保育園で診た育休あけで入園したAちゃん。市の乳幼児健診で早期発見が遅れた。遅れたと同時に、手立てが示されていなかった。ほんとに悔しい、悔しい。公の乳幼児健診の充実を願ってやまない日です。
私は何か所かの保育園で新入園児全員の発達検診を行っています。発達全体をみて、保育園の先生と親御さんと、子育ての、あるいは療育のさまざまを話し合います。
チェックした子は、先生と一緒にずっと育ちを見守ります。
時々、「もっと早く発見していれば」と思う子に出会います。
この頃遭遇したAちゃんもそうでした。健診で遅れの指摘はされていても、「様子を見る」で1年も具体的手立てがとられていませんでした。
私の見立てでは、単なる遅れだけではなく、即リハビリが必要な子でした。3か月検診の時のチェックで始めていれば、ずいぶん改善したと思うのです。
早速、あちこち手を打ちましたが、本当にくやしい。
なぜこんなことが起きるのか。現場では保健婦さんも医師も、がんばっています。問題は検診の仕組みなのです。
まずはスタッフです。小児神経科の医師が少なく、いや、市町村によっては小児科医が少なく外科の医師が担当していたところもありました。
保健婦さんだけでなく、発達相談員もほしい。発見するための専門チームが必用です。発見だけでなく、子どもと親御さんの願いをくみ取り、共に子育てする仲間として共同するのがチームの仕事です。
発見されたらすぐに療育が始まるシステムがあってこそ、発見が生かされる。
大津の発達相談員だった故杉江先生が言っていました。「早期発見は、手立てをしっかりしないと早期差別につながる」と。
もうひとつは、生まれてから就学までの健康管理が一か所でわかるような仕組みが必要です。
つまり、一般的に今の乳幼児検診には、発達を見る観点とその子の育ちに責任を持つ仕組みがあまりにも位置づいていないのです。だから、Aちゃんのような子がいるのです。
大津ではすでに大津方式で、この仕組みがつくられました。そこには、故田中昌人先生や杉江先生をはじめ、多くの方の並々ならぬ努力がありました。
発達相談員だった杉江先生は、公の検診が終わった後、遅くまで子どもたちを検査してデータを出し、田中昌人先生がそれを理論化して、実際に生かしてゆく。そんな苦労の積み重ねだったそうです。
その実績が土台となってできた大津方式では、健診で発見されたその日のうちにリハビリに回る、との流れがつくられたのです。
「遅れのある子を持つ親は検診には来たがらない。健診に来ない子の中に障がい児が多い」と発見し、健診漏れゼロ、発見漏れゼロをめざし、療育に道を切り開きました。
長野県でも毎年、県推進協が県都の交渉の要求項目になっているのですが・・。国も乳幼児検診から手を引いています。
障がいを持つ子たちは、産まれ落ちた時から社会的障害にぶち当たるのです。