中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

木島平で訪問・青年キャラバンと合流して元気よく! 街頭演説中に入党者が!!

2009年05月31日 22時00分09秒 | 活動日誌
 午前中は北部地区木島平村で、樋口議員と訪問活動。



 「せめて、一日の楽しみの晩酌くらいやれる生活にしてもらいたい」
 「党首討論は、政党として何をやろうとしているのか、何にも話はしなかった」
 「他の国は子どもの医療費、無料!? そうしてもらいたい」と若いお母さん。

 「年金暮らしで大変だ」との声はお年寄りの枕詞になっている、生活の実態です。苦しい中、4人の方が赤旗読者になってくださいました。



 午後は長野入りしている青年キャラバンと合流して、街頭から訴えました。青年キャラバンは全国を回っていますが、北陸信越ブロックに入る前は、北海道でした。明日は、岐阜県に移動です。

 その土地の青年が、車長もアナウンサーも弁士も引き受けて、次の場所へ引き継いでいます。今日は北部地区の青年のみなさんとの行動でした。
 須坂市、小布施町、中野市で訴えました。


 「私にはダウン症の妹がいます。母は3年前になくなって、妹はいじめもあって・・・・うつ病になってしまいました。いま、自立支援法を使って・・・・なぜ、弱い人がいじめられる政治なのか」

 「ぼくは一般のアパートには高くて住めないので、雇用促進住宅に入っています。急に紙切れ一枚で出て行けと言われました・・・がんばってくれたのは共産党、だから応援しています」

 「みなさん、生きにくくありませんか。ぼくは一応正規職員だからまだいい。贅沢は言わない。普通の生活がしたいのです」

 青年のリレートークは率直で、説得力がありました。青年のトークの後、私も訴えをしました。







 宣伝カーの上にいる私に向かって、地区委員長が「紙切れ」を高く掲げてニッコニッコしています。「まさか!」と思いましたが、やっぱり入党申込書でした。

 盛んにヤジを飛ばして聞いていてくださった方がいたのですが、その方がその場で入党して、赤旗も読んでくれたとのことでした!!
 
 入党の後「さなえさーん、浅川ダムの時、いたね。私もいたんだよ!」と叫んでおられました。

 すごいことが起きるんだ!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野市内を宣伝しながら訪問活動しました

2009年05月30日 20時55分31秒 | 活動日誌
 長野市内を、宣伝しながら訪問活動をしました。

 
出発は地元の上野事務所前。原田市会議員と女性後援会のみなさん。通り過ぎる車からは次々と熱い声援です。


稲田地区に行ったら、雨。

演説が終わったら雨は上がり、元気よく訪問に! 



 「党首討論、あきれるよ」
 
 「どう考えても共産党しかないね」
 
 「共産党は好きだけど、会社の関係で違う政党にも入れてきました。共産党は入れてもみのらない。でも、応援します。今度は実らせて」「政権はまだまだ取れませんが、共産党の議席数で国会は変わります。広めてください」「そうですね、がんばって」
 
 「子育てでお金がかかるのは・・・でも財源がなくては・・・」「大丈夫ですよ・・」

 「私はどの政党でもいいんだ。暮らしをちゃんと守って欲しい」
 
 「一人暮らし、80才になって健康が心配。昔はお金がなくてもそんなに心配しなくても、ある程度福祉は受けられた。今はだめ、不安」

 などなど、6カ所での演説の後のご近所の訪問では、たくさんのおはなしができました。

 浅川地区では「『中野さなえ』と聞こえたから出てきたの。どこかなあと探したよ。ホントにがんばってくださいね」と力強い励ましがありました。


川中島スーパー駐車場脇で、阿部市会議員、和田県会議員と共にお買い物客に訴えました。

 今、雨の音がしています。明日は、青年キャラバンと合流して活動します。北部地区です。晴れるといいのですが・・・・。

 右肩が痛くてたまらない。そのため演説途中、マイクを持ち替えました。
 原因は、わかっています。6月のエッセーで書いた、「ヤブガラシ」根絶のたたかいの壮絶さを物語っているのです。なにせ、すごい地下茎ですからねえ。まいった、まいった。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

波田町から山形村、朝日村へ

2009年05月29日 22時45分41秒 | 活動日誌
  ツボサンゴ  長野市で、入党のお誘いをして、入党はしていただけなかったのですが、これをいただきました。「よく増えますよ」「はい、ツボサンゴのように党員も一生懸命増やします!」一回絶やしたので、今度は上手に育てます。

 

 松本市の近くの、波田町、山形村、朝日村へ行きました。

 街頭からの訴えでは、どこでも、車からの激励の手ふりに励まされました。


波田町で、草間議員と宣伝

 夜は7時半から朝日村での「つどい」、17人の参加でした。朝日村では、候補者が来なくても、自前で毎月ちゃんちゃんと「つどい」を行っており、今日は11回目とのこと。

 支部では今日のために宣伝に力を入れて、「昼も宣伝カーを回したんですよ」と。感謝です。

 元議員の中村さんは82才、元気はつらつ、「○○さんを迎えに行ってくる」と送迎を担当です。
 今でも「資本論講座」を開くなど大変な勉強家との評判です。
 今日も私に、荒れた土地でのえさ用のお米栽培の研究の論文を「資料に」とくださいました。そのエネルギーに頭が下がります。



 「自立支援法で私たちをいじめて、えらい人はポッポと懐へお金を入れる」
 「介護保険はひどい。保険料取るのに使えない」
 「アメリカ兵のためにお金を使って、私らの税金じゃないか」
 「3ヶ月たつと病院を追い出される。死ねと言うことだな」
 「国会議員のボーナスをカットするのはいいが、国会議員の歳費そのものが高すぎる」

 など税金の使い方、アメリカ言いなりの政治への怒りが彷彿。質問も一杯でました。

 「共産党の言うことはわかるが、企業の立場に立てばまた変わってくる。大企業から仕事を奪ったら、労働者が困る。実際建設業は不況で困っている」
 「党名に固執しないで変えたらどうか」
 「消費税は上げてもいいと思う。ただ、生活品もひとくくりにするのはおかしい」
 「国を守るのに自衛隊は必要かなとも思うし、九条は守りたいし・・北朝鮮が攻めてきたら困るし・・共産党はどう考えますか」etc

 自宅着10時半。明日のために12時前には寝なくては。お休みなさい。

 

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐久市で「市議選、よかったね。今度は国政だね」とお仲間もむかえて・・・

2009年05月28日 19時57分37秒 | 活動日誌
 小雨の佐久市。宣伝と訪問でした。

 午前中は元市会議員の相沢さんと。宣伝カーの運転手をしてくれたのは2ヶ月前に入党した30代のTさん。
 Tさんは、農業に従事したいという貴重な方、でも、子どもを食べさせてゆけないと、いろいろな仕事をしながらまだあきらめていません。
 「お金はないけど共産党の仲間といると、心は豊か。赤旗読むと、ほっとするんですよ」との言葉には重みがありました。



 午後は、議員初当選の内藤さん、地区委員会の藤岡君と一緒に、市会議員選挙のお礼と総選挙のお願いに歩きました。
「内藤さんががんばるためにも、国政で勝たせていただかなくては」「そうですね」とみなさんから暖かい励ましでした。
 
 藤岡君と行動するのは、本当に久し振り。彼が立候補した県議選の時はよくご一緒しましたが、まじめで愉快で、心使いの細やかな藤岡君との行動はとても楽しい。今日も最高でした。
 彼が県議会に行ったら、県議会に新風を吹き込むこと間違いなしです。



 さて、今朝出発するとき、北陸信越ブロック所長の藤森さんが言うのです。「今日の目標は何人ですか。赤旗も党員も含めて10人ってもんですか」

 「えええーー、簡単にいわないでよー」と言いながら、この一言、けっこう心に刻まれるものなんです。

 そうしよう・・・・と真剣さが増しました。だって、選挙に勝つためには、党を強く大きくしなくては!

 それで結果は、仲間をお二人お迎えし赤旗の読者も5人お約束。合計7人、残念ながら10人までいきませんでしたが、よくがんばった。

 みなさん、市会議員の選挙で応援してくださった方です。

 Iさんご夫婦は、内藤議員の誕生に力を尽くしてくださいました。大喜びしてくださって・・。これを機に赤旗の読者にもなってくださいました。そして同時に入党もしてくださいました。
 「党首討論をみたが、子どもの話し合いではあるまいし。あれが一国を背負う人か」と厳しい批判。
 さまざまなボランティアをやっておいででした。
「最高のボランティアは共産党員になって、世直しボランティアすることでは?」
「んん・・・そうですねえ」
 夫君が入るものと思って「ハイ、あなた、ペン」と渡した女房どのに、「ご一緒にいかがですか」
 
 ご夫婦で入党してくださって言った言葉は「がんばってではなく、一緒にがんばりましょうと言いましょう」でした。
 本当にうれしくてうれしくて、堅い堅い握手でした。

 「うちの息子もパナソニックに勤めているんだ」と日曜版記事になった仁比参議院議員の質問を食いいるようにみて、「これは読ませてもらう」との方もいました。

 「今まで選挙したことがない」という方が、地元の内藤さんを応援することをとおして赤旗の読者になってくださったり、思わぬ方が日刊紙の読者になってくださったり、今日もまた、とっても良い日でした。

 明日は中信地区、波田、山形、朝日の各町村を回ります。

6月のエッセーをアップしました。ご覧ください。



 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思いつきエッセー原稿・オーブン修理・美容院

2009年05月27日 21時37分17秒 | 活動日誌
 

 オフでした。一日の計画山積み、まずは9時にガスレンジの修理屋さんがきました。システムキッチンにリフォームしてから約1年、調子が悪かった。オーブンとガスの両方を同時に使うと、ガスレンジが使えなくなる。
 いよいよみてもらったら、やはり、設備するときのミスだったとのこと。解決。

自宅前の公園。ドングリの実生がたくさん!

 美容院に行きました。2時間はゆうにかかる。メニューに寄っては3時間以上です。これがストレス。
 
 ストレス解消は「料理の雑誌をお願いします」
 きれいにしてもらう間、料理の本を眺めてる。「あのう・・・」と言うと、お店の人が「ペンと紙ですね」「はい、すみません」もう、「あうん」の呼吸です。
 ちゃっかり、メモしてくるわけです。美容院でレパートリーが増える。

ヤブガラシの芽

 さて、最大の仕事は6月号のエッセー書き。「今日書かなくては、あと時間がとれない」と、頭では主題を考えつつ、イメージなし。
 
 庭に降りて「はー」とため息ついたとたん「そうだ、これにしようっと!」

 テーマが決まればこっちのもの。書くよりテーマを決めるまでが勝負ですよね。
 約1時間で書き上げて、6月号だから6月1日付け記にしました。
 今日の写真2枚は、エッセーに関係したもので内容のヒント、興味あったらお読みくださいね!

 髪はきれいになったし、エッセーの原稿は書いたし、ガスレンジは直ったし、めでたしめでたし・・・の一日かな。明日は佐久です。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮の核実験に抗議の訴え

2009年05月26日 19時22分26秒 | 活動日誌
 今朝は、北朝鮮核実験の抗議の訴え、山口のりひささん、和田県会議員、阿部市会議員と、スピーチは4人で行いました。県委員会のみなさんがチラシまきです。

 平和と安全を脅かす行為には、考えるほど怒りがわきます。

 もう核実験も弾道ミサイル発射もやらないとした国連安保理事の決議1718にも、6カ国協議の声明にも違反した行為です。
 6カ国協議の声明は、北朝鮮自ら同意したものです。一方的に廃棄とは、あまりに無法です。

 アメリカのオバマ大統領が「核廃絶を真剣に追求する」との画期的な声明を出し、世界が核廃絶に向かって世界が大きな一歩を踏み出しているときに、これでは北朝鮮は世界から孤立してしまいます。

 6カ国協議に戻って、話し合いに応じるべきです。

 志位委員長のオバマ大統領宛の書簡には、

 核廃絶の国際条約を作るために、即刻国際交流を始めよう。

  また来年は核不拡散条約の再検討の会議が開かれます。核保有国が自分の国の核を完全になくすことをはっきり約束しよう。

 この二つを要求しました。

 自分が核を保有しながら、相手には「持つな」では説得力がありません。

 アメリカ政府から志位委員長に「日本政府と協力したい」との返書が来ましたが、被爆国である日本の政府は、いまこそ、イニシアティブを取る時ではないでしょうか。その努力があってこそ、世界の世論もさらに大きくなり、それが北朝鮮の核開発を放棄させることにつながるのです。

 制裁一本槍の態度では、大人の態度ではない。北朝鮮と同じレベルでやり合うことになってしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定例常任委員会・北朝鮮核実験は許せない

2009年05月25日 23時12分27秒 | 活動日誌
                                         近所の空き地から赤つめ草   

定例の常任委員会でした。


 うっかりしてまたもや、書き終えた活動日誌が消えちゃった。あ~あ、もう、また書く元気なしです。

 北朝鮮がまた、核実験。国連決議にも、6カ国協議の共同声明にも違反しています。断固、抗議をします。

 もう、だめだああ・・・眠い~~・・・。またあした・・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊那市で宣伝・つどい2カ所・「共産党へのアレルギーはなくなっている」

2009年05月24日 21時54分54秒 | 活動日誌
                    とげのないモコウバラ  隣組のお宅の庭からいただいて、玄関の大きな花瓶にワンサと飾りました。



 伊那市のホテルを出発して地区委員会に。宣伝カーに乗り換えて、午前中は街頭からの訴えで伊那市を回りました。

 自動車修理工場の前で訴えた時、途中から働いていた方が仕事をやめ、仁王立ちになって聞いています。終わったら、拍手が響きました。
 ご一緒していた地区委員会の大賀さんが「全く知らない人だ」とびっくり、もちろん私も予期せぬ拍手、うれしかった。「陰ながら応援しているんだ。がんばってください」と励ましをいただきました。

 午後は「つどい」が2カ所。

 一カ所目は昼ご飯をいただきながら「女性」だけのつどい。6人で、わきあいあい。



 2カ所めは、参加者13人、ほとんどのかたが党関係者ではありませんでした。党員のMさんが本当によくご近所の方をお世話しておいでで、信頼して集まってきてくださった。「こんな会は初めてだ」とみなさん。

 だから、初っぱなから難しい質問が出されました。

 「民主党と共産党の違いはどこですか」
 「みなさん、どうでしょう?」と問えば「自民党から分かれたんだから、同じだ」
 「民主党も古い体質だ」と返ってきました。そして次々と話題が出されます。

 「金儲けのための政治家ばかり。小沢はどんな力があるんだ」
 「自民党の二階はどうなっているんだ。なんで問題にしないのか」
 「九条の1項は優れている。2項は、実際に自衛隊があるのだから、事実に合わない。改正したほうがいい」
 「候補者の立て方を工夫した方がいい。昔の革新共同のような形で小選挙区でも勝てるようにしなければ」
 「文化政策が弱い」
 


 また、体の不自由な方から「出来るだけ若いもののお荷物になりたくない。がんばれるだけがんばりたい」との訴え。
 「でも、ごく労してきたのだから、ちゃんと予算をつけてしっかり面倒みてもらいましょうよ」「ウン、そうだ、そうだ」と合いの手。
 
 「労働組合がなっていない。全くだめになってしまった。若い人が育たない」という意見のあれば、退職したばかりのかたは「若い人は変わってきている。訳がわかればがんばれる。共産党へのアレルギーはなくなっている」と。

 そして「昔の共産党とは違ってきている。明るい」とのうれしい評価。

 雇用の問題では「仕事がない孫がかわいそうだ」と涙ぐむおじいちゃん。


 そして「私は共産党は何でも反対する党と思っていたが、誤解していた。民主党の方が審議拒否している。共産党はまじめに話し合おうとしている」とのうれしい意見もありました。

 「ざっくばらんに聞くが、何票いるんだい」との質問もありました。「目標がはっきりしてなくては、やりようがないではないか」と。
 「長野県で16万5千票が目標です」
 「それは、二人分かい?」
 「いえ。、山口さん一人分です」
 「なら、二人分ではどのくらいなんだ」・・・シビアな質問でした。期待が大きいのですね。

 時間になり失礼するときに、みなさん、「がんばって」「体に気をつけて」と大きな拍手をしてくださって、感動しました。入党のお誘いをしましたが、応えてくださる方がいたら、もう、感激の極みなんだけど!

 内容の豊かな、すごい「つどい」でした。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯田市を元気良く宣伝カーが走る

2009年05月23日 20時50分37秒 | 活動日誌
 

今日は飯田市、一日中、宣伝カーが飯田市を走りました。午前中は内田市議と、午後は後藤市議と一緒に9箇所で演説をしました。
 4月の市会議員選挙のお礼と総選挙のお願いをしながら、共産党の元気のよさをアッピールです。

内田議員と

後藤議員と

 車からの励ましも上々、住宅地では出てきてくださるかたが、また、通りかかった方が立ち止まって聞いてくださるなど、昼間はとっても暑くってぐったりしそうだったけど、それを吹き飛ばしてくれました。

 それにしても、「暑い」「熱い」選挙戦になっていますね。


  
 駅ではタクシーの運転手さんが、お客さんを乗せて手を振っていって、帰りにからの車から手を振ってくださり、次のお客待ちのとき手を振ってくださった。大判振る舞いの激励に、大いに感謝しました。

 演説のあと、ご近所にご挨拶。

 バスを待っていた方も「中野さんですね」とニコニコ握手をしてくれました。

 どこからか「がんばれよ!」との大きな声が聞こえました。「え、どこかな?」とキョロキョロ。
 なんと、いっぱい飲み屋のお店からの中からでした。早速ご挨拶に「ごめんくださーい」



 10人ほどの若い方、年輩の方が輪になって楽しんでいました。
 「みんなで聞いていたよ。がんばれよ」
 「いいこというねえ、姉ちゃん(!!)、どこの出身だい?」
 「共産党と書くんだね」と、皆さん、快く握手してくださいました。

 伊那市へ移動して宿泊、ホテルからです。明日は伊那市で行動します。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上田市で反貧困「陽だまりネット」相談・東御市で宣伝訪問

2009年05月22日 22時03分33秒 | 活動日誌
 


 午前中は上田市のハローワークのそばでの反貧困「陽だまりネットワーク」の相談活動、午後は東御市で議員と支部のみなさんとで宣伝訪問活動でした。

 今日の「陽だまりネット」は、ボランティアは、相談スタッフが30人、炊き出しなどで30人、計60人が取り組み、相談者は31組でした。
 共産党からも私、そして上小地区の地方議員、地区役員が総出で相談活動に当たりました。



 私はJMIUの田中真由美さんと組んで、3件の相談に乗りました。

 ハローワークの帰りに「相談所」の横断幕をみて、また、チラシを見て、迷いながら思い切って足を運んだと言っていました。ブラジル人の方は、仲間の連帯が強く、伝えあっているようです。

 「相談したいことはどんなことでしょうか?」 どなたもが一言「仕事が欲しい」の返答です。

 私たちは仕事を見つけてあげるわけにはいきませんが、話を聞いているうちに、解決しなければならない問題が次々とでてきます。





 派遣切り10回を経験し、最後の職場では暴力も受け、自分からやめました。「ハローワークの講習で失業保険はもらわない方がいい。近所の人にも白い目で見られるし、会社が倒産でもしない限りもらえないと言われて、もらってない」と。鬱っぽくなってしまって、病院通いだそうです。

 ハローワークで実際、そんな講習をしていたとしたら大問題。事実を調べることにしました。

 やはり59才で派遣切りにあった方は、「自宅に住んでいるが、固定資産税、自治会費はじめ、支払いが大変。失業保険も終わり蓄えもそこをついてきた。この先不安で仕方がない。一緒に暮らしている弟にも仕事がない。この年齢では全く仕事はありません」

 また派遣で10年働いて首になったブラジル人のかたは、「えっ!私たちも年休があるのですか。10年間、もらったことはない。40度近い熱があっても働いてきました。休めば給料カット。会社が厳しいと言うから、途中から早出もサービス残業でした。子どもがいます。正社員になりたい。ブラジル人というだけで、さげすまれていると思う時がある」


 
 労働組合に入って、たたかって解決に向かうか、使える制度はあるか・・・具体的な解決策を相談し合いました。

 他ではおそらく話せないような、家庭の事情も赤裸々に話してくださるところに、反貧困ネットが最後のセーフティネットになっていると同時に、信頼を寄せていただける場所なんだと、しみじみ実感しました。
 
 相談出来る仲間がいれば、元気が出る。「一人で悩まないで」と呼びかけました。連帯こそ、生きる力です。

 「相談にきて良かった。気が楽になりました」と言っていただけて、ほっとしたりしました。

 みなさん、うつむいている。自信をなくしている。自分のせいではないのに。

 政治は誰のために行うのか、今ほど問われているときはありません。人の痛みをわかろうとしない人は、政治家としての資質はないと思う。



 さて、午後は農繁期の東御市で、ブドウ畑で訴えて、畑を渡って働いている方とお話ししました。

 「自民党には100パーセント信頼して100パーセント裏切られた。郵政民営化にきっちり反対してくれたのは共産党だ。しかし、政策はすじが通っていても、投票になると、立場もあったし一歩引いていた。今度は応援します」
 そう言ってくれたのは、郵政でお仕事をしてきた方でした。うれしい限りです。

 「演説、聞きました。私は誰にも言わないけれど、共産党を応援しています。がんばってね」と言ってくださった方は、地元の方の言葉を借りれば「え、本当に入れてくれるって?共産党は・・・と引いている人だったんですよ」
 まあ、これもうれしい。

 「わしゃ、今度の選挙は入れる人がいなくてよわったよ」とは、民主党を応援してきた方でした。
 「中野さんは2番目かい。いくといいな。いくんじゃないか。がんばってな」とチラシを丁寧にたたんで胸ポケットに入れてくれました。

 「共産党か、おれはいい」と知らん顔を決めたおじさん。
 「せっかくお知り合いになれたのに、名刺くらい受け取ってください」
 でも、「ふん」との態度。こりゃ、とりつく島がない。
 
 畑が忙しそうだったので、「おじさん、また。よろしくお願いします」と失礼しましたが、こんな方と膝詰めで話しあえたらいいなあ、と思いました。

 明日は泊まりで飯田、伊那方面へ行きます。

  
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする