我が家のお孫ちゃんもそうだが、小学校入学は子どもにとって、暮らしの変化の一大事。
保育園や幼稚園とは全く違って、重い鞄を背負ってお友達と登校、勉強がある。チャイムで暮らさなければならない。新しいお友達。なれるのは大変だと思います。夏休み前の1学期は必死なことでしょうね。
だから、子どもに優しい学校だといいなと、誰もが願っています。先生が優しいことが救いです。
でも、この間私が見聞きしたあちこちの学校の様子は、うーんとうなることが結構ありました。娘たちを育てた時の学校とは全く違っていました。
その例の一つが、家庭に配られた「長野市大人と子どもの心得8か条」です。
もっともらしいけど、上からの道徳教育。読んでぞっとしました。しかも、これを市P連の会議で唱和させたと聞いて、さらにゾゾっとしました。
この考えに立っての決まりの数々・・・決まりは自分たちが暮らしやすいように作るものだから、不都合があれば変えればばいい。けど、「決まってるんだから守れ」と問答無用だ。
がまんだって、時と場合と問題による。我慢しない力を身に着けることは大事だ。不正義や不平等や屈辱に「しかたない」と泣き寝入りせず、立ち向かう力を育てたいではありませんか。
いつも笑顔で元気でいられない時だってあるのです。繕って笑うことはないのです。あるがままでいいのです。
戦時中の教育に戻った錯覚さえ持ちました。
児童憲章が制定されてから63年、子どもの権利条約が国連で採択されてから30年、発効から29年経ちました。
日本は安倍政権によって、権利条約を守るどころか真逆の方向へと走っています。
児童憲章も、子どもの権利条約も、戦争の反省から生まれたものです。
子どもの権利条約を草案、提出したのはポーランド政府です。ポーランドでは、あの忌まわしいナチの時代に600万人の命が失われ、そのうち子どもが200万も人いたのです。
200人の子たちと一緒にガス室に消えたコルチャック先生の、子どもの自治をめざした取り組みも、草案の大きな力になになったのではないでしょうか。
児童憲章では「児童は人として尊ばれる。社会の一員として重んぜられる。児童は良い環境の中で育てられる」と示しています。
児童の権利宣言では「人類は子どもには最善のものを与える義務がある」としています。
戦争が子どもに与えた被害を反省して、多くの子どもを犠牲にしたポーランド政府が「子どもの権利条約」を草案したのです。
私は、安倍政治が目指す「戦争をする国」の教育のありかた、「お国のために戦争へ行け」との軍国主義教育が現場にひたひたとやってきていると感じています。
6月22日には、共産党の長野市議団の主催で「教育シンポ」が計画されています。
発端は放課後子どもプランの事態の話し合いがあった時に、「児童館やプラザだけでなく、保育園、学校での様子も話し合い、子どもを丸ごとつかむことが大事だ」となったのです。
子どもたちの心がどう育っているかは、なかなか見えにくいものです。8か条に沿う「よい子」、スキルばかり追って評価される「できる子」。それが当たり前だと思わされる恐ろしさ。
シンポジウムが楽しみです。私はコーディネーターをすることになるらしい。
子どもの権利条約が実施される政治にしなければ。現場でも理不尽には抵抗して頑張らなければ。