。卒業のころがベトナムの勝利。私たちの青春はベトナム戦争。青春を感じる国です。

 「ブーゲンビリア  花さくハノイよ サイレンがなりやまぬ町よ

 命よりも尊いものを ホーおじさんはおしえてくれた」

と歌った国に行って来ます。

 ベトナムからブログの配信に努力してみます。うまくいくかな。お楽しみに。

 明日の勝利を念願して。お休みなさい。

 

 

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今日も新しい感動でした。

2011年09月16日 20時48分18秒 | 活動日誌

秀明菊 訪問先で

 毎日、医療生協後援会として集中しての一軒一軒の訪問は、行動としては実に単純なことの繰り返しです。でも、毎日、良い出会いがあるのです。人とつながってゆく活動は、楽しいものです。

 さすがに歩きくたびれて疲労感が残るようになってきましたから、「カラスの行水」の私もゆっくりめにお風呂に入って(と言ってもせいぜい15分ですね)、ストレッチ体操です。「はあ、あと一日」です。

 さて、今日であった方とのステキな話をお一つ。30代後半か40代に入ったばかりと思われる女性との出会いでした。

 挨拶をしたら、開口一番「うちの子は中央病院の小児科の検診で中野さんに見てもらいました」から始まったので、子どもの医療費や学校の耐震化の話に花が咲きました。「お金の使い方がおかしいですね。共産党がしっかりチェックしていたんですね」と。共産党が、海外旅行や政務調査費のでたらめな使い方を正した話です。

 「実は私は、おとうさんが共産党の活動をしていたKさんと高校で同級で友だちでした。自転車で通っていた道がでこぼこで危険だったので、軽い気持ちで『おとうさんに頼んで共産党でやってくれないかな』と言ったのです。そうしたら、当時の議員さんが取り上げて、本当に直ぐに直してもらえたんですよ。ビックリしました。共産党は小さな声も取り上げて実現してくれる党なんだと、その時思いました」 

 嬉しい話でした。この方は、まだ誰に投票するか決めていませんでしたが、A候補を応援するといってくれました。夫君にも話してくれるそうです。

 この地域は、たくさんのかたが立候補している激戦区、もちろんすでに決めている方もいますが、誰にするか決めかねている方もけっこういます。「決め手」で迷っているのです。震災や原発事故で政治のあり方が厳しく問われているときに、ぶれずに住民の立場に立ってがんばれる共産党の値打ちを具体的な話で知っていただくと、みなさん、胸に落ちるようなのです。「ああ、決まって良かった」との気持ちが伝わってくる方もいましたね。

白い萩もきれいですね

  さて、候補者の奥さんはけっこう大変だという話です。

 A候補の奥さんは、私が朝事務所についたときには、すでに厨房で働いています。私と一緒に訪問もするし、電話もかけるし、買い物もする。一日中暇なしです。私は昼食後「ガー!」っと寝てしまいますが、そんなこともしていられない。応援のみなさんに気遣って、クルクル働いています。それであたりまえと思われるでしょう?とってもくたびれていると思うのです。選挙が終わったら、労ってあげたいなと思います。

 

 

 

 

 

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激しい選挙戦、今日も歩いて感動の一日。

2011年09月15日 20時18分48秒 | 活動日誌

立派!!わが家のゴウヤ。数は少なかったがなったですよ。

 今回の選挙は、私はひたすら訪問に徹しています。めずらしく、街頭からの訴えはやっていません。元中央病院の職員で、夫や子どもたちも同じく中央病院で働いているので、今回ははそのつながりを生かして・・・・と、医療生協有志後援会の立場で行動しています。

 今日も「中野先生の奥さんがきてくれるなんて!先生には夫婦でお世話になっているんです。おかげさまでよくなりました」とそこから話がはずみました。

 また、こんな出会いもありました。

 「私は別に決めてません。公営掲示板を眺めて決めようかと・・・・中央病院は遠いからかかっていません」と、ちょっととりつく島がないかな、と感じた方でしたが、医療生協の組合員になられたわけをお聞きしているうち「むかし、なんという先生でしたか・・・・忘れて出てこない。ほら・・・昔の診療所の時の先生です」

 「豊永先生ですか?」

 「そうそう!!私はあの時代、豊永先生に助けていただいた。どんなに夜遅くても見てくれました。すばらしい先生でした」

 豊永先生は中央病院の前身の診療所の初代のドクターでした。私はずっと後に長野にきたので、もちろんお会いしたことはありませんが、創設当時の話ではよくよく聞いていました。

 先日亡くなった吉岡よしさんのご主人の吉岡のぼるさんが先頭に立ち、命がけで建設した民主診療所は4畳半一間のような狭い借家。そこに赴任してくださったのが豊永先生。今では、豊永先生や吉岡のぼるさんを知る人ぞ知る、です。お二人が、今の発展した中央病院を見たら、どんなに驚かれることだろう。偉大な仕事をしながら、名も残さず歴史の前進の布石になってゆく。

 私は豊永先生の話をする方に出会えて、本当に感動しました。

 「まあ、そうでしたか。豊永先生の意志を受けついで、今、中央病院の先生方はいい医療をしようとがんばっているのですよ」と、和やかにいろいろな話ができ、心が通じ合った思いでした。

 「Aさんですね。投票に行きますよ。がんばってください」とニコニコとお別れしました。嬉しかった、本当に嬉しかった。

 また、全く自覚せずに他派のM候補の自宅のまわりを訪問してしまいました。もちろん、みなさん、地元を大事にしていらっしゃいました。でも、「やっぱり共産党の議席はなくては。きっぱり言う人がいるね。決めていたけど、1票は回しますか」と言ってくださる方もいて、これも力になりました。「どちらも当選して、力を合わせましょう!」「そうですね」

訪問先で ブーゲンビリア

 激戦です。朝、事務所に行くまでに、通過する大通りで演説宣伝をしている候補者に何人も出会いました。道路をはさんで、向かい合って宣伝している光景もありました。

 公明党の女性候補は長野駅前で。「震災のボランティアにいってきた」と、その惨状に心を痛め「長野の防災を」と訴えていましたが、「備蓄米も充分、防災は進んでいる。しかし、赤ちゃんのミルクがないなどまだまだ不十分・・・それに応えるように・・・」との演説でした。

 でも、一番の防災である危険な浅川ダム建設や小学校の耐震工事の話は出て来なかった。私が通過したあと、いったのかどうか????

 長野は、小学校や保育園の耐震工事が進んでいないのに、借金してまで市民会館を造ろうとしているのです。この候補は、その推進派ですから。

 

 

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