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中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

長野市内で活動しました。「ええ、もちろん入党します」

2008年07月31日 21時25分32秒 | 活動日誌
 
 今日で7月は終わりですね。月末は党勢の確認をする日です。

 正確には、明日8月1日の午前中で〆るのですが、党が大きくならないと、国民の皆さんの命を守れない。だから、どのくらい大きくできたか、確認しなければ。

 で、月末は移動時間の節約もあって、一区内で活動するようになります。できるだけ大きくして〆たいから。

 今日は一日長野市、午前中は中心市街地で、午後は南の中山間地へ行きました。それぞれ小林市会議員、宮崎市会議員、支部の皆さんとご一緒でした。


おいしそうなトマト畑

 中山間地にお住まいの皆さんは、地方や農業切捨て、弱いものいじめの政治に、怒りをどう表現したらいいかわからないところまでいらだっていました。

 「人には会わないが狸と狐にはよく会うになってしまった。狸が4匹子どもを産んで、玄関の前でウンチをしてゆく」

 実際、狸を見て、蛇も見ました。

 「隣の夫婦もなくなって、荒屋敷になった。この辺ではうちだけが残ってしまった」
 
 「息子は帰ってこないし、もう終わり。だれが私らのめんどう見てくれるのか」

 「政治は、この地域をじじ捨て、ばばすて山にして、災害を起きるようにしてきただけじゃないか。畑が荒れて雑草だらけになると、水は土に浸み込まないで、上を流れてゆくんだよ」

 ああ、そうなんだ、草だらけにしても保水力がなくなるんだ。初めて知りました。


 市の補助を受けて作っているひまわり畑。政治が太陽の花にならなければ・・。

 そして「私は選挙は行かない。だれがやったって同じだ。みんな勝手なことばかりして、もう、どうでもいい。あがいてもどうにもならない。
 共産党だって何もできないじゃないか。共産党は何やってるんだ。一体、がんばってるんか!共産党だって、影で何をやってるか、わかったもんじゃない」

 でも、その方に「後期高齢者医療制度廃止」の署名をお願いしたら、「こんなひどいこと、よく考えるもんだ」と署名してくださいました。

 お叱りも受け、誤解もありなましたが、入党のお誘いに説明も聞かず「ええ、もちろん入党します。このままではいけない」となんの迷いなく入ってくださった方がいました。

 「こんなひどい政治はない。私はずっと共産党を応援してきました。一緒にやります」

 「ええ、もちろん入党します」の言葉に、政治革新の展望を実感しました。

 

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草と格闘・青年の入党!映画「ポニョ」

2008年07月30日 21時01分37秒 | 活動日誌
                          空き地の月見草   


 オフでした。

 朝から庭の草と格闘しました。前回せっかくきれいにした庭も、こう雨が降って照ってくれれば草は再び息を吹き返すというもの。

 9時にいったん草取りはやめて、原田市会議員と一緒に入党のお誘いに行きました。残念ながら相手方が忙しかったため「考えておきます」と、またの機会にとなりました。

 しかし、S君から青年の仲間をお迎えできたとの連絡。「やったー!!」

 実は26日に飯綱町に行ったとき、車の運転をしてくれているブロック事務所のS君の友人と偶然出会いました。S君と同じ、30代の青年です。
 
 お初にお目にかかる方だったので、ご挨拶をしながら伊藤議員とS君、私と4人で立ち話しとなりました。
 
 「ガソリンが上がってこまる。不景気で仕事が減った。」などと話しがはずみました。

 聞けば、彼と一緒に住んでいるご両親は赤旗を読んでくださっているとのこと。

 「では、なおのことお願いしなくては」との入党のお誘いをして共産党のことを話しました。
 「考えておきます」とまじめなお返事を受け「今月中にまたお話しを」と約束しました。今日アポがとれ、S君と県委員会青年担当の片所君とでお話しに行ったというわけです。

 で、昨日はS君と「S君は彼をお誘いして、私は原田さんとお誘いしてくるからね。両方で入ってくれたらうれしいね」と話し合っていたのですね。
 
 その彼が入ってくれたのですから、こちらは残念でしたが、最高にうれしいことでした。やったねS君「友達もっといるよね・・・!!」なあんて言ったりして!!

                  

 さて、原田さんと別れて自宅に帰ってから午前中いっぱい、草と格闘しました。                
 目で残りが見えますから、全部やらないと気がすまなくなる。しかも、今日は雨の後だから、労少なく益の多い労働になる日、グッドタイミングの休日です。

 完全防備体制でも蚊に刺された。しかも、仲良くズボンの上からお尻の両ほっぺたにです。失礼なこと! 
 
 庭は見事にきれいになりました。満足満足。何度眺めても飽きることがない。自己満足で悦に入りました。

 自分へのご褒美に、映画を見に行きました。宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」です。「いやああ、そうだった、夏休みなんだ!」 小さい子どもがいないから自覚がなかった。映画館は子どもで一杯でした。

 「ポニョ」良かったですよ。宮崎駿の作品の中でも、気負いのない自然体の作品かなあ、なんて思いました。
 
 ポニョとソウスケを通して、人間と自然が前向きにマッチしようとしている信頼を感じる作品でした。

 海の中のファンタジックな世界、見ているだけで楽しい。子どもに安心映画です。

 「あー、中野さん、しばらく。家族で来てるんです。夏休みで子どもたちに大奮発しちゃった」と数人に声をかけられました。

 そうだよね、家族で観るとなるとおやつ代も入れて、簡単に一万円位の出費になりってしまいますよね。
 
 

 
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安曇野市と松本市・入党者を迎える・雇用促進住宅を訪問、住民の皆さんの声を聞く

2008年07月29日 21時02分28秒 | 活動日誌
                  まだ開かない昼顔   うちの隣の空き地で



 午前中は安曇野市で草深議員と訪問活動でした。

 午後は松本へ移動して、沢田議員と訪問活動をした後、岸野2区予定候補も加わって、松本市内にある雇用促進住宅を訪問し、住民の皆さんお声をお聞きしました。

 訪問では演説会に参加してくださった女性が入党してくださり(あー、うれしい)、赤旗も読んでくださる方も増えて暑さも吹き飛びました。最高の清涼剤ですよ!

 総選挙はいつになるか、予測がつきませんが、「年内には絶対ある。公明党がそうさせるに違いないと私は見ている。都議選と一緒にはしまい」と力説する方もいらっしゃいました。「早くやって、やっつけてくれ。あきれるよ、共産党伸びなけりゃ」と。

 「早く解散」は圧倒的多数のみなさんの願いになっています。

 いずれにしても皆さん、解散もできない福田首相への信頼度はほとんどなしでした。

 岸野2区候補とも話したのですが「この頃は『くらしが大変ですね』ではなく『生きてゆくのが大変ですね』になってしまっている」のです。


安曇野市議の草深さんと

 午後の雇用促進住宅訪問では、住民の皆さんの途方にくれた「何とかしてほしい」との切実な声が寄せられました。

 厚生労働省が突然、雇用促進住宅の再契約や更新の中止を打ち出し、住宅を廃止または民間に譲渡すると一方的に決めてきました。全国的な大問題になっています。

 何の説明もなく、名前ではなく部屋の番号を宛名にした一通の通告だけで追い出すという、またく失礼なやり方、一方的な不当な決定です。

 雇用促進住宅は家賃も安く、母子家庭の方や、収入の少ない外国人、お年寄りが多く住んでいます。


沢田市会議員、ノッポの岸野君と私。怒りを聞く。ノッポの岸野君とは久しぶりに一緒の行動でした。

 「途方にくれている。市営住宅にも県営住宅もなかなかあたらないのに、こんな急ではなお入れない。大体、優先してくれない。一般と同じ募集と言う」

 「仕事もない。収入がない。今でさえ支払いが滞ってるんだ。どうしようもない」

 「代わりの住宅を斡旋してくれるわけでもない。紹介もしてくれない。大体金銭的に、ここより安いところはないから、ほかで暮らせるわけがない」

 「共産党しかまじめに考えてくれない。何とかしてほしい」との切実な訴えです。

 「ひとりひとり、追い出されてはどうにもできない。まとまれば力になるかもしれないが・・」ほんと、「蟹工船」のように、最近の漁業組合のように!!

 問題は深刻です。ホームレスになれと言うのでしょうか。わたり廊下で遊ぶ子どもの姿が痛々しかった。子どもも巻き添えにすることは許しがたい。

 年金から搾り取り、仕事も奪い、物価高を放置し、寝場所まで奪う。よくもこんなことができるものだ。


訪問を終えて

 8月4日には山口のりひささんと各地域の党の代表で、国会交渉をしてきます。

 一方的な譲渡、廃止は中止せよ。強行は許さない、住民に説明と納得のいく話し合いをとの内容です。

 私も、岸野2区候補も同行します。住民の皆さんの怒りをぶつけてきます。

 
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常任委員会・デスクワーク・「教えるとはともに希望を・・」

2008年07月28日 21時26分28秒 | 活動日誌
              赤倉で  ヤブカンゾウ
 

 定例の常任委員会で、一週間ぶりに県委員会に「出勤」しました。

 今朝はやけに涼しかったので体は楽でしたが、富山、金沢の大雨の被害をテレビで見て、天気は急変するしすぐに災害が起きてしまうし、地球の異常を考えざるをえませんでした。

 会議の後はデスクワークでした。細かいことをもろもろ。

 あらためて、改悪された教育基本法のもとに策定された「教育振興基本計画」や、この3月に改定(悪)された新学習指導要領にも目を通しました。

 総則では、小学校、中学校ともに道徳教育の押し付けです。それが全教科に貫かれています。

 「伝統と文化」はそれ自体否定するものではありませんが、戦前や戦中の社会、政治体制への強い傾斜を望むためのものであり、自由と民主主義を建設し、平和を守っててきた「伝統と文化」はないがしろにされています。

 教科の中身も、発達段階を無視した非科学的でわかりにくい、競争と詰め込み教育がいっそう激しくなっています。

 例えば、「角」そのものを学ばないうちに小学校2年生で「直角三角形」を教えるなど・・・・。難しいものを低学年に下ろしています。「わかる子」には、指導要領の枠を超えてどんどん教えていいと。

                 
 
 子どもたちの苦悩の声が聞こえてくるようです。「どの子も限りなく発達する」と言う立場にはまったく立っていません。

 大体、再び戦争を起こそうとする人たちが考えることは、「役に立つかどうか」だけ、企業戦士として企業のもうけのために役に立つか、戦争では兵隊として役に立つかどうか。物扱いです。

 弱い障がい者は一番、迫害される。

 中央教育審議会にいた三浦朱門氏は言いました。「人間はうまれながらにして能力は決まっている。天才、秀才、凡才、非才、無才・・・・自分の能力に合わせてそれなりに生きてゆけばよい」と。文科省にはこの考えが根底にあります。

 そして学問の府である大学は、国立も独立法人に変えられ、企業の利益につながる研究でなければ予算をつけない仕組みになりました。

 これでは、科学は発展しません。ノーベル賞を受けた小柴先生も嘆いていましたね。

 教育の目的は「人格の完成」にあるのです。子どもも先生も、そして大学の先生も、自由に勉強、研究できなくっちゃ。

 「教えるとは共に希望を語ること。 学ぶとは誠実を胸に刻むこと」アラゴンのこの詩は、教育の原点を見事に語っていると思います。

 子どもたちを守るために政治を変えなければと、私はそのために仕事をやめて共産党の専従の道を選んだんだと、原点を確認したことです。

 教育でも、日本ほど異常な国はないでしょうね。

 さて、事務所の皆さんと「朝ズバ」のビデオを見ました。「朝ズバ」中央委員会訪問です。

 笑えましたし、なかなか良かった。「政党助成金をもらわないのはたいしたものだ。ほかの党も自力で・・」とズバッと言っており、小気味よかたあ。

 明日は松本方面です。
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中野市へ・急ごしらえの「つどい」では政治状況がリアル・3人の新しい仲間!

2008年07月27日 22時31分35秒 | 活動日誌
               ひまわり    元気の花   赤倉で


 中野市で青木市会議員と支部の皆さんと行動しました。新入党者を3人お迎えし、4人の方に赤旗読者になっていただきました。

 9月7日の小池あきら参議院議員を招いての演説会のお誘いも、一生懸命しました。中野市で1千人を集めるなんて、今までやったことのないこと。未踏の地を開拓する努力が行なわれています。

 暑かったけれど、昨日の地獄のような暑さと比べれば、風があって楽でした。

 しかも、今日は昼休みはしっかりとって、青木市会議員のお宅の冷房を効かせていただいた部屋でよーく寝ました。気持ちよかった。


訪問先のラズベリー

 訪問の先々で「上がっていって」と誘われて、どこでも長話になりました。政治談議がしたくて皆さん、ウズウズしています。話し出したらとまらない。

 あるお店では座り込んでの話になって、やってきたお客さんをまじえて、急ごしらえの「つどい」です。

 お店のご主人は「中野さんのだんなも知事選に出たよね。あの時も入れたんだよ。消費税反対を公約にしてたから」と、なつかしい話をしながら、「消費税増税は大反対だ。だが財源がないのだから、ガソリン税はもっと上げたほうがいいと思う。世界では日本は安いほうではないか」と。

「中野さん、よくがんばっていますねえ」と開口一番言ってくれた初対面のおじさん。「私はさんざん、自民党をやってきました。でも、もう、こんりんざいやめた。国会議員の世襲はおかしい。苦労した人が議員になるべきだ」

 「今度は共産党を応援してくださいます?」

 「いや、それはだめだ。私は今度は民主党だ。一度やらせてみたらどうだ。しかし、共産党はたいしたもんだ。ところで、明日はここで共産党のあつまり(つどい)があるんだって? 9月には小池さんも来るんだね、小池さんの話はいい」

 またあるお店では、家族も出てきてくださっての「つどい」

 「政治家の汚職は犯罪。徹底的に調べるべき。犯罪者が政治を取っている、異常です。庶民の苦しみがわかるのか!テレビでイライラです」

 急ごしらえの「つどい」は、国民の思いをリアルに語ってくれるものですね。

 たくさん訪問しましたが、この中で3人が入党して下さった。

 「弱いものを助けて。共産党にしかできない。え? 私は共産党員のつもり、これ以上党員になるって、どういうこと?」というかたもいました。あらためてしっかりお話しして、赤旗も読んでいただくことになりました。

 お誘いが遅かったのか、だれもが入りたくなる情勢になったのか、どちらもですね。


久ぶりに夕焼け 自宅から

 さて、昨日は私たち夫婦の33回目の結婚記念日だったのです。とんと忘れていた・・・・ よく思い出しました! 
 
 思い出したのは、結婚記念日が23年前に私たちも被災者となった、地附山地すべり災害の日と同じだったからです。
 このごろの岩手・宮城の災害を考えていたら、思い出しました。夫も忘れていたようです。
 
 33年といえば、今までの人生の半分以上です。結婚したのは、まるで昨日のことのようですが。

 
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信濃町でつどい、飯綱町で懇談、訪問。3人の感動的な入党!

2008年07月26日 19時44分13秒 | 活動日誌
  赤倉でスケッチ   アカソの葉にせみの抜け殻   
一度、脱皮を見たことがあります。神秘的な美しさに目を離すことができませんでした。



 午前中は信濃町の中村議員のお宅でつどいがありました。信濃町では来年3月に町会議員選挙です。定数が2減で14になり、共産党は現有議席3を確保しようとしています。




中村議員と私  後期高齢者医療、年金問題で盛り上がった

 今日は13人集まって、党関係者以外が10人のつどいでした。
 中村議員宅でつどいを開くのは2回目、前回は山口のりひささんが参加。2回続けて参加してくださった方が、2人、入党しました。

 午後は飯綱町へ移動して、前半は伊藤議員と支部のNさんと、後半は渡辺議員と行動して、ここでもお一人の入党者を迎えました。

 3人が3人とも、感動の入党でした。

 お一人は、Nさん、つどいの後話しかけたら、Nさん物語が始まりました。

 元は保守のゴリゴリの方で、中村議員とも意見が合わなかったとのこと。職場では自民党の票読みまで強制的にやらされていたそうです。
 
 しかし、赤旗を読むようになって、だんだん変わってきたとのこと、はじめは何が書いてあるかよくわからなかったけれど、だんだん、自分のきもちにぴったりだと「今ではじっくり隅から隅まで読んでいます」

 中村議員の応援をするようになった最初は、ビラをまくとき「手ぬぐいでほうかむりしてやった」

 だが「国政選挙を応援しようという気持ちにはまだなれなかった」
「しかしこの頃は、いじめの政治、あんまりだ。国政を変えなければだめだ、共産党を大きくしなければ。何か自分にできることをしたい」と考えるようになったそうです。

 入党のお誘いに、はじめはびっくりした様子で躊躇もしておられました。「できることが入党とは・・」といった感じでした。

 「党費はいくらかね。入れば自民党のように強制するのではないか」との心配もされていました。

 しかし、説明を聞いて「よし、一緒にやろう」と決意してくださったら、なんと晴れ晴れしたお顔、そのふっ切れた笑顔に、ジーンときてしまった。

 この一瞬の感動は、たとえようもありません。一肌脱ぐ、すばらしい人生の出発ですから。

「どのくらいできるかわからないが、自分のできるだけはやる」と握手!!

 「まさか、入ってくれるようになるとは!!考えても見なかった。本当にうれしい、いやあ、うれしい!!」と中村議員はまん丸の顔をいっそう丸く、目も丸くしての喜びようです。

 つどいの後、お二人を訪問し、そのあとそば屋さんで昼食。

 いただきながら「ね、中村さん、つどいにいたKさんのところにも行ってみない?」「え、休まなくいいの」「いいのいいの、鉄は熱いうちに、あんころ餅も暖かいうちに、だよ!」

 そば屋さんからKさん宅へ直行。
 Kさんは「そうだそうだ、仲間が大事だ。私でいいの?もう賞味期限が切れてるおばさんだよ」
「何をおっしゃいますか!」
 
 お誘いを待っていたようすでした! 良かった!つどいの後、帰り際、Nさんに話しかけていたのをチラッと見て行かれたので、気になっていたのです。

 とても元気な方で、支部を明るくしてくれること、間違いなし。



飯綱町で渡辺議員と


 午後、入党して下さった方は、戦争経験者、シベリアで辛苦をなめ、その後日本に帰ってからは、共産党員ではないのに、いわれのない差別で職場を追われたりもしました。

 若いころから今まで、入党はさんざんすすめられてきましたが「私は絶対に入らない」と。いまは、九条の会でがんばっています。

 「今では入党はおそすぎる。なにもできない」

「逃げてくるとき、助けてくださいと中国人がすがってくるんだ。腰から下が動けないようだった。私のお袋のような人だった。兵隊だけがドンパチやってるのかと思ったが、戦争とはこういうことなんだと、あの時、わかったんだ。もう、前線に行くのはイヤになった」

 シベリアや戦争での悲惨な経験を話しながら、時々、はたと話をやめ、目を留めてじっと考え事です。

 そんなことを繰り返しながら、決心したように、思いをこめてこう言われたのです。

 「私は、女しょ(女房)を大事にしてこなかったらしいんだ。共産党に入ったら、大事にしてやれるようになるかなあ」
 
 私と伊藤まゆみ議員は「え・・」、そしてあんまり真剣な様子に「共産党は女性を大事にする党だもの」と言いながら、二人で涙を流してしまいました。

 80歳過ぎても、こんな風に妻どのを思ってくれるSさんの心、人を大事にする心が、しみじみ伝わってきました。

 今日は良かった、仲間も増えたし、赤旗も増えたし、何より感動で胸いっぱい。おいしくビールだね!

 

 
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東北の地震・再び佐久市・新人市議予定候補の内藤さんの地元でつどい

2008年07月25日 20時54分07秒 | 活動日誌
    ヘクソカズラ  ゴミステーションで  どこにでも根をはる花、秋は実ってしもやけの薬。かわいい花なのに、もっといい名前がなかったのかな。
  


 昨日はまた、三陸沖で地震でした。移動中に弟や母のいる施設に電話して、家族については「物が落ちた程度」ということで一安心でしたが、負傷者もでています。

 また、いつ何時、起きるかわからないなんて、とても不安です。

 新聞報道によれば、今度のタイプのスラブ内地震は、研究は進んでいるけれどまだ予測できないという事ですから。

 実家のすぐ近くには女川原発があります。我家から車で30分ほどのところです。長野の近くで言えば、新潟の柏崎の刈羽原発。

 刈羽原発の直下には、活断層が走っていることが明らかになっています。全国の原発の新しい耐震強度基準を見てびっくりしました。
 刈羽原発だけは郡を抜いて5倍にもなっていました。ほかは1・5倍ほどなのに。
 活断層が走っていても、強度を強くすれば作動してもかまわないという事でしょうか。安全性に欠け、放射能にさらされる危険のある原発はエネルギー政策につかうには無理があります。

 地震のたび、女川原発が事故でも起こしたらどうなるんだろうと、そんな心配がいつもあるのです。
 私は1980年に地附山地すべりの被災者となり、あの時、老人ホームのお年寄りがたくさん犠牲になった経験をしましたから、施設にいる母のことも心配です。

 さて、今日は昨日に続き、再び佐久市でした。

 午前中は小林まつ子議員と訪問活動、午後は平賀地域でつどいでした。

 来年の4月に、佐久市会議員選挙があります。定数が減らされ、34から6減の28議席になりました。

 共産党は定数減でも、現有議席3をまた確保する目標です。

 このたび、現職の3人のうち相沢あき子議員が勇退して、新人の内藤ゆう子さんにバトンタッチすることになりました。

 その内藤さんの地元でのつどいだったのです。


 
 予想以上にきていただいて、23人。半数以上が党外の方、準備した資料が足りなくなりました。うれしいことです。

 「私は政党は関係ない、内藤さんが出るというからきた」というかたもきていただき、大歓迎でした。本当にようこそ!

 岩谷3区予定候補の挨拶、相沢あき子議員の市政報告、内藤さんの挨拶、そして私はいつものように15分程度の国政のお話しをして、懇談にはいりました。

 「私は夫婦二人で年金が20万くらい。とても暮らせないのでシルバーで働いています。昨年の国保料は1万7千円だった。今年は3万6千円でびっくりしました。もう、どうにもならない。
 アメリカにお金をくれてやっても、ものが言えるのは共産党しかない」

 「共産党は何で票が集まらないのか。名前を変えたらどうだ。だけど正々堂々ととやってくれるのか共産党しかない」
 
 などなど、怒り爆発で、質問に答えながらの懇談でした。

 内藤さんの決意の言葉は「この人なら」とどなたもが思うだろう、内藤さんらしい気負いのないものでした。


左端が内藤ゆう子さん、岩谷3区予定候補、そして私、一番左が相沢あき子さんです。

 実は、私と内藤さんは26年の長いお付き合い。内藤さんの2番目のお子さんは障がいを持っておいでです。
 このFちゃんが赤ちゃんのときから、発達相談でお付き合いしてきたのです。

 「こんな関係で中野さんとこの席に居合わすなんて、お互い、考えていなかったです」と彼女。

 本当にそうです。党員同士であることを知らずにお付き合いは」はじまったし、私だって、当時は定年まで病院で働いていると思っていました。

 彼女は、長いこと保育士の仕事もしていました。保育運動と障がい者運動と、福祉分野でがんばってきた、私たちと同じ普通のお母さんであり、女性なのです。

 Fちゃんのお世話などあるので、とても議員活動は・・・と熟慮されていましたが、ふっきってくれました。大変な決断です。

 「皆さんにお世話になりながら、がんばります」との言葉に、私は大きな拍手をしました。偉いなあ。彼女なら、弱い人を必ず大事にしてくれる。

 立候補の決意を大変心配しておられたお母さんも参加していただき、いいつどいとなりました。
 
 参加者の帰り際の「今日はいい話を聞かせて貰ってありがとう。がんばってもらわなくては。今日はきてよかった」との言葉に大いに励まされました。

 明日は信濃町です。明後日の日曜日は、中野市の予定です。
 

 

 
 
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佐久市へ行く・浅科と望月でつどい・農家は怒っている!

2008年07月24日 20時50分10秒 | 活動日誌
 
  佐久市の浅科、望月に行きました。小林まつ子市会議員と、望月では岩谷3区予定候補者も一緒につどいに出ました。共に、農業地帯です。

 浅科では、小林まつ子議員の市政報告の後は、農業問題だけで時間一杯。農家の方8人が、自由闊達に話してくださいました。



 「自分の田んぼを作れないのは辛い。減反はおかしい。でも、隣の畑はいつもきれいだったのにこの頃草ぼうぼう。亡くなったんだよ。家だって私らが死んだら、息子がやってくれなければじきに、同じになる」

 「もう、年金で暮らして食べるだけのものを作ればいい、そういう考えになってきている人が多い」

 「テレビで『田舎で暮らそう』と宣伝したって、気負いだけではすぐだめになる。金にならないんだから」

 「直売所は損得でやってはいられない。良いものを提供すると言うきもちだよ。儲けなんかない。観光バスの客がめっきり減った。土産品がうれない。バイクが多くなった。バイクの人は自分がそこで食べる分しか買わないからね、商売にならない」

 「一年に2~3日しか使わない機械も買わなくてはやっていられない。2~3日しか使わないから傷みも早い。年金は機械代に消えてしまう。やる時期がいっせいだから、共同購入ができないんだ。機械購入に補助をしてほしい」

 「農地を走る軽トラックのガソリン税をまけてほしい。高速を走る車と一緒ではおかしい」


(お茶うけの感動的な3品。梅と杏。塩漬けをして塩を砂糖で抜いて・・手がかかったレシピでした。)

 共産党の再生プランを説明させていただきましが、大いに賛同していただけました。

 「しかし、ピッチを上げてほしい。間に合わない。見通しがあれば、若者は来ると思う」

 「漁業組合もストライキをやった。医療団体も全国規模でがんばっている。農業の場合は効果的なアッピールはどうやったらできるんだ」との声もでました。

 「しっかり応援するから、がんばって」「応援だけでなく、党に入って・・・」
 
 「農村では難しい。あの人、共産党って見られやしないかと。でも年よりは怒っていて、みんな表には出さないけど『共産党の言うとおりだ』と投票するっていう人ばかりだよ」

 マグマがたぎっているなあ、と思いました。

 午後は望月です。

 ここでは、「後期高齢者の医療制度はどんな制度なのか、知りたい」との方が13人も集まってくださって、私たち3人を加えて16人のつどいでした。


背中を向けているオレンジが小林議員、右端の男性がお岩谷さん、左のピンクが私



  私の説明に真剣なまなざし、「ひどいよなあ」「みんなおとなしすぎるんだ」
 「福田は真剣じゃない。他人事の態度だ」
 「この上消費税増税だなんて、暮らせない」との合いの手が入ります。

 「消費税上げられたら暮らしてゆけない。国会の前で腹切ってやる」なんて過激になるくらい、みなさん、すごい怒りです。

 いったんつどいを閉めてからもお茶のみが続いていたので、一人ひとりにご挨拶、お話しをしてきました。

 なんと、半分以上の方が共産党の集まりには「初めて」とのこと。ある方はこんな話をしてくださいました。

 「私は、隣組が気になって今までとても出れなかった。それが今日は父ちゃんが『送って行くぞ』『はいよ』とすんなり来れた。これは、私の中での大進歩です。胸のつかえが降りてせいせいした。毅然とすること、これが大事なんですね。話はよくわかった。応援しますよ」
 
 午前の話に続いて、農村でも皆さん立ち上がっている、それが伝わってきた感動的な話しでした。

 

 

 
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年金手続き、ほぼ完了!私の年金、公表。 姥捨て山実感です。

2008年07月23日 21時54分00秒 | 活動日誌
 
              今朝と同じ、あじさい  何度見てもいい色です

 
 夕べは失敗で、せっかく書いたものがパーになってしまった、それで今朝アップしました。

 今晩は年金の話をします。昨日、社会保険事務所に行きました。

 年金案内が来たときは「えっ、私が・・・」って思いましたが、私はまぎれもなく還暦を迎えました。

 年金の手続きはかなりめんどうでした。社会保険事務所に行けばそれですむ、と簡単に思っていたら大間違いでした。

 私は、共済年金と国民年金と厚生年金の3つにまたがっています。それぞれに出す書類のために、銀行にも何度も行って、夫の定年の年齢を証明するために夫の職場にも行って、時間を見つけるになかなか大変でした。

 それ以前に、提出書類の説明を読んで理解するのが大変。わかりにくいです。

 お金を取るときには知らぬまに、出すときはむずかしい。「出し渋ってる」と考えたくなってしまう。

 それでいくらもらえるかが問題、生活に困らないほどもらえるなら、我慢もしよう。ところが、愕然です。

 私の場合、国民年金は一年足らずでしたから問題外、厚生年金は60歳までで27年間、かけてきました。

 60歳からは基礎年金で年間約36万円、62歳からもらえる、上乗せを含めた額は、年間約91万円ほどでした。さらに65歳になっても、100万ちょっとであまり変わりなし。

 別途、教員をしていたとき6年かけた共済年金あります。
 でも、これは知れた額です。当時、退職一時金で受け取ってしまい、制度が変わって、利息も含めた返済額が差し引かれてきますから。

 うれしいことに、長野中央病院で企業年金をかけていてくれたので、それが年間約24万になるとの連絡が来ました。

 総合して私の年金は、年金額が確定する65歳になっても、月11~12万円というところかな。そこから介護保険料、後期高齢者保険料の天引です。しかも、このままだと、私が75歳の時の後期医療の保険料は今の2倍です。その後も上がり続ける・・!ゆるせない!

 今は普通に働いているので、給料の額が基準以上になりますから年金は「支給停止」です。
 
 わたしは、今、「姥捨て山」を実感しています。33年働いてきて、この金額、しかも、目減りしてゆく。国民年金のかたはこの比ではなく、もっと大変。しかも、消えた年金も解決していない。なんということだろう。

 

 還暦は、「これからの人生、質を生きよう」との区切りの日。

 青春、朱夏、白秋、玄黒・・・・人生には色がある。私は白秋の時代に入ったか・・・「白」は「輝く」の意味がある。輝く秋の時代を、しっかり生きようと思う。

 日本の還暦の「年金」プレゼントは、冷たいものだ。人生を励ましてくれないどころか、生きていなくてもいいという仕打ち、こんな政治は許せない。

 明日は佐久地域に行きます。
 

 
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朝宣伝・常任委員会・CSで「党86周年記念講演」を聞く

2008年07月23日 07時40分52秒 | 活動日誌
           あじさい  はっとするような紫です
 

 昨日は、朝宣伝をしたあと、常任委員会があり、夜は党創立86周年の記念講演を、県委員会2階の会場でCSで見ました。


山口さん、小林市会議員と3人で交代してスピーチしました。「朝から暑いねえ・・」でも、笑顔でがんばろう! 


 志位委員長の講演に先立ち、3人の共産党員首長さんからの挨拶がありました。長野県の南牧村の菊池村長が登壇すると、我が県委員会の会場でも大きな拍手がわきました。

 つい最近まで、長靴に野良着姿の菊池さんを見慣れていたので、「あ、ちゃんとネクタイしてる!」なんて声も上がったりして・・・。親しみやすさ100パーセントの村長さんで、誇らしい。

 共産党員首町は全国で9人いますが、そのうち3人が長野県、政治革新の先頭に立つ責任があるなあと思わされますね。

 さて、志位委員長の講演は、確信と感動でした。

 とくに講演の内容の3本柱の最後の「資本主義の限界が問われる時代・・・未来社会の理想を高く掲げて」の話をききながら、「党大会で未来論が出たときはわくわくして読んだけど、それが、マスコミでも堂々と取上げる時代になった。それもこんなに急激に!」と、劇的に変化している「今」をあらためて実感しました。

 小林多喜二は、時代を超えて今青年や労働者を励ましています。私たちのたたかいも未来に生きる人を励ますことができるような、そんなガンバリをしたいと思ったことです。

 
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