中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

医療関係者と介護保険の件で懇談

2005年11月30日 22時17分08秒 | 活動日誌
 長野市会議員団の企画した長野医療生協のケアマネなど介護保険関係の担当者との懇談に、私も参加しました。
 
 新予防給付の内容も定まらないまま見切り発車の介護保険の矛盾が、すでに大変な状態になっていることが良くわかりました。

 「地域包括支援センター」の内容いかんでは、在宅の、それも重度な上に経済状態も大変困難なケースを民間に任せてしまうことになりはしないか、心配されます。結局、自立できそうな人だけに多少の金をかけるが、大変な人は切り捨てる結果になりはしないか、ここでも、勝ち組、負け組みか、と、許せない気持ちになります。

 事業所では、年度途中の実施でもあるので赤字は免れず、ケアプラン作成が立てられなお情況なので、来年度の事業計画もたたないとのこと。また、確実に月100万円程の減収になるだろうとの話でした。
 それは、利用者の自己負担になった分、そっくりそのまま介護保険で面倒見てくれないからです。要するに、利用者と施設に負担をかけて、福祉予算を削るのが目的なのです。

 ある特養ホームの職員からの声では、「ショートスティ用の多床室は万床状態なのに、個室の半分は空いている状態」だそうです。負担の額があまりに多すぎるからです。
 「妻が介護疲れのため、10月からシュートスティの予約をしてあったが、食費と滞在費を気にしてキャンセル」との声もありました。

 利用者はもとより、施設職員も、ケアマネも、行政も、誰もが細かなところが何も決まっていない新しい介護保険に怒りや苛立ちを隠せないでいます。見切り発車させていいのでしょうか。市は、来年実施の見送りを検討して欲しい。現場からも強く要求が上がっています。

 午後から夜にかけては、若穂、篠ノ井方面に出かけました。午後は風が冷たくなり、「いよいよ、冬だ。」とピリッとしました。政治の冷たさがいっそう、寒さを強く感じさせています。

 
 
 
 
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支部の皆さんとともに長野市南部をかけまわる

2005年11月29日 21時28分39秒 | 活動日誌
 いつもより早くでたのに途中用事を足したので、長野駅頭に7時43分着。街頭宣伝に3分遅れてしまいました。
 今朝は原田市会議員とでしたが、原田さんは7時40分にきっかり音を出しており、遠くから聞こえて来ました。原田さんは、正確に時間を守る方です。

 2週間前の火曜日は、永井みえこ市会議員と行いましたが、原田市会議員がボディガードで来てくれました。いつぞや暴行にあい、その後も何度か、右翼や宗教団体らしき人からの妨害がありましたので、女性だけのときは、男性の市会議員がボディガードでついてくれています。
 
 2週間前は、また黒ずくめの2人がやってきました。原田さんは演説中の私の前に立ちはだかって、終始穏やかに、必死で防衛してくれました。様子がおかしいと察して、近所の方が通報してくれたのだと思います。
 おまわりさんがやってきて、二人を連れて行ってくれたので、フーっと安心しましたが、演説もこんな風に妨害されることがあるので、それなりに緊張します。
 今朝は、何事もなく無事に終えました。


 その後一日、長野市南部の支部の方と行動しました。初めてお会いする方も沢山いたのですが、「やあ、中野さん、小さい人なんだ。」「ポスターよりいいね」(??)などと、皆さん気さくにお相手してくれました。

 「戦争でどれだけ苦労したことか。食べるものがないって、どんなにみじめか、若い人にわかるかなあ。小泉さんは何歳?あれは苦労知らない人だ。戦争はだめだ。共産党にがんばってもらわなくては」

 「年金も削って医療費も上げて、年寄りは死ねってことか。こんな弱い物いじめはない。」

 「今風のものではなくて、野菜だの粗末なもの食べてるから、年よりは長生きして困るさ。申し訳ないよ。」

 「ダイヤモンドだの毛皮に消費税をかければいいんだ。味噌、しょうゆにかけるなんて。」

 「共産党はいいけれども、テレビにもっと出なくては解らないよ。共産党は拉致問題、早く解決するために力を出して。」

 沢山の不満、要望、期待を語ってくださって、赤旗は7部の購読のお約束。以前読んだことのあるというKさんは「これは、よく解るように書いてある新聞だよ。勉強になるね。」と誉めてくださいました。
 
 また、85才になるというYさんは、「私は目がいいのが自慢。メガネなんていらないよ。ほら・・・・(新聞を読んでみせる)・・ね。新聞読むのはだいすきだよ。解らないところは飛ばして読めばいいんだよ。わっはっはっは。」と豪快に笑い、「こんなこともでできるよ」と、立った姿で足をパッと横に振り上げるではありませんか。いやあ、若い若い!
 そのYさんから「中野さん、若いねえ。」といわれたのですから、これは弱音は吐けませんですね、はい。

 夜、青年の入党のお誘いに伺って、後は青年にタッチして帰ってきましたが、どうなったか楽しみです。未来を担う青年の入党は、国民の財産だと思います。

 


 
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木曾町長選、田中さん当選!

2005年11月28日 20時15分36秒 | 活動日誌
(陽だまりのたんぽぽ ・・「単歩歩」という名の店がありました。考えましたね )


 朝一番、新聞を見て「やったね!田中町長誕生!」。合併に伴う町長選で、厳しい選挙戦でしたが、本当に良かった!
 
 同時に行われた町議選では、共産党の上田とめこさんがトップ当選。すごい!
 ひとり落としてしまったのは残念ですが、よくがんばり抜いてくれたと、嬉しさ一杯です。

 佐用町では、あんなにすばらしい町長だった山田さんを落としてがっかりしていましたが、また「負けないでがんばろう!」と元気が出てきます。
 
 革新町政を期待していた全国の皆さんも、きっと大喜びだと思います。県委員会にも、他県の方から「お祝いのメッセージを送りたいから、田中さんのファックス番号を教えてください」などの問い合わせの電話が入りました。

 長野県の責任を果たせて、本当に嬉しいです。がんばった皆さん、ご苦労様でした。

 
 今日は一日、会議。県委員会総会でした。一月に行われる24回党大会を成功させるために、本格的に力を出そうと熱心な討論が行われました。

 
 さて、「ちょっとしたサンルーム」が完成して、洗濯物の取りこみをしなくても湿っていなくなったし、布団干しもできるようになりました。
 子育て中にあれば、楽だったのだろうな・・・。考えもつかなかった。

 毎日の山のような洗濯物を、ストーブを焚いた部屋に林のようにぶらさげていた時代が懐かしいです。今は二人分だけ、3日に一回でも間に合います。
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「靖国神社」・「遊就館」の視察に行ってきました

2005年11月27日 09時01分31秒 | 活動日誌
 昨日は、地元党後援会の計画で共産党中央委員会の新しいビルの見学とともに、靖国神社と遊就館の視察に行ってきました。
 貸切バスで22名の参加でした。
  
 戦争に反対して平和を守れと発信している共産党本部と、侵略戦争の歴史の事実をゆがめ、戦争賛美のゆがんだ歴史観を広める運動の拠点とを、同時に見学することになりました。
 党本部は、私は何度もいている所ですが、今回は屋上に設置された「オアシス」を始めてみてくることができました。

 さて、最近では麻生外相の発言が大問題になっていますが、「靖国史観」の発信地の遊就館は、「百聞は一見にしかず」で、よくよく恐ろしいところでした。

 まず靖国神社は、一般の観光コースにしっかりと入っていて、「紅葉狩りと靖国神社」のステッカーのバスが結構来ていました。四日市市の「革新懇」の大型バスも止まっていました。

 塀には大きく「七・五・三は靖国神社で」とのコマーシャル、可愛い着物姿の子どもづれの家族もいましたね。若い方が沢山いたのには驚きました。

 遊就館は徹頭徹尾戦争賛美、天皇礼賛の資料が、一階と二階の21に分かれた展示室にこれでもかというほどに展示されていました。大展示室には、人間魚雷「回天」や、特攻隊が使った飛行機、大砲などが展示。

 侵略戦争の事実は見事に捻じ曲げられて、アメリカとの開戦についてはアメリカに責任を擦りつけています。ブッシュでさえ批判しているのは当たり前です。
 
 その関係の資料をかいつまんで説明すると、アメリカは不況が続き、その解決策に何とか戦争がしたくてたまらなかったが、国民の厭戦気分があって踏み切れなかった。、そこで日本が戦争を仕掛けてくるように策動した、というものです。
 その策動は、日本への石油などの輸入を断ち切って封じ込め、さらに「アジアを開放するために行っている支那事変」に介入し、全面撤退せよとの、飲むことのできない要求を突きつけてきた、というものです。

 全てがこの調子です。
皇国史観でものを見ていますから、「武人のこころ」の展示室では、神武天皇は扱っていましたが、足利尊氏は天皇への逆心ですから無視。
 明治維新関係の展示室では、坂本竜馬は奉られ西郷隆盛は西南戦争で逆賊扱いされ無視です。

歴史の事実をよく知らずにこれを見たら、「そうなのか」と刷り込まれてしまいます。学校での平和教育や歴史の学習は、今大変重大な課題になっていると実感しました。
 私は昨年中国を旅し、日本の侵略の戦跡を尋ねてまわりました。日本が中国に侵略してどんなに残忍な行為をしてきたか、中国では記念館、博物館を沢山作り、後世に伝える努力をしていました。
 日本と中国が真の友好関係を作ってゆくために、今後決して侵略戦争を許さないために、との願いからです。
事実を改ざんした教科書の検定を通してしまう日本と、何という違いでしょうか。


 当時の軍人や兵隊、その家族の記録の展示では、これも「お国のため」に死ぬことを誇りにしたものばかりでした。
 出撃数時間前の特攻隊員の遺書には、「赤飯を炊いてくれ」、子どもを死なせた母の手紙には「国のために命をささげよと教えて育て・・名誉・・」などとの内容です。この人たちも、本心はどうであったのか、よしんば真剣にそう考えていたとしても、国策で自由を抹殺したことで作られた世論だったのです。
 
 ひめゆり部隊で亡くなった少女の写真には「最後まで笑みを絶やさず・・・献身的に尽くした」との内容の説明書きがありました。戦争の悲惨さを語り続けているひめゆり部隊の生き残りの方は、このような扱いをどう思うでしょうか。
 また、政府は沖縄戦の悲痛な経験をどう考えているのでしょうか。考えていないからこそ、沖縄をはじめ日本中をアメリカの基地にしようとしているのではないですか。

 遊就館では、映画「蛍の墓」に見るような人間が人間でいられなくなった実態や、「南京大虐殺」のような数え切れない残虐な行為、などなどは、何一つ語られていません。戦争は英雄を生み出す聖なる戦いであり、悲惨さは微塵も感じさせない雰囲気を作っていました。

 「遊就館」の名は、「荀子」のなかの言葉で「高潔な人物に就いて交わり学ぶ」から取ったと、パンフレットにありました。戦争犯罪人が「高潔」だとは!!

 さて、喫茶室に入った仲間が、コーヒーを飲まずに出てきてしまいました。コーヒーの名まえが気に入らなかったと。「軍艦コーヒー」というのでした。
小泉饅頭、靖国饅頭をはじめ、さまざまな戦争グッツが売られている売店は、これが結構繁盛していました。
 
 参加者の誰もが、九条を守る運動をいっそう強めなければ、そう強く感じた視察の旅になったと思います。

 



 
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浅川流域協議会を傍聴する

2005年11月25日 23時59分40秒 | 活動日誌
        ( 朝顔のたね・県委員会の駐車場で)   

 長年の住民の運動が実り、いよいよダムによらない浅川の治水利水対策である河川整備計画が県から提案され、今日は流域協議会に対しての県の説明会でした。
 今日は、知事も青山出納長も出席して、質問に丁寧に答えてくれました。

 ここまでこぎつけたか、と、がんばってこられた流域住民の皆さんはじめ、運動をしてこられた方とともに喜び会いたい思いでした。
 
 私は、基本的には県の示した案に賛成です。しかし、流域協議会の会員も質問で出していましたが、遊水地の場所や内容については検討の余地があると思いました。県の姿勢は、これから内容を練ってゆくとの謙虚な態度でした。

 県はまた、流域協議会での話し合いを尊重して、千曲川の河川改修、都市部での内水災害の重視、川ざらいなどの浅川、千曲川の常々の管理などなど、河川整備の根本問題を重要に位置づけており、頼もしく思いました。
 
 田中知事が「私の知事の仕事はダムとともに始まり・・・」と言う言葉を、質問への説明の中で述べていましたが、私は田中知事と2000年の知事選の時、公開討論会でダム論争をしたとき、「ゼロからの出発」と言っていたことを思い出しながら、教育問題やその他納得できないことは多々ありますが、「脱ダム」は政治姿勢の根本にもかかわる問題なので、私は、ここは高く評価したいとあらためて思いました。

 さて、しかし、今日の会議でも問題になりましたが、鷲沢長野市長が県の説明さえも聞こうとしない態度は、一日も早く安全対策を、と願う住民にうけいれられるものでしょうか?
 市長が合意しなければ、国土交通省から認可をもらうことができないのです。市長として、こんな軽率な、感情的な態度でいいのでしょうか。それとも、何か、もっと深い思惑があっての戦略なのでしょうか?
 いずれにしても、市民には、好意的に受け止められていないと思います。

 また、一部のダム賛成派の会員は、今日の会議に揃って欠席するという行動にでました。話し合いを拒否するなんて、残念なことです。

 また参加したダムに固執する方の何人かから質問がでましたが、これはしかし、それに対する説明を無視して、自分の満足を得るための質問としか思えず、故に、何度もおなじ内容で質問を繰り返すという茶番になってしまったと私は思います。問題にしていたのは「基本高水」です。
 
 県は、基本高水を出すためには5年の調査で県民に根拠を示さなくてはならないけれども、それを待って入られないので、苦渋の選択で、当面ダム派の言い分の450トンを基準に計画したといいます。もし、調査の結果、基準が下がっても、(多分大幅に下がると思います)それはより安全性を供給したと考えるとして、安全弁を取った計画だと私は思います。
 
 「当面20年目標でやれることに着手。100年安全をめざす」との説明が何度もあったのに、「危険率を下げた。450トンをまもれ」「100年単位で考えていない」と繰り返し述べて、いささか私もうんざりしました。
 
 今では昔と違い、上流よりむしろ住宅密集地になった下流のほうが水量が多くでるようになっていますから、上流にダムを作っても効果はないし、それ以前に地すべり地帯のど真ん中に作るという危険なダムです。
 
 下諏訪ダム、蓼科ダムが、国の認可を取ってダムなしの河川改修に入ったというのに、浅川ダムも国の方針に従って、県は当面できるところからと20年でやれる計画を提出しているのですから、実現できるようにがんばりたいですね。

 時間を大幅に40分延長して行われたため帰宅は十時少し前。9時からの「越路吹雪の人生」のドラマを見れなくて少し、残念でした。昨日は、「瀬戸内寂聴」を見てしまいました。私のすきな宮沢りえさん主演だったから。

 明日は朝6時30分発で、東京です。地元党後援会の靖国神社の「視察・現地調査」です。
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障害者自立支援法の県の説明会に参加

2005年11月24日 18時08分15秒 | 活動日誌
    (我が家の庭になった柿・今年は良く実をつけました)


 多くの反対で、一度は廃案になった障害者自立支援法が国会を通り、来年10月からの実施、自立支援医療は4月から実施という急な事態に、障害者はもとより自治体も大慌てです。

 県障害福祉課は県下10箇所での説明会を開く予定、今日は長野市で行われました。会場になった勤労者福祉会館のホールは、関係者で一杯でした。

 介護保険と同じように、利用料の一割負担を障害者に押し付ける大変な弱いものいじめの法律ですが、不備だらけでのみきり発射、実際実行できるのかどうかさえ危ぶまれています。

 ホームヘルプサービス一つ見ても、今まで無料で受けられていたものが、低所得者の方でも7千5百円から1万2千3百円の新たな負担です。
 厚生施設入所者で見ると、現在5万3千円の負担をしている人が8万1千円にも跳ね上がる例もあります。
 障害基礎年金8万3千円の人は、5万5千円払わなくてはならなくなります。どうやって暮らせというのでしょうか。「2万円残るではないか」といった国会での答弁を思い出し、むらむらとしてきました。

 私が心配しているひとつは、今まで制度としてあった「移動支援」が廃止されたことです。
 障害者の皆さんが社会的な活動をしようと思えば、例えばお使いひとつでも介助が必要なことは多くあります。
 「移動介助」は制度からはずされて、市町村の責任で内容も量も決定するようになって、補助事業となりました。市町村の財力によっては、充分補償されるかどうか?

 参加者のみなさんは、特に障害者とそのご家族と見られる方々は、怒りと不安を隠せない様子でした。
 私は、次の会議に出席のため中座してしまい、みなさんのご意見を聞くことができませんでしたが、これは大変な事態を生むと心配です。

 ヒロシマでの小学生が無残な行為で命を奪われたニュースでは、私も心が痛みかわいそうでなりません。かわいそうなどいう言葉では、とても表現できない深いやるせない感情です。

 細かい事情はわかりませんが、誰もが、人が大切にされない、徹底した勝ち組、負け組みを作り出している自民党政治のもとで、人の心が荒れているということが根っこにあると考えているのではないでしょうか。
 
 次々起こる痛ましい出来事に、私は小手先の解決では追いつくものではなく、深くゆがんだ日本の政治を転換しなければと、共産党が大きくなるしかないではないかと、力を出そうと決意を新たにしました。

 
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恵比寿講です

2005年11月23日 17時16分19秒 | 活動日誌
           (大きなかぶ)

 
 合併に伴う木曾町の町長選挙と町議選が昨日告示され、すでに激しい選挙戦に入っています。
 田中かつみさんにはひき続き、住民を大切にした政治のため、がんばって欲しいと思います。今日は、木曾町へ応援に入っている人もいますが私は長野に残って、お友達や知り合いの青年への訪問活動をしました。

 朝から恵比寿講の花火が華々しくあがっています。街もいつになく活気が見られました。お歳暮の時期でもあるし、慣わし通り冬物の買い物にも出てきた方も多かったのでしょうか。祝日でもあったし。
 いつもこのように活気が生まれるように、したいものです。
 
 景気が悪く先行き不安が大きければ、お歳暮どころではないというのが本音かもしれません。ボーナスもどうなることやら・・・。せめて正月は奮発して、との思いもあることでしょう。
 
 しかし、11・19国民大集会があった東京でホームレスの住宅?に遭遇しましたが、正月も迎えられない人がいるのです。

 共産党の大会決議案では「新しい貧困」という言葉は使わないことにしました。貧困の度合いはなまやさしいものではなく、また占める割合が激増しており、貧富の差は激しくなる一方です。
 生活保護は100万世帯にのぼり(10数年前は60万世帯だった)、就学援助にいたっては、東京、大阪を見るとそれぞれ24・8パーセント、27・8パーセントと、クラスの4人にひとり以上の家庭が就学援助を受けなければならないという異常な実態です。
 街の雑踏の中にいて、私はそんなことを考えていました。

 
 今日は比較的時間にゆとりがあったので、三上満さんの「明日への銀河鉄道」(新日本出版)を読みました。少し前に読んだ、やはり三上満さんの「野の教育者・宮沢賢治」に続いて選んだ本。「わが心の宮沢賢治」のサブタイトルが内容の本質を示しています。

 宮沢賢治の自己の内側にある欲望も悪も、それへのたじろぎと恐怖も含めた人間的な心の葛藤がリアルに共感を持って語られていました。
 三上さんの「銀河鉄道の夜」の分析の深さに引き込まれて読みすすみました。

 三上さんも大好きで、そして私も元気をもらっている、宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」の中でジョバンニ少年が言うせりふで今日は閉じたいと思います。

 今晩は、銀河鉄道が走った空にあがる花火を見ることにしましょうか。
 「ドンとなった花火だ、きれいだな」で、いやな政治も吹き飛ばす元気を出しましょう。

 
 ジョバンニ少年のせりふ
 
「僕もうあんな大きな闇の中だって怖くない。きっとみんなのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう」
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党のアスベスト対策会議をひらく

2005年11月22日 21時42分12秒 | 活動日誌
(みかん・長水地区委員会のNさんの実家から送られてきて、みんなでいただきました。)

 まずはじめに、19日の日誌に遅らばせながら国民大集会の写真をアップしましたので、ぜひ、開いてみてください。2枚あります。

 
 石坂県会議員、原田市会議員も交えてのアスベスト対策会議を開きました。私が本部長のお役目をやらせていただいています。

 長野市と駒ヶ根市では、全国に先駆けて消防所へのアスベスト防災マスクを配置しました。私たちが県、長野市、労動局との交渉を行ったとき、労動局は情報公開を拒み、県は具体的な方針を持ち頑張っており、市では担当者が「できることはすぐやります」とはっきり言ったことが印象的でしたが、言葉とおりに実践してくれました。
 
 97台ある消防車に1台につき5個の防災マスクを配置し、消防職員と消防団員合わせて890個、全員にいきわたる数を予算化しました。全員に渡るように予算化を求めてがんばったのは、共産党でした。原田議員が担当でがんばりました。
 防災マスクは1個約7000円ほど、総額約640万円です。

 今日の会議では、まずこの実績を全県に広げるためのニュースを出すことになりました。12月議会で取上げていただきたいです。
 「原田さん、長野市はこの点では先進をいきましたね。」
 「嬉しいなあ、われわれは頑張っているが、鷲沢市政のやることではしかられることが多いものナア。」と原田市議団長。 

 多岐にわたって要求が出ている深刻なアスベスト被害ですが、個人住宅の改修問題も相談が来ています。
 アスベスト入りのスレートかわらは、断熱効果もよく、重さは普通のかわらの4分の1、軽量化にも優れているとして、リニューアルで使ったうちも沢山あったそうで、相談のあったお宅は5年前にリニューアルしたそうです。
 
 改修には何と240万円の見積もりです。別の業者は290万だったので、安いほうを選んでもこの値段。180m2だそうなので、普通の家より少し大きいと思いますが(農家の家くらいでしょうか)、どんな家にしても、数十万、数百万の多額な負担がかかることは明らかです。

 公的な施設は行政がかかわりますが、このような個人の住宅の保障はどうするのか、大きな問題です。
 
 国が、危険とわかっていて輸入し続けた責任は重大です。すでに1970年には世界では、アスベストの危険が解ってきて、ILOも発がん性を指摘しています。
世界が使用禁止に向かったとき、日本は輸入が急増しているのです。

 個人の住宅の問題も、私は国の責任だと叫びたいです。薬害エイズやBSE問題と根は一緒ではないですか。「命」より「儲け」、大企業優先。

 健康被害もこれから増える一方だと思います。情報を収集して対策を立て、国会と地方議会と連携してがんばりたいと思います。

 

 
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当たり前のことが書いてある「赤旗」はすばらしい、と。

2005年11月21日 23時01分46秒 | 活動日誌
        (冬のバラ)


 朝、晩は大変寒くなりました。しっかり着込んで北部地区に出発。もうじき、大雪の北部地区へ行くときの必需品、ゴム長靴を車に積まなければいけない季節になるのだな、と思いつつ運転してゆきました。

 今日もまたひとり、入党して下さいました。その方は、「赤旗は本当に良い新聞だ。特に国際欄は他紙ではまねできないすばらしさだ。つぶさに読んでいますよ。当たり前のことがかいてある。」と絶賛してくれました。
 「ええ、国際欄は赤旗特派員を出していますから、直接取材した記事が入るのです。ニュースソースから買っている記事ではないからリアルですね。」
 「そうなんだ。イスラム諸国との関係も、共産党でなければだめではないですか。国の代表は共産党のようだ」

 などなど話はつきませんでしたが、最後に「よし、入党して一緒にやりましょう。」と言ってくださいました。

 先日の「赤旗は読み応えがある」と言ってくださった方といい、この方といい、「赤旗」を、ゆがんだ日本のマスコミの中で良識を発揮している優れた新聞と評価してくださったことに、私は大きな喜びを感じました。

 今日の最後の対話は20代の青年でした。
 「ぼくは政治のことはからっきし。九条?さあ、なんか言ってますね。」と。
でも、税金の話になったら、「そんなに引かれるんですか」「ぼくは仕事につけているけど、リストラになった仲間もいて・・」と話が真剣になってきました。
 戦争を起こそうとしている動きにも驚いていました。
 
 「あなたに党に入ってもらいたい。また、お話しましょう。」と帰ってきましたが、この青年のご両親に会いに行ったのですが、おるすだったため青年と知り合いになれました。

 夜、長水地区委員会で、大会決議案の学習交流会がありました。
 決議案は、総選挙の戦いとその後の訪問活動で、私が感じてきたことがそのまま文字になっている内容なので、すっと胸に落ちています。
 国民の真の願いとその解決の道を、解りやすく納得のいくようにまとめてあり、希望が見える「元気のもと」、党員でなくても、どなたにも読んでいただきたいと思っています。


(★11・9集会の日誌に当日の写真をアップしました)
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仲間を迎えました!

2005年11月20日 23時20分22秒 | 活動日誌
   (菊の花・庭に咲いていました。菊は食べてもおいしい。私は大好き!)


 北の若槻地区を出発して、党支部から支部へとリレーし南の地域まで、何箇所かで訪問活動をしました。
 
 ある支部では、前もってAさんが見本誌を配っておいたお宅へ、私とKさんで訪問しました。支部のみなさんが、できるところで力を出し合っての作戦です。
 
 「このごろの小泉さんでは、暮らしはやっていけない。弱いものいじめでしかない。年金だけで暮らしているのに、これでは、心もがさがさして家族だってばらばらになってしまうようです。共産党を応援しています。」などと、深刻な情況を沢山お聞きしました。
 「見所が沢山ある良い新聞ですね」との嬉しい評価もあって、今日はこの支部の分も含めて、全体で5部の赤旗購読お約束があって、嬉しく思いました。

 特に、今日はどの新聞も昨日の3万5千人の大集会の記事を扱いませんでした。
TVでも流さない。ひどいものです。赤旗が光っていました。

 さてもったいぶっていましたが、嬉しい話を最後に出します。

 小学生と3歳児の子育て真っ最中の若いご夫婦が入党してくださいました。ご自分から「新聞赤旗をよみたい」と購読を申し込んでこられた方で、何度か訪問しましたがお留守、今日はお会いできました。初対面です。
 
 挨拶を交わすなり、「私は党に入りたいと思っているのです。」と言われます。
「そのことで今日はお伺いしたのです。」「いやあ、あがってください。」

 「今の政治は弱いものいじめの何者でもありません。何でも民営化がいいとは思いません。お金をかけなくてはいけないことはあるはず。」と、入党申込書にサインしてくださいました。

 「お母さんも一緒に入党しませんか?」とお誘いしました。
「共産党は学校の先生が入る政党ですよね。それに、共産党はヒトラーと同じことをする政党ですよね。」と爆弾発言です。
 ヒトラーやムッソリーニ、天皇の犯した侵略戦争に反対したために迫害され、怖いイメージを植えつけれれたことや、命と人間をこれほど大切に考える政党は他にはないことを、いろいろとお話しました。

 「びっくりしました。そういう政党だったのですね。でも、私は・・。」
「戦争がまた起こされようとしている時に、お母さんがんばらなくては。子どもたちのために。」と私が言いましたら、入党申込書にサインを終えた夫君が、「そうだよ。泣き寝入りする時代ではない。声をあげるんだ。やったほうがいいとおもうよ。」と妻度に言ってくれたのです。
 
 素敵な夫婦だなと思いました。夫君の後押しもありましたが、共産党は女性参政権を主張してきたし、今は30人学級や乳幼児医療費の無料化で皆さんとがんばっている政党だ、などの話で、納得して「わかりました。」とサインしてくださったと思います。

 お二人とも、まっすぐに私たちのの目を見て、こちらの話をよく聞いてくださり、まじめに落ち着いて意見を言って下さったことに、私はとても感激しました。こちらの身を正させるものを持っている素敵な方でした。

 夜は、本当に久し振りで、「新日本婦人の会」の班会に出席、一年以上ぶりでした。私は地元の「れんげ班」に所属していますが、日程が合わなくて殆どでれないでいます。今日は焼肉を一緒に食べて、(産直のえさが違う、自然の農法の豚肉なのです)新婦人新聞の記事を使っての学習会もし、楽しかったです。

 
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