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中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

久しぶりで長野市でした・今月の入党者60名に!音痴の夫との付き合い

2008年03月31日 23時14分22秒 | 活動日誌
                       (工場を訪問して懇談)

 月末の党員と「あかはた」のたな卸しがやってきました。

 党員のほうは、なんと! 今現在で今月60人をお迎えしました!

 それで今日は「あかはた」のお勧めに集中して、訪問対話を進めました。

 明日から後期高齢者医療制度の出発です。お年よりはどこでも、「怒り」なんて言葉の表現ではもどかしくらい、生やさしい感情ではありません。
 
 3月30日号の「あかはた」日曜版のトップは、私の田舎の宮城県の皆さんのガンバリが載っています。「知ったらさわがねわけにはいがねえ」と。「これ、私の田舎の皆さんなんです」と思わず宣伝してしまいます。

 記事を読んでいると、実家の近所の皆さんの東北弁が耳元で聞こえてくるようなんですね。「ああ、あのおばちゃんなら、私にこう言うかなあ」と。

 「なんだべやあ、だれが決めたんだかしゃねげっと、あんまりでねすか。年よりは死ねってすか。血も涙もねえなあ。こいな制度、いいって言う人一人もいねがすと。でももうだめなんだいが。え、大丈夫?ほんとに? んで、がんばっべっちゃ。おらあ、暮らせねもの。息子の世話になるわげにはいがねっちゃ。さなえちゃん、たのむがら、がんばってけらい」

 私の母は、制度のことは話してもきっとわからなくなっているだろうし、聞いてもすぐ忘れるから、かえって幸せかも知れない、と思いました。
 年金が月2万円ちょっとしかない母、気丈だっただけに真相を理解できたら、生きてゆくのが辛かろうと思う。

 こんなふうに思うこと事態がおかしいことですよねえ、実におかしい。


(クリスマスローズ)

 さて訪問先で若い方に出会いました。

 「福田さん、どうですか。特定財源のことは・・?」
 「え、あんまり興味ないから・・わからない」
 
 でもこの方は派遣労働者でした。そこから話しは盛り上がって、志位さんの質問と「あかはた」の記事の紹介に・・。

 「派遣労働やめさせるようにがんばってもらいたい」と青年の深刻な声でした。 一カ月刻みで仕事が変わるので、慣れるのに大変だとのこと、賃金は「安い」。派遣労働者も怒り心頭です。

 明日は飯山市に入ります。T支部では「明日中野さんが来るから、景気づけに党員を増やしておかなくっちゃ」と本日がんばって入党者を迎えました。その方が60人目の入党者だったのです!
 
 「独自でできるんだから、中野さんは行かなくてもいいんじゃないの」とPチームのメンバーが言ったら「そういうわけにはいかない」そうです・・・。

 夜、夫から「『花』の高音を歌ってくれ」と頼まれました。患者会の「歌声サークル」が2部合唱に挑戦しているとのことです。

 はーるのうららのー とやれば「なんで高音を聞きながら自分のパートを歌えるんだ。耳をふさいでやるか」と言うんです。いやはや。
 
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上田市で・すてきなお嬢さんとのすてきな対話・「支部活動のイメージが違った!」

2008年03月30日 20時06分30秒 | 活動日誌
(キャットテール  ネコのしっぽ これはどこかの党員のお宅にあったものだが・・どこか忘れた。メモがないとだめですねえ・・) 


 上田市へ行きました。高村京子県会議員とY支部のNさんと共に行動しました。

 まずはすてきなお嬢さんとのすてきな対話です。高村さんと二人で、高村さんと私の共通の友だちの娘さんを党におさそいしました。

 お父さんもお母さんも力のある活動家の家庭で育って、しかし、複雑な家庭問題もあって、狭間にたって苦労をしてこられた娘さんです。

 「人のためにといいながら、うちのことはどうなんだ。母親だろうが!と反発していました。小さいときは政治のことはわからない。自分を見つめてほしかった。そのトラウマがあって、入党に踏み切れません。
 でも、今になって、母親はすばらしい、ゴットマザーだと思えるようになりました。
 共産党はかっこいい。『ピース・ラヴ』を私たちは平気で言えるけど、言えない時代から平和のためにがんばってきて党です。すてきな党だと思う」

 と、幼いころのことを涙を流して話してくれ、現在の心境も話してくれました。彼女は今、福祉関係の仕事に情熱を燃やし、弱い人の立場にたってがんばっています。

 私と高村さんは、彼女のお母さんになった気持ちで、働くことと子育てとの両立のために、子どもへの負担に心痛め、涙を流したこともたくさんあったと、自分の子育てを振り返りながらはなしました。

 いい母親にもなりたい、人間として自分らしくも生きたい。仕事にも責任を持ちたい。

 看護婦さんだった高村さんは「自分の子どもは小さくて親を待っている。でも、具合の悪い患者さんをおいては帰れない、急いで保育園に行けば、もう閉まっていて門の外で待っていた。涙が出た」と。

 でも、多くの女性がこうして流した涙がゼロ歳児保育を実施させ、学童保育をつくり、働く条件を作ってきたこと・・・。そして最後に「あなたのあ母さんは子育て大成功!こんなにすてきな娘さんになりました!トラウマが消えたら党に入ってください」

 私は一人になって、こらえていた涙が出てしょうがなかった。だって、彼女の反発は、多かれ少なかれ、我が娘たちにもあったこと。でも、我が娘には、面と向かってなかなか話せないものです。彼女への話しは、自分の娘に言いたかったことなのですね。
 彼女が「お母さんは素敵」といってくれたことが、本当にうれしかった。彼女のお母さんの苦労を知っているからとってもうれしかった。

 さて、地域を回って訪問対話活動の後、S支部の支部会議に参加させていただきました。

 支部員はそれぞれ、介護の問題や家庭のご苦労を抱えています。「拡大が一番嫌い。ストレスです」と。また「後期高齢者医療制度で、お年寄りがかわいそうで何にも言えない」とも言われます。
 「自民党もだめ、民主党もだめ、さりとて共産党に入れるわけにもいかん、といわれたとき、『どうしてですか』とか『私はいいと思う』と言えなかった・・」など、率直な話しが出されました。

 そこで私はこの間全県をまわってきた経験を話しました。

 どんなに共産党への期待が高くなっているか、「後期高齢者・・」も「かわいそう」ではなく、切り開く展望を語ろう、世論が押していますよ、と。
 そして、楽しい部活動つくりへの努力が行なわれていること。

 「え、そんなに情勢が変わってきているの?そんなに簡単に入党も?支部活動のイメージが変わった。苦行難行の活動と思ってしまっていたから誘えなかった。考えを変えなくっちゃ。目標もチャンと持ってるんですね」

 「支部が主役、どんな楽しい支部にしてゆくか、知恵の出しどころです」

 ということで「よし、足を出そう。やってみよう」と支部の皆さん。
よかったなあ!全県の進んだ支部の経験を交流するってだいじですねえ。最高でした。

 
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花の飯田市と阿智村へ

2008年03月29日 20時58分37秒 | 活動日誌
                   (飯田市で大坪さんと)

 飯田市と阿智村で、大坪勇さん、支部の皆さんと活動しました。今日は2人の仲間を迎え、3泊4日の行脚で合計5人の仲間を迎えることができました。
 5人はそれぞれ、南木曽町、塩尻市、宮田村、飯田市、阿智村でと、仲良く一人づつでした。

 2箇所の小集会にも参加できたし、訪問対話もたくさんできたし、おまけに南木曽の民宿ではおいしいものをいただいて、おばさんから「梅ドレッシング」の作り方も教わったし、阿智村ではお雛様祭りを見て、阿智村特産のトマトケチャップも手に入れて、いいことがいっぱいでした。


(お雛様祭り  古い歴史のあるお雛様も飾られています。各家庭で保存しているお雛様を公開していました。新潟県村上市の「お人形様めぐり」と同じですね。)

 でも対話のほうは深刻な話と怒りでいっぱい。

 大きく花を栽培している農家では「ハウス用の重油の値上げでまったく商売にならない、もう、やり方を変えなければ」との訴え。
 「こんな政治ではやっていけません。植木鉢も上がって植え替えの手間ばかりで赤字です。暮らしが大変で、皆さん花までお金が回らない。花を買う余裕のない生活なんて・・」

 もう一軒の農家では「水菜が20円の卸し値。どうにもなりません。自民党の農政ではやってゆけない」

 飯田市では4月6日に山口のりひささんも4人のパネラーの一人として参加して、「農業シンポ」が行なわれます。農家の方にはこのシンポのおさそいをしました。「ぜひ行ってみたい」との声も聞かれました。


(農家の方と対話です)

 86歳のおばあちゃんは怒りと悲しみいっぱいのお話し、しかし、なんとそれにもかかわらず楽天的にわたしたちを励ましてくれました。

 「何でこんなひどい世の中になったの。だれが悪いの。何とかいい国にせな、しょうがないずら。年寄りに死ねなんてひどい政治だ。私はおじいさんのお墓に行って怒ってやってる。先に早く死んで、私は苦労しとるって。二人でいれば年金で生活も何とかなるじゃろ。一人は辛い。けど、何とかいい国にせなしょうない。おばあもがんばるから、世直しがんばろうなあ」

 私はおばあの話に、泣けてきました。がんばらなくっちゃ。

 

 

 
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宮田村・飯田市へ・「ほんとにがんばってくれるなら入れるよ」

2008年03月28日 18時41分37秒 | 活動日誌
     (雑草  どんな雑草も、やわらかくおいしそうに見える春ですね)

 
 昨晩は贄川(塩尻市)から伊那市のホテルへ移動して、今朝はホテルから出発、まず宮田村へ向かいました。

 宮田村はあさっての日曜日投票で村議選がたたかわれております。一人はみ出しの少数激戦です。

 私は支部の方と地区の宮下さんと共に、元党員でわけあって離れていた方を訪問し、小田切候補選挙勝利のために、また国政選挙勝利のために、知恵と力を貸していただきたいとお願いに上がりました。

 「年寄りをいじめるなんてひどい政治だ。今、力を合わせなければ、言われるとおりだ」と10年ぶりで復帰してくださった方がいて、心からうれしかった。

 また、選挙のお手伝いをしてくださっていたはつらつとした若い女性をお誘いしました。

 「今日はちょっと急なので・・話しはよくわかりました。いつか必ず入ります」とのうれしい返事で、選挙が終ったらゆっくりお会いする約束をしました。
 
 彼女いわく「共産党はしっかりしている。みんな、だめなことはだめとはっきり言わなくっちゃ。村議選はで推薦があって強引に動員されるけど、うちははっきりしてるから寄り付かない」
 彼女が入ってくれたら、支部はとっても元気になるに違いありません。「なにやってんの!」とはっぱをかけられるかも・・・?楽しみです。

 午後は伊那市で、柳川市会議員と訪問活動で、怒りの対話をしました。

 あるおばさんは「政治はわからんで・・」と最初はおとなしかった?のですが、「4月からの後期高齢者の医療制度、ひどいですよね」と話しかけたとたんに、ひときわトーンの上がった声で話しだし、止まる事を知りません。怒り爆発です。

 「下々の思いなど、何一つ国会にはとどかん。かってなことをしてる。どの党だっておんなじだ。もう仕方ないのか、悔しい。共産党だって、結局だめじゃないか。力がないではないか」

 本当に悔しい。でも共産党と草の根のガンバリが力を合わせて、今、4野党が共同で中止の法案出したところまで来たことや、福田総理が道路特定財源の一般財源化を言わざるを得ないところまで自民が追い詰められていることなどで、「もう少し、だからあきらめないで」と訴えました。

 「あかはた日曜版」の一面のお年寄りのがんばりの記事を紹介したら「ほんとにがんばってくれるなら、選挙、入れるよ」といってくださいました。

 若い方を訪問して受けた質問は「私はどこの政党でもないが、2大政党制を支持している。お互い切磋琢磨が大事だ。野党はしっかりしてもらいたい。共産党は民主党と組めないのか。」でした。

 団結できるところでは大いにやりたいが、自民党との連立を組もうとしている戦争勢力の政党では、連立は組むことができない・・・「そうだね、それではだめだね。なるほど・・」
 「共産党はいいと思う。がんばってください」と最後のは励ましの言葉で、これまたうれしかった。こんなふうに民主党に期待しているんだなあと実感しました。

 伊那市から移動、飯田市のホテルに入りました。明日は飯田・下伊那で活動です。

 3晩もうちをあけると、夫はチャンと食べているか、ちょっと気になりますね。何かしら食べてはいるんだろうけど、カップ麺のお世話になっていたりして!

 

 
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南木曽町・奈良井宿(塩尻市)で小集会と訪問、街頭からの訴え・50人目を迎えました!

2008年03月27日 19時23分08秒 | 活動日誌
        (南木曽町で小集会  伊藤・松原両町会議員と共に参加)


 昨日と今日の二日間は、南木曽町と奈良井で行動、小集会と訪問、街頭からの訴えをしました。どちらも中山道沿いの宿場町、歴史を感じ、豊かになれる行動でした。

 南木曽では町会議員選挙を来月早々に控えています。

 2人の党町会議員それぞれの地域で30人、22人とたくさんの方が集まっての小集会が開かれ、笑いと怒りと「がんばろう」との懇談となりました。

 中心は後期高齢医療制度問題と雇用問題。



 「パンフ読んでもわからん。年取ったらしょうないのか」
 「わたしゃ負け組み、ちっともしあわせはこん」などの話もありましたが、よくよく制度がわかると、「頭にくる。わしら、ちっともわからんうちにおかしいじゃないか」「イージス艦に金使って!」と怒り心頭です。

 「イージス艦はミサイルを落とすことなんかできん。漁船すら回避できなかったじゃないか」「本当にそのとおりだ」と爆笑でした。


 食料自給率、年金、雇用とたくさんの話題が出されました。共産党の集会が初めてという方が圧倒的に多かった一方の集会では、「共産党は固いイメージ」「何でも反対」などの質問もたくさん出されました。

 獣害も多くて、熊やサルが出没する話しも出ました。

 「サルが家に入って新聞読んでた」のだと。「月曜日は床屋が休みだもんで、熊も帰っていった」?のだそうです。
 
 「もっとひんぱんに集まりをやってくれ」との要求が出され、うれしいこと。


伊藤・松原両町議と街頭からの訴えをしました。

妻籠宿で たまたま人が途絶えたけど、観光客はほどよくいました。

 
 今日の午前中は、妻籠宿を中心に訪問活動をしました。外人の観光客が目立って多いので驚きました。

 午後は、塩尻に合併した奈良井宿の贄川で、こちらは「こた懇」でした。ここでも「こういう集まりをやってくれるのは共産党だけ。そうでないとよくわからん。またやって」との声が出されました。
 
 後期高齢者の医療制度では、4野党の共同の集会が皆さんを元気付けています。「どうしていじめられても自民党に・・」との声もありましたが、「週間朝日」で共産党が大きく取上げられたことや経団連の役員の品川氏と志位さんの懇談などの話で、「やっぱり大きく流れが変わってきてるのねえ・・」と「がんばろう」と。

 そして南木曽でも、贄川でも、お仲間が増えてました!!なんてうれしい、支部も私も大喜びです。

 さて、夕べのお宿は妻籠宿の民宿でしたが、ここのお料理には手がかけられていて、たいそう感激しました。
 
 五平餅の味噌だれもとち餅も、ちょっと一味違う。味噌汁の芋茎も丁寧に手がかかっていた。「しし肉が手に入ったから・・」としし肉料理も出ました。
 そして、食事しながら聞いたおじさん、おばさんの料理の話し、土地の話が何より楽しかった。

 「昔は客がいっぱいで大変だった。今は車まで来て通り過ぎるだけ、さびれたよ。50軒あった民宿も、14、5軒になってしまった」とさびしい話もありました。

 たった今、Pチームからニュース速報です。今月度の入党者50人になりました!!ああ、ホッとしました。半年連続で50人を越える入党者を迎えることができました。
 もっとも、暗黙の最低ラインで、本当の目標はもっと高いのですが。仲間が増えれば力が湧きます!
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娘夫婦の引越し

2008年03月25日 17時54分59秒 | 活動日誌
              (黄色いスミレ  上田の地区委員会で)

 今日はオフ。娘夫婦が大阪から引っ越してきました。手伝いの日でした。

 K運送会社の労働者の手際の良いこと、驚くばかりです。2時間半で荷物はすっかり部屋に落ち着きました。

 偶然のことに、娘の同級生がK運送会社で働いておりました。「あ~ら」と驚きあい、懐かしい話しにも花が咲きました。

 大手のK運送会社の正職員のS君は、「事務しごとは100万円もらったっていやだね。性に合わない」と汗だくで階段の上がり降りです。

 「給料はめっ茶安い。時給は最低賃金以下ですからね」
 「正職員じゃないの?」
 「時給で月給なんです。それが基本給で後は歩合と残業」
 「じゅあ、基本給は10万そこそこ?」
 「そうですね」

 3月4月は書き入れ時で、一日に5軒も引越しが入るときもあるそうで、最終は12時までかかるときもあるそうです。

 「さすが3階、4階は辛いですよ。もう若くないからなあ、ダッシュがきつい。それでもトラックにのっていたときより楽。トラックで野菜の運送していたが、九州まで行くと3日間、寝ないで走るんですよ。もうできません」

 娘の連れ合いにその話しをしたら、「僕のほうが楽かなあ、大変だなあ」とびっくりしていましたが、娘夫婦は二人とも、今問題になっている「医者不足」の医者ですから、彼だって決して楽ではないのです。

 たいへんな人と比べて「楽」なんて思う世界ではなくて、「人間らしい労働」を目指したいものです。

娘夫婦は二人とも、4月から長野中央病院で働きます。消化器内科と心臓外科です。よろしくお願いします。

 私は明日から3日間泊りで仕事です。南木曽、伊那、飯田方面を行脚してきます。
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松本市と朝日村で訪問活動

2008年03月23日 23時26分33秒 | 活動日誌
   (庭のぐみの木   力強い新芽がでてきました!)

 松本市では、2区候補者の岸野さんと、朝日村では斉藤村会議員と支部のSさんと行動しました。

 松本では演説会に来てくださった方中心に訪問しました。岸野さんはなじみの候補者になっていて、どこでも大歓迎でした。
 論戦力にも優れていて、何よりまじめでやさしさのあふれている岸野さんのような青年が国会で働いてくれたら、どんなに心強いかと思いました。

 「今日は具合が悪い。月末には直るだろうから、そのとき入党申し込み所に書いておきます。ほんとに、ひどすぎるよね、この政治」といってくださった方は、今日のところは早速「あかはた」の読者になってくださいました。


(事務所で一休み  ノッポの岸野君、地区委員長と談話中です)

 朝日村では、介護のご苦労をしている方の訪問が多かった。

 認知症の家族につきっきりで目が離せない介護をしていた方は、「『大変ね』と言われても、本当の苦労は経験したものでないとわかりません」と、深刻さを語っていました。宮城の私の母も、完全にオムツ使用になったとのこと、決して人事ではありません。

 岸野さんも「私の父も老いてきました。共産党に入ってくれたら、信頼できる仲間にかこまれてどんなに安心かと思う時があります」と、親を思う気持ちを語ってくれました。

 後期高齢者の医療制度、介護制度の冷たさをひしひし感じて、怒りをとめられません。

 どなたからも「いつ解散になるのか、がんばっていただきたい」との熱いメッセージをたくさんいただいてきました。

 帰りは松本に住む娘のアパートに寄って、一緒に長野に帰ってきました。

 仕事の研修のため大阪にすんでいた娘夫婦が、3年ぶりで25日に長野に帰ってきます。
 4月からは長野市の職場で、腰をすえて働くことになります。

 25日は3年間の研修のご苦労さん会です。松本の娘もその目的で本日の帰省となりました。「何を作って食べさせようか」と、私、お母さんは頭いっぱいです。

 
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佐久穂町、佐久市で怒りの懇談会、二人の入党者をむかえる

2008年03月22日 20時43分12秒 | 活動日誌
(佐久穂町「こた懇」 右の男性が岡部議員、左の女性がはるの議員 おいしそうにおやつをいただいてるが岩谷候補です)


 3区の候補者岩谷さんと一緒に、支部主催の「後期高齢者医療制度」の懇談会2箇所に参加、怒りの集会の中、お二人の新入党者をお迎えしました。

 まず、佐久穂町の岡部学町会議員宅で開かれた「こた懇」です。

 佐久穂町には2人の党議員がいて、岡部さんのは「影」、もう一人の議員の高見沢はるのさんのは「大日向」です。陰と陽の名前だけど、どちらも大変ユーモアのある明るい議員さんです!

 名前は明るい「大日向」村ですが、かつて村の半分の人が「満蒙開拓」で大陸へ渡り、運よく生きて引き上げできた方は、に住むところを失って軽井沢に分村したという、痛ましい経験のある村です。軽井沢にも「大日向」という地籍があるのはそのためです。

 さて、懇談会は「影」で行なわれました。3人来てくださったので「これだけかな」と思って始めましたところ、次々にやってきて12人になりました。
 そのうち9人が「影」の方でした。このは28世帯ですからびっくりしましたね。こんなに集まったのは、はじめてといっていいくらいだそうです。
 
 何人かの方が、郵送されたばかりの保険証と同封の説明書をもってきました。

 「何だか、ちっともわからない」「教えてもらいたい」と。

 私から30分ほど説明をした後、懇談でした。はじめは皆さん、唖然とした様子で声もでませんでした。あんまりひどいので、飲み込むまでたいへんだったようです。
 そのうち怒りがふつふつと出てきて、「ピンコロ地蔵をもっと拝まなくてはなるまい」との声も。「ぴんぴんころりと死にたい」ということなんです。
 「生きていれば金がかかる。死んでしまいたい」とも。「死んでたまりますか、がんばりましょう!」

 お年寄りの足も深刻で「ゲンデル号」(元気の出る町内バス、一回300円)をもっと便利にまわしてほしいとの切実な要求も出されました。過疎が進んで、には小学生が一人きりとなっています。

 午後は佐久市のN支部主催の勉強懇談会、公民館で33人の参加で、こちらも驚きでした。相沢あき子市会議員が手短に市政報告をした後、後期高齢者医療制度の学習会に入りました。



 「死ねってことかい!」
 「聞けば聞くほど腹が立つ!」
 「例えばこういう場合はどうなるんですか」
 「説明書には、そんなこと書いてないじゃないか」
 「野党が共闘してるけど、一体どうなってる。法案の話し合いが始まらんじゃないか」

 などなど、こちらの集会はすごい勢いの怒りです。

 私は、途中で「あの、私が決めたんじゃないんです」と言わざるを得ないほど、私に向かっているがごとくに怒りが爆発していました。

 年輩の女性から「共産党のイメージ、変えるために、みんなに噛んで含んで話して理解させなくっちゃ。共産党、力を大きくしなさい!」とはっぱをかけられる場面もありました。

 「どういうことか今日わかりました。世論が大事なんですね。うちに帰ってまず家族に話そう、となりの家族も、そのとなりも知ってるようになる。それが世論になるんだね」

 「そうです、今は世論が政治を動かしているときです。与党も4月実施といっても、具体化できないものを抱えての出発です。今からが大事です」

 「あきらめないでやりましょう」と元気な集会になりました。



 「みなさん、共産党に入って一緒に世直ししましょう」との呼びかけに応えて、お二人が入党してくださいました。一人の方は党費が心配だったと。「何だ、そのくらいなら払える。入ろう」といってくださった。

 明日は、中信地区、松本方面に出かけます。
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野々村市議と久しぶりで宣伝・遠方より友きたる・・・・

2008年03月21日 20時36分09秒 | 活動日誌
                              (匂い椿)


 朝は久しぶりで野々村市会議員と街頭宣伝をしました。全県を回るために、朝、演説する時間がないときがあるためです。週3回の定時定点の朝宣伝がつぶれると、街頭宣伝の機会がまったくなくなるので、ちょっとまずいかなあ・・・と考えているところですが・・・。

 予期せぬ友が遠方より事務所にやってきて、びっくりやらうれしいやらの日となりました。

 やってきた彼は、中国研究に熱心で一年前まで中国の大学に留学していましたが、このたび一ツ橋大学の院生に合格したとのニュースを持ってきました。

 実は、一年前までは、私のホームページは彼が中国から管理してくれていたのです。国際的だったんですよ~! インターネットの威力を発揮していたわけです!

 帰国してから院生の受験をするということで、管理は選手交代となり、今はパソコン博士で県委員会のパソコン管理をしている倉橋さんにお世話になっています。

 彼と昼食を共にして、やっぱり中国の話に花が咲きました。

 最近の中国は話題に事欠きません。しかも、あんまりいいイメージではないことなので残念です。ギョウザ、公害問題、チベット騒乱。オリンピックの開催は大丈夫なのかしら?

 資本主義を取り入れながらの社会主義革命を目指す路線が、現地ではどうなっているのか、興味深い話しを聞くことができました。評価の材料・資料が少ないし、短絡的な評価は慎まなければなりませんが、中国が大変な苦しみの中にあることだけだけは確かです。

 彼はまた中国へ行くとのこと、はじめは視察旅行?、そしていずれまた留学を目指しているのだそうです。「中国へ行くときには誘って」とお願いしましたが、選挙次第ですねえ、こればっかりは福田さんの腹ひとつ。

 さて、家のリフォーム、お風呂以外は、いよいよ終結に近づきました。お風呂はひと段落してから始めます。もう、続けては気持ちが無理。

 明日でほぼ完了です。ホッとしています。やっと落ち着いて仕事ができます。隣近所も、あちこちで下水道工事です。

 明日は佐久地区に入ります。
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北部地区飯山市で仲間を迎えました!雪とふきのとう

2008年03月20日 21時03分03秒 | 活動日誌
                       (サイネリア)

 朝から雨だなんて、気分がさえない出発、でも、雨だからお留守は少ないかも・・・・なので、恵みの雨ですか。晴れても楽しい、雨でも有意義、そう考えなくては。

 飯山市はさすがにまだ雪の多いこと、でも例年より早く溶け出しているようです。雨のせいもあって、寒い日でした。

 訪問で大活躍したのが、このごろ党が出した「農業再生プラン」のタブロイド版です。軒並みお配りして歩きました。

 「減反地の麦、豆にも保障はいい」「価格保証がないとやっていけない」との共感の声が寄せられました。
 
 あるお宅では「後期高齢者の医療制度がどうなるかと心配している前に、村がなくなっちまう。限界村落だよ、どうする」と農業の壊滅的状況を訴えられました。
 党の「農業再生プラン」を大歓迎してくださると同時に「遅すぎる!」との怒りもありました。

 議員がほしいです。高橋千鶴子衆議院議員が農水を担当していたのに、議員が足りないために抜けざるを得なくなり、衆議院の農水に党の議員がおりません。
 参議院では紙ともこ参議院議員ががんばっていますが、ああ、議席がほしい!

 若いお母さんからは「産婦人科がほしい。安心して子どもも産めない」との切実な訴えもありました。


例年より少ないとはいえ、雪の飯山市でした


我家の庭のふきのとう


 さて、要求を燃やして大きな党つくりに奔走しました。

 お二人の方を党にお迎えしました。そのうちの一人は、実は娘さんにお会いしに行ったのですがお留守でおばあちゃんが対応してくださいました。
 
 「おばあちゃんにもぜひ入っていただきたい」の呼びかけに、「それどころじゃない、私はずっと共産党、でも体が動けなくなっている。口は達者」と即座に入党してくださいました。
 
 「今度は娘さんにお会いしにきます。伝えておいてください」「はい、わかりましたよ」

 もう一人の方は支部の方が何度もお勧めしてきたのですが、今日もお会いしたとたんに「だれが来ても絶対入らないよ」とのご挨拶です。でも、10分後にはサインをしてくださいました。

 それは、「このままではいけない」との強い思いがある方だったから、今日、ふっ切れたということなのかな、と思いました。量から質への転化が起きた?!きっと支部の方の「どうしても」という熱意が伝わったのでしょう。

 すごくいい気分で、少しはやめの帰宅、めずらしく自宅にいた夫を誘って温泉に行きました。車で5分、「りんごの湯」です。
 それから久しぶりに二人で夕食、いただいてきたふきのとうをてんぷらにしました。リッチ、リッチ。
 
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