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中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

新入党員を迎える。募金活動。原発署名で訪問活動。

2011年05月31日 20時08分15秒 | 活動日誌

 

 31日、1日の二日間は、北部地区で活動です。今日は須坂市、明日は午前中は飯山市で、午後は栄村です。

土谷宅のヤマボウシ

 午前中は須坂市で、土谷ふみえ市会議員とMさんを訪問し、入党していただけました。40代の女性です。演説会にもきていただき、ずっと応援してきてくださった方です。「震災救援復興のために力を尽くしながら、誰もが人間らしく生きれる世の中にするために、力を合わせましよう」とのお誘い文を読み合わせて、「一人で悩まず力を合わせましょう」との呼びかけに「ずっと入ってもいいと思っていました」と応えてくれました。

 午後は、救援募金集めでした。街頭からではなく、募金してくださるという方をお訪ねして歩きました。さまざまな団体に何度も出しているにもかかわらず、また応じてくださるのですから、本当に心から感謝です

 夕方、県委員会の勤務員支部の水野青年と、「原発の撤退」をめざす署名に歩きました。軒並み訪問です。

 水野君の「こんにちわー、若里の共産党の者です!」のさわやかな挨拶がとても良かったですね。「え、どなた?」と言う方には、「あ、中野です。いつもお世話になっています」「ああ、中野さんですか!」と、笑顔になってうちとけた場面もあって、「私も役に立っているな」と。

 「あんな危ないものはやめたほうがいい」「東電はひどい」と、みなさん快く書いてくださった上に、「共産党、がんばってくださいよ」と励ましていただきました。

 「放射能が不安で仕方ない。でも、菅さんもかわいそう。自分がやったんじゃないのに、たたかれて」「でも、菅さんも原発推進なんですよ。昨日のパリの会議では、もっと安全な原発をすすめるって言ったのですよ」なんて会話もありました。

 小一時間で15筆集まりました。お一人だけ、「電力が足りなくなるのでは・・・まだ、署名をするまでわかってないのです」としてくださらなかった。でも大変好意的で、党のチラシを良く読むとの誠実な対応で、嬉しく思いました。みなさん、真剣に考えています。

 市会議員選挙のお願いもしました。現職小林よしかずさんの地域です。みなさん、とても暖かく「わかりましたよ」と。一軒ではちゃんと正直に「中野さんには家族みんなで入れますよ。でも市会議員は半分。知り合いが出るからね、全部はダメ」と言われました。もう、始まっているな、と実感しました。

 

夕べはタケノコ汁 おいしかったよー!

 栄村からいただいてきたねまがりだけです。サバ缶と煮るのがおもしろい。長野にきて初めて知りました。この季節、長野で良く売れるのがサバ缶。スーパーのサバ缶が売り切れることもありました。今回は、タケノコをくださった方が、丁寧にもサバ缶も一緒にくださいました。

 今日の御弁当には、ワラビの煮物、ウドの煮物、ねまがりだけの卵とじが入りましたよ。山菜の季節です。おいしいねー。最高だねー!

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定例の会議。募金集め。

2011年05月30日 20時11分54秒 | 活動日誌

 

 月曜日は定例の会議です。大震災や原発事故を通して、国民の誰もが、「日本の政治はこれでいいのか」と問い、「自分たちにできることはないか」と行動し、命を大事にする新しい政治を作る模索が、いっそう深く広くなってきています。

 自民もダメ、民主もていたらく、ではどこに託せるのか? 今まで共産党を選択肢にあげにくかった方も、「共産党の言っていること、やっていることは、注目に値するのではないか」と考えてくださっていると、地域をまわっていても底から変化しているな、と私は感じています。

 毎日新聞や日刊スポーツなどで、不破さんの論文が共感を持って取り上げられているのも、世論の変化の現れです。

 だから、期待に応え責任を果たすために、党は元気を出して、仲間も増やし、新聞も読んでいただき、力をつけよう!とよーく話し合われました。

                  

 さて、6月に入ったら、私はまた、石巻に救援のボランティアにいくことになりました。

 実は長野県は、この度岩手県釜石方面の担当になりました。

 しかし、石巻は、長野県が今までずっと支援をしてきたところでもあり、何より私の故郷なので、まだまだ友人の消息もわからず、是非いかなければと思っていました。その気持ちも汲んでくれ、県委員会として、もう一度支援隊を送ろうと決めてくれました。

 母も他界しその報告とお礼もあるし、友人にも会えれば嬉しい、地元後援会でお世話になっている昆布やさんにもあってきたいし、少しでも故郷の被災者のかたのお役にたちたい思いで一杯です。

 それで、今日はそのための募金活動もしました。

 「赤旗」で、石巻では、魚の腐った異臭が充満している記事が載りました。かたづける作業員のカッパを通して体に染みこんで、避難所くらしの方はまわりに気遣って仕事をやめる方もいるとか・・・・。非常に辛い仕事だと。

 石巻の駅に降りると、浜から風が吹いているときは魚で肥料を作る独特なにおいが漂ってきたものです。私にはなつかしい匂い、でもあれでも異臭と感じる人が多いと思います。だから、想像はつきます。

 これから梅雨、そして夏。心配はつきません。

 

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訪問。原発署名と宣伝。栄村へ、災害対策会議。

2011年05月29日 21時42分23秒 | 活動日誌

 

 一日中雨でした。それも、ジャンジャンと降るものだから、行動しにくかったです。「雨にも負けず・・・」やりました。くたびれた靴をはいていたものだから、グッチャリ水が入って、まいった。

 午前中は、原田市会議員とI支部のSさんと3人で、署名を持って訪問活動でした。署名は「原発をゼロに」と、「市庁舎と市民会館の立て直しの是非を問う住民条例制定」の2種類です。

 どちらも「その通りだ。原発はいずれはなくさなくてはいけない」「菅はフランスで何て言ったんだ?」「こんな時に、130億も使って市庁舎や市民会館を立て直す必要はない。ムダ使いだ」と、「待ってました」とばかりに署名してくださいました。

 あるお宅では「市民会館はやめろと、署名運動でもしてくれ!」と言ったところに「今日は、そのことできました」と署名用紙を差し出して、「おー」と。

 赤旗を購読してくださる方も増えて、何よりだった。11時半には、長野駅頭に向かいました。今度は街頭から「原発ゼロ」の署名行動です。

原田市議、石坂県議と私の3人で訴えました。

雨でも署名に応じてくださった。

 地区委員会が署名用紙が寝れないように工夫をしたのに、やっぱり濡れてしまった。どんな工夫かというと、署名用紙大の段ボールをビニールで包んだ「ふた」だったのですが。アイディア賞ではあったけれどね。

 県委員会でお昼を食べていたら、テレビで石巻の報道です。鶴べいさんとさだまさしさんの、石巻の人との再開物語です。最後までみてしまいました。「千石町」と私の実家の町名もでて、目をこらして「どこかな?」と。

 被災者のみなさんの声を聞くたび切なくなります。あのヘドロや瓦礫の山は、どうやって始末したらいいのだろうと、頭を抱えます。通常の100年分です。

じゃこうそう 訪問先で一株いただいてきたら、増えました。

 

 夕方、栄村へ出発。6時から現地災害対策本部の会議でした。

 いよいよ田んぼ対策です。激甚災害が適応されると田んぼの修復は費用の95パーセントが保障されますが、40万円以下は対象になりません。40万円以下も対象にしてもらわなくては再建できません。田んぼだけでなく、家も壊れ、お墓も壊れているなど、あちこちにお金がかかるのですから。

 しかも、もう作付けの限界がきていますから、住民の焦りを感じます。

 しかし全部が対象になる見通しに希望も見えていますので、県と村にさらに「早急に」も加えて、要求をしていこうとなりました。

 あるお宅では業者に見積もってもらったところ、田んぼだけで800万円だとの報告です。会議では「ええーー!」と驚きの声があがりました。

 いろいろな問題が次々出されましたが、深刻なのは「半壊」と「一部損壊」の判定を受けた住宅です。保障があるのは「全壊」と「強度半壊」だけで、「半壊」「一部損壊」は何の保障もありません。ここに保障をさせるにはどうしたらいいかも話し合いました。

 Hさんの家も「半壊」ですが、見積もってもらったら700万円もかかるというのです。でも「半壊」だから何の保障もないのです。

 また、さらに深刻な実態が見えてきましたが、全壊、半壊の163軒のうち、93軒が家を壊し、更地にするというのです。想像するに、半壊の家を直すにも700万、800万円とかかってしまうのですから、直すことすらできずに壊してしまったのだろうか。全員が新しい住宅を建てるとは考えにくい。村から出て行って、子どものところに行く人もいるのでは・・・と心配になりました。

 個人住宅への保障額のアップとともに、どんな村営住宅を建てるか、村民の参画で知恵を練り、将来への見通しを作りながら、「この村に住み続けたい」希望をかなえてゆきたいことも、大きな話題になりました。

 ニュース、要求書のまとめ次の会議など決めて閉会。夜の雨の田舎道は、怖かったな。栄村は長野市と同じ北部でも、長野市から2時間、かかります。

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「日刊スポーツ」でも「科学の目で原発災害を考える」が話題に! 長野合唱団演奏会。

2011年05月28日 19時43分37秒 | 活動日誌

ルッコラ そろそろ花は終わりです。

 

 5月28日付けの「日刊スポーツ」が今話題です。先日の読売新聞に続いて、不破さんの「科学の目で原発災害を考える」が真摯に受け止められて、事実に即して書かれたいい記事が載っているからです。

 記事の最後の文章を紹介すると、「『原発がいわば国策』という言葉が恒常的に使われているが、不破の話を聞いていると安全対策抜きでここまできたことが良く分かる。何よりも現政府関係者は一読すべきだ。政治のなすべき役割が良く分かる」とありました。

 その通りですね。菅首相は、パリでのOECDの講演で「福島原発事故を踏まえ最高度の原子力安全を実現する」と語りました。あきれるばかりです。

 役者の山本太郎さんが原発をめぐる発言で番組から外されたニュースがありましたが、安濟育郎さん著の「福島原発事故 どうする日本の原発政策」の本の末尾に、先生も原発批判をしたことから「アカデミックハラスメント」を受け、「ほされてきた」事実が書いてありました。

 話は飛びますが、ミミズ博士の中村方子さんも、「ダイオキシンが(当時はまだダイオキシンが明らかになっていないときでしたが)人体に害がないことを証明して欲しい」との研究を断って、10年以上にわたって研究室で仕事をもらえず苦労した話を、ラジオの「深夜宅急便」で聞きました。

 でも中村さんは「ここで妥協したら私は科学者でいられなくなる」と良心を守ったのです。

 安濟先生や中村方子さんのような科学者ばかりだといいのだけど、原発推進の学者にしても、浅川ダム推進の学者にしても、科学者として良心を売って、少しでもこころが痛んでないものなのか。お金と権力には弱い人種がいるのですね。

 しかし、「日刊スポーツ」も取りあげるくらい、世論は広がってきています。

おどりこそう

 さて、午後は「長野合唱団」の定期演奏会を聞きにいきました。ここしばらく日程が重なって行けなかったので、本当に何年ぶりでしょうか。やっぱり、聞くのもいいけど、一緒に歌いたいですね。カムバックしたい気持ちに駆られました。

 関西合唱団常任指揮者の守屋博之さんが客演指揮者として見えていました。守屋さんが指揮をすると、、出ない声も出てしまう気分になるのです。実際、出のです。もう一度、歌いたいと思いました。

 ステキな時間を過ごせました。

 夫は患者さんと作っている「リハビリ友の会」でいろいろなサークルをやっています。例えば「元気太鼓クラブ」「ハモニカクラブ」・・・・「歌う会」もあるのです。

 私の隣の席にちょうど「歌う会」のメンバーが座りました。彼女曰く、「この前、先生言ってたわよ。さなえさん、地域の子どもを集めて歌って何がおもしろいかって思っていたけど、その気持ち、今はわかるって」そうか~!!

 「リハビリ友の会」の「歌う会」は、秋に開かれる「信濃の歌声祭典」に出場しようかどうしようか、思案中だって。

 

 

 

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浅川ダム裁判第6回訴訟。全地区で党員を迎える!

2011年05月27日 20時22分15秒 | 活動日誌

 

 まず最初に、6月のエッセーをアップしましたので、読んでください。「母の思いで」です。

 浅川ダムの第6回の住民訴訟の口頭弁論の傍聴にいきました。そのあと、原告団と弁護団の集会を持ちました。午後は、木島平村へ飛んで、入党者を迎えるため、訪問をしました。そして、お迎えしました!

写真は全部、集会の時のです。神戸原告団長の挨拶。

 今日の浅川ダム訴訟では、一吉弁護士が意見陳述し、FV断層と呼ばれている活断層の危険性について述べました。

 県の利水治水検討委員会では、ダム賛成派も反対派も賛同して、委員会としてFV断層の調査をするように知事に提案していました。それは、専門家の松島先生がトレンチ調査を行ったところ、新しい活断層で最近動いている形跡があり、危険であるとの指摘があったからです。

 阿部知事は、選挙戦の時は「再調査をする」と約束していたのに、それを反故にしてダム建設を強行しました。公約違反です。

頼もしい弁護団です。

 加えて、今日争点になったのは、2つでした。

 争点は「天井川の浅川は改修されたのに、それでもダムは必要か」なのですが、被告は「必要だ」との証拠をなかなか出さなかったのですが、やっと出してきました。

 それを検証した結果、浅川の改修後のデータだといって出してきたものが、実は古いデータをそのまま使った「改修前」のものだったのです。

 県は、最初は「内水対策にダムは必要」と言っていたのに、論戦に破れ「内水災害には関係ないが、外水災害には必要」と言い出しました。180度の転換をしたわけですが、これ自体、運動の成果だったと思います。

 仕方がないから、今度は「外水災害に必要なんだ」と言いだしたのです。外水災害とは、浅川そのものがあふれて送る災害のことで、私たちは、浅川を10メートルも掘り下げて天井川も改修したので、浅川の外水害は防げたと考えています。被告が出してきた「証拠」は「改修前」のデータですから、説明になりません。改修したが、なお、災害の危険があるとの証拠にはならないのです。

 このうそがはっきりしました。被告の県は認めました。

 二つめは、浅川の末流は「外水災害」だとしたことです。しかも、千曲川には全く触れておらず、浅川だけの問題になっています。実は、浅川の末流、つまり、千曲川の合流点では、千曲川の河床の方が浅川よりの高いので、浅川が千曲川に流れ込んでいけないことが、一番の問題で、内水災害なのです。

 弁護団が「千曲の水が逆流しないことを前提にしている」と事前に問いただしたところ、その返答は「無意味」とあったそうです。それを問いました。つまり、千曲には全く雨が降らず、浅川だけにジャンジャンと降ってあふれるのか、ということですね。そんなこと、あり得ない。

この二つを明らかにした木島日出夫弁護士。迫力でした。

 この2点は、今回は問題提起、次回の訴訟で論戦することになります。

 しかし、まあ、証拠は言われたからしぶしぶと、それも小出しにして、しかも古い資料を使って平気で住民をごまかそうとする姿勢は、東電のやっていることと同じだなあ、と思いましたね。

 検察官は「ダムの必要性と危険性の問題は、別にして段階的に論議しましょう」との提案をしましたが、弁護団は「表裏一体のものであるから、重点は置いても別ではない」と釘を刺したのは良かったと思いました。

 裁判のあとの集会では、「裁判所に公平な裁判をするように、署名を集中しよう」「次の公判の前に、弁護団と原告団の学習集会を開こう」と決まりました。

マロニエ 樋口議員の自宅に咲いていました。

 午後は木島平村に飛びました。北部地区委員長代理の井浦さんと樋口村会議員と入党のお誘いです。新しいお仲間が増えました!!これで、5月は全地区が新入党員をお迎えすることができました!!

 「震災で、本当に政治の根本を変えなくてはと。いつも応援はしてきましたが」と気持ちよく入っていただけました。「今は、資本主義から抜け出そうという大変な時代なのですよ」との話もしました。

 

 

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事務所でデスクワーク、災害対策本部の会議

2011年05月26日 19時47分55秒 | 活動日誌

タニウツギ  昨年バッサリ枝を切ったら、ここしか咲かなかった。

 

  「午前中は浅川ダムの裁判だ!!」と勇んで出かけました。事務所で9時過ぎに「あ、もう出かけなくちゃ。今日は裁判なんだよ」と言えば、毛利栄子さんが、「あら、明日じゃないの?」と言うではありませんか。

 前県議だった毛利栄子さんは、県の政策委員として、週2回ほど県委員会に勤務して力を発揮しています。残りは地元で活躍です。

 手帳を見たら、「ああ、そうだった!」何てことだ。それで、午前中はデスクワーク、主は、「民主長野6月号」のエッセーの原稿書きでした。これはこれで時間が取れて良かった。

 エッセーは、その時々、私の心に強くあることを書くことになるので、当然、今は母のことです。葬儀から二週間たちました。母が私に残してくれたもっとも大切なものは何だろうと考えました。それを書きました。

 ところで、お骨はまだ我が家にあります。被災地の実家はまだ落ち着かず、当分、母は長野にいます。でも、私は、まじめに仏壇に向かわないのです。思い出したように、時折お線香をあげる程度です。

 仏壇に向かうと死んだ母に向かう気持ちになってしまうのですが、頭の中で考えている時は、生き生きした母です。その方がいい。私は、もともと信心深くないし、不謹慎かもしれないけど、朝晩お参りしないことを「悪いな」とは思っていないのです。母は怒っているかもね。

 エッセーは近いうちにアップしますので、読んでみてくださいね。

 

レンゲツツジ!庭にあるんだな、これが。まっ盛りです。

 

 午後は災害対策部の打ち合わせです。

 東北関東大震災では、共産党は5月から全国レベルでそれぞれ担当地域の分担を決め、支援に入ることになりました。北陸信越ブロックは、岩手県の釜石市の東部地区委員会への応援と決まりました。

 二種類の支援があって、ひとつは共産党組織活動の手助けです。現地では、党専従者や議員が亡くなったり、党員自身が被災者なので、組織活動に困難をきたしています。ある地区委員会では、地区委員長一人で党組織もまとめ、ボランティアの受け入れもし、支援物資も扱い・・・しかも事務所がなくなったところもあるのです。というように、とても大変な事態で、現地だけで動きが取れないのです。

 住民のみなさんの要望にお応えして活動するためには、どうしても応援が必要です。こちらは、主に党専従者中心に分担しています。共産党ならではできることだと思います。

 二つめは、物資を持っていって地域に入る「お届け隊」や、泥のかきだし掃除などのボランティアの仕事です。こちらは、多くのみなさんに応援をお願いしています。5月だけでも、各地区から13団体が、3人、5人、10人と編成を組んで、平均して3日間コースで「出動」しています。いまのところ1週間に約3回、一日おきくらいに、長野県からの応援団が現地に向かっています。

 今日は諏訪・塩尻・木曽地区委員会から上田秀昭さんを隊長に出かけました。明後日は中信地区委員会から犬飼明美前市議を隊長にでかける予定です。

                

 会議では、この救援活動の継続のための施策や、今まで支援を続けてきた石巻への特別行動も組もうとの話し合い、加えて、栄村への支援の具体化も大きな議題でした。

 明日は、間違いなく裁判です!! 午後は木島平村で行動します。

 

 

 

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M保育園発達相談日。長野市議選決起集会。

2011年05月25日 22時50分35秒 | 活動日誌

テッセンっていい花だよねえ。

 M保育園の発達相談日でした。今日は、0歳児から3歳児までの発達検査がありました。

 行政で行う乳幼児検診をもっと充実させたいものです。3歳児検診で、当然フォローされてもいい子が見過ごされていたり、保護者も保育士も納得するような連携が弱いために、加配先生の配置も弱く、現場の悩み、苦労がとても多いのです。

 Rちゃんも、細やかな手だてが必要な子ですが、「もう大分良くなっているから」と行政との関係は断ち切られており、加配の先生もいらないことになっていました。

 でも現場では、決してそうではありません。先生は大勢の子のなかでお子さんをみているので、「この子のこの力がもっとほしい」と敏感に感じています。発達検査でも、それが如実にでていました。

 結局、それぞれの分野でみんながんばっているのに、保健所を統合したり、加配の予算が付かなかったり、そもそも保育士配置の定数基準が少なすぎますし、そんなことが問題なのです。その上、「新しいシステム」が急上昇でに再び頭をもたげてきました。とんでもないことです。

 でも、Aちゃんの検査では、嬉しいことがありました。

 とにかく泣いて、泣いてばかりいるAちゃんは3才も後半の子です。慣れない場所になじみのない私がいるのですから、先生が捕まえて連れてきても、ひっくりかえって全然ダメです。発達的には、1才半の節目を充実して乗り越えていないのです。気持ちの切り替えがとても苦手な子です。

 だけど少し知らん顔してほっておいて、様子を見て検査道具をだして声をかけたら、興味を持って、すーっと入ってくれました。最後まで、つきあって遊んでくれたのです。自分で気持ちを切り替えられた場面でしたから、私はとても嬉しかったですね。発達検査とは、こうした子どもの力を出させたり、みたりするためのものなのです。IQをはかるために行うのではないのです。

 お昼は食事の場面を共にしました。「これ、くさだよ」「ニラなんだけどな」と先生。「せんせ、はっぱちょうだい!」散歩で取ってきた野草を先生が天ぷらにしてくれたのです。大人気でした。自分たちで採ったんだものね。

 夜は、長野市議選の決起集会でした。

大勢集まりました。

6人の候補がそれぞれ力強く挨拶しました。

 野々村ひろみ団長が言ったように「鷲沢市長はとてもわかりやすい」のです。「民営化は私の使命」といってはばかりません。

 福祉はバンバンと切り捨てて、年間8億円にものぼる負担増を市民に押しつけています。一人暮らし老人の緊急通報システムを有料化するということまでしているのです。

やることは大型公共事業。浅川ダム建設を推進し、市民会館の立て替えをもくろむ。鷲沢市長はコンクリート会社を経営しているひとでもあるから、「自分の会社のコンクリートをいかに使わせるかしか考えない」市長だと、市民の間ではもっぱらの評判。これを推しているのが、共産党を除くほとんどの会派です。

 一昨年の市長選で、共産党が加わる「みんなの会」が支持した高野登候補が、鷲沢市長に651票差まで追い詰めた力が市民にはありますから、世論と力を合わせれば、共産党の6議席の値打ちははかりしれません。

 各ブロックと団体からも決意表明があり、「団結、がんばろー!」

                

 明日は浅川ダムの第6回目の裁判です。私も原告団の一人です。

 

 

 

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石巻の知り合いの消息がわかった!!都市ガス工事。

2011年05月24日 23時14分24秒 | 活動日誌

庭のテッセン  見頃です

 プロパンガスから都市ガスに変える工事の日だったので、一日自宅にいました。9時半から始まって、終わったのが5時頃だったかな。火は使えないから、本を読んだり原稿を書いたりで過ごしました。

 今日の最大の出来事は一生懸命探してた石巻の知り合いの消息がわかったことです。地元の共産党後援会で25年もお付き合いしている北上町の昆布やさんです。後援会の物資として、長年お世話になってきました。

 回り回って探しあてた携帯番号に電話をしたら、違う人でした。がっかりする私に「私も避難している身だが、誰を捜してるのか」と。「ああ、Sさんだね、私も北上町。同じの人だよ。彼の家は高台で助かったよ。息子さんの携帯番号はわかるから教えるよ」と、本当にラッキーでした。

 この方に「あなた様はどうだったんですか?」とお聞きしたら、「俺は、何もかも失ったよ。Sさんと違って海辺に家があったんだ。家も船も何もかもなくなった。長靴ひとつない。避難所生活は疲れる。母親も死んだ。俺は、中学卒業してから、ずっと海で暮らしてきた。海のことしか知らない。今さら仕事を変えることはできない」と、底抜けに明るく聞こえる、空元気の声で話してくださるのです。

 「何か必要なものは?」とお聞きしたら「家が欲しい」と。「家は用意できませんが、困った時にはぜひ共産党に電話ください。駆けつけます」「家が欲しいなんてジョークだよ!」「わかっています。でも、家の再建にも漁業の再建にも、支援が行き届くように、国会でもがんばっていますから」「えーと、中野さんだったね」「そうです」「これも縁だね」

 早速、石巻の共産党支援センターに連絡したら、Sさんにも電話の方にも、「早速生鮮食品を持って訪ねてみます」とのご返事だったので、この行動力に感服し、ありがたく思いました。

 それでも、よかたあ!2ヶ月以上探し続けて、今日お話できました。

しゃが 今、庭を制覇している。好きな花です。

 さて、昆布やさんのSさんですが、連絡がついたことをたいそう喜んでくださり、「家も助かり、船も沖に出したので助かりました。養殖は全滅ですが」と、実情を語ってくれました。津波から船を守るために、沖に持って行ったとのことですが、沖に行くと中でひっくり返った船もあったなかで、本当に良かったと思いました。船をなくした方や漁業の再建の見通しが立たない漁民のために、何とか保障をしなくては。

 「特区」なんてとんでもないことです!

 来月に入ったら、もう一度、石巻に出かけたいです。私の故郷です。

 

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長野市議団の救援活動の報告会。

2011年05月23日 07時59分12秒 | 活動日誌

 

 昨晩は疲れて寝てしまって、今朝の報告になりました。

 昨日は、雨の中で街頭宣伝をしたあと、長野市議団の宮城、福島への救援活動の報告会でした。写真だけアップしておきます。出勤時間なので、また詳しくはあとで。

雨なのに大勢の方が参加。

 議員は、伊藤予定候補も含めて一人づつ全員が報告しました。宮城は石巻に行ったので、故郷の映像と報告に、私は自然と涙があふれてきて、止まりませんでした。福島の報告も生々しく、救援復興支援はまさにこれからです。

河野ドクターの講演

 市議団の報告のあと、福井出身である、長野中央病院の河野ドクターが「原発」の講演をしました。

福島の支援物資。生酒と醤油と菜種油を買ってきました。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 朝の続きです。

 震災後2ヶ月経った今なお、水さえ届かないところもあるという実態や、広い畑のような場所にお花がたくさん見えたが、それは犠牲者を土葬した場所であったと、声をつまらせての市議の報告に、私の友人ももしかしたらその中にと思うと、たまらない気持ちになりました。

 お届け隊では、10分でトラック一台分の物資がなくなったと言います。

 国会で党議員がせまっていますが、早急に改善をはかるために力を尽くすべきです。現場は待ったなしです。宮城県の遠藤いく子さん初め、党県議団が被災者と結んで、避難所の食事の改善、衛生条件の改善ができた新聞「赤旗」のニュースは、とても嬉しく読みました。

 河野ドクターの話は大変わかりやすく、福井の敦賀原発は、当時「敦賀原発から大阪万博に火を」とのスローガンで、誰もが安全を疑わなかったし、疑問を出せない状況だったと言います。ドクターは高校生のころ、社会派の新聞部にいて、調査活動をしたことから原発に関わってきたそうです。

 福島原発より古い敦賀原発から、河野ドクターの実家は10キロ以内にあるそうです。私の実家も、女川原発から10キロ以内です。日本は、どこも安全なところはありません。

 今日は一日、定例の常任委員会でした。

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お仲間増やし。来客。

2011年05月21日 22時41分50秒 | 活動日誌

スミレを摘んでトイレにかざった

 

 お仲間増やしデーでした。いっせい地方選挙で応援してくださった方に「ぜひ、入党を」「ぜひ、赤旗を」とお勧めしました。

 ある方は、原発問題を解決してゆくために「政治を根本的に変えなくては・・。今までも入党はしていなくても応援してきましたが、しっかり考えます」と、またこれまでは「入党なんて考えていない」と応援団でいた方が「子どもの将来を考えると、まじめに考えなければ・・・」と言ってくださいました。

 毎日新聞のコラムで岩見隆夫さんが「トイレなきマンション」と題して先日の不破さんの講義を高く評価し、「原子力への理解を深めるためにも、不破講義の一読をおすすめしたい」と紹介していました。不破さんを「20数年間、原発災害という同じテーマで質問し続けた唯一の政治家」と評価しています。

 「トイレなき・・・」とは、不破さんの国会での原発の最初の質問以来35年間、「原発の後始末で何の手も打たれていない」ことを表現した言葉です。

 入党をおすすめした方は日刊紙の読者でしたがまだ読んでおらなくて、紹介したら「へええ、ぜひ、読んでみます」と意欲的な反応でした。ぜひ、多くのかたに読んでいただきたいと思います。

 夜は来客でした。大阪から友人が訪ねてきました。楽しいひととき、今日の料理は山菜三昧。「フキやワラビくらいは知っているけど、大阪ではこんな山菜は食べられない」と喜んでくださいました。良かった。

 コゴミ、コシアブラ、タラの芽、ワラビにフキ・・・山菜がとってもおいしい季節ですね。最高です。

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