中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

私、再びコ―ラスを!そして訪問活動

2017年05月31日 22時13分54秒 | 活動日誌

 

長野合唱団で一緒に歌っていたTさんに誘われて、地域のコーラスグループに入れていただきました。今日はその初日でした。メンバーの皆さんに大歓迎を受けました。

 

候補者活動で忙しくなって休団していましたが、そのうち孫が生まれて夜のレッスンには出れなくなって、退団せざるをえなくなって十年ほどたちました。

 

歌声はどこでも響かせることができますね。

 

例えば、今度のチェコとスロバキアの旅でも、臨時合唱団が訪問先で歌声を響かせ「スペシャルシンガーズグループか?」との高い評価も??受けたように、事あるごとに歌うのが、歌声で育った私たちの年代。

 

長野合唱団とは毎年、メーデーの時に中央舞台で皆さんと歌うだけになっていましたが、合唱を作り上げる喜びはやはり合唱団に入らなければ。

 

地域のコーラスグループに入る発想がわかなかったのですが、Tさんの熱心な勧めで、レッスンも昼間月2回だけというので、入れていただきました。

 

でも、来月の2回のレッスンはもう予定が詰まっていて出れません。またまた、長野合唱団にいた時のように、テープで自主レッスンしなければ・・!一度ハーモニーの魅力に取りつかれると、ほんとにもう、逃れられないのね。今日は心が満たされました。私のパートはソプラノです。細々でも続けよう(^◇^)

 

 

さて、午後は前市議の原田さんと訪問活動。

「共謀法といい、安倍はやりたい放題。しかし、野党も結束弱いな。そう見える」そんな声が結構ありました。都議選の立候補状況も影響しての声です。

「だから共産党をつよく!共闘のために頑張る」

 

明日も訪問活動の予定です。

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私、本格的に保育士ボラで現場にはいります!

2017年05月29日 21時30分55秒 | 活動日誌

H保育園へ。今日は2才児の発達診断でした。

先生とのカンファランスはいつも勉強になります。子どもの全体像をつかんで、どうお付き合いするかの見通しを持つには、大事な話し合いです。

 

「何が好きなんだろう。遊びこむ姿が見えない」「人とのかかわりが苦手」などの心配が語られたAちゃんです。

しかし話しているうちに、「1対1なら、絵もちゃっちゃと描いておしまいではなくて、ちょっと広がる」「人とのかかわりが苦手に見えるけど、自転車を一緒にこいでやると『もっともっと』と喜ぶ」などなど、具体的な姿が出されて、Aちゃんの胸の内がちょっとわかってきた感じがしました。

 

すると、本当の要求はどこにあるのか、実践的にどうしたらいいかな・・・と光が見えてきます。

 

発達診断と合わせて子どもを総合的に見ることは、とても大事です。

6月2日はAちゃんのクラスに保育士お手伝いとして入って、子どもと過ごすことになりました。豊かな発達相談をするために、保育士お手伝いで現場に入る実践が本格的に始まります。

 

うれしい。構想してから1年以上立ちましたが、着実に進んでいます。

テッセンが咲きました。

 

 

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国連会議の報告会・オランダはすごい!

2017年05月28日 21時18分25秒 | 活動日誌

 

核兵器禁止条約の国連会議の報告会に参加しました。

長野県の被団協の会長で、日本被団協の事務局長でもある藤森俊希さんが、3月に参加した国連会議の報告を行いました。

実に生き生きと国連が動いているか、その様子が伝わってきました。

5月22日には、禁止条約の草案が発表されました。すばらしいことです。

 

国連が究明した結論が、また素晴らしい。簡潔に核心をついています。

 

 ★ 核兵器の被害は国境を越えて広がる

 ★ どの国、国際機関とも救援の術がない

 ★ 核兵器不使用こそ人類の利益

 ★ 核兵器不使用の保証ができるのは廃絶以外ありえない。

 

しかしオランダはすごい国ですね。

オランダはNATOに加盟し、アメリカの核兵器を配備ている国です。しかし、国民は署名の力で国会を動かし、国連会議に参加させました。核保有国と核の傘下にある国で、ただ一国だけです。

どんな思いで、どんふうに署名を進めたのか、行って聞いてみたくなるではありませんか。

被爆者署名、これで核保有国を包囲できると確信を持ち、がんばりましょう!

 

藤森さんの話の先んじて、シングソングライターの清水まなぶさんのミニコンサートがありました。とても素晴らしい方ですね。

詩は、清水さんが戦争経験者や満蒙開拓団の引揚者に直接お聞きした話をそのまま書いたものなのに、巧みにメロディとリズムをつけ、聞いているものに、当時の有様を映像のように脳裏に浮かばせる力があります。

私の前の方も、斜めの方も涙をそっと拭いていました。私もです。

清水さんです。署名推進連絡会結成総会の時。清水さんは、連絡会の世話人代表でもあります。

 

カメラがやっと作動しました。もう大丈夫。明日から写真が撮れます(^◇^)

 

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医療生協OG・OBの会設立総会。ほっかほっかの気持ち。

2017年05月27日 18時08分19秒 | 活動日誌

 なんて懐かしい皆さん!「お久しぶり!」「元気そうねそうね!」とはじけた声が部屋中に響きました。

 

 一緒に働いてきた仲間が集まりました。医療生協のOG・OB会設立総会でした。待っていましたね、この会ができるのを。そうでもなくっちゃ、退職後はなかなか会えないもの。

 

 総会の後、懇親会。総会も最高でした。規約を決めるのに出た意見もふるっていて、ほんとにざっくばらんに腹割った仲間の話し合いでした。笑いどうしの総会に続いて、懇親会も笑いどうし。

 

近況報告に聞き入りました。みんな頑張ているんだなあ。

 

 みんなちっとも変わらなかった。仲間っていいね。

 

 チェコ・スロバキアから帰ってきた次の日からママの出張。昨晩から孫がお泊りです。それで懇親会は中座して帰りましたが、ほっかほっかの気持ちでした。

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大自然の中へ

2017年05月24日 06時18分57秒 | 活動日誌

大自然の中へ。

昔ながらの製法でチーズを作っているサラシュへ行きました。600頭いる羊の乳を、6人ですべて手で搾乳していました。

やはり、ガイドの邦子さんのおじさんの農場でした。

 

番犬とムチの音で動く集団の羊さんのいる大自然は、ずっとながめていても飽きることがありませんでした。

50キロ離れたところから、家族音楽隊の皆さんが歓迎に来てくれました。お母さんは音楽の先生、16歳になる息子さんはプラハの音楽大学にいっており、今日は来れないのがとても残念と言っていたそうです。民族衣装で、演奏と踊り、素晴らしかった。かわいかった。

今日も歌って踊っての交流が、ほんとに楽しかった

お土産のお手玉を、子どもたちはすぐに上手になって、私たち顔負けでした。

 

おそらくもう二度と会いない今回の旅で出会った方々、でも、心に焼き付くことでしょう。お国事情もお聞きして勉強になりました。

 

楽しく国際交流できるのも、平和であってこそ。そして日本がその先進を切って世界のお役に立っことが、今求められていると、しみじみ感じました。

チェコとスロバキアのたどった歴史を振り返ると、そして、村長さんはじめ、出会った方の話を思い出すと、日本人として胸を張って国際交流できるように、政権を変えないと・・・と深く思いました。

 

今日はデメノウスカー鍾乳洞も見学しました。

30万年前の鍾乳洞ですが、「鍾乳洞としては、世界的に見ればまだティーンエイジャー」とのこと。

70メートルもある柱を見ながら、人間は大自然の中では、まだほんの一瞬しか生きていないではないか、一瞬しか生きていない人間が、自然の営みを破壊するなんてなんて傲慢なことだろう、お互い争う時代を卒業して新しい時代へと入っていかなければ地球も守れないと思いながら、鍾乳洞を見てきました。

いい旅でした。

歩いた歩数。Hさんの記録では

 一日目    8000

 二日目   20000

  ・     8500

  ・    10000

  ・    1000

        9000

        7000

       11000  だったそうです! 結構歩きました。

 

早く孫に会いたい。

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ゆかいな村長さんと、聞いて驚くスロバキア教育。

2017年05月23日 12時45分43秒 | 活動日誌

シロケー村の村長さん、ユーモアたっぷり。

あまり長い時間は・・・と言われていたのですが、1時間20分もお付き合いしてくれました。

シロケー小学校は9年生までで420人在籍。

近隣の2つの村高学年がないので、5年生になるとシロケーにくるそうです。

 

現在人口2450人。毎年生まれる子どもは、35人から40人、亡くなる方は15人くらいだといいますから、人口増加地域です。

それは特別に子育て支援があるというより、立地条件がいいからのようでした。新しくできた高速のインターに近い、工業地帯へ通いやすいなど話してくれました。

 

子どもたちは学校は午前中で終わります。

放課後は学童保育もありますが、美術学校、音楽学校、サッカーなどありますが、それは有料とのこと。

 

手取りの収入が、平均で手取り500~600ユーロだといいます。日本円にして6~7万というところでしょうか。

 

美術学校、音楽学校は7ユーロ、団体で教えるサッカーなどは2ユーロくらい。そこに給食代が3ユーロ・・・・・なかなかゆるくないですね。

 

村長さんは「子どもたちのために体育館を建てる計画です」と。体育館がないのですね。

簡単なことと思うでしょう?でも、おききするところによると、許可されてから、国の予算は事前に降りるわけではなく、完成後支払われるのそうです。ですから資金繰りも大変、業者も大変なシステムでした。

 

ガイドの邦子さんお話では教科書は無料で渡されますが、返還するそうです。そのとき、汚した度合いで罰金があります。「書き込まないで!いたずらしないで!ですよ。でも、どっちかというと勉強のできる子はきれいに使うようです」だって。

 

9年生までありますが、日本のように自然に進級できるわけではありません。

 

その学年の学力がつかないと、留年、一年生でもです。最高11年生まで在校できます。それが、みなさんの前ではっきり「もう一年やりましょう」と言われるのそうですよ。

 

周りもそう思っているし、本人も自覚しているから、納得するのですって。厳しいですね。さらに、成績は特に低学年は学校の責任ではなく、親の責任なんだそうです。これにはびっくり!!

 

低学年のうちはしっかり見てやって、学習の習慣をつけさせるということらしいです。ふーん、なるほどね??!!

 

「ハンディキャップを持つ子は、今はいない」と。「でも普通の学級でやっていけないと判断されたら、ブロックに分けられた地域ごとに学校があるのでそちらに入る」そうです。スロバキアに拠点として何か所かあるんでしょうね。

 

どんな障害児教育が行われているか、今回はよくわかりませんでした。

 

最後にロマのおはなし。ロマの子はほかの子と別学級。

いいろいろ試してみたのだそうですが「うまくいかない。別にしたほうがいいと結論」「もちろん、成績のいい子もいますから、その子はそちらのクラスです」と。

また「この村にはロマは定住していません。差別するわけではありませんが、内心ほっとしています」と本音ものぞかせました。生活習慣、考え方など違うジプシーと折り合って暮らしてゆくことは、頭で考える程簡単ではないと、実感を深くしました。

村長室で記念撮影。村のしるしの入ったマグカップをプレゼントしていただけました。

村長さんが言っていました。

「もし、あなた方が30年前にきていたら、すぐ秘密警察がやってきて、私はこと細かく尋問されたでしょう。今は自由!!なにを言ってもいい。学校も国の縛りがなくなって、自治体で管理できるようになりました」

 

 体制が変わったことではまだ日も浅く、スロバキアの方の考えはさまざまでした。村長さんのような考えもあり、「昔がよかった」という人もありでした。「昔はパンが安かった」という理由で「昔がよかった」という方もいましたし。

 民主主義が充実してゆくには、時間がかかると同時に運動が必用でしょうね。これからの国だなと思いました。

 

日本だって、民主主義を守り発展させるには戦い続けなければ、です。「日本は秘密警察へ逆戻り」の政治です。

 

実に楽しい懇談でした。

 

 

 

 

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子どもたちの割れるばかりの拍手とこぼれる笑!!シロケー小学校。

2017年05月23日 12時00分17秒 | 活動日誌

今日は感動で胸がいっぱいになりました。旅は人との出会いだなあ・・・といつも思います。

シロケー村の小学校訪問、村長さんとの懇談はじめ、村の方との交流で、心が満たされました。

 

特に子どもたち!と学校の受け入れです。

言ってみれば、ただの観光客が学校の子どもたちと交流したい、給食も食べたい、とのわがままな願いです。それを全面的に受け入て、学校挙げて歓迎してくれたのです。

 

学校にはいるなり、ホールに出ていた400人の生徒全員と先生の割れるような拍手とこぼれる笑顔です。

私たち、有名人にでもなったあのか、と恥ずかしいほどでした。Kさんは「キムタク以上の出迎えじゃない」と興奮気味。

とにかく驚いた。

 

子どもたちの踊りやうたでの歓迎にも感動しました。私たちはお礼に「大牧場は緑」「気のいいアヒル」と日本の歌「花」を歌いました。笑顔で真剣に聞いてくれましたよ。

 

 

子どもたちは屈託がない。うれしそうな気持がすなおに表情に出ていて、その目の輝きにまたまた心打たれました。そう、子どもにはこの笑顔です!!

 

人口2500人の村で、邦子さんと邦子さんの友人の計らいで実現した訪問でしたが、いくら小さな村だって「日本の学校でできるとおもう?」と言い合ったほど信じられない歓迎。

 

人口2500人で生徒が420人?

村長さんの話では、近隣の村には4年生までしか学校がないので、高学年になるとこの学校へ来るとのこと。ちなみに義務教育は9年、9年生までいました。

 

私たちのお土産のお手玉や、折紙のつる、コマが大人気でした。

 

 

スロバキアの学校は午前中だけ。給食は家に行って食べる子、給食を食べる子、といろいろ。給食代は支払うとのこと。

どこでも、食事の量がただならない。ほんとによく食べる民族です。給食もとても多かった!このほかにスープもありました!!

 

こののち村長さんから詳しくお聞きすることになります。

 

 

 

 

 

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ブゾヴィーク村の村長一族の大歓迎。民族蜂起資料館へ。

2017年05月23日 11時21分11秒 | 活動日誌

21日にはブゾヴィーク村へ。

南チェコの小さな村をいくつか訪問することになります。都会から脱して、どこまでも続く広大な国土に、感嘆の声をあげ飽かず車窓から眺めていました。

本当に広い、そして美しい丘陵が広がっています。

 

スロバキアの人口は500万人ほど、人口密度はゆるゆるではないだろうか。チェコは1000万人ほどでしたね。

農業従事者が多いのでは、と思いきや、商工業が多いと聞いて、また驚きです。そういえば丘陵には日本のようにさまざまな野菜が植えられてはおらず、牧草地帯。菜の花も大変大きな面積で広がっていました。油の後はやはり飼料になるそうです。

 

食事には野菜は圧倒的に少ないし、料理方法も限られています。コメの文化と粉の文化ではおのずと違いは出てきますが、日本の野菜の多い細やかな料理は優れものですね。

 

 

 

さて、ブぞヴィーク村はガイドの邦子さんのいとこが村長さんをしています。村長さん宅にお招きいただきました。

なんと、親戚全員が集合して、たっぷりのお料理とたっぷりのお酒、そのうえ、村の楽団のお出ましで、演奏と歌と踊りで、時間も忘れてた惜しく過ごさせていただきました。

 

村長さんは30才代、若々しく、期待されていろいろは仕事に頑張っていました。この村にある古い廃城を整備し、住民が散歩できるようにしたり・・・村長さんの一族はみな、美人美男ぞろいで、これまた、見惚れてしまいました。

 

スロバキアの他国に翻弄された歴史と共に歩んできたおじいちゃんに「体制が変わって民主主義になって、いかがですか」とお聞きしたら、しばらく考えていましたが。こうお答えでした。

 

 

「昔のほうがよかった。昔はみんな働いた。民主主義になったら、働かないでいるのがいる」というのです。

 

なるほど。一生懸命働きとおしてきたおじいちゃんには、社会保障の陰で働かない人が出てきていると解釈し、目につくようでした。

 

 

おそらく、ロマ民族が政府の保護を厚く受けている?(と考えているようです)のに、なかなか働く習慣が身につかない事を指していったのかなと思いました。

 

でも「年金は十分ですか」には「いいや、十分ではない」とお答えです。まだまだ社会保障が充実しておらず、要求がつよくあるのですね。

 

 

 いろいろな意見があって当然ですね。

ロマの問題は、本で読んでいるように簡単なことではないことを、その後もいろいろな場面で知ることになります。違いを乗り越え仲良くなっていくことは、対話しながら作ってゆく大変な努力の積み重ねが必要だなあと実感しました。

 

とても心のこもった接待に感動しました。お別れの時は、楽団のおじさんが演奏しながらバスを見送ってくれ、Nさんは感極まって涙を流していました。

 

この後、スロバキア民俗資料館の見学。

スロバキアが、ハンガリーやドイツ、ソ連に翻弄されながら、独立するに至った歴史を事細かく説明してもらいました。

しかし、ドイツに行ったとき若者が言っていたことを思いだしました。

「ナチスの蛮行は私たちの責任ではないと思います。でも私たちは激しく論議します。最後は誰も何も言わなくなります。それはドイツ人として、私たちにも責任があるからです」

 

スロバキアも、ドイツに手を貸して多くのユダヤ人をガス室へ送り込みました。

その点の説明はあまりされませんでした。

そして、日本はまだひどいものだと、心で怒りを感じていました。話さなないどころか、過ちを正当化しています。

 

 

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結婚は結婚、仕事は仕事

2017年05月21日 10時37分02秒 | 活動日誌

日本では、若者に仕事がなく、非正規で給料が安く、結婚や子どもを産むことも躊躇する状況がある、とお話したら、チェコでは、「そうは考えないかなあ」とのことでした。

 

「給料が少ないから結婚しない、という発想はあまりしない。それはそれ、結婚は結婚。いざとなれば、両親の家で一緒に暮らす、とかんがえるかな。日本人の考え方はとっても真面目なんです」と、日本人ガイドの邦子さんのお話しでした。

 

「しかし、その両親が年金が少なくて自分の暮らしもままならないのです」

 

うーん。日本の状況の深刻さが伝わり切れなかったかな。

 

やはり、楽観的になれる条件として、先日お聞きしたように「仕事はある」こと、また、十分充実しているとは思いませんでしたが、裏付けの福祉制度の違いもあるでしょう。

でも、国民性としても楽観的な面があるのかなと思いました。

 

日本では自立すると親元から離れるのが、今は普通です。仕事が家の近くにないのですからそうならざるを得ない。しかし昔は大家族も多かった。

チェコでは、家族をとても大事にしていて、一緒に暮らすことは普通なのかもしれません。

 

邦子さんが結婚してスロバキアに住み始めたころ、日曜日に掃除機をかけてお姑さんに叱られたそうです。日曜日は安息日。草取りをしたり家の掃除をするのは土曜日、日曜日にはたらいいている「嫁」を見たら、「あそこの嫁はなんだ」ということになるのだそうですよ。

 

高速道路のサービスエリアのレストランで昼食をとったとき。選んでよそってもらって、会計するというシステムで、「ストップ」と言わないと、山盛りきてしまいます。写真の量を見てください。

多くても少なくても、一皿いくらで値段は同じ。知っていれば、何人かでシェアしたのに・・・。これはカリフラワーのフライとポテトです。

スロバキアのプラチスヴァでの私たちのホテル。大統領官邸の真ん前でした。トロリーバス、路面電車が公共交通網です。

 

今日は田舎へ移動です。もしかしたら、インターネット環境が悪いかもしれません。これからが旅の醍醐味プログラムだから、お願い、つながって!と思っています。

 

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スロバキアへ移動。誕生日を迎える人がプレゼントを配る!!

2017年05月21日 05時07分11秒 | 活動日誌

今日は移動日。チェコからスロバキアへ入りました。

ボヘミア地方からボスニアを通ってスロバキアへ。約6時間の間、ずっと、行けども行けども広いひろい丘が続き、北海道よりはるかに広いと思いました。

しかも、今、菜の花が真っ盛り。黄金の丘が続きます。見事でした。美しい。

 

ボヘミア地方の人は、独立の時、チェコと一緒になりたいとの希望もあったそうです。ボヘミアと一体だったのでしょうね。

 

 

首都プラチスヴァの大統領官邸前のホテルにいます。ここは通過地点のようなもので、明日はタトラ山脈のふもとへ移動して、3日間、村のみなさんや村長さんとの懇談交流、学校訪問などがメインになります。

大統領官邸  屋根のてっぺんに旗が翻っていたので、今日は大統領は在宅の用ですね。留守の時は旗がたちません。

プラチスヴァは面白い街で、住民は4カ国語を使うのだそうです。チェコ語、スロバキア語、ハンガリー語、ドイツ語です。

 

そんなところに、陸続きで常に侵略の歴史があったし、交流の歴史も深いのだと思わされまます。国境に接ている町ですし。近年もスデ―デンと法はドイツナチスにとられ、ドイツ人がたくさん住んでいましたし、南の方はハンガリーの領地でした。島国日本では考えにくいことがありますね。

 

 

写真はホテルでみんなで折り紙の練習。学校訪問の時、子どもたちと一緒に折ろうという計画です。

昨日はご一緒したNさんの誕生日でした。

ホテルではサプライズで、ケーキとフルーツのプレゼントが用意されていました。

スロバキア在住のガイド、邦子さんの話では、スロバキアでは誕生日を迎えて人が周りの皆さんにプレゼントをするのだそうですよ。

だから子供の誕生日の時は、クッキーをクラスの友人分焼いて用意するなど、忙しいのだって

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