中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

農家の方から生の声を聞いて歩く

2006年01月30日 20時03分11秒 | 活動日誌
(中野市・倭地区にて。その他の写真は、こちらをクリック)

 中野市の農業被害は予想以上に広がっています。できるだけ沢山の方に実情をお聞きするために、野口市会議員と中野市の党農業委員、そして党支部の方と、中野市の中の豪雪地帯の倭(やまと)地区に入りました。
 
 ぶどう畑はたながすっかり埋まり、たなの上を歩くことになります。Kさんは、「3回も雪を落としたのに、もう手がつけられない。家は梨のラフランスも桃もみんなだめだ。
 雪が解けないと様子がわからないが、どうしようもない。少しでも早く雪が解けてくれないかと、わらを燃やした墨をまいています。何とか、お願いします。」と、力なく、働いていました。

 りんごや梨、桃の木は、てっぺんまで雪で覆われて、先の枝が見えるだけ、特に矮化の木は、「枝を落としてくれといわんばかりの構図だから、(幹に対してほぼ直角に枝を張るように仕組んであります)雪が解けたら棒が一本あるだけだ」と、Tさん。

 「もう木はだめです。新しい木を植えるしかない。しかし、その元気が・・・何年もかかるから。苗木の保障を、といっても、もう注文が殺到して苗木はぜんぜん無いそうだ」

 「何とか農道は市が除雪してくれることになったが・・・」(これも国からの特別交付税で要求したいと思います。)

 「とにかく、これは市段階ではどうにもならない。国を動かしてください。よろしくお願いします。」

 「中野市はほかは雪は大したこと無いから、ここの地域は(隣接の)飯山市に入ったほうがいいのではないか、といわれたりする。除雪ひとつ、ぜんぜん違う。豪雪地帯で対応してもらいたい。」

 中野市は、災害救助法の適用の申し出をまだしていません。青木市長の考え方もあるのでしょうが、70歳代の御夫婦二人のお宅が雪下ろしでご苦労され、歩と頼みでやらざるを得なかった方がいましたした。このご主人は昨年、雪下ろしで屋根から落ち、両足を骨折なさったそうです。
 
 また、あるお宅では、やはり個人的に業者を頼んでの雪下ろしで2日で6万円もかかり「もう頼めない」と、老夫婦でがんばっているお宅もありました。
 
 市で補助を出してくれるというものの、災害救助法を使ったほうがいいのではと思いました。いつだそうかと様子を見ているようですが。

 雪の捨て場では、河川敷はすでに限界、普通なら土手のずっと下にある河川敷が道路よりもさらにうずたかく雪の壁ができ、山がひとつ出現したかの景色になっています。市と県の委託で、除雪車で雪を押し付けていた働いていた業者の方は、「もうだめだね。何とか次を見つけないと・・」と訴えていました。
 野口議員が早速、対策を打つべく動き、見通しをつけました。

 2月1日、私は県議と信濃町と飯綱町に入る予定でしたが、党の高橋千鶴子衆議院議員が、農業被害の現地調査に入ってくれることになったので、予定を変更して、高橋衆議院議員と行動することになりました。県議と対策本部事務局長の佐藤さんは予定とおりに行動します。

 要望をまとめて、ふたたび県交渉と国への交渉も計画しなければと思っています。
 国が、家族農業をつぶし、10ヘクタール以上という、一定の面積のある農家だけに支援をし、(長野県にどれだけありますか!)農業に企業を参入させる政策を立てていますが、価格保障、所得保障をしっかりとして、災害の時も再生の元気が出るようにしなくては、農業は滅びてしまいます。

 この災害で、農業をやめてしまう方が生まれることを、私は大変懸念しています。しかし、こんなに大変な中でも2人の方が赤旗を購読してくださいました。「つぶさに歩いて、実態をよく見てください。がんばってやってもらいたい。」との言葉に、がんばらなくては、と気持ちが引き締まりました。

 さて、昨日は嬉しいことがありました。
 子育てでお付き合いをしてきた若いお母さんのKさんが、昨日初めて、九条署名に参加してくださったのです。
 「中野さんも明日、出ますか?」と前日聞かれて、あいにく私は別の用事で参加できなかったのですが、若槻地域で定期的に行っている「九条署名」のチラシを見て、「子どものためにやらなければ。」と、進んで申し出てくれたのです。

 こんなに嬉しいことはありません。輪が広がっています。
コメント
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