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中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

県議会で石坂県議の代表質問の傍聴。浅川ダム、事業仕分け

2010年09月30日 15時23分14秒 | 活動日誌
                   秋のハナミズキ

 
 県議会では、今日、共産党の石坂県議の代表質問でした。阿部新知事とのはじめての論戦です。傍聴に出かけました。傍聴席はいっぱいでした。

 質問は11項目、農業支援や県立短大の4年制化など重要な質問ばかりでしたが、特に「浅川ダム」と「事業仕分け」の、県民的に高い関心を集めている質問は迫力でした。

 「いったん中断をして再検討を」との質問にたいし、知事は「浅川ダムについては『賛成』『反対』の双方の意見を聞いて知事自信が決断」「安全性はいままでの資料でまず調べる」として、安全性の再確認の作業にも消極的。

 さらに石坂県議は「安全性の確認もきちんとされていない。工事が始まったいまなお、『見直すべき』との世論が6割を超えている。いったん中断すべきではないか、中止ではなく、まず中断を」とつめました。

 しかし「中断すると、掘削途中の安全対策や現場の借地料などコストがかかる。そこまでして中断するつもりはない」との答弁です。

 「そのコストは民主主義を守るためのコスト、果てしもなくコンクリートで地滑り対策をし続けなければならず、それだけではなく災害が起きたらそれではすまない」

 結果的に「私が知事になる前に2月議会で決まったこと。住民の議論ではなく、私は私でしかるべきときに判断して、説明責任を果たす」と、あいまいな立場でした。

 また、「事業仕分けの対象は」の質問には「進行中のものは対象としない」と言うのです。浅川ダムも対象外です。

 石坂県議は、「仕分けはほんとの無駄を削ること。進行中のものはやらずに結果が出たものとは、何のための仕分けなのかわからない」と県民の暮らしを守る立場で、かなりつめた質問を続けましたが、知事の見解はずっとあいまいで、考えが良くわからなかった。

 最後に「阿部新知事には県民の期待が寄せられています。県政を進める立場でがんばっていただきたい」と締めて、質問を終えました。
 
 議会が始まってから、他派の質問は生活に密着しない空中戦ばかり、今回初めて県民の抱えている要求を取上げた論戦らしい論戦となりました。

 「知事も迷っています。是非、世論を大きくして後押ししましょう」
 控え室で、傍聴者にこのように挨拶した石坂県議に、皆さん大きな拍手でした。

 私は、いっせいの県議選挙「がんばらなくっちゃー!!」と思いました。この大切な共産党の議席、現有議席数より増やせたらどんなに力になることか!!
 浅川ダムの裁判の第2回目の公判は、11月5日です。裁判でも勝つように、やっぱり世論ですね。
 
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終日2中総の学習、討議。拡大地区委員長会議、職場支部。

2010年09月29日 21時47分47秒 | 活動日誌
  中国流のお茶を初めて呑みました。じっと葉っぱが開くのを待たなくては。熱いお湯をグラスに注いで「フーフー」とお茶っぱを吹きながら呑むのです。グラスでお茶なんて、日本ではなじめませんね。それにうまく葉っぱがよけてくれないのですよ。「喫茶店」で20元。約200円ちょっと。
 中学生のころ読んだパールバックの「大地」の主人公の王が、結婚式の時に「今日は特別の日」とお茶の葉を茶碗に散らす場面がありました。お茶の飲み方の違いを初めて知リましたが、今回、中国で初めて呑んできました。


 終日、2中総の学習と討議でした。拡大の地区委員長会議が朝から夕方まで。一息入れて、6時半からは職場支部の代表者の会議で、行われました。

 2中総に出席してきた県委員長が、一日に2回、両方の会議で1時間半にわたる報告です。県委員長は熱っぽく語る方ですから、すごいエネルギーを使っているなあと思います。だから、2中総の真髄がいっそう伝わってきました。

 「誰もが読める赤旗に、よくこんなに党の全てをさらけ出して報道した。そこに党のすごさを感じた」との感想が多かった。普通なら、弱点はみせまいと隠してもおかしくないのです。参議院選挙で後退した原因を、中央委員会自らの反省として事細かに分析していますが、その謙虚さに私も感動しました。共産党でなければできないことだと。

 そしてもう一つ、全てをさらけだせるのは、大きな視野に立っての「綱領の持つ生命力」の確信、そして党員は、必ずこの歴史的試練を乗り切って時代を切り開く、との強い信頼があるからだと思います。それが共産党、私たちには展望があります。

 2中総の真髄のひとつは、一人一人の党員を大事にし、党内でも、地域でも、人の心の結びつきを大事にすることをきっちり中心に据えたことです。だから出た方針は、形ではなく現実的で中身を大事にしたもの、おそらく各支部では、こころにわだかまっていたものがスッキリとするのではないかと、私は思いました。
 
 具体的には「有権者過半数の対話」「日報の見直し」「お礼の電話かけ」などの扱いにも、変革が行われました。

 ほんとに画期的な革命的な決議です。

 実は中国で、ある社長さんを紹介してもらいましたが、その時のガイドさんの言葉は「この方は、社長になりたくて共産党員になったのです」と。半分ジョーク、半分ほんとです。中国では党員にならないと出世できない(公務員の場合でしょうが・・・この頃は民間資本も増えていますが)と、複数の中国人から聞きました。

 私の名刺を見て「すごい!」と言うのです。県委員会の女性児童部長との肩書きですから、とても高い地位にいると誤解したのかもしれません。
 「日本では共産党員になったからと言って、中国のように『うだつ』は上がりません。出世はしませんよ。むしろ逆かな」と言ったら、若いガイドさんは驚いていました。

 私たちは4人のグループでしたが、いろんな事情で黄山ではガイドさんが3人というリッチな配置になったのです。二人は若いガイドさん。
 
 ちょうど、南宋時代の古民家を歩いていたときで、江南地方にしかないと言われる「うだつ」のある建物を見たあとでした。防火壁になる「うだつ」は、金持ちでないとつけられなかったようです。

 

これが「うだつ」です。
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熱中症対策で県教育委員会に申し入れ。入党者も迎える!

2010年09月28日 19時00分31秒 | 活動日誌
  28日、朝の続きです。


 熱中症対策で、共産党県委員会と県議団が、学校にエアコンの設置を求めて県教育委員会に申し入れを行いました。


 今年の暑さは異常でした。熱中症で亡くなる方も出たくらいです。でも学校では対策が遅れており、子どもたちは過酷な環境の中で学習するという、大変な夏となりました。

 共産党県委員会は地方議員と力を合わせて、県内の状況を調査し、それに基づいての申し入れを行ったのです。
 例えば長野市では、保健室にエアコンが入っている学校は、小学校で56校中5校、中学校は25校中1校だけでした。それも、合併前の旧町村での設置が多かったのです。

 ある学校では、PTAに呼びかけて扇風機を集めてしのいだそうです。また、ある学校では、廊下の方が涼しいと、廊下が教室代わりに。
 ベルマークを集めて扇風機の購入をしている学校、先生が自分の家から扇風機をもってきた話し、また気温の調査では、34度以上の教室が7割近くあったとの報告。

 などなど各地の学校と親の涙ぐましい努力が、つぎつぎ語られました。私も、友人の子が熱中症で倒れて、前歯を2本折り、脳波やCTを取る騒ぎになったこと、病院に付き添ってくださった保健の先生の一生懸命さと、先生がいない間、保健室に駆け込む子が出ても対応できない現場の実態を話しました。



 今年は「特別」かもしれません。でも、温暖化で来年も暑いかもしれないとの不安は誰もが持っています。来年のために今から準備しないと間に合いません。
 県立高校の全教室にエアコンをつけて欲しい。せめて保健室だけでも早急に対処して欲しいこと、小中学校も「市町村のこと」とせず、県でも応援して欲しいとの要求も出しました。

 また私たちも当然やりますが、県として国に対しても働きかけて欲しいとの要求も出しました。

 国の補助金制度で、安心、安全の学校作りのため400万円以上の事業にはその3分の1を出す制度があるのですが、「1校につき」との条件が壁になっています。せめて保険室だけでも、と思っても、エアコンは工事費混みで200万から300万円の事業になるので、400万に届かず使えません。

 融通の利かない制度です。下限の額を下げて欲しいとの要求は、全国から出ているとの教育委員会の話しでした。

 教育委員会は、「重々承知しているが、予算が・・・しかし見過ごせません」と板挟みで苦しそうでした。阿部知事も子どものことは最優先といているのですから、捻出して欲しいものです。

 「100年に1度しかないと言われる浅川のダムにはすぐに対処し、現実に起きていることには対処できないのはおかしい」と、県教委にもがんばって欲しいとのメッセージを送ってきました。

 この地球の異常状態に、日本はCO2の削減のために真剣になるべきです。私は地球の生命維持装置の破壊が進むことに、この問題を通しても非常に恐ろしくなってきました。

 さて、夕方、支部の方と訪問。新しい仲間を迎えました。参議院選挙の時夫が街頭宣伝をしていたら、それをバスから見つけて降りてきて一緒に行動してくれたと言う方です。
 2中総のあと初の入党者をお迎えし、うれしかった!!
 
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第二回中央委員会総会の決定を読む。

2010年09月28日 08時58分28秒 | 活動日誌

 昨日は、第二回中央委員会総会の決定が赤旗に報道されたので、早速読みました。
私が中国にいる間に、仲間のみなさんはCSを通して見ていますから、遅れを取ってはならないと、集中して全文を読みました。

 もうひとつは、「中央は参議院選挙をどう総括するのかな」と早く読みたい気持がありましたから、一気に読みきりました。

 現場の声をここまで聞いての中央委員会の微にいり細にいりの細やかな総括と大胆な方針に、私は心打たれました。ほんとに「やらなくっちゃ!」と気概が湧いてきました。

 それで、昨日はその感想をブログにたくさん書いたのですが、なんと、またもや「パッ」と消えたのです。あああああ・・・・夜遅くに一生懸命感動をしたためたのに・・・・!!

 と言うわけで、まずは昨日の報告を朝のうちに。ではまたあとで。
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ただいま帰りました。

2010年09月27日 00時05分24秒 | 活動日誌
 ただいま帰りました。
 
 中国では、一人っ子政策のこの頃のこととか、医療制度や年金制度など、くらしの様子もかいま知ることができました。
 例えば、一人っ子政策では(時限立法で)30年の期限が来ているのですが、それは延長され、しかし緩和政策として、一人っ子同士が結婚する年齢になってきているので、一人っ子同士の結婚では2人まで許されているそうです。
 でも、今回お付き合いしたガイドさん3人は、みんな「一人でいい」と。やはり学費の高さと住宅の支払いの高さに圧迫されているようです。
 
 人口は13億3千万人。でも15億万人以上はいるかも・・・・・と。都会では一人っ子政策は徹底しているが、農村部では緩やかなそうです。しかし、戸籍は??ない! その矛盾。
 
 激しく発展している反面、苦労している面もある。私は、もっともっと中国の国造りの過程を知りたい思いでいっぱいでした。新しい国作りは、国民の幸せを阻む矛盾を乗り越える仕事です。

 しかし、旅行中心配だったのは尖閣諸島の問題でした。みなさんにはご心配をおかけしました。「行くな」とも言われたし「無事か」との連絡も入りました。

 上海のテレビでは、NHK放送があって一定のニュースを聞くことができましたが、日本の状況が詳しく分からず、不安がありました。あとは携帯ニュース。
 今日、東京で早速新聞を読み、帰宅して新聞を広げようとしているところです。

 全体としては、何もなく、穏やかに過ごすことができましたが、しかし、食事をしているときなど、となりの人が話していることはその問題だったんだそうです。言葉が分かりませんから・・。

 その件については多くの方と話したたわけではありませんので、中国の方がどう考えているのか、よくは分かりませんが、しかし、かなりの知識人の方でも、日本との友好を求めるからこそ「日本は船長を逮捕するなど、なぜ中国を刺激するのか」と、そして釈放したあとも「日本の法律で押しつけてくるのはおかしい」と怒りを現しているかたもいました。

 私は、「事件の事実の説明と、領土問題についても事実に基づいて冷静に話し合って解決すべきだと思います。せっかく築いてきた友好を損ねてはいけない」との意見を言いました。
 私は、日本ももちろん、中国にも冷静になってもらう必要があると思います。

 「冷静に話し合う」ことでは誰でも一致できることですから、中国の行動は日本国民を大きく刺激し、溝を深くしかねないことを、中国の方にも分かっていただきたいのです。
 そして、尖閣諸島は歴史的にも国際法的にも認められる日本の領土であることを国際的に明らかにすることが、このような問題を起こさない根本的な解決法だと思っています。どこの領土なのか、その歴史的経過が両国民に理解されていない、そこが問題なのではないでしょうか。

 写真を見てください。日本のルーツを探る中国の文化に触れて、心から仲良くしてゆきたいと、こんなに深く思ったことはありません。
 6年前、初めて中国「満州」を訪れて侵略の歴史を実感し、今度は南京虐殺記念館。

 尖閣諸島の問題はそれはそれで解決をしなければ。でも、私は全ての問題の根っこに、日本が過去の戦争を反省しないどころか美化する動きがあることが、日本への信頼を失う根本的な問題だと思っています。


世界遺産の黄山です。自然の摂理の前にたじろぐではありませんか。


南宋時代の古民家です。集落がそのまま残っていて、人が生活していました。別なところに、唐時代の民家も残っていて、千年の歴史の家に住んでいる生活に驚きを禁じ得ませんでした。保存のために、住んでくれれば補助金を出すという、一部日本でもやっている制度があるそうです。


素朴な農業が行われていました。


黄山の商店街、老街です。シャッターはどこも降りていませんでしたよ。

 こうして、人民がつくってきた歴史の上に今があるのではありませんか。友好へと向かう努力をしましょう。

 第2階中央委員会決定は赤旗新聞ではまだ報道されていなかったので、明日かな。早く読んで、仕事に復帰です。


 
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南京へ

2010年09月23日 22時39分13秒 | 活動日誌

 

 上海から新幹線で南京に行きました。南京は緑ゆたかな街でした。プラタナスの並木が圧倒的に多いのは、蒋介石の夫人の宗美麗が好んだからだそうです。人口800万人の2人に1本の割合であるとのこと。

 蒋介石も、南京に都を置いた時期がありました。

 

 枝を大きく張るように剪定が行われているのは、「中国のボイラー」といわれるほど暑い南京の暑さ対策なのです。見事なところは、道は緑のトンネルでした。

 ガイドさんに住宅事情をお聞きしたら、中国で今、国民の一番の不満は住宅問題だそうです。

 給料は、上海で暮らすにはせめて月1万元はほしいと。しかし、きちんとした仕事がない上に、マンション代が1へーベーで安くても4~5万元!! 「親のすねをかじらないと暮らせない。公営の住宅対策はまったく追いつかない」そうです。

 教育費と住宅費が重くのしかかっているのは、日本と同じです。

 また、困っているもうひとつは車の渋滞と駐車場問題。1日400台以上増え続けていて、駐車場は追いつかない。おじいさん、おばさんが子どもが会えって来るとなると、、いすを持って場所取りに座るのだそうです。

 街も車の生みで、例によって、規則は「勇気!」。信号はお構いなしで、人も車もバイクも自転車も入り乱れていました。日本人は怖くて運転できないと思いますね。クラクションはなりっぱなしです。

 

 今日はたくさん見学しましたが、少しだけ紹介します。

 今日見学した一番のところは「南京大虐殺記念館」

 「私たちは『虐殺』ではなく『』だと思っていますが、見学してどうおもわれるでしょうか」とガイドさん。日本人として胸が痛みました。殺された数、30万人と推定されています。

 当時の日本の新聞画大写しで展示されており、そこには「100人切り」を争って競争させたニュースがありました。「○○将校80人目!」と、負けないでもっと殺せ、との記事です。

 当時、大虐殺に参加した軍人の証言は衝撃的で、娘の言葉を借りれば「これを中国の人が聞いたら、なんと思うだろう・・・」この歴史を深く反省せずして、中国やアジアとの本当の友好関係は作れないのは周知の事実です。

 隣の遺骨館には、発掘された遺骨がそのままの状態で痛々しく横たわっていました。

 2007年に増改築され、大変広く資料の豊富な記念館になっていて、とても簡単にまわりきれませんでした。資料を買ってきました。

 

 ここは明の時代につ作られた、世界最大級の城壁です。また、日本軍が南京を占領したときに、もっとも激しく戦闘が行われた場所、日本軍によってかなり破壊されましたが、今修復が進んでいます。

 

 れんがは、規格を厳しく定めて、税金として全国に焼くように押し付けたのです。これは」れん画に刻まれた責任者の氏名と住所。不良品や納期が遅れたときには。容赦なく責任者の首が飛んだのでしょう。

 万里の長城と同じです。

 

 入り口で。

屋台の飴やのあじさんの芸術作品です。手先ひとつで作っています。

 もっとたくさん知らせたいけど、またにします。明日は、黄山です。車が入れないので、リュックで歩いていきます。ホテルは山のなか。それでインターネットはないそうです。

 黄山は2千メートルくらいあるのかな。大丈夫一定のところまでは、ロープウエイでいきます。

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上海で。リニア、尖閣諸島、魯迅、豫園、万博。

2010年09月22日 23時06分32秒 | 活動日誌
 昼ごろ上海に着きました。
 パソコンは使えました。新しいパソコンなので写真のアップに苦労しましたが、何とか配信できそうです。

 上海は人口2200万、中国で2番目に大きい都市、一番は重慶で3500万人、規模に驚きます。

 まず、最初の事件が、同行したMさんの持参のりんご3個が、セキュリティにひっかっかて没収されたことです。
 出国でのチェックでは通過したのに、それに「この前来た時は大丈夫だったのに・・・」とMさん。ありつけたかもしれない私も残念。厳しくなっているのですかね。

 浦東空港から中心地に向かう途中、あっという間に過ぎ去ったリニア新幹線。
 ガイドの曹産にお聞きすると「杭州までの計画の準備はできているのですが、沿線住民のすごい反対にあって頓挫しています。たぶん、実施はできないでしょう」
 「理由は?」
 「技術的にも、人の体にも安心安全の保障がないからです。お金もかかります」

 長野でもリニアが問題になっていますから、参考になる話を聞きました。帰りにまた上海に戻りますので、余裕があったらリニアに乗ってみようと思っています。たった8分だけということでした。

 浦東のはもともと農村地帯だったそうですが、この30年で「中国のマンハッタン」と変貌したそうです。「ここが農村だったなんて・・」と思うほど、まさに「マンハッタン」でした。

 途中で、万博のために壊された古い民家の、まだ残っている一角が見えました。新生の街とあまりにもアンバランス、格差の実態だと思いました。

 バンドは、南京条約よって発展した街だけに、外国に占領されたことによる異国情緒のある美しい街でした。

 


右のほうにかすかに見える穴の開いた細長いビルが、モリビルです。

 しかし、ガーデンブリッジを中国では「外白渡橋」と呼んでいるのです。つまり、外人は無料ということ。橋をわたると外国人居留地で、中国人は入れませんでした。
 そばの公園には「中国人と犬は入るべからず」との立て札があったそうです。

 バンドから魯迅の記念館へ。
 そこで驚いたことは、小林多喜二が虐殺されたときに、魯迅が「同志小林の死を聞いて」との弔文を書いていたことです。それが展示されていました。

 



 また、記念館は中国の子どもたちの「教育の基地」になっていて、たくさんの子どもが先生と学習に来ていました。
 そのひとつの集団と仲良しになって、同行したKさんが「この人は魯迅先生のいた仙台で生まれたんだよ。この人のだんなさんは、魯迅が学んだ今の東北大学をでて医者をしています」といったら、声をそろえて「オー」と言っていました。
 みんなで記念写真を撮りました。付き添いの先生が撮ってくれました。

 
 明の時代の庭園、豫園はすばらしいものでした。大変広大な広さで、一日かかっても全部見るなんてできないかも。世界遺産にしてもおかしくない。
 「親孝行のためにこれだけのものを作るだけの力があるなんて」
 「役人は『そでの下』ですよ」と曹さん。

 最後は上海万博に行きました。夜の部で入場して、入場料は90元、約千円です。ここでのセキュリティは大変厳しいものでした。身体検査もされました。

 とにかく広かった。そして、疲れた。
 
 7千万人の入場者を目指して、世界一になろうとがんばっているとのこと。
「現在5千万人入りました。10月末までに7千万にしたい。公務員?それは参加は任務ですよ」と曹さんはいいました。

 

 さて、上海に到着して曹さんとであい、挨拶を交わしてまもなく質問されたのが、「尖閣諸島問題」でした。
 「どう考えますか」
 「平和的に解決しなければと思っています」
 「本当にそうです。このまま対峙していては大変なことになる。船長を帰せばいいのです。菅さんは、再選されて目だちたいことをしたいと思ってやっているのですか」
 「いや、そういうことではないと思います。船長を帰せば解決することでもないようですね」とできるだけ軽く交わしましたが、中国の人の考えの一端をのぞいた思いです。

 そうそう昨日まで上海は35度だったそうです。今日は10度も低く25度、小雨で過ごしやすく助かりました。

 
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朝宣伝、地区の常任委員会。明日、中国へ。

2010年09月21日 17時09分38秒 | 活動日誌
 朝宣伝は女性3人組み、和田県議、野々村市議、死して私。和田県議は米の暴落と農家を守る対策について、野々村市議は学校のクーラーの設置について訴えました。

         
 
 私は、国民が政治を動かしているとして、沖縄のいっせい選挙の勝利、淺川ダムでは阿部知事も反対派の意見を聴く会を設けざるを得なくなって、世論しだいで流動的になっていること、安部知事にいったん中止を決断させる世論を作ろうと話ました。

 いずれの問題も、アメリカべったり、財界言いなりの政治を根本から正すことが大事です。真正面から立ち向かっていかなくては、暮らしを守ることができません。その世論が今さまざまな分野で、大きくなってきています。

 赤旗新聞では、福井大学の学長自らが、「大学をまもろう」を宣伝の先頭に立ってマイクを握っているニュースです。国立大学の予算が10パーセントもカットされようとしていることへの講義です。
 学長自ら、すごいことですね。学生はどんなに励まされていることでしょう。

 午前中は長水地区の常任委員会に出席しました。

 そこでも、農村地帯である飯綱町議の渡辺議員から、米価の暴落の深刻さが報告されました。

 飯綱町の収入総額は150億円、そのうち給与収入が115億円、農業収入はなんと8千万円にすぎないというのです。これが農村の実態です。
 
 菅新内閣は、アメリカと財界にたいして、はっきり追随する態度になってきました。いっせい地方選挙は、国の動向をみても共産党の躍進が重要になっています。

 さて、今東京のホテルです。
 明日の早朝の出発で、中国へ行ってきます。

 3年前からの計画でしたが、いっせいまでの間隙を縫って計画実行することにしました。
 目的のひとつは南京大虐殺記念館と魯迅、末娘と友人と4人の旅です。

 パソコンは持参したので、インターネット状況がよくわかりませんが、ブログの配信をがんばってみようと思います。

 おりしも2中総と重なってしまったことがまずい。帰ってきたら、がんばります。かんべんね!!
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スペシャルオリンピックスの全県講演会実行委員会。訪問活動。

2010年09月20日 23時04分43秒 | 活動日誌

 「信州赤旗秋祭り」の準備が進んでいます。私は正面舞台の段取りの係になっていますが、初めてのことで良く分かりません。今日も、教えてもらいながらの頼りにならないような仕事ぶりだったのですが、ま、何とかやりましょう。

 午後はスペシャルオリンピックスの会議に出て、夕方からはN支部のみなさんと、訪問活動でした。党員だけではなく後援会員のNさんもご一緒していただき、巾が広がって、おおらかな気持ちで行動できました。

 午後はスペシャルオリンピックスの全県各地での講演会開催の、第1回目の実行委員会でした。発達障害の理解を深めるために、スペシャルオリンピックスのボランティアやコーチをはじめとして、関心のある方に広く呼びかけて理解を深めたい、との構想です。県から補助金をもらっての取り組みです。

 まずは年内3回、長野市、軽井沢市、塩尻市でやってみて、総括しながら前へ進もうと言うことになりました。
 少々、進め方が早すぎるかな・・・との思いもありましたが、スペシャルオリンピックス長野では、関係者とネットワークができずに3年も待ったこと、一気に雰囲気をつくりたいことなどあって、やろうということになりました。
 

 第1回目の長野市での講演会は10月16日の午後、会場は「トイーゴ」です。ここの講師は私と、東京でライフカウンセラーをしている伊藤祐貴子さんの2人で勤めることになりました。

 私にとっては、久しぶりにまとまった発達の話しをすることになります。合間を見ては準備しているのですが、緊張ものですね。だけど、語りたいとの思いもつもってきています。
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80才になった党員を訪ね、敬老のお祝い。母も・・・。

2010年09月19日 19時48分47秒 | 活動日誌

 

 

空も田んぼも秋  阿部事務所から

  午前中は地域の訪問、県議選のお願いやら赤旗の紹介やらで、阿部市会議員と歩きました。  

 午後はやはり阿部市会議員と、和田県会議員も加わって3人で、阿部市会議員の地域の80才になられた党員を訪問、県委員会からのプレゼントをもってお祝いに参じました。阿部地域には7人の「お祝い」の仲間がいました。 プレゼントは、森谷明仙さんの額縁入りの書です。  

 80才だけど、みなさんとてもそうは見えません。10才若く言っても通用してしまいます。       

農業一筋のKさん、とても若々しい。左が和田県会議員。

 Kさんは、この頃、長野市で60年安保展が行われた会場で、経験談を話してきたとのことです。お蚕さんの仕事をほったらかして列車に飛び乗って東京に行った「職場放棄」の話しもありました。

 当時のことを細々と語ってくださいました。その気迫のこもった、先輩の不屈なたたかいの歴史は、ちゃんとうけつがれています。沖縄のいっせい選挙の勝利が証明しています。

 私も、沖縄はじめ日本から米軍基地をなくし、安保条約の廃棄をめざしてがんばろうと思いました。

  子どもの保育一筋のYさんは、「頭をたれてはいられない」と、階段をとんとんと1段抜きで登ってゆく元気さです。子どもの話を生き生きと語ってくれる、まだまだ現役です。

 7人の先輩がそれぞれ、たたかいの歴史を語ってくれました。そして、御祝いの訪問を喜んでいただけました。ますますお元気で長生きしていただき、私たち「青年部」を叱咤激励していただきたいと思います。

田んぼに咲いていた。見事な交互性の葉。名は知らず。

 

 宮城県の東部地区委員会の小野寺地区委員長から電話がありました。

 「お母さん、90才だね。施設にお祝いに行っても大丈夫かなあ」との嬉しい問い合わせでした。母はどんなに喜ぶことでしょう。心から感謝の気持ちでいっぱいになりました。お心使いが、うれしくてなりません。

 参議院選挙の時の演説で、私は、母を思いながら訴えました。

 「母は90になります。私は、忙しい忙しいで、親孝行らしいことは少しもしてこれなかった。母は、この年代の方と同じように、戦争ををくぐり抜け、戦後は貧しさとたたかって私たちを育ててくれた。苦労の連続だった。今の日本を支えてきてくれた先輩を大事にするのはあたりまえ。だから、母が生きているうちに、後期高齢者医療制度を廃止して、心配なく病院に行けるように医療費は無料にしたい。それが私にできるせめてもの親孝行なんです」、そう演説して歩きましたが、今も同じ気持ちです。

 長寿は喜ぶべきこと、誰もが心から喜び合えるような、あたりまえの政治にしましょうよ。80才のYさんが言ったように「頭をたれているときではない」!!

 

 

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